パクパク日記5年10月2週

      エフェソスからトロイ、チャナッカレ 船に乗ったら「飛んでイスタンブール」に着いた

ドルマバフチェ宮殿 イエニチェリ軍楽隊

10月 10日(月) 曇 一時天気雨 のち晴れ

朝 パムッカレ 「コロッセア」 朝食ヴュッフェ

       バスの前部に貼ってある地図   パムッカレは638分辺り

トルコの旅も週が変わり、行程もほぼ半分こなしたぞ。東部を除いて小さな円を描くように回っている。

このホテルの朝食サービスは午前7時からなのだが「出発が早いので6時半に開けるべし!」というグ

ループのDさんの動議で早めのオープンとなった。しかし温かい食べ物は少なく、つまらない朝食に。

昼 セルチュク 「サフラン」 チキンスープ、パン、サラダバー、ピデ(卵と肉のピッツァ)、チョップシシ

(牛の串焼き)、鍋の底(トルコ風カスタードプリン)

  

    今日はトルコらしいランチ

珍しく朝から厚い雲が空を覆っている。おまけに出発してから30分後には雨もぱらついて来た。今日

はこのコース最大の見所エフェソスに行くので、遺跡のバッグは是非青空でお願いしたい。そこで雨よ

止め!厚い雲よどっかに飛んで行け!青空よ戻って来い!と念じ続けた。ふふふ、雲は切れて見事な

青空となりました。オリーブ、ザクロ、イチゴ、桃、スイカ、オレンジ、綿畑が延々と続く。ちょうど綿の収

穫時期で、季節労働者達が寝泊りする青いテントが点々と張られている。皮製品の大きな店では、男

女数人がモデルとなったちょっとしたファッションショー。出掛ける前に皮のコートを2枚買ったばかりな

ので「絶対買わん!!」と宣言していたのに、買っちまったさ。ペルリァという最高級のリバーシブルコ

ートを。トホホ。でも信じられない薄さと軽さなのだ。ランチに出たチョップシシは、焼き鳥ならぬ焼き牛。

よくもこんな小さな肉片を串で刺せるよと感心する程小さな串です。プリンは「鍋の底」という名前です。

夜 イズミール 「クラウンプラザ」 魚介クレープ、パン、サラダ、スズキのバターソースソティ、アッ

      プル ケーキ、ツボルグ・ビール 10YTL、ラク 9YTL

  

  

  聖母マリアの家」のマリア像        エフェソス遺跡:ハドリアヌス神殿          勝利の女神ニケのレリーフ

エフェス博物館のコレクション:「エロスの頭像」                        「美しきアルテミス像」

午後は先ず「聖母マリアの家」に行く。マリア様は、聖パウロと共にエフェソスにいらして生涯を終えたと

言われている。ドイツの老修道女が夢に見た場所を探してみると、果たしてマリア様が晩年まで過した

家があったんだそうで。その土地には今小さな教会が建てられ、命日の8月15日には儀式が行われ

るのだそうだ。ここにある郵便局から手紙を出すとマリア様の消印が押される。大介君と有里ちゃんに

ハガキを投函。いよいよエフェソスのローマ遺跡だ。紀元前2世紀にローマの属国となったイオニア人

の都で当時世界では3番目の25万人の人口を誇った。紀元前33年にはあのクレオパトラが愛するア

ントニウスと束の間の出会いを果したという伝説もある。ホントかどうか知らんが、そうゆう風に考えた

方が楽しいよね。ハドリアヌス神殿、セルスス図書館、公衆トイレ、大劇場など当時の面影がくっきり。

ポンペイ遺跡にもあったが、娼館への案内図は見事な広告である。次兄宅犬ニケのレリーフもあった。

夕方トルコ3番目の大都市イズミールへ。アギアギした夕食ヴュッフェでなくて、皆ホッとしたのだった。

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10月 11日(火) 曇ったり晴れたり 夜雨

 イズミール 「クラウンプラザ」 朝食ヴュッフェ

  

