パクパク日記7年3月3週
サンチャゴ・デ・クーバからハバナまでバスでぶっ飛ばしたのだった。
ダイキリ
トロピカーナショー
3月 12日(月) 晴れ 暑いぞ! 1兌換ペソ=約120円
朝 キューバ・サンチャゴ・デ・クーバ 「メリアサンチャゴ・デ・クーバ」 朝食ヴュッフェ
5時半起床。今日も良い天気だ。レストランの前は長蛇の列だ。ここのレストランは、オムレツ焼いて、
とお願いすると、まず卵の白身と黄身を混ぜて鉄板にぶちまける。薄焼き卵を作るように。客から中身
の注文を聞くと、それを卵の上に放り投げ、薄焼き卵を畳んで、皿にのっける。つまり、玉葱やトマトや
ピーマンなどはほとんど生状態というわけで食べるとガリガリと音がする。音するオムレツ。で不味い。

ここも革命広場 周囲を見渡すとカストロよりチェ・ゲバラの看板が目立つ ぎっしり人間を乗せた運搬車

セスペデス広場のカテドラル教会 オレンジにパクつく若い娘 旧市街はこんな感じ
朝9時からサンチャゴ・デ・クーバの市内見学。バスが走りだして暫くしてびっくり。府中から中山競馬場
に馬を運ぶような運搬車に人がぎっしり乗っているではないか。聞けば、バスのようなもの、という。気
をつけてみればキューバの人々はいろんなカタチで通勤、通学している。数少ないバス、ボロボロの自
家用車、馬車、自転車、徒歩、ヒッチハイク・・・。セスペデス広場。1523年からハバナに都が移るまで
スペインの総督官邸はここにあり、首都でもあったサンチャゴ・デ・クーバだから、街並みが古く落ち着
いている。キューバの主だった町を建設したベラスケスというスペイン人の屋敷跡があり、これは国で
一番古い建物らしい。そんな景色に見とれていると、目の前に手が。年寄りの物乞いが多い。約1時間
町を歩く。一時カストロが通った中学がある。ラム酒(キューバではRON)をそもそも作ったバカルディ
家の屋敷跡は博物館になっている。それにしても、働かないでぶらぶらしている人の何たる多さよ!!

世界遺産のモロ要塞 これがカリブ海の美しさだよ 大砲を運ぶ階段運搬路
バスで海まで行く。カリブ海だ。初めて見る。ここには世界遺産に登録されているモロ要塞がある。この
アタリは海賊が頻頻と出没する地域で、その警護と他国から守る役割をしていたらしい。スペインの領
土となったキューバだが、1762年から11ヶ月だけ英国領となる。英国海軍にスペイン軍が敗れて、キ
ューバを奪われたのだ。しかし、スペインにとって、自国と南アメリカ各国を繋ぐためにはキューバはど
うしても取り戻したい!で、スペインは英国に交換しようよと提案したのである。アメリカのフロリダ半島
全部あげるから、キューバ返して!ダメ?じゃあフィリピンもつけるからさぁ。ってことでまたスペイン領。
昼 モロ 「Le Moro」 豆と野菜のスープ、ライス、魚のフライ、牛のひき肉料理、マッシュポテト、フル
ーツ、コーヒー、マンゴジュース 1,5兌換ペソ

魚も肉も美味しいね

カリブ海は美しかねぇ この椅子はポール・マッカトニーが座った Tシャツはゲバラばかり
今日はことの他暑い。キューバの一年の気候は5月から10月が雨季、11月から4月は乾季。フロリ
ダ半島によく押し寄せるハリケーンは6月から10月位の間に3,4回来るらしい。大きなハリケーンだと
家も柱も人も吹き飛ばす。ま、台風国に住む私達はよくわかるね。日本に来たこともある日本贔屓のガ
イド・ホセさんは、乾季のキューバは沖縄の気候に似ていますね、と言っていた。ランチを摂った店には
ポール・マッカトニーが来店して座ったという椅子が、テラスに鎮座ましましていた。海も空も蒼いねぇ。
夜 サンチャゴ・デ・クーバ 「メリアサンチャゴ・デ・クーバ」 夕食ヴュッフェ、ビール 2,5ペソ、白&
赤ワイン&白ワイン @3ペソ

