パクパク日記6年1月3週

       マルタ島ってイタリアでっか?ちゃいます!独立したマルタ共和国ですねん

グランドハーバー  船の守り神ルッツ

1月 16日(月) 晴れ

朝 チェニジア・タルメザ 「タルメザ・パラス」 コンチネンタル朝食ヴュッフェ:グレープフルーツジ

    ュー ス、茹で卵2個、クロワッサン、ヨーグルト、コーヒー

  

チェニジアの朝は遅い。日の出は7時半を過ぎる。だから朝食に向かう時は真っ暗なプールサイドを歩

いて行かねばならない。有明の月も見えるぞ。砂漠の中の高級ホテルのオーナーはフランス人と聞い

たが、そのせいかどうか朝食は完全なコンチネンタルスタイル。つまりサビシー朝ご飯ということ。ジュ

ース、茹で卵、パン、ヨーグルト、コーヒー以上。初めてヨーロッパに来た時は一人だったが、朝食の余

りの寂しさに涙を流したっけなぁ。アッという間に終わった朝食の後、プールサイドで日の出を待つ。寒

くてぶるぶる震えて待っているのに、なかなか太陽が上って来ない。時間止まっているんじゃないの?

昼 チェニジア・タルメザ 「タルメザ・パラス」 ショルバ(大麦入りトマト味スープ)、チキンと野菜の

     モスリ、ナツメヤシのムース、カプチーノ

  

  

  

今日一日タルメザ渓谷を観光する。起伏の多い悪路が続くので数人づつ4WDに分乗した。先ずはメト

ラウイの駅を目指す。マホメッド君という陽気なドライバーだったが、バウンドしそうな個所では「ジャポ

ネ、キヲツケテクダサイ、ゲンキデスカァ?アリガトウ、ドーイタシマシテ」をセットで繰り返す。笑い声に

包まれた車の外には、荒野にも関わらず紫や黄色の花が意外にもたくさん咲いている。内臓の上下運

動をたっぷりさせられた頃駅に到着。ここから「レザー・ルージュ」赤いトカゲと命名された列車に乗るの

だ。車両毎に内装が全く違い、高級ラウンジのような車両もあれば、木製のベンチだけのものもある。

私は行かなかったがバーを併設した車両もあったようだ。月曜日は運休のハズだが、今日は観光客が

多いので貸切運行になった模様。山岳地帯を赤い列車がクネクネと進んでいくのだが、これぞ!という

見所2ヶ所では写真撮影タイムで停車する。私はずっとデッキに立って撮影していたのだが、2回目の

停車が終わって列車に乗った時、声をかけられた。「夢子さんじゃありませんか?」ゲゲゲ、こ、こ、こん

な所で私の名前を呼ぶのは誰?かつての部下のS伯さんだったよん。世の中ホンマ狭いのであーる。

昼飯は、ホテルに帰って。S伯さんグループも一緒だ。モスリという料理は、器に大皿を被せ、ヨイショと

引っくり返して皿に盛り付ける。それがウケテいた。ナツメヤシのムースは濃い味だが甘くて降参した。

夜 無し!!!

時間は前後するが、ミデスという旧村ではチェニジア版グランドキャニオンを見た。グランド・カスカド(大

滝)という名前のタルメザの滝は、小さくて可愛い滝であったが、砂漠の滝と考えると珍しい。そうそう、

ミデスはイギリス映画「イングリッシュ・ペーシェント」のロケ地として有名になった所でもあるのだ。そし

て砂漠のオアシス・シェビカ。このミデス、タルメザ、シェビカの3つの村は、35年前の1969年、3週間

雨が降り続いて起こった大洪水ですべて流されてしまった過去を持つ。洪水の後政府が別の場所にコ

ンクリート製の新しい村を作ってくれたので、彼らは今そこに住んでいる。私の部屋から見える廃墟は、

タルメザの村の跡だ。農業も出来ない乾燥気候と戦う人々が、大水で村を流されるとは皮肉な悲劇だ。

悲劇を思って食を断つ。ウソウソ。シェビカの山を登って疲れ、風呂から上がったらほっこりしたくなって

夕食をサボる。ナツメヤシをつまみのウィスキーが夕食となる。意外にヒモジクなかった。エライだろ?