4時半起床。今の日の出時刻は場所によって異なるが、だいたい7時頃。毎朝5時頃起きるので、外

は未だ真っ暗だ。その日どんな天気になるか全然わからん。このホテルの朝食にグループの全員が喜

ぶ仕掛けがあった。山のように積まれたオレンジ。その隣にオレンジ絞り機。オレンジをナイフでパカッ

と2つに切って自分で絞る。2つ半か3つ使ってゼータクなフレッシュオレンジジュースが出来上がる。ト

ルコはパンの種類が実に豊富だが胡麻がビッシリついたパンが特に旨い。シミットという名前のパン。

昼 ベルガマ 「ベルガマ」 サラダ、パン、ズッキーニのキッシュ、焼きキョフテ(トルコ風ハンバーグ)

青唐辛子添え、メロン、ぶどう、アマルパシャというトルコ菓子

  

  

       ペルガモン遺跡のアクロポリス:トラヤヌス神殿                      遥か下にペルガマの町を望む

その昔はペルガモンと呼ばれていたペルガモはヘレニズム文化に溢れ、第二のアテネと呼ばれる程栄

えていたそうだ。医療施設跡のアスクピオンを見学した後、丘の上のアクロポリスへ。風の強い町だ。

紀元前281年にアレキサンダー大王の部下の部下がペルガモン王国を築いたんだよーん。紀元前4

世紀の城壁とか、トラヤヌス神殿、ゼウスの祭壇跡、大劇場などが当時の栄華を語る。上流階級がこ

の丘の上に住み、下々の者は見下ろす丘の下に住んでいたのだと。こんな高い場所なのに、下の湖

から圧力で水を汲み上げたり、下水の設備を作ったりと古代の人々は頭良かったみたいね。ランチは、

トルコ風ハンバーグの焼きキョフテ。旨い!付け合せの青唐辛子が飛び上がる程辛くて、嬉しかった。

夜 チャナッカレ 「コリンホテル」 ディナービュッフェ ビール 6YTL

    夕食のヴュッフェはアギアギ

  

  トルコ石のホンモノとニセモノの見分け方も教わる   復元されているトロイの木馬      トロイには10層の市が

午後寄ったトルコ石の店でまたもや店の術中にはまりペンダント購入。破産間近だぞー!バスをビュン

ビュン飛ばして夕刻トロイに到着。「期待しないよーに」と添乗員Hさんの言葉通り、トロイの木馬は小

さく、造りがチープだった。中にも入る。ブラック・ピッド主演の『トロイ』には、28の間違いがあるとはガ

イドのアブニさんの言。それはともかくトロイと言えばホメーロスの「イリアス」と「オデッセイア」だわね。

そしてトロイ戦争の話を信じて巨万の費用をかけて発掘したドイツ実業家シュリーマンの話も有名だ。ト

ロイの町は10層の市が重なっている。最初の市が地震なので崩れて、その上に2番目の市が建設さ

れ、という具合に10の市がミルフィーユ状態になっているのだよ。シュリーマンは2番目の市を発掘し

てトロイ戦争時代の遺跡と信じたが、トロイ戦争は6番目の市だったのだ。財宝持って行っちゃアカン。

今晩の宿はエーゲ海に面したチャナッカレ。数十キロ先にはボスフォラス海峡となるが、田舎町だね。

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10月 12日(水) 曇のち晴れ

 チャナッカレ 「コリンホテル」 朝食ヴュッフェ

今日の出発は7時半。4時半に起きて、風呂に入り6時には荷物も出してレストランへ。普段の生活で

は考えられんなぁ。温かい野菜スープが嬉しい。35キロ先のラプセキからフェリーでボスフォラス海峡

を渡り、カラキョットに行く。そこはもうヨーロッパ側なのだよ。3時間走るといよいよイスタンブールだ。

昼 イスタンブール 「フォーシーズンズホテル」 アボガドとマスタードビネグレッドドレッシングサ

       ラダ、 鯛のグリル 野菜とトマト添え、異国風フルーツムースのレモンシャーベット添え、コーヒー、

       フレッ シュオレンジジュース 10YTL

  

  

イスタンブール到着。いやいやたいした大都会じゃなぁ。今まで主にトルコの田舎で過して来たから、ツ

ァーグループ21人が何となく「おのぼりさん」気分でちょっとキンチョー気味。その上今日のランチはフ

ォーシーズンズホテルなのだよ。ここは、元刑務所だった建物を改築して65室のホテルにし立て上げ

たホテル。美しい庭を見て「こんな刑務所なら入ってもいい」という人がいた。さすがフォーシーズンズホ

テルだけあって、パンが違う、サラダが違う、魚は鯛だ。デザートもお洒落。すっかり良い気分になる。

夜 イスタンブール 「ケラバンサライ」 ツナサラダ、シガラブレキ、シシカバブ、フルーツカクテルア

     イ スクリーム添え、ビール

  

