パクパク日記7年11月3週

           3大一神教の聖地エルサレムに4泊し、パレスチナ自治区にも行く

エルサレム旧市街  ベツレヘムの生誕教会

11月 12日(月) エルサレム 晴れ

朝 エルサレム・クラウンプラザホテル 朝食ヴュッフェ

    フルーツがたくさんある朝食ヴュッフェ

エルサレムの朝晩は寒い。先週行った死海地方は標高−400mに対し、ここは+800メートル。つまり

1200メートルの高度差があるということだ。昼間になっても日向はかなり暑いが、日陰はヒンヤリする。

月曜日の朝となれば、日本人は「ブルーマンデー」となるが、イスラエルの場合、休息日(シャバット)は

土曜日。つまり1週間は日曜日から始まることとなる。シャバットの土曜日は、働いてはならない日。店

も銀行もレストランも交通機関もすべて休みで天気予報さえ無いという徹底ぶりだ。但しそれはユダヤ

教の話で、金曜日が祈りの日のムスリムや日曜日が安息日のクリスチャンは別だ。6時半から朝食。

  

12ヶ国の献金で建てられた万国民教会   別名「苦悶の教会」とも呼ばれる内部       処刑の前夜苦悶するイエス

今日はいよいよイエスの最後の場所を巡るハイライト。まずはエルサレム東部のオリーブの丘に上る。

ひょーっ!旧市街がすべて見渡せるー!一番目立つのは何と言っても金色に光る岩のドーム。1キロ

四方の旧市街城壁、その城壁の南西側にはシオンの丘・・。素晴らしい景色である。イエスがここから

見た時は岩のドームの場所にはユダヤ神殿があったのだな。丘の下にはロシア正教のマグラダのマ

リア教会があり、そしてゲッセマネの園がある。イエスは最後の晩餐の後、ここに来て長い間苦悶の祈

りを捧げたという。12ヶ国の献金で建造された万国民教会の正面には苦悶するイエスの絵があった。

  

 ビア・ドロローサはライオン門から入る   十字架を担いだ教会前の鞭打ちの教会        信者は十字架を担いで巡礼する

  

   ビア・ドロローサ(悲しみの道)の表示   ここで母マリアがイエスに駆け寄った           ビア・ドロローサは狭く商店がびっしり

  

墳墓教会内の急な階段を上ったところがゴルゴダの丘   イエスの遺体を清めた場所      教会内のイエスキリストの墳墓

城壁には開かずの黄金の門を含め出入り口が8つある。ライオン門から旧市街に入り、暫く真っ直ぐ進

むとビア・デロローサ(悲しみの道)が始まる。ゲッセマネで捕縛されたイエスは、裁判にかけられ死刑

を宣告される。時のローマ総督ピラトは死刑に値しないと考えたが、人々はユダヤ人の王(救世主)で

あることを肯定するイエスを殺せ!と口々に叫ぶ。ユダヤ教全盛期の時代には異端に映ったのだろう。

39回の鞭打ちを受け、十字架を担がされた場所には教会が立っている。左への曲り角でイエスは倒れ

る。その先にはマリアが駆け寄った場所、シモンが代わりに十字架を背負った場所、2度目に倒れた場

所・・・と14箇所のステーションの表示がある。道は細く、石段もあり、左右には土産物などの商店がギ

ッシリと並んでいて、これがビア・デロローサ?と驚いてしまう。インド系のカトリックグループが十字架

を代わる代わる担いで聖歌を歌って行進して行く。やがて聖墳墓教会へ。10から14番目のステーショ

ンはここにある。つまり、衣服を脱がされ、十字架にかけられ、埋葬され、復活した場所だ。何度か破壊

され、現在の建物は1149年十字軍が再建したものだ。ゴルゴダの丘はどこだ?え?この急な階段の

上にあるの?ハァハァと上るとそこがゴルゴダの丘だった。敬虔なクリスチャンは涙を浮かべている。

新約聖書にある4つの福音書のうちマルコの福音書を書いたと推定される聖マルコ修道院に行った。

ここはイエスや12人の使徒達がエルサレムにいる時、何度も立ち寄ったマルコの母の家でもあった。

昼 エルサレム 「マンダリン」 中華コーンスープ、チャーハン、焼きそば、海老と卵炒め、カシュー

   ナッ ツと鶏肉炒め、野菜炒め、蒸し魚、牛肉とブロッコリー炒め、オレンジ

  