            _________________________

1月 17(火) 晴れ 午後から曇り                  1TD=ディナール=約87円

朝 チェニジア・タルメザ 「タルメザ・パラス」 コンチネンタル朝食ヴュッフェ:クレープ、生トマト、

     チー ズ、クロワッサン、コーヒー

  

今日の出発は645分とチョー早い。だから4時に起きた。エライだろ?朝食サービスは7時からだ

が特別に5時に開けてくれることになった。今日はクレープ焼きおじさんがいる。チーズとトマトもある。

反省したようだ。しかし茹で卵はなかった。真っ暗の中出発し、ショット・エル・ジェリド(大塩湖)の手前

あたりから朝焼けが美しくなった。遥かに地平線が見え始め、広い空が真赤に染められていく。その中

を馬に跨った羊飼いが2人太陽に向かって進んでいく。わぁー映画のシーンみたいじゃん。午前10

サハラ砂漠の玄関口とも言えるドゥーズに到着。ここで駱駝体験を楽しむことになっているが、私以下

数名はパス。モロッコで2回乗ったからいいわ。代わりに馬車に乗って、こわごわ駱駝に乗るツァーメン

バーのカメラマンとなった。誰も落ちなくて良かった。ここからサハラ砂漠は果てし無く続くのだ。駱駝は

見えなくなるので暗くなると自分で座ると言う。ってことは♪月の砂漠を遥々と旅の駱駝は・・ってウソ?

昼 チェニジア・マトマタ 「オテル シディ・ドリス」 ショルバ、ブリックス、クスクス、エスプレッソ 

     1,5 TD

  

  

ドゥーズからバスを飛ばして2時間、マトマタに着いた。この地方は、先住民族であるベルベル人が約

4万年前から住み着いていたらしいが記録はない。大きなすり鉢状の内部に横穴を掘った穴居住居を

見せて貰った。アラブ人から追われたベルベル人が隠れるために作った住居だ。上右端の写真は、

「オテルシディ・ドリス」の中庭で、かつてのゴルファ(倉庫)の集合体クサールの様子が見られる。どこ

かで見たことある?そう、映画「スター・ウォーズ」のロケ地だよん。ここでスピルバーグも食べたという

ランチを摂る。ブリックスはチェニジア春巻、クスクスは世界最小のパスタであります。まずまずの味。

夜 チェニジア・マハディア 「ヌール・パラスホテル」 夕食ヴュッフェ ビール3,TD,赤ワイン 

     30TD (3人で)

  

マトマタからが長かった。目指すマハディアは、地中海に面した漁業と海浜リゾート地。バスで飛ばして

4時間半の道のりであった。朝6時45分に出発したのは、隣国アルジェリアから数キロの砂漠山岳

地帯、大塩湖、砂漠の入り口、中部地方のマトマタを経ての大移動であった。寡黙な運転手さん、お疲

れさまでした。遅いので、ホテル到着後そのまま夕食。リゾート地の高級ホテルのレストランは着飾った

客が多い。その中を埃っぽい恰好のまま、ヴュッフェでうろうろするのは決まり悪かった。今日はB藤さ

んのお誕生日。食後ハッピーバースディーの歌と共にケーキが運ばれて来た。B藤さんとは去年7

に行ったバルト三国でもご一緒した方で偶然の出会いに成田でびっくり。長い一日はようやく終わる。

           ____________________________

1月 18日(水) 晴れ

朝 チェニジア・マハディア 「ヌール・パラスホテル」 朝食ヴュッフェ

  

