パクパク日記6年3月4週

          桜が咲き始めた頃、私はギリシャで世界遺産をジロジロ見ておった

メテオラ修道院の猫   デルフィ青銅の御者の像

3月 20日(月) 晴れ 地下鉄サリン事件から11年 イラク戦争勃発から3

朝 無し!

今日3月20日は地下鉄サリン事件から11年、イラク戦争勃発から3年と色々起こった日であるが、福

岡県で大きな地震があった日でもあった。花の頃なのに、大事件が起きる季節でもあるのだろうか。

昨日ピューピューと強い風が吹いたせいで、西の空には富士山がくっきりと美しい。この富士山の雄姿

も暖かくなるにつれ、見られなくなっちゃうのよね。今日は午前中だけで3つも医者をハシゴするのだ。

昼 赤坂 「スープカレー心」 14種の野菜のスープカレー(辛さ10番)、玄米ご飯 1050円、サラ

      ダセ ット(カップサラダとダイエットコーク) 250

  

まずは白山で内科。咳風邪が治らないし、4週間薬を飲み続けたせいか、何と胃痛までして。次は大曲

の整形外科。レントゲンを撮って「旅行中は、重いモノを持つとか激しい運動をしないよーに!」とご注

意を受ける。そして午前中最後は、乃木坂の歯科だ。旅の間4本上の歯がなかったら困るものね。「ゼ

ッタイ外れないようにしてくんちゃい」とお願いすると、接着剤で4本くっつけた後、細い針金でグルグル

巻きにして貰った。昨日の朝ご飯を途中で止めてから、しっかりした食事を摂っていない。何にしよう。

そうそう、このあたりにスープカレーの店があったな。辛さは100番まであるが、旅前にお腹をこわして

も何なので10番。私の基準では「まるで辛くない」のだが、仕方ないな。カレーの味はまずまずである。

午後のお茶 赤坂 「サブウェイ」 アイスコーヒー 200

天気は良いが今日も風が強い。赤坂の書店で、行くことを検討している国、地域のガイドブックを4

買った。マイナーな所だと薄っぺらなのに値段は変わらない。「サブウェイ」は飲み物はセルフなのね。

夜−1 荒木町 「二○家」 付き出し2種、焼鳥屋さんの生キャベツ、黒豆豆腐、鶏のレバーパテと

      バゲット、鉄鍋餃子1.5人前、黒毛和牛のタン焼き、 ハートランド生ビール×2、冷酒 「東一」の

      山田錦純米×2杯 @7500

  

  

夕方、今日4軒目となる治療にN原先生のところに行く。旅の前日の明日が祝日だから、まとめて行か

ざるを得ずシンドかったなぁ。7時からはM井ちゃんと「二○家」で待ち合わせしている。久々に飲もうと

いうことになったのだ。彼とはカタカナ会社で一緒に働いた仲だが、紫禁城の会の仲間でもあり仲良く

させて貰っている。M井一家は「海外と言えばハワイ」を長らく続けて来られたが、ようやく奥方とお嬢さ

んが昨年イタリアに行かれて欧州の魅力に魅せられた由。だから言ったじゃない、世界は広いのよー、

ハワイもいいけど他の国も行ってみなさいな、って。まぁ、ようございました。昼を食べた時は感じなかっ

たのが、巻いて貰った歯の針金がひっかかって上手に噛めない。キャベツは最悪だ。練習しないとね。

夜−2 荒木町 「よつやこくている」 ジントニック 3杯

久々なので話は尽きず、2軒目は「よつやこくている」へ。クィネルの小説に出て来るクィンシーってゴゾ

島の出身ということになっていたんでしたっけねぇ、なんて話ながら夜は更けて行ったのでありまする。

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3月 21日(火・春分の日の祝日) WBC初代チャンピオンは日本代表!!

朝 家食 春キャベツとサヤエンドウどっさりサッポロ一番塩ラーメン、「フォション」のクロワッサン、屋

久島のたんかん

  

7時起床。冷蔵庫の整理も兼ねて、野菜をどっさり入れた塩ラーメンを作る。美味しいなぁ。ウン万円

なんてバカ高い店にも行くが、原価100円前後のインスタントラーメンも美味しく作れば同等であるなぁ。

昼 無し!

