パクパク日記7年2月3週
カルナック神殿、ルクソール神殿、ツタンカーメン、ピラミッド、スフィンクス・・・
カルナック神殿
ピラミッドとスフィンクス
2月 12日(月) もちろん晴れだよん 1エジプトポンド=約20円
朝 「アマルコT号」 レストラン 日本食朝食(鯖の塩焼き、漬け物、玉子焼き、大根おろし、肉じゃが、
ご飯、お粥、大根の味噌汁、梅干し)
早朝気球がたくさん上がっていた
5時起床。今日でアマルコT号とお別れ。早起きして下船の準備。6時から最後の和朝食を食べる。今
日のお粥は玉子粥だった。南高梅干しを入れて食べると更に美味しい。このエジプト人和食シェフ、こ
のままずっと着いて来てくれないかしらん。食後、屋上に上がってみると、色とりどりのバルーンが西岸
上空にたくさん上がっていた。精算は昨夜してある。37USドルが3夜の酒代だった。7時20分下船。

保存状態の良いデンデラのホルスト神殿
ローマ時代の門
トイレ前に置いてあったレリーフのついた柱

誕生殿に残るレリーフ
神殿天井の美しいレリーフ
クレオパトラ7世と息子カエサリオンのレリーフ
バスでデンデラに向かう。デンデラに行く車とバスは午前8時までに指定された場所に行き、コンボイ
の先導で向かわねばならない。だからすごく待たされる。約1時間半でデンデラ到着。2100年前に建
てられたホルスト神殿としては最も保存状態の良いものだ。トイレが男女1つづつしか無いので、全員
が済むのに40分もかかってしまう。観光に力入れているなら、トイレも増設しろよ!建物もさりながら、
神殿の高い天井に残る色彩の美しいレリーフに口をあんぐり。神殿の裏の壁には、絶世の美女として
知られるクレオパトラ7世のレリーフが、シーザーとの間に出来た息子と一緒に描かれていた。クレオ
パトラは4番目で最後の女王であったが、その知名度の高さにも関わらずレリーフは殆ど無いらしい。
昼 「アマルコT号」 レストラン ランチヴュッフェ
料理の内容が変わっていた
朝船にサヨナラをしたばかりだが、何故かランチはまたもやアマルコ号で。今日から新しい乗客を乗せ
て、アスワンまでナイル川を上って行くようだ。料理の感じがかなり変わっていた。あれは日本人向き?

2000年かけて作られたエジプト最大規模の遺跡、カルナック神殿はとにかくデカイ!

周囲15メートル、高さ25メートルと高さ15メートルの巨柱が134本! オベリスクが美しい!
午後はカルナック神殿の見学。4000年前一番奥の神殿から建設を始め、2000年前完成を見たという
から、2000年営々と造って来た神殿である。それだけに巨大な建造物だったらしいが、他国の破壊や
ナイル川の度重なる洪水の被害などで損傷し、今では20%しか残っていない。その中でアムン神殿は
国内最大規模の遺跡である。羊の神の像が並ぶ参道から入って行くと第一塔門に迎えられる。中庭の
左側にはピヌジェムの巨像、右側にはラムセス2世の巨像。そしてここから大列柱室が始まる。高さ25
メートルと15メートルの巨柱が134本もあるのだよ!!しかも柱にはすべて美しいレリーフが施され、
当時は天井もあったらしい。かくれんぼしたら、小鬼役が泣いてしまうような柱、柱、柱。大昔の人は偉
大な建築家だったのだなぁ。柱の天井部分には糸が残るレリーフさえあるぞ。そこを抜けると、手前にト
トメス1世の、そしてその先にはハトシェプスト女王のオベリスクが見えて来る。ハトシェプスト女王のオ
ベリスクはもう1本あったが、姉を憎んだ例の腹違いの弟トトメス3世によって倒されてしまった。人間の
憎しみってミニクイねぇ。オベリスクは、数日前に行ったアスワンの石切り場から運んで来た大谷石だ。
夜 ルクソール シェラトンホテル「La Mama」 トマトスープ、パン、ビーフステーキとペンネアラビア
ータ、アイスクリーム、ビール 30エジプトポンド、白ワイン 40、赤ワイン 40
船を下りたので、今日はルクソールのホテルに1泊。今年1月1日からメリディアンから「ナイル・パレ
ス」と名前の変わったホテルである。パンフレットには「ナイル川が見える部屋を確保」とあったが、どう
したわけか私の部屋だけバルコニーが付いていない。チェッ!船のロイヤル・スィートにもバルコニー
無かったし、今回の旅はバルコニーに縁が無いみたい。夕食はバスですぐ近くのシェラトンホテルに行
き「La Mama」というイタリアン。料理は大したことは無かったが、ご一緒したご夫妻の話が面白い。
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2月 13日(火) ルクソールもカイロも晴れ
朝 ルクソール・ナイル・パレス 朝食ヴュッフェ
5時起床。今日でルクソールともお別れだ。昔、この地は「テーベ」と呼ばれ意味は「聖地」であった。と
ころが8世紀になってやって来たアラブ人が、神殿を宮殿と間違え「ルクソール=宮殿」という名前に替
えたのだそうだ。今日は7時45分出発なのに朝食は7時からと案内があった。然るに6時過ぎにレス
トランを眺めるともう食事をしている人がいるではないか!聞けば、5時から開店していたのだそうよ。