チェニジアで迎える最後の朝だ。5時半に起きてゆっくりお風呂に入り、海から昇る朝陽を待つ。今の

季節は日の出時間が遅いので、早起きせずとも毎日のように撮影できる。一昨日はタルメザの山から

昇る朝日、昨日は大塩湖から地平線を昇る朝陽、そして今日は地中海から昇る朝陽。何てゼータクな

んだろ。たいして美味しくもない朝食後、モナスティール空港に向かう。モナスティールという町は、近く

のスースに比べれば小さな町だったのだが、前大統領の出身地ということから急速に発展して飛行場

まで出来てしまったらしいよ。チェニジアの上越新幹線ってところか?アハハ。チェニジア、さようなら。

昼の軽食 チェニジア航空機内食 サンドイッチ、水               マルタリラ=340円

チェニジア航空の機内食はひと口だけ。マルタの昼食を美味しく食べたいから。周囲は食べているよ。

遅い昼 マルタ・イムディーナ 「バッカス」 チーズとブロッコリー・チーズのクリームペンネ、パン、

     鱈の ソティ トマトソース、フルーツサラダ、コーヒー(白、赤ワイン)

  

  

あっという間にマルタ空港に到着。マルタ島は、それほどチェニジアやリビアから近い国なのだよ。ま、

近さで言えばイタリア・シチリア島の方が近いけど。当初は3泊のマルタ滞在だったが、コースが変更

になったために今日から4泊する。まずは、古都イムディーナへ。街並みは、蜂蜜色のマルタ・ストーン

が殆どの建物に使われていて通リごと、街ごと蜂蜜色である。島の中央部の丘の上に位置するイムデ

ィーナはアラビア語で「城壁の町」の意味だが、首都がヴァレッタに移ってからは静寂の町とも言われて

いる由。かつては貴族や聖ヨハネ騎士団が住んでいた町の静かさがいい。食事は格段に旨くなった。

夜 マルタ・スリーマ 「タ・クリス」 山羊のチーズと野菜のマルタサラダ、パン、ブラジオリ(マルタ

    風煮 こみハンバーグ)、アップルパイ、(コーヒー)、ビール 0.45リラ、赤ワイン 2.75リラ

  

夕刻宿泊先のサン・ジュリアンにある「ホテル コリシアン・ジョージ」到着。今晩から4泊するのでシケタ

ホテルや部屋だとイヤだなぁと思っていたが、全部OK。但しホテルエントランスから部屋に着くまで迷

子になりそうな複雑な構造であった。またもや一番奥の部屋。でも、それは海に一番近い部屋を意味し

眺めはサイコーである。夕食は車で20分程離れた一番の繁華街スリーマへ。マルタの名物料理ブラ

ジオリが一番美味しい店とガイド・ヨシコさんの折り紙付きの店だ。うんまぁ!!煮込みハンバーグのよ

うな料理だが、何種類ものハーブが入っているらしく深い味。しかもてんこ盛りの量だ。この国好き!!

       ______________________________

1月 19日(木) 晴れ

朝 マルタ 「ホテル コリシアン・ジョージ」 朝食ヴュッフェ

  

  美味しい料理が揃った朝食ヴュッフェ            ホテルコリシアン・ジョージ全景        部屋から見える海に浮ぶカジノ

朝ベランダに出て海を見る。目の前はサン・ジュリアン湾で、ウィスティンホテルが真ん前に見える。そ

の間に突き出た場所には、カジノの建物。さーてと、朝ご飯食べに行こう。わーい!今回の旅行で一番

充実した朝食ヴュッフェだ。イスラム圏を脱出したので、ハムもソーセージも旨いぞ!パンもいいねぇ。

昼 マルタ・ヴァレッタ 「De Roberlis Roof Top Terras」 野菜スープ、パン、カンネロー

     ニ(蟹ソ ースのパスタ)、チーズケーキ、コーヒー、(白ワイン)

  

石材アーキテクチャーではマルタが世界最古  日本にも関係深い渦巻きデザイン    5千年以上眠る国宝「スリーピング・レディ」

  

   騎士団の聖ヨハネ大聖堂            (堂内) 色大理石は騎士達の墓          ジョットの名作「聖ヒエロニムス」

  