  

          イスタンブール:地下都市とメヴィウスの柱                 夜はマズイ食事をしながらベリーダンスを楽しむ

イスタンブールは人口1200万人の大都会である。ボスフォラス海峡を挟んで、ヨーロッパ側とアジア側

に分かれる。それぞれに旧市街と新市外があり、午後はヨーロッパ側旧市外のアヤソフィアと地下都市

を見学した。地下都市は昔の貯水池跡だが、太い柱と照明が幻想的で、007シリーズのショーン・コネ

リーの『ロシアより愛をこめて』のロケ地になった。逆さまと横向きのメヴィウスの柱が印象的だった。今

晩から3泊は新市街の丘の上に聳える5つ星ホテル「スイソテル ザ ボスフォラス」に連泊。嬉しいな

ぁ。夜はベリーダンスを観ながらの夕食。舞台際の席に座ってしまったので、ダンサーが近すぎてなか

なか良い写真が撮れない。アセナ嬢は超有名人とか。それにしてもここの食事はマズイ!殆ど残す。

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10月 13日(木) 曇のち晴れ

朝 イスタンブール・スイソテル ザ ボスフォラス「カフェ・スイス」

  

寝坊して6時に起きる。荷物の整理をしなくていいって楽チンだね。有名な「カフェ・スイス」の朝食。お

ぉ!豪華じゃないか。ジュースは6種類あったが、オレンジ、グレープフルーツ、キャロットはフレッシュ

だ。その上、僅かだが和食のコーナーもあるぞ。が、味噌汁は具がワカメだけでしょっぱい!ご飯はパ

サパサ。タクアンと焼き鮭が何とか食べられる。和食は別として、毎朝ここで朝食を食べるのが楽しみ。

昼 イスタンブール・トプカピ宮殿 「コンヤル」 サラダ、パン、ブレキ、ドネル・ケバブ、ミルクプデ

      ィング  ピスタチオ乗せ、アイラン 3・5ドル

  

  

  教会からモスクになったアヤソフィア      ブルーモスク内部のステンドグラス       トプカプ宮殿のイズニックタイル

イスタンブール市内観光2日目。まずはブルーモスクだ。昨日見学したアヤソフィアと向かい合うような

位置に建っている。ブルーモスクと言っても建物が青いのではない。内部の壁が青いイズニックタイル

で飾られているからそう呼ばれているのだ。世界で唯一ミナレット(尖塔)が6本ある。アヤソフィアの先

にトプカプ宮殿。征服王と言われたメフメット2世の命を受けて1467年に完成したこの宮殿は、370

間オスマントルコ王朝の皇帝(スルターン)の宮殿であった。宮殿内は観光客で溢れ、謁見の館を覗き

込んでいる時、私達のグループの1人がお財布をスラれてしまった。宝物館には、86カラットのスプー

ン職人のダイヤモンドを始め、「一つでいいからオクレよ!」と叫びたい程の財宝の数々。溜め息つい

ちゃった。今後宮であるハレムも公開。徳川幕府の大奥と同じで、ここに入れる男性は、スルターンと皇

そして黒人宦官だけだった。今は宦官でない男性も入れる。アハハ。ハレムを仕切っていたのは、スル

ターンのおっかさん。「今晩はあの姫におし」なんて言ってたのかなぁ。全盛期は千人近い女性がいた

とか。大変だね。ランチは宮殿の中のレストランで。ドネルとは回すという意味で牛と羊の肉を筒状にし

た回転焼き肉を削いで盛り付けてあった。こっちの牛肉は硬くて歯が立たんが、こうして食べればOK

午後のお茶 イスタンブール・グランドバザール トルキッシュコーヒー 5YTL

  