  

長く歩いたので疲れた。そこに嬉しい知らせ。今日のランチは中華でーす!ヤッホー!今悲しみの道を

歩き、命を落とされた場所で厳粛な気持ちになっていたのに、この変容ぶりは何だ!でも嬉しい。久々

の東洋のメシだもの。異国には必ずと言っていいほどある中華レストランだが、中には思い出したくもな

い味もあった。しかし、ここは香港出身者がオーナーということで、味はまぁイケタ。スープ4杯飲む! 

シオン門は1967年までヨルダンとの国境だった       最後の晩餐を摂った場所       男女別に仕切られたダビデ王の墓

後に「六日間戦争」と呼ばれることになった1967年の第三次中東戦争まで、東エルサレムはヨルダン

領であった。そこにパレスチナの人々が住んでいたのだ。国境であったシオン門には40年前の砲弾の

跡がそのまま残されている。最後の晩餐の場所に行く。十字軍が建てた建物は後にイスラムモスクに

使用されていたが、後の時代の建物に関係なく、その場所でイエスと12人の使徒13人で最後に晩餐

を摂った。最後の晩餐と言えば、私達はレオナルド・ダヴィンチの名画のイメージが強いが、実際は30

センチ位の低いテーブルの周りに寝転がって食べるのが当時の食事スタイルだったらしい。ダビデ王

の墓に行く。実際の墓は、AD70年のエルサレム陥落の時に破壊されてしまった。この辺りにこのよう

にあったのではないか、と後年造ったものだ。男女別に入って、男性は必ず着帽しなければならない。

  

イスラエル博物館は死海文書の壷がモチーフ    破壊前のエルサレム50分の1の模型         ユダヤの神殿の再現模型

今日の最後の観光はイスラエル博物館。屋外に巨大な街の模型があった。破壊される前AD70年の

エルサレム旧市街の50分1の立派な模型である。もちろん、現在岩のドームが建つ場所には堂々たる

ユダヤの神殿があった。博物館内部には先週行ったクムランで発見された死海写本の本物があった。

夜 エルサレム・クラウンプラザホテル 夕食ヴュッフェ、3点セット(ビール、白・赤ワイン)計14ドル

  

今日も昨日と同じレストランでヴュッフェ。イスラエルに来てからもう5日連続ヴュッフェだぞ!プンプン。

アメリカ人のようになりたくはないので、少し料理を取り、それも残した。3点セットの酒が救いである。

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11月 13日(火) エルサレムもベツレヘムも晴れ

朝 エルサレム・クラウンプラザホテル 朝食ヴュッフェ

朝食に一番に来るのは日本人である、と今までの旅で分析していたが、アメリカ人も早いぞ。早く来て

太りそうな料理をモリモリ食べるのだ。そういえば、この数百人のアメリカ人団体で、痩せている人、フ

ツーの人はごく僅かで、あとはとんでもなく太っている。小錦クラスも一杯。私が細く見えるから嬉しい。

  