 かつての騎士達の遊び場アッパー・バラッカ・ガーデン      正午に打たれる大砲             これがマルタ共和国の国旗

  

首都ヴァレッタの見学。美しく晴れた日で、澄んだ青空、蒼い海、蜂蜜色の建物、絵葉書のような景色

に歓声が上がりっ放しだった。国立考古学博物館で先ずはマルタの歴史を学ぶ。一言で言うと歴史が

古いんだ、この国。世界遺産にも指定されている巨石文化時代の遺跡群は5600年前のものだよ?中

国4千年の歴史なんて目じゃないの。遺跡から発掘されたものには輪廻転生を表す渦巻き模様もある。

これが欧州、シルクロード、中国を経て日本の唐草模様になったと考えるとまさにロマンだ。この当時

は、太った女性が神聖とされ(わかった?私を粗末にしたら承知しないよ!なんてね)、神殿も豊穣の

女神の形をしていたらしい。そして、そして国宝の「スリーピング・レディ」の像。掌に乗る程の小さなも

のだが、プリーツスカートをつけたふくよかな女性の像は心を強く打つ。マルタは面白いねぇ。聖ヨハネ

大聖堂に行く。この国は、聖ヨハネ騎士団が数百年本拠地にした島でもある。ジョットの名作が2点併

設された美術館に展示されていた。その後グランドハーバーを見下ろすアッパー・バラッカ・ガーデンで

絶景を楽しんだ。かつて騎士達の遊び場であり社交場であったと言う。毎日正午に衛兵による大砲が

打たれ、丁度居合わせた私達は大音響に飛び上がった。街を一望できるレストランで美味しいランチ。

蟹がぎっしり入ったパスタはチョー美味しい。残した人の分をタッパーに入れて持ち帰りたかったぞよ。

午後のお茶 マルタ・ヴァレッタ 「メリディアンフェニシアホテル」 カプチーノ 1リラ

午後は世界遺産のハル・サフリエニ・ハイポジウムを交替で見に行く。厳重な温度管理をしているため

1時間で10人しか見学が許されていないのだ。もちろん予約制。今では住宅地であるパオラの地の地

下に5千年前以上前から造られ始めた神殿兼墓地がある。青銅器が使われる以前に石器だけで地下

3層の神殿を作った先人達に文句なしに敬意を払いたい。見学後猫の写真を撮りながらお茶を飲む。

夜  マルタ 「ホテル コリシアン・ジョージ」 茄子と山羊のチーズとトマトのテリーヌ、チキンソテ

     ィ 温 野菜添え、パッションフルーツとブルーベリーソースのアイスクリーム、ビール 1リラ、白ワイン 

      5,75リラ

夕食はホテルのレストランで。何だ、ホテルか、という思いと、出かけずに済む安堵感とあって。夕食の

席でも部屋に帰ってからもたっぷり酒を飲む。マルタのワインは安くて旨い。料理も旨くて文句ないよ。

           ___________________________

1月 20日(金) 曇り 時々晴れ 夜から雨

朝 マルタ 「ホテル コリシアン・ジョージ」 朝食ヴュッフェ

マルタ共和国には、マルタ島、ゴゾ島、コミノ島そして2つの無人島の5島からなる。今日はそのゴゾ島

に渡る。国民の98%がローマンカソリック教徒のマルタにあって、ゴゾ島は最も敬虔な信者が暮らして

いるという。ゴゾの女性は、毎朝5時に起きてミサに出かけて祈りを捧げるそうだ。マルタ島の西端のチ

ェルケウア港からフェリーに乗って30分弱でゴゾに到着。その前にコミノ島の横を通リ過ぎた。東西14

キロ、南北7キロの小さな島に2万6千人が住む。ジュガンディーヤ神殿。紀元前4千年に建設が始ま

ったとされる石を積み上げた神殿で、建物は豊穣の女神の形をしているのだよ。ホメロスの抒情詩「オ

デッセイ」に出て来る美女カリプソがオデッセウスを閉じ込めたという洞窟を見学。ホントとは思えない

話だが、洞窟の入り口から見る浜辺の美しさには溜め息が出た。数千年の風と波で侵食されたアズー

ル・ウィンドーでは、8人乗りのボートに乗って大騒ぎさ。この島緑に溢れて素朴で住み易そうな島だ。

昼 マルタ・ゴゾ島 「TA FRANC’ 野菜スープ、パン、魚(デンケッチ)の地中海風、セミフレット

      (ペ パーミントの2色アイスクリーム)、コーヒー

  