グランドバザールで自由時間。私はもうヘトヘトで喫茶店でコーヒーを飲んでいた。トルコでお茶という

とチャイという紅茶かトルキッシュコーヒー。普通のコーヒーはネスカフェと呼ぶ。ヴェトナムやカンボジ

アでバイクは全部ホンダと呼ぶのに似ている。注文する時何か聞かれたので「ミディアム」と答えた。ド

トールのようにカップの大きさを聞かれたと思ったから。しかしそれは入れる砂糖の量のことだった。普

通なのにトンデモナク甘く、かつ煮出してあるからドロドロ。少しという意味の「アズ」と言えばよかった。

グランドバザールは5千もの店がひしめき、迷路である。貴金属屋が目立つ。値引き交渉も楽しみ。

夜−1 イスタンブール・チェランパラスホテル ケンピンスキー 「ボスフォラスルーム」 ア-テ

      ィチョー クの前菜 インゲン豆添え、パン、チキンソティ 温野菜添え、温かいチョコレートムース ア

      イスク リーム添え、コーヒー、ビール、赤ワイン

                                 チェランパラスホテル ケンピンスキーの豪勢な内部

今晩は旅で一番豪勢なディナーざんす。一番パリッとした洋服で来い、と言われた。迎賓館としても利

用されたチェランパラスホテル ケンピンスキーでディナーを頂くのだ。隣接して新館のホテルもあるが

こちらの建物に泊まる御方々は国賓級らしいよ。でも1泊2千ドル払えば下々でも泊まれるみたい。次

はそうする?ガハハハ。緊張気味で始まった晩餐会であったが、料理はそれ程のものではなかった。

夜―2 イスタンブール・スイソテル ザ ボスフォラス「アンバサダー・バー」 ジントニック

今回参加したのは9組のご夫婦、高校時代の友人同士という女性、そして私の21名である。ご夫婦の

中には、4月オランダ&ベルギーで知り合って親しくさせて頂いたK藤ご夫婦もおいでだ。8月1日荒木

町で再会して「おちあい」で飲んだ夜、次の旅行先を伺ってびっくりした。行き先も旅行会社も出発日も

同じ!そんな偶然ってあるのですね。いつも見知らぬ人々の中に一人で参加していたが、今回は最初

から親しい方がいらして嬉しかった。せっかくの連泊なので、たまには3人、バーで1杯やりませんか。

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10月 14日(金) 快晴

朝 イスタンブール・スイソテル ザ ボスフォラス「カフェ・スイス」 朝食ヴュッフェ

部屋からの眺めはボスフォラス海峡を挟んで右にアジア側、左にヨーロッパ側を見渡せる。海にはいつ

も船が行き来し、空にはカモメが飛んで見ていて飽きない。朝食で完熟の無花果をパクリ。旨いなぁ。

昼 イスタンブール 「メール」 いろいろ前菜(豆の煮込み、小イワシの酢漬け、シーフードマリネ、茄

子)、サラダ、パン、魚のパイ、ムール貝のフライ、石鯛焼き、スイカ、アイラン 4YTL

  

  

       ドルマバフチェ宮殿            45トンもある大シャンデリア           ルメリ・ヒサールの要塞

今日一日と明日の午後2時までフリータイムである。しかし過し方を自分で考えるのはメンドーなので

オプショナル・ツァーを申し込んだ。バスに乗ると全員がいた。ドルマバフチェ宮殿は、それまでのトプカ

プ宮殿が老朽化し手狭になったことから工事を始め1859年完成した。西洋風のトルコ・ルネッサンス

様式の宮殿で、トルコの父アタチュルクもここで大統領としての執務をし、かつこの宮殿で亡くなった。

写真のシャンデリアは、掃除に3週間かかるという巨大なもの。別名「水の宮殿」と呼ばれる。舟着き場

から船に乗ってボスフォラス海峡のクルージングに出掛ける。快晴の空、真っ青な海、カラフルなイスタ

ンブールの街・・・。海風を受けながら、シャッターを押し続けながら、トルコに来て良かったと実感する。

夜 イスタンブール・スイソテル ザ ボスフォラス 「京都みやこ」 お通し:ワカメとゲソの酢の物、

      枝 豆 8 YTL、ほうれん草の胡麻和え 8YTL、揚げ出汁豆腐 15YTL、刺身(スズキの薄造り、中

トロ)、牛のたたき 18YTL、天麩羅盛り合わせ35 YTL、かけうどん 14YTLEFESビール3本 

1万1千円

  

  

  