3時頃ホテルに帰る。夕食までフリータイムで希望者は、ラテン音楽の店に行こうと誘われたが、部屋
でゆっくりすることにする。マニキュアつけたり、大阪の大介&有里ちゃんに絵葉書書いたり、読書した
りね。すっかり寛いだ。夕食はまたもやヴュッフェ。飽き飽きするよなぁ。お皿に盛った半分しか食べな
かった。そういえば、昨日の夜、今朝、そして今も素晴らしいピアノが聞こえる。クラッシックから映画音
楽、スタンダード曲・・・。絶え間なく聞こえるので、自動ピアノかと思ったら、女性が弾いていた。キュー
バではピアニストの活躍の場は少ないのだろうか。余りに見事な演奏だったので、5ペソチップを奮発。
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3月 13日(火) 晴れ (カマグェイでは一時雨が降ったらしい)
朝 サンチャゴ・デ・クーバ 「メリアサンチャゴ・デ・クーバ」 朝食ヴュッフェ
今日のオムレツも生の玉葱の音がする ガリガリ
6時起床。2泊したサンチャゴ・デ・クーバから今日はカマグェイに向かう。そうそうこのツァーはバスで
キューバを横断というか縦断する旅なのだ。サクサクッと無言の朝食を終えて荷造り。さて行きましょ。

銃弾の跡が残るモンカダ兵営博物館
カストロは「U.S」製のリュックを担いでいた? 襲撃に作家したメンバーの多くは死んだ
1953年7月26日、カストロ兄弟以下130人のメンバーは、カーニバルで賑わうサンチャゴ・デ・クーバ
のモンカダ兵営場を襲撃する。ここに保管されている武器を奪うためだ。ただ、早めに見つかってしま
い、襲撃は失敗に終わる。多くは捕えられて激しい拷問の上殺されてしまったが、カストロ兄弟は逃げ
た。しかし、彼らも逮捕され、2年弱刑務所で過した。この襲撃事件がキューバ革命の始まりとして、カ
ストロは後年7月26日を「革命記念日」とした。今この建物は博物館となっており、襲撃事件当時の襲
撃経路や参加メンバーなどの展示物がある。え?カストロはアメリカ製のリュック担いで革命したの?
昼 バヤモ 「La Bodega」 サラダ、パン、ライス、ポテト、牛肉の煮込み、アイスクリーム、パインジ
ュース 1,5ペソ、名物コーヒー 1、5ペソ


美しいバヤモの街並 このおっちゃんの歌はいい 豪華なセスペデスの生家
バヤモという町は、国歌の町とも知られているようだ。町の真ん中には、ペドロ・フィゲレード作詞・作曲
の「バヤモの歌」(後に国歌となる)の楽譜と歌詞の石碑が恭しく建っている。今日のランチに出された
牛肉は長時間煮込んだのか、柔らかくてとても美味しい。キューバでは、牛肉は高過ぎて庶民の口に
は入らないらしい。何せ牛肉1キロの値段が、1ヵ月の給料と同じ位というのだから。その代わり、豚肉
や鶏肉を食べる。昼食、夕食時は生のラテン音楽バンドが演奏するのはお約束なのだ、とこの頃にな
ると理解する。つまり、キューバにあるレストランの数(観光客が来るような)だけバンドの数が存在して
いるということだね。上手なバンドもそうでないバンドもあるが、今日の歌い手のおっちゃんはいいわ。5
ペソチップ弾む。食後は独立運動の父セスペデスの生家を見学。凄い金持ちだったのだね、びっくり。

夕闇せまるカマグェイの町を輪タクで見物 カルメン広場のおじいさんの像 子供達の屈託の無い顔
サンチャゴ・デ・クーバからバヤモまで2時間、バヤモからカマグェイまで4時間。夕焼けのカマグェイ
に到着したのは午後6時だった。なぬ?今から輪タクに乗って市内観光?輪タクに乗ると風を受けて気
持ちがいい。30キロ台の方もいるのに、私を乗せた運転手は気の毒。このカマグェイという町は、キュ
ーバで3番目に大きな町だが、それほど見所がないので観光客は少ないのだとか。でも、石畳の落ち
着いたいい町だ。今晩泊まるホテルは「グランド」。この町では一番の三つ星ホテルだが、まさにクラシ
カルそのもので、エレベータは手動式であった。部屋の天井高く、いいじゃないと思ったら便座無いよ。
夜 カマグェイ 「ホテルグランド」 夕食ヴュッフェ
食べたのは半分だよ
バスタブは無い、お湯も出ないかもしれないとは言われていたけど、便座まで無いとはなぁ。レストラン
は5階。エレベータは1台しかないので、多忙時はスーツケース運び優先で階段を使用せねばならな
い。この国に来てから飲んでいるビールはクリスタル。爽やかなのはいいけれど、薄いって感じかなぁ。
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3月 14日(水) 晴れ
朝 カマグェイ 「ホテルグランド」 朝食ヴュッフェ
(腹痛のため、ほとんど食べなかったので料理写真は無し!)
このホテルは町のど真ん中にある。人々の生活感を味わえるのは魅力であるが、夜中2時まで向かい
の店で大きな話し声がするわ、3時半には千人が起きてしまうような大音響が鳴り響き、ちっとも眠れな
い。それでも5時半に起き出すと、何だか調子が悪い。お腹の調子が。キャー!下痢だぁ。ベトナムで
もスリランカでもインドでもエジプトでも一度もお腹壊したこと無いのにぃ。幸い、医者から貰った薬をも
っている。薬を飲むためには、何かお腹に入れなくちゃと5階のレストランへ。早く治って下さいなぁ!
昼 トリニダー 「プラザマイヨール」 ランチヴュッフェ グレープフルーツジュース 1、5ペソ
(腹痛のため、ほとんど食べなかったので料理写真は無し!)