野球が始まる前に、チャチャッとスーツケースに荷物を詰める。何だヤル気になれば30分で出来るじ

ゃん。さてと、今日はWBCの決勝戦だ。アマチュア同士では、もう目も当てられない位キューバは日本

に勝ち越しているし、カストロ大統領の激励もあったらしいから手強い相手だ。ところが、いきなり1

表で死球と四球で2点先取し、この回だけで4点入った。意外なスタートだ。松坂はその裏ホームラン

を打たれたが、見事なピッチングだ。松中のタッチアップなどもあって、6−1。そのまま行けよー!さす

がキューバだけあって、そのまま勝たせてはくれない。あらら、6−5で1点差になってしもうた。しかし

日本はそこで奮起してイチロー、福留などのヒットで値千金の4点を追加し10−5.大塚さん最後締め

てねー!!1点取られたが日本の勝利!!ヤッター!パチパチパチ。日本が世界一なんて信じられな

い。熱いものがこみあげて来るぞ。王ジャパン、おめでとう!!!それにしても、日本のテレビ局はジャ

イアンツ戦ばかり放送しているから、他のチームにこんなにイイ男達がいること知らなんだよ。西岡とか

多村とか川崎とかねぇ。11時に試合開始して終わったのは午後3時過ぎ。昼飯食べそこなっちゃった。

午後のおやつ フォーシーズンズホテル「イル・テアトロ」のプチケーキ、「谷井農園」のマンゴーみかん

ジュース

  

ジュースはあまり好きではない。フレッシュなら飲むけど。そんな私が常々「谷井農園」のジュースだ

けは好んで飲む。中でも木熟みかんを80個もギュッと絞ったみかんジュースは大好き。その農園から

マンゴーを入手したのでみかんと混ぜて絞ってみたらとても美味しいジュースが出来たとレターが来た。

買った。飲んだ。ゲゲゲ!これがジュース?ドロドロなのよ。で、めちゃんこ美味しいのよ。お替り!!

夜 荒木町 「P/B」 ポテトと地鶏のロースト、ガーリックトースト、たらば蟹のクリームソースリング

     イネ  @3100

  

出発前の夜は、ゴミを出さないためにも家食はしない。祝日で空いている店も少ないし中華でも食べよ

うかと歩いていたら、「P/B」の灯りに誘われてついふらふらと入ってしまった。初めて入る店だが、ご主

人が一人で切り盛りするこじんまりしたイタリアンの店だった。数日前から蟹のクリームパスタが食べた

いなぁと思っていたのでちょうど良かった。ワインも飲まず水で黙々と食べる。まずまずの味だ。無酒日

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3月 22日(水) 東京午前中は晴れ

朝 家食 焼き鮭おにぎり、赤飯おにぎり、「リケン」のひじきスープ、屋久島のたんかん

    出発前に赤飯にぎり

6時半起床。テレビは昨日のWBC優勝の映像ばかりだ。でも嬉しいから何度も観てしまう。さて、今日

はギリシャに向けての出発日である。だからということでもないが赤飯おにぎりなど食べた朝であった。

午後のおやつ 成田空港・第一ターミナル ビジネスクラスラウンジ カプチーノ、クラッカー

都内に住んでいる人間の中では、成田に向かうのに、リムジンバスが出発する新宿に10分以内で行く

ことができる私なんぞ恵まれていると言えましょうなぁ。10時のリムジンバスに乗ると結構混んでいた。

今回の旅行会社は親切なサービスが売りであるが、チェックインすると、すぐラウンジに集められ、いき

なり自己紹介させられるのには参っていた。今までも早く成田に着いても、遅刻したフリして入り口でウ

ロウロしてラウンジには入らないようにしたりな。今回は全員ビジネスクラスということもあり、また4月か

ら「いきなり自己紹介」の儀式がなくなったと聞いて一安心。このラウンジは飲食関連がプアである。

とても遅い昼 アリタリア空港成田=ミラノ間ビジネスクラス機内食 ナッツ、2種のショートパスタ、

      牛 肉のソティ 野菜添え、ご飯、フルーツ、チーズ盛り合わせ、プチケーキ、コーヒー、ウォッカトニッ

ク×2杯、白ワイン×2杯、赤ワイン×2杯

  

    一応これでも和食コース?