  3連泊したスイソテル ザ ボスフォラス        軍事博物館内で毎日イエニチェリ軍楽隊の演奏が行われる

オプショナル・ツァーは2時半に終わったので、軍事博物館に行く。その昔、NHKの向田邦子ドラマ

『阿修羅のごとく』のテーマ曲に採用されて一躍有名になったイエニチェリ軍楽隊。私はあれが大好き

なのだ。せっかくイスタンブールまで来て生演奏を聞かないでは帰れまへん!月・火を除く毎日午後3

時から4時までが演奏時間。130分でイエニチェリ軍楽隊に関するビデオ上映の後演奏となる。ス

クリーンが上に上ると、屋外と繋がった空間の向こうに色鮮やかな親衛隊制服姿の整列が見え、♪タ

ンタータタン タンタータタン タンタラララッタラッタ・・・というあの行進曲を演奏しながら音楽隊が近づ

いて来る。私はカンドーの余り、不覚にも涙がこぼれちまったさ。トルコに来て良かった!この演奏を生

で聞くことが出来て良かった!!大太鼓、小太鼓、トルコ風の2つ太鼓、ラッパ2種、シンバル、合唱隊、

その他で50人ほどの編成。曲目は、ウシュクナダ、さくらなどに続き、突撃の曲もあった。イスタンブー

ルでもう思い残すことは無い、とコンサートが終わると1人でタクシーでホテルに帰る。夕食はK藤さん

のご主人の提案で日本食を食べることに。ホテルには好都合に「京都みやこ」という高級和食の店が

あるのだよ。冷酒の値段を聞いてびっくり。1合ちょっとで48YTL4400円??!!ヤメタ。地中海の

鮪とスズキが入ってますよ、と日本人板さんが席まで来て教えてくれた。中トロは旨い。揚げ出汁豆腐

も旨い。K藤ご夫妻は寿司を召し上がったが、私はうどん。コシのあるうどんでなかなかいけたのだ。

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10月 15日(土) 曇り

朝 イスタンブール・スイソテル ザ ボスフォラス「カフェ・スイス」 朝食ヴュッフェ

いよいよ今日の夕方日本に帰る。3日ぶりに荷物の整理をした。ここの朝食も最後だから、フレッシュ・

ジュースはキャロットとオレンジと2種類飲む。オムレツも焼いて貰った。いつものように朝から満腹だ。

昼 イスタンブール 「HAMDI」 レンズ豆のスープ、パン、ピデ(トルコ風ピザ)、アダナ・ケバブ(辛い

ケバブ)、フルーツ盛り合わせ、アイラン 4YTL

  

  

  

        カーリエ博物館(コーラ教会)のモザイク画とフレスコ画                  敬虔なイスラムの女性

  

  香辛料に溢れるエジプシャン・バザール        ドマル・ケバブを売るおじさん           国旗を売る人も

午後2時集合まで、半日のオプショナル・ツァーに参加。今日は13人だった。カーリエ博物館、別名コ

ーラ教会では、モザイク画やフレスコ画がスンバラシイ。天才建築家スィナンの設計によるスレイマニ

エ・ジャミイでは、イスラムの祈り方を教えて貰う。最後はガラタ橋の近く、イェニ・ジャミィの隣にあるエ

ジプシャン・バザールへ。野菜、鮮魚、果物、干しモノ、香辛料、チーズ、菓子・・・食料品なら何でも揃う。

グランドバザールよりずっと庶民的で活気に溢れている。ランチは、ガラタ橋と金角湾を一望にできるレ

ストランで。シシケバブの辛口を注文すると、それはアダナ・ケバブと名前が変わる。唐辛子がどっさり

入っていて辛く、インドのチャパティみたいなものに包んで食べると更に旨かった。トルコ料理も終りね。

夜 トルコ航空国際線ビジネスクラス機内食 シャンパン、前菜:魚のフィリング入りクレープ、「お坊さ

んの気絶」レンズ豆とチキンのオリーブ風味 胡桃とアーティチョーク添え、グリーンサラダ、トマト

ソースニョッキ ブロッコリーのバター炒め、フルーツ、ジントニック 2杯、白ワイン

    お坊さんの気絶だよ?

午後6時発のトルコ航空で日本に帰る。トルコ料理は、「お気に入りのケバブ」、「ハネムーンのスープ」、

「羊飼いのサラダ」なんて面白い名前がついたものが多いが、機内食には「お坊さんの気絶」という料

理も。なかなか楽しいネーミングだ。デザートのケーキまで行かないうちに、いつの間にか寝ていた。

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10月 16日(日) 日本は雨のち曇り

 トルコ航空国際線ビジネスクラス機内食

直行便とはいえ、フライト時間は11時間半。トルコ時間午前3時頃の食事は食べる気がしない。残す。

昼 無し!!