正面の高い塔は奴隷の見張り塔 この機械でサトウキビを搾る
フェゴティング刺繍が売られている
バスに乗ると腹痛が激しくなる。20年来の腸閉塞とは違う痛みとは思うけど、腸閉塞になっちゃったら
タイヘン。うーむと唸っているうちに、トリニダーの郊外マナカ・イスナガに到着。トリニダー一帯は、その
昔サトウキビ産業の拠点であった。携わる労働は過酷を極め、その労働力として導入されたのが西ア
フリカから連れて来られた奴隷である。だからこの町は奴隷市場でもかつては栄えていたのだ。このマ
ナカ・イスナガには大規模なサトウキビ農場の跡があり、高い塔は奴隷の見張り塔。キューバの奴隷
制度は1886年に廃止されたが、腹痛もあってとても不快な気分になった。サトウキビを実際に搾って
ジュースも飲ませる。塔の下にはフェゴティングという刺繍の売り物が洗濯物のようにたなびいていた。

ロマンティコ博物館 贅を尽くした展示品 廃屋となった教会跡
トリニダーの街へ。かつてサトウキビ栽培と奴隷市場で大いに繁栄したトリニダーも、両方が廃れてし
まってからは忘れられたような静かな街となる。まるで歴史がそこでストップしてしまったように。コロニ
アル都市がそのまま放置され朽ちていく。歩きにくい石畳の道。ここは世界遺産に指定されている。腹
痛は増すばかりなので、ランチもジュースと柔かいものを1,2口食べただけ。ハエがぶんぶん飛んで
いるレストランである。午後の観光は、ロマンティコ博物館だけ見ることにした。1808年に建てられたニ
コラス・ブルネット・ムニョスの屋敷を博物館にしたものだが、トリニダー近隣の金持ちの家具、食器など
を集めて展示している。豪華絢爛である。その後グループから離れてレストランに戻り、観光パスされ
たY下さんとおしゃべり。Y下さんは80台だが、昨年は11回海外に出かけられた由。負けられんぞ。
夜 トリニダー・アンコン 「トリデダニー・デル・マル」 夕食ヴュッフェ
(腹痛のため、ほとんど食べなかったので料理写真は無し!)
トリニダーとは三位一体の意。アイルランドのダブリンに行った時トリニティーカレッジがあったが、あれ
と同じ意味ね。市街から20分ほど走ったところにカリブ海に面したアンコン地区があり、リゾートホテル
が並んでいる。このホテルも、2日目深夜に到着したホテルと同じで、コテージ風で外観は結構なのだ
が、バスタブでは湯も水も出なかった!!私の経験では「発展途上国でのコテージ風ホテルには気を
つけろ!」である。ここも腕にテープを巻かれて滞在中の食べ放題&飲み放題が可能なのだが、こちと
らお腹コワシで食べるのも飲むのも出来んじゃないか。夕食はスープ2杯だけ、グスンである。無酒日
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3月 15日(木) 晴れ 午後曇り
朝 トリニダー・アンコン 「トリデダニー・デル・マル」 朝食ヴュッフェ

6時起床。やや?腹痛がないぞ?下痢も止まった。やっほー!昨日酒も飲まず、食事もほとんど抜い
て大事にしたから1日で治っちゃった。よし、今日からまたモリモリだ。ホテルの裏手の海岸に行ってみ
る。プライベートビーチ手前の砂浜が美しい。元気だったら昨日泳いだのにな。外観は立派なホテル。