5千年以上前のジュガンディーヤ神殿          カリプソ洞窟から見たサンディ・ビーチ       アズール・ウィンドー

  

  

  

ゴゾ島は素朴だけではない。2つの劇場やお洒落なレストランもあるのだ。その中でも評判という「TA 

FRANC’」でランチ。マルタでもゴゾでもレストランでは水のようにワインがサービスされる。しかし、お

日様が高いうちは飲まん!という鉄の意志でずっと飲まずに通している私。エライ!食後は、大城塞か

ら島を一望し、裏通りを歩く。熱心なクリスチャンの島らしく街中にキリスト様、マリア様の像で一杯だ。

 マルタ・サン・ジュリアン 「ドルチェ・ビータ」 海の幸のリゾット トマトソース、パン、ポークソ

      ティ  甘酢味、チョコレートケーキ、赤ワイン、白ワイン

  

  

一緒に行った皆さんは、マルタに住んでも良いかもねー、ゴゾの方が住みやすいかしら、なんて会話を

している。マルタ島で中心から離れた場所なら、1ヵ月家具付きのアパートが2万5千円位で借りられる

というし、食料品、ワインは安いしねぇ。イギリス人は数ヶ月滞在して療養する人も多いらしい。さて、今

晩の夕食は、ブラット・ピッドもお気に入りという人気レストランに行く。プリフィックススタイルで、前菜と

メインを3種の料理から選ぶ。皆どれにするかで大いに悩む。私はリゾットとイタリア風酢豚。お隣の料

理も貰ったから、結局ほとんどの種類を頂きましたけどね。サービスのワインを飲み過ぎてしまったぞ。

         ______________________________

1月 21日(土) 強い風 雨時々曇り

朝 マルタ 「ホテル コリシアン・ジョージ」 朝食ヴュッフェ

  

  

実は一昨日の夜から強い風が吹いている。一番海に近い部屋だから、風が吼え海が鳴く様子がガン

ガン伝わって来て怖い程だ。幸い昨日はゴゾ島のフェリーは運航していたが、今日乗る予定だった船

は欠航。海から堅牢なヴァレッタの城塞を見ることができず残念。騎士団長の宮殿に行く。16世紀オス

マントルコ軍の大包囲戦を8ヶ国からなる聖ヨハネ騎士軍団が死守し、以来2百数十年間マルタに留

まった。キリスト教徒がイスラムの侵入を拒んだということだ。勇猛に戦った騎士団ではあるが、平穏な

時代になると監視以外にすることもなく、騎士達は甲冑や武具のお洒落を競ったり、マルタ中を遊び回

っていたらしい。何せ騎士は由緒ある家柄の貴族のお坊ちゃん達ばかり。狩をやりたいが、マルタには

森も狩る動物もいない。ならばと、森を作り動物も連れて来て狩りをやったというから贅沢な話じゃあり

ませんか。18世紀の終わり、ナポレオン軍がエジプト遠征時にマルタに押し寄せたことから聖ヨハネ騎

士団は解散・撤退することになったが、その9年前に起こったフランス革命で財政的基盤を失ったこと

も騎士団を弱体化させた。騎士団が最初に住んだスリー・シティーズに行く。その中のヴィットリオーザ

は「勝利」を意味する地名だが落ち着いた佇まいが訪ねる人々の心を引きつける。住んでみたいなぁ。

昼 マルタ・マルサシュロッグ 「IR−RIZZU」 ワインのおつまみ盛り合わせ、パン、フィッシュス

      ープ、 魚(ドット)の蒸し焼き 温野菜添え、アイスクリーム、コーヒー、(赤ワインの代わりにピーチ

      ジュー ス)