成田に着くと、冷たい雨がショボショボ降る暗い天気だった。30分遅れで正午到着。駐機代の高い成

田にはわざと遅延到着して倹約しているというウワサは本当だろうか。皆さんにご挨拶してタクシーで

帰る。天気が悪いせいか、道路はスキスキで50分で我が家に到着。洗濯やら荷物整理を取り掛かる。

夜 舟町 「よつや菜館」 小籠包450円、フカヒレ汁そば 1200円、杏仁豆腐 380

  

トルコでは約1万枚の写真を撮ってしまった。撮り過ぎである。現地で消したものもかなりあるが、写真

の整理をしたら、何とファイルは15個に!昼も抜いたので、ちょっと空腹。「よつや菜館」でフカヒレの汁

そばを食べたら、ほっこりした。さて、今晩でどの位パクパク日記を作れるだろうか。毎度シンドイなぁ。

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【今週の振り返り】

イスラムは、キリスト教に次いで世界第二番目に信者の数を誇る大宗教である。その起こりは7世紀、

アラビア半島のマッカ(メッカ)に始まった。当時は、ササン朝ペルシャ帝国と東ローマ帝国(ビザンチ

ン)が覇権を競い、メッカのあった今のサウジアラビアは、文明から取り残された地であったようだ。孤

児となってハーシム家一族に育てられた正直者の商人ムハンマド(モハメット)が40歳になった時、ヒラ

ーの洞窟で突然「啓示」を受け、アッラーの使者、預言者となったことからイスラムの歴史は始まる。紆

余曲折はあったものの、イスラムの教えは瞬く間、燎原に火を放つごとく広まり、隣のペルシャ帝国は

滅びてしまう。その後、イスラムはスンニ派とシーア派に分かれることになるが、9世紀の半ばには、東

は中東、中央アジアまで、西はスペイン、ポルトガルのイベリア半島、北アフリカはカイロからモロッコま

でとイスラム帝国は領域を広げて行った。時を経て、14世紀半ばに形づくられ始めたトルコのオスマン

帝国はメフメット2世が1453年、遂に首都コンスタンチノープルを攻め落として、ビザンチン帝国は崩壊

する。この戦いを制したのは要塞。ボスフォラス海峡の最狭部に要塞ルメリ・ヒサール(14日の写真参

照)を築き、ビザンチン帝国の船をドカンドカンと撃ち続けた。町の名前はイスタンブールに改められる。

その後もオスマントルコは、中東、エジプトの北アフリカやハンガリー、ウィーンにも攻め込む。オスマン

が手中にした領土は、奇しくもイスラム領土とほぼ一致する。キリスト教の首都でもあったコンスタンチ

ノープルからイスタンブールになったこの町は、今度はイスラムの首都になったのである。

イスラムには政教一元論がある。イスラムの教えは、イスラムの法でもある。例えばイランはシーア派

の政府である。それに対してキリスト教は市民法と宗教法は別だ。オスマントルコ帝国は、約500年の

長きに渡り、イスラム的な制度と法律で広い領土を支配して来た。支配する側と支配される側が同じ宗

教を信じ、共通の制度、法律だったから混乱は無かったのだろう。しかし、そのオスマントルコも衰退期

を迎え、第一次世界大戦でドイツと組んだことで壊滅的な打撃を受ける。たくさんの戦勝国に国はズタ

ズタにされ統治されるが、1922年トルコ革命が起きてスルターン制を廃止。翌1923年トルコ共和国

が誕生するのである。国土は最盛期の10分の1になった。こうしてカンタンに説明して来ると、何度か

記述した初代大統領アタチュルクの大改革の一つ「政教分離」がいかに大きな決断と断行であったか

が理解できる。それがトルコにとって良かったのかどうかは、門外漢だからわからない。しかし、だから

今の成長するトルコがある、とも言える。ケマル・アタチュルクという方は改めてスゴイ人だったんだなぁ、

と思った。街中に、紙幣にアタチュルクの肖像がある。今も尊敬を集める建国の父アタチュルクであっ

た。またトルコを訪ねたいと思う。

    アタチュルクさんの隣で光栄だニャー

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  *パクパク日記10月1週にはトルコ旅行の1週目が記載されています。併せてご覧ください。