世界遺産のロスインヘニオス盆地 チェ・ゲバラ霊廟 装甲車襲撃跡記念館
8時半ホテルを出発してから、郊外のロスインヘニオス盆地に寄る。見渡す限りの土地はかつてサトウ
キビ栽培が行われていたところ。昨日見学したイスナガの奴隷の見張り塔、トリニダー市街、そしてここ
ロスインヘニオス盆地一帯を合わせて世界遺産に登録されている。そこから3時間バスと飛ばしてサン
タクララへ。チェ・ゲバラ霊廟に行く。1967年10月9日ボリビアで銃殺されたゲバラの遺骨は、10年前
の1997年ボリビアから返還された。何と30年経ってからである。キューバ政府は、このサンタクララの
地に霊廟を造り、キューバ革命に尽力したゲバラの功績を称えている。一切の手荷物持込禁止で、霊
廟の中に入るとほの暗く空気がヒンヤリとしている。永遠の炎がチラチラと燃えていた。隣はゲバラの
博物館になっており、幼少時代からの写真には見る人の頬を緩める。成人してこれだけハンサムだっ
たのだから、子供の頃の可愛いこと!小さい時から喘息だったのに、葉巻好き。医者(彼も医者だが)
から葉巻は一日1本と厳命されると、とてつもなく長い葉巻を吸っったりする。お茶目である。ボリビアに
潜入する際、髪を剃り、70歳位の老人に変装した写真も残る。因みにチェは渾名で「ねぇ」という口癖。
昼 サンタクララ 「ホテル ラ・グランヒッタ」 ランチヴュッフェ
ゲバラが率いて装甲車襲撃に成功した記念館を見た後、近くのホテルレストランでランチ。お腹は治っ
たとはいえ、少しづつにしよう。スープが美味しくて2杯飲んだ。庭で4匹目の猫を発見。でもカメラ持っ
てないよー。キューバは犬だらけで猫は夜になるまで隠れているらしい。猫写真不足が不満であるぞ。
夜 ハバナ 「メリアコイバ」 夕食ヴュッフェ、3点セット

サンタクララからバスで3時間半。ようやく首都のハバナの町に入る。そこでガックリ来るアナウンス。
「今日から3連泊して頂く予定でした旧市街にあるホテルは、政府関係の利用により急遽使えないこと
となり、新市街5つ星他のホテルとなります。ホテルも国営なので、国の命令となれば致し方なく・・・」。
ゲーーッ!旧市街のパルケ・セントラルに泊まるの楽しみにしていたのにぃ!プンプン。で、旧市街から
車で15分もかかる「メリアコイバ」に泊まることになっちまったのである。こうゆうところ、キューバは社
会主義の国なんだなぁ、とガッカリする。夕食後、カバーナ要塞の大砲の儀式に出かけることになって
いたが、気分を害したのでパスすることにする。150年続く儀式?ふん、行かんよ。気分がドカーンだ。
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3月 16日(金) 晴れ 何度か小雨 夜一時土砂ぶり
朝 ハバナ 「メリアコイバ」 朝食ヴュッフェ

ここが革命広場の本家 内務省の壁を飾るゲバラの顔 旧国会議事堂(カピトリオ)

1960年代のアメリカ車はボロボロだがちゃんと走る ガルシア・ロルカ劇場
5時半起床。体重を測る。ふふふ。キューバに来てから4キロ痩せたのだよ。むふふふ。でも誰も気が
つかない。誤差ってことか。朝風呂入ろ。あらら?お湯が茶色だわ。流してもう一度試すと虫が2匹浮
いている。これまでは地方都市だったからと諦めていたが、首都ハバナの5つ星ホテルでもこうなのか
ぁ。他の部屋でも、湯が出ない、夜中にトイレの水が止まらなくなった、チョコレート色の水が出たとかい
ろいろ苦情が出ていた。8時半ハバナ観光出発。キューバの人口は約1100万人だが、ハバナには
300万が住む1555年からの首都である。世界遺産に登録されているのは、旧市街。広さは5平方キロ
メートルしかないが、ハバナらしさがギュッと詰まっている。本家の革命広場を見学した後は、旧国会議
事堂前。アメリカの議事堂を模して作られた建物は現在使われていない。隣にはスペインゴシック建築
の見事なガルシア・ロルカ劇場が見える。あの劇場の先のホテルに泊まることになっていたのになぁ。
街を走っている車に瞠目。1960年代のアメリカ車がビンビンと走っている。もう数十年アメリカはキュー
バに対して経済封鎖を続けているので部品は入手できない。ソ連や他の国の部品で修理し、祖父から
父へ、そして息子にと大事に車を受け継いでいるのだ。次はどんな車が来るだろうと思うと何時間見て
いても飽きないハバナの街である。仙台育英学園が寄贈した支倉常長の像を見てからサンフランシス
コ・デ・パウラ村に向かう。ここにはフィンカ・ビビア(眺望楼)と言われるヘミングウェイ博物館がある。