ジャジャーン!これがルクソール神殿であるぞ。2本あったオベリスクの1本はパリのコンコルド広場にある

カルナック神殿よりはこじんまりしている 捧げ物となった太った牛 ここでもラムセス2世だよん
ホテルをチェックアウトして、午前8時前にはルクソール神殿に行く。アマルコT号はずっとこの神殿の
前に停泊していたから、日常の風景にはなっていたが。ここルクソール神殿は、昨日行ったカルナック
神殿・アムン神殿の付属施設として造られた。2つの神殿は、3キロ以上あるスフィンクスの参道で繋が
っていた。第一塔門の前には1本のオベリスク。以前は2本聳えていたのだが、いつの時代だったかエ
ジプトの王がフランスに寄付してしまい今は1本だ。フランスのコンコルド広場にあるオベリスクが寄付
された方なんだよん。長い時代に存在した神殿だから、イスラムのモスク跡もあれば、キリスト教の教
会跡も残っている。奥の方に残るレリーフにはミン神が描かれており、カラダの一部が黒く汚れていた。
兵役を免れたたった1人の片手・片足の男が、戦の間にとんでもないたくさんの子供達を作っていたこ
とから「豊穣の神 ミン神」と崇められた。カラダのどこかが突っ張ったミン神のレリーフは、子供の欲し
い女性が訪れる度に触って行ったので、黒く変色してしまったそうよ。巣鴨のトゲ抜き地蔵とは違うね。
昼 カイロ 「美食餐庁」 中華コース(野菜とハムのスープ、イカと魚の揚げ物、チャーハン、野菜炒
め、牛肉炒め、魚のとろみスープ、フルーツ)

何だかヘンな中華だった
ルクソール空港。エジプト航空だから、もちろん遅れる。空港の待合室で、信州に関係のある人が数人
いることが判明し、みんなで県歌「信濃の国」を歌ってしまった。今では若い人に受けるようポップス調
の「信濃の国」が存在すると聞いてぞっとした。12時、カイロ着。私のスーツケースからベルトが消えて
いた・・・・。旅行会社もエジプトの食事には色々気を遣って、ランチは空港近くのホテルの中華料理で
あった。嬉しい。それが、料理が出て来ない、美味しくない、余りにも料理が出て来ない・・・・ってことで
皆ゲンナリ。まぁまぁだったのはスープとチャーハンとフルーツであった。他の料理はこれで中華かい?