  

  

マルタで一番大きい漁村のマルサシュロッグまでランチに行く。港に繋がれた漁船は赤、黄、青、緑と

カラフルに塗られとても華やかだ。そして船首にはLuzzu(ルッツ)と呼ばれる一対の目が。エジプトか

ら伝わる悪天候、不漁から漁師を守る魔よけということだ。教会上マリア様も船に乗っていらっしゃる。

 マルタ 「ホテル コリシアン・ジョージ」 パンプキンスープ ガーリックトースト添え、ビーフの

      ハー ブソティ マッシュポテト添え、レモンシフォンケーキ、ビール、赤ワイン 5,75リラ(3人で)

  

午後の一刻フリータイム。スリーマでちょいと買い物をして、あとはO田さんとお茶を飲む。この旅行中

親しくさせて頂いた方々もたくさん出来て楽しいお喋りもした。皆さん、旅の世界ではいずれ劣らずツワ

モノである。最後の晩餐はホテルのレストランで。マルタに来てから食事がぐんぐん美味しくなって毎食

楽しくて仕方なかった。美味しいレストランばかりだったからね。その点ホテルはちょっと物足りないか。

        _____________________________

1月 22日(日) 強い風 曇り

朝 マルタ 「ホテル コリシアン・ジョージ」 朝食ヴュッフェ

  

今朝も強い風は収まっていない。帰り支度をしていたら、何か胃のあたりがむかむかする。腸は弱いが

胃はめっぽう強い私であるからこんなことは初めてだ。朝食もほんのちょっと。I邉さんがわざわざ「ガス

ター10」を持って来て下さった。胃薬飲むなんて初めてか?3時間で治った。さて、マルタともお別れ。

昼の軽食 アルタリア航空機内食 チーズとハムのサンドイッチ、水

突然の昼食 イタリア・ミラノ 「ラマダホテル」 パン、ポークソティ ファルファッレと温野菜添え、

    アイスクリーム

  