アルタリア航空のビジネスの場合、機内食で和食を食べたいなら3日前に通告しろというルールがある

のだそうだ。アルタリアには既に何度も乗っており、どっちもマズイが一応和食をオーダーしておいた。

食前酒にジントニックを注文したが生憎ジンを切らしておりまして・・・と言う。1月もそう言っておったぞ。

夜 アリタリア空港成田=ミラノ間ビジネスクラス機内食

    これは和食っぽいね

2時間程うとうとして本を読んでいたら夕食の機内食の時間になった。こっちの方がずっと和食っぽい

わ。時差8時間で夕刻ミラノに到着。年寄りが多いせいか、このツァーはミラノで1泊する。空港に近い

ホテル。2週間前南米から苦労して帰って来たから、ヨーロッパなんて近いよなぁ、とつくづく思うのだ。   

空港に程近く、出来たばかりの「クラウン・プラザホテル」に向かう。もうお腹一杯なので、寝るだけだ。          

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3月 23日(木) ミラノは晴れ ギリシャ・テサロニキは雨

朝 イタリア・ミラノ・クラウンプラザホテル 朝食ヴュッフェ

  

事前はアンケートには「ヘビースモーカーなので、客室は必ず喫煙ルームを頼むぞよ」と書くことにして

いる。添乗員の方にもくれぐれもその点をよろしくね、と頼むのだが、何故か禁煙ルームの鍵を貰うこと

が多い。昨夜もそうであった。午後10時に寝たら、午前2時半には起きてしまい、朝までずっとフリーマ

ントルの本を読んでしまったよ。建物は出来たてでピカピカだが、朝食ヴュッフェはあっさりし過ぎで寂し

い内容であった。但し、カプチーノは本場だけあって、コクがあってとても美味しく飲ませて頂きました。

昼の軽食 アリタリア空港ミラノ=ギリシャ・テサロニキ間ビジネスクラス機内食

    眼下にはアルプスが見える

ミラノのマルペンサ空港までは車ですぐ。旅行ごとに作る小さなノートと歯ブラシセットを忘れて来てしま

ったので空港で調達。1045分発のテッサロニコキ行きの飛行機に乗る。この空港は全面禁煙にな

ってしまい1月に来た時大ショックを受けたが、飛行機までのバス乗り口で20人位が一斉にタバコを

吸いだした。えーっ?そんなのありぃ?って言いながら私も吸った。アハ、ごめん。ギリシャまでとはい

え国内線のようなものだから、ビジネス席って言っても座席がちょっと広いだけ。アルプスが美しいね。

  

           ギリシャ最大の教会バシリア式のアギオス・ディミトリオス教会内部

         桃の花も満開       紀元前の英雄アレクサンドロス大王像     翌日は晴れてテッサロニキのエーゲ海がきれい

イタリアとは時差があり時計を1時間進める。テッサロニキの空港で、グラマラスなコリーナさんとドライ

バーのクリストルさんに会う。街は雨がシトシト降って肌寒い。見学予定の考古学博物館がもう閉まっ

てしまうというので明日に回し、アギオス・ディミトリオス教会へ。5世紀テッサロキニの守護聖人ディミト

リオスが殉教した場所に建てられギリシャ最大の教会である。ギリシャは信仰の自由は謳っているが、

国民の大多数がギリシャ正教を信仰しているということだ。テッサロニキはギリシャで2番目の都市だ。

夜 ギリシャ・テサロニキ・マケドニア・パラスホテル チーズパイ、パン、サラダ、サーモンのグリル

      温 野菜とライス添え、胡桃のパイなどギリシャ菓子 アイスクリーム添え、ビール、ウゾ=15ユーロ

  

  

    どのお菓子も甘い!!

いよいよギリシャ料理が食べられるかと楽しみにしていたのだが、今夜の宿マケドニア・パラスホテル

5ッ星のせいかどうか上品な料理であった。それなら、トルコでよく飲んだウゾを飲もうか。透明な液

体が水や氷を注ぐとたちまち乳白色に。アニスの香りがして美味しいんだな、これが。歯の調子悪し。

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3月 24日(金) テサロニキ・ヴェルギナ・カランバカは晴れ

朝 ギリシャ・テサロニキ・マケドニア・パラスホテル 朝食ヴュッフェ

カリメーラ!これがギリシャ語でおはよう。でも「ィヤース」という言葉を覚えていると便利と聞いた。おは

よう、こんにちは、こんばんは、ありがとう、おやすみなさい」も全部これでOKだそうだ。熟睡して5

に起き、シャワーを浴びる。このホテルはエーゲ海に面しており、一転晴れ渡った海が美しい。さてと朝

食だ。7時一番乗り。うん、料理もバラエティに富んでいてなかなかよろしい。1泊で去るのが寂しいな。

テッサロニキ考古学博物館=アレクサンドロス大王の父フィリッポス2世の墓から発掘された宝物の数々・・うっとり・・欲しい・・

  