カイロという町はこのオールドカイロから始まる マリアとイエスが隠れた洞窟に作られた教会
千年前に作られたアムロモスク
カイロという町は、約1000年前イスラムの町として作られた。砂漠地帯に作られたが、現在の人口は近
郊まで含めて1700万人。東京が世界一の都市だったのはもう随分昔のことなのだ。空港からちょっと
走った集合住宅の屋上にはビッシリと衛星放送のパラボナアンテナ。以前は数十万円の費用がかかっ
たから金持ちだけの特権だった衛星放送だったが、今は無料!カイロ市民の何よりの楽しみになってい
るらしい。エジプトは概ね日本贔屓だが、その理由の1つは、あの「おしん」が支持されたかららしいよ。
そのカイロはオールドカイロから始まった。半地下の町に行く。今では新市街に賑やかさを奪われ、ひ
っそりとした町でお墓が多いと言う。その中に、マリアとイエス・キリストがエジプトに逃げ込み、隠れ
ていた洞窟の上に作った教会があった。ホントかどうかは知らぬが、まんざらの話でもないらしい。町
の誕生と共に作られたアムロモスクに行くと、午後のお祈りの最中であった。敬虔なイスラムである。
夜 カイロ・グランドハイアット ディナーヴュッフェ ビール 21エジプトポンド、白ワイン 35、赤ワイン

アエーシという焼き立てパンを運ぶ自転車に乗った兄ちゃん ナイルに沈む夕日

今日からグランド・ハイアットに2連泊。部屋は40階建ての23階だった。何だ、自宅のマンションと同じ
じゃんと思ったが、ナイル川に面した部屋だから眺めはスンバラシイ。夕食はホテルのレストランでヴュ
ッフェ。スープとアエーシが旨い。食事半ばで濃い蕎麦汁の日本蕎麦が旅行会社の配慮で配られた。
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2月 14日(水) カイロは晴れ
朝 カイロ・グランドハイアット 朝食ヴュッフェ
ナイル川の眺めは最高!
5時半起床。部屋からの眺めは最高なのに濃霧で何も見えん。エジプトは年間降雨量が50ミリという
乾燥した土地だから雨は殆ど降らないらしいがこの濃霧?でも時が経つに連れ霧ははれ、いつもの晴
天となった。朝食。ご飯、味噌汁、そして海苔がある。味噌汁ぶっかけ飯の猫まんまを食べる。旨い!
朝一番でエジプト考古学博物館。エジプトを訪れた観光客なら、ピラミッドには必ず行くように、この博
物館も必見の場所である。しっかり見るためには開館の9時前にはチケットを握りしめて並んでいるこ
と。外観はOKだが、内部は撮影禁止。カメラは入り口で預けねばならない。9時入場。先ずは1階の
古王朝時代の展示物。世界一のピラミッドのクフ王像が余りに小さくて皆びっくり。書記坐像は色がキ
レイでハンサム。ラーホテプとネフェルトの坐像は、夫婦像の色彩の美しさ、それにガラス(!)と象牙で
作った眼のリアルさは「信じられなーい!」。クフ王の仕立て屋であったセネブと家族の像もほのぼのと
好ましい。それに比べて、中王朝時代の作品はどうだ!背はずんぐり、足は太いし(自分のことを言っ
ているようでちょっと何ではあるが)、見るべきものはほとんど無い。2階に上がる階段の踊り場。かの
パピルスに記された色鮮やかな展示物の数々!スゴイぞ。進んだ文明があっても、文字を持っていた
かどうかで、後世の評価は違うのね。2階に上がり切ると・・ジャジャーン!!ありましたー!ツタンカー
メンの宝の数々。あっ、正式には「トゥトアンクアムン」ね。人型棺を収納していた金箔の箱が4つ!ロシ
ア人形のマトリューシカ状態だったのだ。その中に人型棺がまたもマトリューシカで3層になっていた。
棺に入れたミイラの他に内臓を4つの立派な入れ物に入れて・・・・。そして、いよいよ黄金のマスク。一
つの部屋に仕切られて展示してある。おぉ、これがホンモノの黄金のマスクかぁ。眩いのう。それにこの
副葬品の数々はどうだ!先週も王家の谷に行ったところで書いたが、ラムセス6世の墓の下にあったこ
とから唯一盗掘を免れた「トゥトアンクアムン」の墓だが、18歳という若さで亡くなったため、墓としては
大したことは無かったらしい。しかも発見者のカーター氏が目ぼしいものは奪って行った残りの品にし
てこれである。大いなる王の墓はいかばかりかと思うぞ。古代の人は王は亡くなってもあの世で同じよ
うに暮らすと思われていたから、日常必要な品々も全部一緒に埋葬した。その数々の凄さ。ベッド3つ、
子供の頃に遊んだおもちゃ、馬車、大勢の召使の像・・・そして玉座!頭がクラクラする博物館だった。
昼 カイロ 韓国レストラン「パクシー」 キムチなどいろいろ、おこげ、野菜炒め、酢豚、石焼ビビンバ、
フルーツ、日本茶 6ポンド