マルタからミラノ空港に無事着いて、午後315分発の飛行機に乗れば日本に帰ることができる。と

思っていた。ところが。アルタリア航空の日本人スタッフが待ち構えていて私達に告げた言葉は。「日本

が大雪で、皆さま方に乗って頂くハズの飛行機が来ておりません。離陸できないようです。午後6時過

ぎに関空から来る飛行機を成田行きにいたします。出発は夜9時頃の予定です」。ガッツーン!今午後

1時だよ、あと8時間もあるじゃん!アリタリアが空港近くのホテルを用意してくれ、そこで休んでいろと

いうことになった。出発前から帰りのビジネス席が全員分確保できなかったため、9名はミラノ延泊とな

ることが決まっていた。彼らと別れ「ラマダホテル」へ。カンタンな昼食を摂って、本を読みながら待つ。

深夜 アルタリア航空ビジネス機内食

飛行機は更に遅れ夜9時40分離陸。午後11時に始まった食事は「ランチ」とあった。あーあ疲れた。

         ________________________

【今週の振り返り】

マルタ島はどこにあるかって?シチリア島の南、チェニジアの東の海に浮んでおる。そんな位置にある

からか、マルタはイタリアだと思っている人が多いけど、全然違う。ましてやフランスやギリシャでも無い。

マジョルカ島とかクレタ島とは全く違うのよ。じゃ、どこの国かというと、マルタ共和国なのである。人口

たったの40万人ではあるが、レッキとした独立国である。マルタ島、ゴゾ島、コミノ島、そして2つの無

人島の5島からなるが、面積は淡路島の半分しか無い。しかし一つの国なのだ。7千年と歴史は古く、

地中海の要所に位置することから、フェニキア人、カルタゴ、ローマ帝国、ビザンチン帝国、アラブ、バ

イキングのノルマン、ドイツ、スペイン、そして聖ヨハネ騎士団、2年間だけフランス、それ以降はイギリ

スといろんな国の支配を受けた。アラブ支配を受けた時はイスラムになったこともあったが、現在は国

民の98%がローマン・カソリックの信者である。よって離婚も堕胎も火葬も認められない。1800年から

164年間イギリス領であったが、1964年独立、10年後に共和制・大統領制を導入した。2004年には

EUに加盟している。

高校の音楽の教科書にある歌曲が載っていた。作曲者も曲名も思い出せないのだが・・・・・♪マールタ 

マルタ 別れの・・・・という歌詞が出て来た。難しい曲なのに歌唱試験の課題曲でもあったからヒーヒー

言いながら練習したことを覚えている。その時から私の頭にしっかりと「マルタ」が残った。ある時、山形

に旅をした。一緒に行った1人の女性が、旅が終わったら会社を辞めて英語語学研修に海外に行くと

言う。どこに行くのか尋ねると「マルタ」と答えた。イタリアでどうして英語を?と誰かが聞くと「皆さん、マ

ルタ共和国です。英国領だったからクィーンズイングリッシュが学べるのです。美しい島のようですから

留学中に是非遊びに来てください」と誘われた。その時、どうせ行くならチェニジアとセットで行くのもい

いかもな、と思った。十数年前の話である。

彼女の話の通り、マルタは美しい国であった。チェニジアから向かった飛行機の中から島を見ると、真

っ青な海に緑と蜂蜜色一色の建物群があった。風が美味しいと思ったら、料理もパンもワインも全部美

味しい国だった。猫があちこちを歩いている。いいねぇ。海は目が痛くなるような青さだ。街中を走り回

るバスは様々な形をしていて可愛い。街はどこを見ても絵葉書のように美しい。マルタ島も日本より治

安の良い島だが、ゴゾはもっと安心な島だった。素朴さはもっと増す。じゃが芋は4回、トマトは6回も出

来る程気候に恵まれている。何も知らずに遊びに来てマルタの魅力に取りつかれたガイドのヨシコさん

は、そのままマルタに住み続け、4年前警察官の男性と結婚してしまった。彼女には生後4ヶ月の女の

赤ちゃんがいるが、妊娠した時から月額7千円が国から支給されたと言う。子供が3歳になるまでその

支給は続くらしい。クリスマスにはボーナスも頂いてしまいましたぁと嬉しそうであった。何?幼稚園から

大学まで教育費は無料?大学入学時は祝い金が20万円?その上毎月3万円もお小遣いが貰える

の?そう聞いてびっくりしていたら、医療費まで無料なのだと言う。重病人は、飛行機で英国まで連れ

て行って貰え、それもタダ?信じられないような話である。ふんふん、それって北欧と一緒で税金合計

75%とかってことでしょ?ナヌ?年収500万以下は所得税20%と年金積み立て10%だけ?高額所得

者も合計45%しか取られないの?年金は61歳から現役時の4分の3保障?政府は現状の年金レベ

ルを80年間続けられると胸を張っているらしい。ホントーだろうか。ホントーだとしたら、結構毛だらけ

猫灰だらけの話ではないか。

イギリス人は、月額2万5千円の家具付きアパートを長期間借りて療養する人も多いと聞いた。そりゃ

そうだろ。私も老後(もうそんなものだけど)海外で暮らすとすれば、マルタがいいなぁと思い始めた。マ

ルタは十分魅力的だけど、ゴゾ島の方がもっと住み易いかもしれない。バスに揺られながら、マルタで

暮らすとなると・・・・うどん乾麺5箱、蕎麦5箱、「ハウス」のジャワカレー辛口30個、醤油10本、味噌

10キロ、サッポロ一番塩ラーメン5ケース、車麩、黒胡椒10本・・・・・なんて考え始めていた。

         英語かマルタ語学ぶ覚悟あるのかニャア?

          バックナンバーのトップへ    夢子倶楽部のトップに戻る

     チェニジアの旅の始まり、1月2週もアップしていますので併せてご覧ください。

                パクパク日記1月2週へ