ヴェルギナにあるアレクサンドロス大王の父フィリッポス2世の墓とその入り口(内部は撮影禁止)

昨日見損なった考古学博物館。ジグゾーパズルのように繋ぎ合わせた土器を延々と見せられるのは

退屈だが、この博物館はちゃうよ。ここから1時間位北に行ったヴェルギナにあるアレクサンドロス大王

の父フィリッポス2世のお墓から出土された金銀の装飾品などの宝物が並べられている。飛びっきりの

宝石店のウィンドウを眺めているようで、みんな溜め息をつく。紀元前のものなのに、デザインも素敵な

ら時代を経たとは思えない眩い美しさ。あれ欲しい、これ欲しいと言い出しそうなところでバスに乗って、

出土されたフィリッポス2世の墓があるヴェルギナへ。小高い丘の下にその墓がある。もちろん世界遺

産で撮影禁止であったが、保存状態よく感心しきり。フィリッポス2世って何度目かの結婚式で暗殺され

たのだったな。だから父親の死で突然帝国を継ぐことになったアレクサンドロスは弱冠20歳だった。

昼 ヴェルギナ「Fillipion」 黒オリーブ、温かいキャベツのパイと生野菜、パン、サラダ、ユヴェイツ

     (子牛肉 パスタ添え)、レヴァニ(ギリシャの菓子盛り合わせ)、グリークコーヒーのフラッペ 4E

  

  

ヴェルギナのレストランでランチ。前菜フツー、サラダマズイ、メインの付け合せパスタ茹過ぎで最悪、

豚肉ちとマズク、デザート甘過ぎであった。猫が床から見上げて料理をネダルので上げたが食べんぞ。

夜 カランバカ・ディバニ・メテオラホテル ペンネ トマトとバジルソース、カジキの串焼き 温野菜

     添え レモンソース、プリン、ビール、赤ワイン

  

  

昼食後、バスは南下してメテオラ・カランバカを目指す。ギリシャ本土の中央部のテッサリア平原に突如

現われる奇石群。高い岩は400メートルもあるが、それだけだってびっくりなのに、その険しい高い山

の頂上に5つの修道院があるというから驚くじゃありませんか。トルコのカッパドキアに行った時も、ここ

にどうしてこんなものがと不思議だったが、「空中に吊り上げられた」という意味の地名を持つメテオラも

奇観である。ホテルの客室からもメテオラの岩々が見える。明日天候が崩れてはマズイぞと部屋から

望遠で撮影した。夕食はホテルで。歯の調子が相変わらず悪いので半分程食べて残す。痩せるかも。

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3月 25日(土) カランバカ・メテオラは終日小雨と濃霧

 カランバカ・ディバニ・メテオラホテル 朝食ヴュッフェ

  

寝坊して6時半に起きる。急いで窓の外を見ると、あぁ残念。雨が降ってメテオラの岩は霧にすっぽりと

隠れて見えない。今日325日は、ギリシャの独立記念日で、お天気が良ければカランバカの町でも

パレードがあると聞いたが、それも中止されるのかしらね。ギリシャのパンってあまり美味しくないなぁ。

      濃霧の中階段を上ってメテオラのメガロ・メテオロン修道院(534メートル)へ           教会の前には蜜蝋が灯る

9時半バスに乗ってメテオラを目指すも、外は霧で真っ白。五里霧中というか、一寸先は霧というか、も

う泣きたい位の霧、霧である。14世紀、北部からの侵入者から逃れるために修行者達が共同生活を

始めたのがメテオラの修道院の始まりというが、最盛期の1516世紀には24もの修道院があったそう

よ。今は5つで、その中の一番古く規模の大きなメガロ・メテオロン修道院。ここは先ず70段(実際は

92段あったぞ!)の石段を下り、150段(実際は172段あったぞ!!)の石段を登らねばならない。し

かも女性は長いスカート着用を義務づけられていて、途中でズボンの上から持参したスカートを履いた。

修道院の入り口にも貸し出し用のスカートがあるのだが、足りなくなる恐れもあるということで皆持って

来たのだった。晴れていれば、カランバカの町を一望できるらしいのに、真っ白な霧ばかり。猫がたくさ

んいたのが救いだった。次に聖ステファノス修道院へ。こんな岩のてっぺんで神に祈りを捧げる人生っ

てどんな気持ちなのだろうか。俗物のカタマリのような自分では敬虔な修道者の気持ちはわからない。

昼 カランバカ 「タベルナ Kipos」 ギリシャ風前菜盛り合わせ(チ−ズパイ、ソーセージ、マッシ

      ュル ーム、赤ピーマン、茄子の揚げもの)、パン、サラダ、名物ミートボール 卵とレモンソース、焼

      きリ ンゴ

  