博物館の最後は特別展示のミイラ室。入場料とは別に100ポンド(約2千円)も払う必要がある。2つ
の展示室にはそれぞれ11体のミイラがあったが、そうゆうのは苦手な私はサーッと歩いただけ。だっ
て食欲なくなるもん。ランチまで時間があったので、スーパーに行った。特に買うものは無かったので、
袋入りのインスタントラーメンを4つ買う。2つはカレー味ね。ランチは韓国料理。なのに、半分は中華料
理という不思議な店であった。でも、昨日の中華料理屋よりずっと美味しい。初めて旨い店で食べた。

高台にあるイスタンブールのブルーモスク似のガーマ・モハメド・アリ
そのモスクから遠くピラミッドが見える

14世紀に出来たといわれるカイロのスーク「ハーン・ハリーリ」は猥雑で楽しいところ
午後は、オスマントルコのオスマン朝最初の提督、モハメッド・アリが埋葬されているモスクや、最もイ
スラムの下町らしいスーク「ハーン・ハリーリ」に行った。エジプトらしいお土産の香水瓶などを買った。
夜 カイロ 「スイスレストラン」 オニオングラタンスープ、パン、鱒のフィレ クリームオレンジソース、
ラ
イン 40ポンド

昨日のランチは中華、今日は韓国料理、そして今晩はヨーロピアン料理と色々気を遣ってくれて、夕食
はバスで30食事に行く。しかし、カイロの朝晩の渋滞は東京より凄まじく、行きだけで30分。だが、ス
イスレストランの料理はそんなに時間をかけてでも食べる料理ではなかったので、疲れただけだった。
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2月 15日(木) 毎日晴れです
朝 カイロ・グランドハイアット 朝食ヴュッフェ
ねこまんま旨いです
5時半起床。旅に出ると、どうして毎日こんなに早起きできるのだろう。普通なら高鼾の時間なのに。あ
っ、寝る時間が早いからね。今日でカイロと別れて近郊の町に行く。サーヒスの悪いレストランである。

エジプト最初の都であったメンフィスに残るラムセス2世の巨像 2番目に大きいスフィンクス像
メンフィスは、今では寂れた静かな農村地帯だが、4500年前上下エジプトを始めて統一した古王朝時
代は首都であった。たくさんあったであろう遺跡は少なく、3320年前に造られたラムセス2世の巨像も
地震で倒れたままである。しかし、ラムセス2世の像がここにあるということは、メンフィスという都が千
数百年の間勢力があったことを意味しているのかもしれない。屋外には、エジプトで2番目に大きいス
フィンクスの像がある。ギザのそれに比して(未だ見ていないけど)とても小さいが、顔が保存されてい
るということでは貴重なものだ。それにしてもラムセス2世ってどこにでも出て来る。自己顕示欲の塊?

