夢子のホテル大好きシリーズ

別府 鉄輪温泉「神和苑

別府温泉、その価値を知らず

別府温泉に初めて行ったのは、二十歳の時だ。大学の音楽クラブでコントラバスを

弾いていて、夏の地方演奏の最終公演が別府だったのだ。2泊したが、1泊目は、前

日美空ひばりさんが公演したという会場と舞台の大きさに緊張し、2泊目は1週間の

地方公演が全部終了したと打ち上げの宴会で大騒ぎ。どこの宿だったのか、温泉に浸

かったのかさえ全く記憶がない。だから行ったことは確かなのだが、記憶はゼロに等

しいようなもの。そのうち私の意識では、別府温泉は特別どうということもない観光

地の1つとなってしまった。時折、東京でも大型ホテルのコマーシャルが流れ「♪別

府○○○ホテル」というサウンドロゴが耳についた。しかしそれも当時大衆リゾート

ブームのような風潮があり「♪伊東に行くなら○○○」、「♪有馬ヒョウエの○○○へ」

といった電波による大量伝播時代の1つにしか過ぎなかった。

やがて就職し、会議や出張、職場の旅行であちこちの地方都市や温泉場に行くよう

になり、大型ホテルにも数多く泊まることとなる。大広間で宴会、宴会がハネタ後も

外国から踊り子が来ていますからとショーみたいなものを見せられ、カラオケスナッ

クもあります、小腹が空いたらラーメンコーナーもあります、と旅館に閉じ込められ

る。翌日も館内の土産物屋が早朝から営業していて、朝風呂帰りにつかまる。寝不足

解消のために朝食パスして寝ていたい、と言っても強引な仲居さんがヅカヅカと部屋

に入って来て、これみよがしに周囲の蒲団をたたみ始める。そんな時代と、そんな宿

が各地にたくさんあった。国内の旅とは、その地に行くのではなく、その宿に泊まる

こと。その地のその街に行くことは許されない。そんな錯覚的な時代である。10時

チェックアウトとはいえ、バッジ処理で朝食を食べさせられ、8時過ぎには旅館も追

い出され、気がつくと昼前には自宅の茶の間に座っているおじいさんがいるとする。

テレビをぼんやり見ていると、熱海では早咲きの梅が3分の開花で・・・・なんてニ

ュースでやっている。熱海? 何だか聞いたことがある。最近行ったような。あっ、

今朝まで居たとこだ。ニュースを見ない人は、温泉饅頭と夕食のオカズにアジの開き

が出て来て、ようやく思い出すのだ。

例えば城崎温泉のように、温泉街全体を楽しめる場所はいい。川の両岸に柳が揺れ、

宿泊した宿のそれぞれの浴衣を着た宿泊客が城崎温泉の景観に溶け込んで外湯巡りを

する。もっともっと素朴だが、信州・野沢温泉でも、山形・肘折温泉もそんな情景を

見ることが出来る。逆に大掛かりな温泉地の街興しの成功例には同じ大分の湯布院がある。

街ごと、温泉地ごと潤うようにしないと魅力ある場にはならない、と私は思っている

んだけどね。

前置きが長くなってしまった。そんなことで、別府=「♪別府○○○ホテル」→ 

歓楽街のネオン→ 地獄めぐりの図しか出て来なかったのだが、あるご縁があって別

府に行くこととなった。改めてガイドブック等で調べてみると、大きな間違いをして

いたことに気づく。別府温泉と一口に言うけど、実は八湯の温泉の総称だったという

ことに。浜脇、別府、観海寺、堀田、明礬(みょうばん)、鉄輪、柴石、亀川の八湯が、

それぞれの特徴を持っているのだ。1300年以上の歴史を持つ別府温泉郷には公衆

浴場も170以上もあり、八湯はそれぞれに特徴を活かした温泉を営んでいるとある。

むむむ、ヌカッタなぁ。やっぱり、ロクに知りもしないでの思い込みはイケンね。深

く反省。で、今晩は鉄輪温泉に行く。鉄輪と書いて「かんなわ」と読む。杵築から大

分行きのバスに乗って、北浜で降りるとすぐタクシーに乗り換える。「鉄輪温泉の神和

苑ってわかります?」と運転手さんに聞くと、大きくうなずいた。走り出すと「お客さ

ん、神和苑に行かれる? あそこは名旅館ですよ。素晴らしい宿だ」と教えてくれた。

よしよし、期待は膨らむぞ。

地獄の中に極楽があった

 バスで来た道をかなり戻って左折し、山側に向かって車は走る。やがて白い煙がも

うもうと噴き上がる場所に来たことで、地獄の中心地の鉄輪温泉に着いたことを知る。

神和苑という小さな看板が掛かった裏門があっても、ずんずん車は中に入って行きよ

うやく建物の前で停まった。何だか周囲がとても広い。女将が出て来て、挨拶もそこ

そこに、明るいうちにと早速自慢の庭を散策することにした。散策。その言葉がふさ

わしい広い庭園なのだと。1万4千坪。何でも山口・宇部の炭鉱王が、その豊富な資

産を注ぎ込んで作った別荘を宿にしたのだと。殊に炭鉱王は石の収集に熱心で、庭内

には重要文化財指定の灯篭や珍しい石がたくさんあると言う。正面玄関から左手の坂

を登り始める。かなり急な坂道が続く。今日の午前中、あの熊野磨涯仏の鬼の石段を

登り下りしたばかりだから、膝が弱っていてキツイ。しかし、坂道、階段があると義

務感が生まれて、せっせと登る。水の音がするので見ると、坂道の脇には小さなせせ

らぎがあるのだった。ここが頂上かと思うところは展望台兼観音堂まであり、賽銭箱

が置かれている。上の方の多くの木々は人の手で刈り込んではいず、自然な形のまま

自由に生きている。少し下って行くと、右手に竹林が。竹の青々した色が好もしい。

下に目を向けると、未だ入っていない神和苑本館の胴拭きの屋根が美しい。そうだ、

ここは公園でなく旅館の庭だった。それを忘れてしまう程、広大で美しい庭園だった。

庭園の下に降りていくと石の宝物のオンパレードだ。石碑やら灯篭やら、もう何だか

わからないけど「スゴイ!」と言ってしまう。

 