カランバカの町で一番美味しいレストランと聞いた。入り口には、女優の星由里子さんや駐ギリシャ日

本大使が訪れた時の写真やメッセージが貼ってあり、期待は膨らむ。その上、名物のミートボールが今

日のメニューと聞いて。パクリ・・・・・・・。1個半水で飲み込んで残した。前菜は旨かったのになぁ・・・。

 カランバカ・ディバニ・メテオラホテル 野菜スープ、カネロニオーブン焼き、パン、トマトとキュウリ、

      ロースとポーク 温野菜添え、ローズマリーソース、アーモンドアイスクリーム、ビール、赤ワイン

結局一日中雨は止まず、パレードも中止されたようで町の中は静か。夕食後、お祝いのギリシャ舞踊

があるらしいと出かけて行った人も、中止だったとガッカリして帰って来た。夕食はスープとカネロニ、ア

イスクリームは完食、あとはつついただけで残した。この分ではギリシャで痩せる、も夢ではないかも。

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3月 26日(日) 曇り後晴れ 今日から夏時間で時計を1時間進めるのだ

 カランバカ・ディバニ・メテオラホテル 朝食ヴュッフェ

550分起床。今日からヨーロッパは夏時間となるため、1時間時計を進めた。550分は昨日まで

450分なのだよ。幸い雨は止んでいる。急いで朝食を摂って、昨日霧の中だったメテオラに上る。

昨日霧で真っ白だった所に、こんな素晴らしい景色が隠れていたのね。あっちゃ、また霧が出て来た。

翌日晴れたので再びメテオラへ あんな高いところに修道院が、あらあそこにも・・・

昼 デルフィ 「Lekaria」 ギリシャ風前菜盛り合わせ(ズッキーニとチーズの揚げ物、サワークリーム)、

      パン、サラダ、ムサカ(茄子と挽肉の重ね焼)、ナッツと蜂蜜入りヨーグルト

  

  

 神のお告げ「神託」を聞いたアポロン神殿跡      貢物を収納したアテネ人の宝庫      イケメンのアンティノウスの像

3時間半バスを飛ばしてデルフィへ。「世界のヘソ」と当時思われていたデルフィは古代ギリシャの宗教

の中心地だったようだ。中国では風水だが、古代ギリシャでは国の施政者も個人も重要なことを決める

際には、デルフィのアポロン神殿を訪れてはご神託を伺っていたのだそうな。ギリシャ国内のみならず

広範囲から人々が押し寄せて、奉納や貢物を納めるからデルフィは大いに潤ったようだ。あの頃も「は

っきり言うわよ」なんてやっていたのかなぁ。博物館を見学した後は遺跡へ。昨日の霧がウソのように

晴れ渡り、菜の花が真っ盛り。こんな景色の中で「あっち」とか「これにすべし」なんて言われたら、へへ

ー、仰せの通リにと思ったかもね。2時半になってしまったランチは、ギリシャ料理の代表格ムサカ。茄

子、 挽肉、ベシャメールソース、チーズがミルフューユ状態で焼かれており珍しく全部食べた。デザート

もトルコで食べたことのある蜂蜜入りヨーグルト。グチャグチャにかき回すほど旨いのだ。話題は将棋。

夜 オリンピア・アマリアオリンピアホテル 豆の酸っぱいポタージュスープ、パン、野菜とマカロニ

       のス フレ、サラダ、子羊肉のクリーム煮 ワイルドライス添え、フルーツサラダとチョコレートアイス

       クリー ム、ビール、赤ワイン

  

  