フィンカ・ビビア内部 9000冊の蔵書とどの部屋にも剥製の動物頭部が飾られている
晩年20年、アーネスト・ヘミングウェイはキューバに住んだ。ハバナ旧市街のホテル「アンボス・ムンド
ス」の511号室に滞在し、朝方「誰がために鐘は鳴る」を執筆し、昼間は「ラボデギータ」や「フロリディ
ータ」で酒を飲み、釣りで大物をし止め、女達を愛したパパ・ヘミングウェイ。3人目の妻マーサ・ゲルホ
ーンを迎える頃には、月100ドルで借り、その後たっぷり入って来た「誰がために鐘は鳴る」の印税で
購入したのがフィンカ・ビビアである。カメラ代は5ペソもする。小高い丘の樹木に囲まれた邸宅は風通
しの良い住み易そうな家だった。どの部屋にも彼がし止めた動物の剥製頭部が飾られており、昼寝用
のベッドの脇には黒いタイプライター。彼は立ったまま打っていたらしいよ。20メートルのプール、コヒマ
ルで海に繰り出したピラール号、そして犬4匹の墓・・・・。ここでも彼は60匹の猫を飼っていたという。
昼 コヒマル 「ラ・テラサ」 食前酒:ダイキリ、海鮮スープ、パン、パエリヤと魚、アイスクリーム、コー
ヒー

フィンカ・ビビアから車で15分ほどのところにコヒマルの小さな漁港がある。ヘミングウェイはこの漁港
に愛船を繋ぎ、カジキ鮪などの大物を狙いに通った。ここでの釣りの経験を元に「老人と海」を書き、ノ
ーベル文学賞を受賞した。彼がコヒマルに来るとよく通ったという「ラ・テラサ」でランチ。長いカウンター
バーの奥がレストラン席で、壁にはヘミングウェイの写真がズラリと飾ってある。カストロとのツーショッ
ト、釣りあげたメカジキ・・・。漁師ヘミングウェイの笑顔は隙だらけだ。このコヒマルは、密航する拠点と
しても知られているようだ。古タイヤを組み合わせただけの筏などでフロリダ半島を目指して漕ぎ出す
人々。距離200キロ弱とはいえ途中難破したり見つかって強制送還されたりするケースが多いようだ。

スペイン風の街並み旧市街 ヘミングウェイの定宿「アンボス・ムンドス」 モデルも立派な仕事
ハバナ旧市街に戻る。ビエハ広場、ホテルアンボス・ムンドス、旧総督官邸で現在市立博物館などを回
っているうちに、雨が降って来た。カテドラルの建物の屋根に飛び込んで雨宿り。この広場には、スーツ
に帽子に葉巻を加えたオールドジェントルマンや、原色の衣装をまとったモデル業の人々がたくさんい
る。1兌換ペソ払うと、女性のモデルは頬にキスしてくれたりね。1日、この旧市街をぶらぶら歩いてみ
たいなぁ。フリーマーケットを抜けて、バスでホテルに戻る。頼まれていたPON(ラム)を買いに行くか。
夜―1 ハバナ旧市街 「リストランテ デル オリエンテ」 ウエルカムドリンク:モヒート、小海老のサラ
ダ、パン、チキンソティ レーズンライス添え、ミルクプリン、ビール 2,5ペソ、赤ワイン 4ペソ

今晩の夕食は豪華だよ。旧市街の名門、「リストランテ デル オリエンテ」でディナーを頂くのだ。食前
酒には、ヘミングウェイが愛したモヒートというカクテルが出された。今回酒好き(ついでに喫煙も)は私
だけ。他の人はラム抜き。それじゃあジュースだね。ビールと言えば、ここまで「クリスタル」ばかりだっ
たが、バカネロビールが出て来た。これはコクがあった実に旨い!2階のレストランを抜け出て、1階の
カウンターに座って煙草を吸っていたら、ようやくハバナにいるなぁという実感が湧いて来たのだった。
夜―2 ハバナ 「トロピカーナ」 (シャンパン、ラム、コーラとおつまみが出た)

夕食後は、住宅街にある「トロピカーノ」へ。収容人数2000人の巨大野外シアターである。席によって
違うが、入場料は@70ペソから90ペソ、カメラ撮影は5ペソ、ビデオは50ペソも取る。入場料だけでも
平均的なキューバ人の半年分の給料だ。革命の時一時中断したことはあるが、1939年からやってい
るらしい。開演前に、昼間降った雨がぽつぽつと当って来て避難。これで中止になったら入場料はどう
なるんだ!野外劇場というのもリスク大きいよなぁ。そ