庭園に感動した次は、その湯で感激することになる。やっぱり明るいうちに宿の自

慢の露天風呂に行った。大きな露店風呂「青の湯」は裏門近くにあり、以前は混浴だ

ったものが、今はきちんと男女別に分けられている。神和苑の敷地には200度を超え

る沸騰泉の源泉があり。塩分を含んでいる。内湯を素通りして露天風呂を覗いてびっく

り。何と表現しようか迷う程の不思議なコバルトブルーの湯。最初見た時は、名湯温

泉シリーズの浴用剤をバケツ一杯入れたのではないかと思った。新しい湯を見ると、

透明な普通の湯である。それが、日を追うごとに薄い青色、コバルトブルー、青みが

かった白色、乳白色へと湯の色がどんどん変化していくらしい。この不思議な湯の変

化の謎を解き明かす答えは、青の湯の入り口に「神和苑の温泉について」という女将

が書いた文章で知ることが出来る。それに寄ると、大気中の塵や水滴に太陽光線の青

い光が当たって散乱した結果、天気の良い日に空が青く見える「レーリー散乱」とい

う原理が、ここの温泉にもあるのだそうよ。温泉水に含まれるコロイドシリカという

物質があり、その粒子が青い光を散乱させるのにぴったりのサイズなので、コロイド

シリカ同士が時間の経過と共にくっつきあって温泉水が青く見えるのだとさ。温泉に

入ると底にざらざらしたものを感じるが、そのコロイドシリカの塊りなんだって。同

じような温泉は他にもいくつかあるらしいが、2つの内湯、露天湯で色の変化の経過

という自然現象を管理しているのは神和苑だけだと最後は自慢話で説明は終わってい

た。いやいや、これは十分自慢に値する。最初は女風呂で一番青い露天風呂。こんな

に青かったら、湯の中に入ったら裸の身体は見えないだろうと思うと、意外に透けて

見える。ま、別に見られても減るもんじゃなし、いいけどね。いえ、減って欲しい。

このフレーズ、何度も使っている。へへへ。長細い露天の湯は源泉に近いところは熱

く、離れている所はちょっとぬるい。湯を囲む植物には、松や笹に混じって寒椿がぽ

つりぽつりと咲いていて、目にも楽しい。鉄輪温泉は地獄のド真ん中にある。その地獄

が、何とも極楽なのだから、嬉しいではないか。

源泉は透明の湯  内湯の2つには、色の違う湯が

    鉄輪のコバルトブルーや寒椿

臼杵のふぐ、白子の悶絶

 素晴らしい庭園に感激し、その湯に感動した後は、そう、料理なのだ。最初に断っ

ておくが、今晩のメニューは特別に頼んだもので、いつもの神和苑の料理とは違う。

違うって言っても、きっと美味しいのだと思うけど。「白子はもちろん、臼杵の天然も

ののとらふくをたらふく食べたい!他にも美味しいものたくさん食べたい!」という

罰当たりな特別注文。ほんと贅沢してスマンこってした。食事は新装なった食事室で。

どの席も掘り炬燵式に脚が出せて楽ちん。ずっと1人旅だったが、この夜福岡から来

3人と合流して賑やかな宴になった。前菜はふぐの葱巻など、厚めに切られた美し

いふぐ刺し。それはそれは美しく食べるのがもったいない。お吸い物、関サバの刺身。

そして待っていました!白子が来た。しかも七輪に網をかけ、笹の葉に載っかって登

場した白子。もう卒倒しそうだ。私は、とにかく死ぬ前の最後の食卓は、このとらふ

ぐの白子と決めていて(贅沢モノです)、職場の若者と「白子の会」まで主宰している。

ほんの数人の会だけどね。じりじりと白子が七輪の炭火に焼かれている。ふふふ、と

声が洩れる。へへへと照れたふりをする。嬉しくて仕方ない。しかし、ここで誤算が。

白子に焦げ目をつけようと白子をひっくり返したものの、今度は白子が網にくっつい

て取れない。慎重にやったつもりだったが、白子の薄い皮が破れてしまったのだ。あ

ぁ、貴重な白子が。箸で何度も掬って全部食べましたけどね。白子焼く時だけ板前さ

ん来てくれないかな。なんてまたもや罰当たりだね。熱く焼かれた白子が口の中でも

ろくも崩壊して、口に熱さを広げる。あぁ、あぁ。悶絶する瞬間。生きていて良かっ

た。神和苑に来て良かった。うっすらと涙を浮かべた、訳ではないが生涯でもこんな