レストランを4時に出発し、一昨年完成した吊り橋を渡ってペロポネソス半島へ。この半島には、オリン

ピック発祥の地オリンピア、スパルタ、トロイ戦争の英雄アガメムノンのミケーネ、半島の入り口コリント

など古代ギリシャの故郷のような土地である。オリンピアのホテルに着いたのは午後8時過ぎ。長いド

ライブだったなぁ。遅いので到着後そのままレストランへ。ちっとも美味しくない夕食であった。疲れた。

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【今週の振り返り】

西洋史に関心があるのなら、古代史の中心であったギリシャは外せない。しかし、ハイシーズンである

夏のギリシャは暑くて行く気がしない。暑さに弱い私は、2年続けて夏のイタリアで死ぬ程汗をかいた。

以来イタリア、スペイン、ギリシャの夏は決して行くまいと決めたのだ。それにハイシーズンのギリシャ

旅行はバカ高いしね。夏がダメなら未だ寒い頃行ってしまおう。しかもビジネスクラスで行くという謳い

文句のツァーを見つけたので即予約。名簿を貰って見たら、私が一番に申し込んだらしい。というわけ

で、3月のギリシャに出発した。

ギリシャの旅というと、アテネからクレタ島、ミコノス島、サントリーニ島など島巡りをするコースが多い

のだが、今回は北ギリシャのテッサロニキにポンと飛んだ。ギリシャには現在世界遺産が16件(18

所)あって、その多くはギリシャ本土にあり、北から効率的に7件の世界遺産を見ようぞ、というコース

設定なのである。テッサロニキは、ギリシャ第二の都市で紀元前315年マケドニアの将軍カッサンドロ

スが造った町。カッサンドロスは、あのアレクサンドロス大王の部下でもあり、大王の異母妹テッサロニ

ケと結婚。彼女の名前から町の名をテッサロキニとしたそうよ。ギリシャの北部に接するのは、アルバ

ニア、マケドニア、ブリガリアの3国、バルカン半島の最南端に位置し、東と北はエーゲ海、西はイオニ

ア海に囲まれている。日本で一番島の多い県は長崎県と記憶しているが、ギリシャの島の数は人が住

んでいる島だけでも202島、全部で3300の島があるっていうからスゴイじゃありませんか。数えた人は

気持ち悪くなっただろうなぁ。

今週見学した世界遺産は4つ。14世紀のメテオラは別としても、テッサロニキ、ヴェルギナの紀元前4

世紀という時代に「ほうっ!」と感心していると、アポロン神殿のデルフィは紀元前12世紀のミケーネ時

代から開けていたというのだから、あまりの時代の古さにくらくらする。だが、クレタ島には紀元前7000

年には新石器文化が伝わってその後のクレタ(ミノア)文明となり、紀元前16世紀から12世紀のミケー

ネ時代へと続く。ミケーネ時代が終わってから400年の暗黒時代を経て、ギリシャ語のアルファベットの

基になる表記が開発されたアルカイック時代が紀元前800年から紀元前500年、さらにはペルシャ戦

争とペロポネソス戦争があったクラッシック時代が終わってようやくアレクサンドロス大王が小アジア

(現在のトルコの一部)、シリア、エジプトを占領し、北西インドまで帝国を築いたヘレニズム時代となる

のであーる。これまで十分に古いと思っていたヘレニズム時代のアレクサンドロス大王なんて、こうして

みると、エラク最近のことに思えてしまうわなぁ。しかしだ。ここまで栄光の時代を築いて来たギリシャな

のに、紀元前31年から1500年間弱もの間ローマの属州になってしまい、ようやくビザンチン帝国が崩

壊したと思ったら、今度はオスマントルコに400年間支配されてしまった。その後もここに書き切れない

程の独立への激しい抗争、多くの犠牲、各国の進攻・占領・干渉に会い、現在のギリシャ共和国が誕

生したのは1963年のことである。たった42年前のことだ。紀元前数千年の輝かしい文明の歴史を誇

りながら、その後2000年という長きに渡って他国の支配を受けたギリシャ。アリストテレス、プラトン、ソ

クラテスという偉大な哲学者を生み、紀元前から民主主義を実践した国が、それを取り戻すのに2000

年を費やしたということになる。

ギリシャ人はヨーロッパでドイツの次、2番目にデブが多い国という。食事は質より量。夜遅くたらふく食

べてすぐ寝てしまうから太るのだと聞いた。ここまでの数日は質が伴なっていないこともあり(マズイと

いうこと)、ギリシャ人を反面教師として、食事は半分残すことにしている。ふふふ。

             これから美味しくなるかもニャア

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    * 35週のパクパク日記も急いで作るからねー。ちょっとだけ待っていてねー。