最古のジョセル王のピラミッド「階段ピラミッド」 スネフェル王の「屈折ピラミッド」
同じくスネフェル王の「赤いピラミッド」
大昔、エジプトの王の墓は砂漠に埋めただけのものだったらしい。しかし、野犬などに喰い散らかされ
る危険があったため、日干し煉瓦などで墓を囲う。そのうち、台形の「マスタバ墓」が定着する。ジョセル
王の宰相であり、天才的な建築士だったイムホテプが、その台形を6段に重ねる墓を設計する。それ
が上段写真左の階段ピラミッドである。ミイラにされた王は死しても蘇ると信じられた時代、より天に近
いピラミッドは王の心をとらえたに違いない。現在発見されているピラミッドは107基。当時は「ベルア
ー」=永遠の家、と呼ばれていたようよ。現世は仮の世界であって来世では二度と死なない永遠の命
を授かる、それがピラミッド、というわけさ。今三大ピラミッドで有名なクフ王の父、スネフェル王は生涯
で3つピラミッドを造ったと言われている。最初は先王の造り掛けのピラミッドの完成、いよいよ自分の
ピラミッド。ところが、設計者がピラミッドの角度を間違え、54度27分で造り始めてしまった。このまま行
くと、ピラミッドはとんでもない高さとなり、石の重さで崩れる恐れがある。そこで、基底から49メートル
のところで勾配を43度22分に変更する。もちろん、屈折するに決まっている(写真:中)。王は不服で
ある。「そんなのヤダもん。もう1つ造ってよ」と言って完成したのが赤ピラミッド。これで真正ピラミッドが
完成したってわけね。階段ピラミッドが完成したのが4700年前かぁ。気の遠くなるような長い長い年月
。永遠の墓のために苦労して石を重ねたが、赤いピラミッドの下には崩れた石の残骸が散乱していた。
昼 サッカラ 「エレベンツ」 ランチヴュッフェ+コフタ、チキン、焼き立てアエーシ、バナナ
焼き立てのパン「アエーシ」は旨いよ!
昼食はエジプト料理のヴュッフェ。例のパン、アエーシが焼き立てで旨いね。ま、それだけだったけど。

ミイラを入れていた人型棺 内臓を入れていた4つのカノプス壷 装飾品

パピルスに王の言葉を記す書記の像
食後、メレルカの墓を見た後、希望者はティティ王のピラミッドに入る。もちろん私は入らん。入った人の
話では、「たいして苦痛でもなかったけど見るべきものも無かった」ということで、行かずに正解。最後に
階段ピラミッドを設計したイムホテプの博物館へ。昨年完成したばかりという。昨日行ったエジプト考古
学博物館では撮影禁止であったが、ここはOK。展示物の価値はグンと落ちるけれど、それでも古代エ
ジプト人は4600年前にこんな優れた造形物を作っていたんだ、って参考になるでしょ?スゴイよなぁ。
夕刻の飲み物 ギザ 「メリディアン・ピラミッズ」ロイヤルラウンジ ビール1杯
ホテルはピラミッドの真ん前の「メリディアン・ピラミッズ」。しかもピラミッドが見える部屋である。またも
バルコニー無しの部屋になっちまったけど・・・。夕刻6時から7時までハッピーアワーと称し、3階以上
の部屋を借りている客にはラウンジで飲み物がサービスされる。だが、ビールは1本でなく1杯。ケチ!
夜 ギザ 「メリディアン・ピラミッズ」 シーザーズサラダ ガーリックトースト添え、ミネストローネ、ビ
ー

夕食前にM理子さんが駆け寄って来た。え?2月8日にホテルに忘れたコートが出て来たの?カイロ
に到着した夜宿泊した某ホテルに「おNEW」のコートを忘れて来たM理子さん。何度問い合わせても
「無かったよ」、とか「要らないと思って捨てたんじゃないの?」とか「お客さまのカン違いではないの?」
なんて言われ続け、怒り心頭に達していたのだが、ま、出て来てメデタシメデタシ。今回の参加者は25
名。6組のご夫婦、母娘1組、姉妹1組、女性友人2人組、男性友人2人組、そして個人参加女性5人
である。同お名前の方々がたくさんいらして覚え易かった。今日サヨナラパーティとなる。じゃ、乾杯!
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2月 16日(金) 最後の日も晴れでした
朝 ギザ 「メリディアン・ピラミッズ」 朝食ヴュッフェ
5時半起床。そう言えば、南極帰りの飛行機の中で引いた風邪だが、いつの間にか治っている。乾燥し
た気候だから、2人も風邪を引かれたのに、私は治っちゃった。朝日に光るピラミッドを撮影しようとカメ
ラを構えて待機するが、いっこうにそうならない。お腹も空いたし朝食にしよう。サービスの悪いホテル。

第1ピ