贅沢はそうそう無いよなぁ。刺身も白子も写真は2人前!ごめん。唐揚げ、ふぐちり、

食べてしまってから撮影を忘れたことを思い出した雑炊。そしてデザート。ごめん。

翌日の朝食も懐石コースで、ほんと朝から贅沢してしまいました。ごめん。

メニューは、海老の刺身、あめたの開き、茶碗蒸し、湯豆腐、煮物、アサリの赤だし、

小豆粥、白いご飯、漬物、グレープフルーツのデザート。小豆粥も食べて、ご飯も2

杯食べてしまいました。ごめん。

蘇った神和苑

 私が泊めて頂いた部屋は「桐」。本館にある7つの部屋の1つだ。他に曙、古里、欅、

新茶、のどかの5つの離れが広い庭園に点在している。これらの部屋は、露天風呂も

含めて、昨年大改装された。別館にも5つの部屋があるようだが、この改装は次回らし

い。ということは、1万4千坪にたった12部屋しか無いことになり、目の行き届いた

サービスが可能になる。建物の老朽化に伴った改装を前に、この神和苑は城崎にある

「銀花」の女将の三宅美佐子さんが主宰する「女将塾」が管理を任された。随所に効

率的なサービスを見ることが出来る。例えば、正面玄関から少し奥の右手に大きなク

ールボックスがあり、たくさんの飲み物が入れてある。傍に可愛いい手付きの籠が置

いてあり、価格票もある。旅館の値段で考えると安い。ここで飲み物を選んで、部屋

の空っぽの冷蔵庫に入れる仕組み。プリンスホテル形式ね。部屋食ではなく、食事室

もその一環だろう。部屋のお茶のセットには煎茶のティーバック。しかし、何だかど

こかで落ち着かないものがある。桐の部屋にも、食事室にもド素人の私にはわからな

いが、とんでもなく高価な茶碗、掛け軸、壷などの美術品に溢れている。庭には3

年前に出来た岩もあった。奥崎女将が、テレビ東京の何でも鑑定団に来て欲しいほど

だと言っていたが、神和苑には良いモノに囲まれた嬉しさがある。気の遠くなる程の

歳月をかけたかけがえの無い宝の中で、合理的は似合わない。この価値を分かる人々

はきっといる。分からなくても何となく好きな人は、価値に相応しい料金は払う。東

京からだって大勢行く筈だ。気に入ったらリピートする。それなら、価値に相応しい

サービスの方向性もあるのではないか。朝までに客の靴下を洗うなんてサービスは要

らないけれど、この抜群の環境と宝モノの宿で「えっ?」という合理性はそぐわない。

昨年の秋に改装を終えて、新しく蘇った神和苑は、これからの道を探っている。これ

から客となる人も混じって、神和苑に相応しいサービスを完成できたらなぁ、と思う。

桐の間には、またもや感動する演出があった。何と部屋にあのコバルトブルーの露

天風呂が小さいながらも付いているのである。ただ、庭を散策する人が風呂の存在に

気がつくと、ちょこっと見えてしまうかもしれない。そんなことで、部屋の露天には、

深夜と早朝の2回入った。目覚まし時計が無いのに、ちゃんと夜明け前に起き出して、

風呂に入る。うっすらと空が明るみ始めて、白い湯煙の向こうに別府湾が望める。早

咲きの桜も満開である。ギャギャギャ〜。あぁ、山地獄のフラミンゴが起きたのだ。

昨日から時ならん叫び声にびっくりしたが、動物園のある山地獄のフラミンゴの鳴き

声だと。「すぐ慣れます」の女将の言葉通り、その鳴き声も、極楽が現実のものだと思

い起こさせてくれる合図のように耳慣れた。地獄のド真ん中の極楽・神和苑(かんな

わえん)であった。

 

     桐の間の露天風呂                                                

                              おしまい

泊まった日/200129日    書いた日/同年2月18日

データ/別府 鉄輪温泉(かんなわおんせん) 「神和苑」(かんなわえん)

    大分県別府市御幸6組 電話097-766-2111 ファックス097-766-2113

  ホテル日記トップに戻る      夢子倶楽部トップに戻る