           青空に聳えるダビデの塔      城壁歩きは結構シンドイ!       城壁から見たエルサレムの旧市街

ダビデの塔の横にあるヤッフォ門からシオン門まで、旧市街の城壁を巡った。去年クロアチアのドブロ

クニクの城壁巡りはパスしたが、今日は行こうか。階段の上り下りがいっぱいあって苦手なのだ。一辺

が1キロの旧市街城壁はムスリム地区、アルメニア地区、ユダヤ教地区、クリスチャン地区に分かれ、

南東部は神殿地域となっている。城壁の上から見下ろすのはアルメニア地区。ゴミだらけで他人の暮ら

しを盗み見するようで申し訳ない。地元の小学生だろうか、ワイワイガヤガヤと社会科見学をしていた。

イエスが生まれたのは、ベツレベム。その町はパレスチナ自治区にある。ドキドキものだ。とは言っても

ベツレヘムはエルサレムから数キロしか離れておらず、バスで15分。パレスチナ自治区は現在国とし

ては認められていないが、(国境)に当る場所には、イスラエルが作った例の分離防御壁が高く聳えて

いる。イスラエル側から撮影は禁止されている。ここでバスを降りて徒歩であちら側に行く。念のためパ

スポートを持参したが、提示は求められなかった。パレスチナ側に行くと、黄色のベンツのタクシーがた

くさん止まっていて客待ちをしている。こちら側からは分離防御壁の撮影はどうぞ、どうぞ。世界からも

評判の悪い壁には写真やポスターなどでカラフル!イスラエル側のコンクリートが剥き出しの無機質な

壁とは対照的だ。ここでパレスチナ側のバスに乗り換える。運転手とは別に案内係の男性が1人付く。

  

    ベツレヘムの生誕教会(ロシア正教教会)には陽の光が優しく射しこんでいた            ベツレヘムの銀の星。ここがイエス誕生の場所!  

  

        ロシア正教教会の左側にはアルメニア正教教会の祭壇、そしてカトリックの聖カテリーナ教会がある

♪神の御子は 今宵しも ベツレヘムに生まれ給う♪少女時代から歌っていた、そのベツレヘム。イ

エスの生誕教会に行く。ダビデがイスラエルの王となったのも、ここベツレヘムだった。ダビデの27

目の子孫であるヨセフが人口調査のため、身重のマリアを連れてベツレヘムに来たのもそうゆうわけだ

ったのだ。宿屋が満員で天然の洞窟で休むことにした夫婦だが、マリアは産気づいて男の子を産む。

イエス・キリストの誕生である。12月25日のことだった。祝福に来た東方の三博士から、ヘロデ王が

「新しい王」の誕生に危機感をおぼえているので、エジプトに逃げよと忠告したことから、新生児を連れ

た夫婦はエジプトに逃れる。案の定、ヘロデ王は「ベツレヘムの2歳以下の男の子は皆殺しにしろ!」

と命令を下したのだった。まさに危機一髪の出来事だ。ロシア正教教会の祭壇の地下に、イエスがお

生まれになった場所がある。銀製の「ベツレヘムの星」の穴の周囲には、ラテン語で「ここに、救い主イ

エス、おとめマリアから生まれる。」と刻みこまれている。教会の右手上部の窓から陽の光が射しこんで

いて、自ずと厳粛な気分になった。左手には、アルメニア正教教会の小さな祭壇があり、隣接する建物

にはカトリック聖カテリーナ教会がある。聖墳墓教会がオスマントルコの定めた「現状維持法」に則って

6宗派による割り当て管理を行っているようにこの教会も3宗派による割り当て管理が行われている。

  

   パレスチナ側から見た分離防御壁      パレスチナ自治区のベツレヘムの町         故アラファト議長の遺影

生誕教会の前は広い広場。広場を挟んで大きなモスクがあり、祈り時間を告げるアザーンが大きな音

で響いていた。町をちょっとだけ歩いてみたが、売っている食べ物も壁の向こうと変わり無いし、パレス

チナの人々は人懐こい。観光客がパレスチナ側に金を落とすよう、教会を見学した後は土産物屋に寄

る決まりになっているのだそうだ。そうね、エルサレムがイスラエルに奪われてしまってから、観光の収

入はガタ減りだものね。土地柄、キリスト教関連の土産物が多い。ベツレヘムのオリーブ油を買った。

昼 パレスチナ自治区・ベツレヘム 「サババ」 10種の前菜、ピタパン、ケバブとチキンの串刺し 

  ライ スと温野菜添え、アラビックコーヒー

  

                                                街にはパレスチナの旗がはためく

バス→観光→土産物屋→レストラン→バスという一連の流れがセットされ、同じ手配会社によるものだ

った。ランチで出て来た料理も他の地域と変わりが無い。教会近くのポリスボックスに亡くなったアラフ

ァト議長の遺影が飾ってあり、街にはパレスチナ自治区の旗がはためいていた。良い車が走っている。

  

            受胎告知を受けたマリアが身重の従姉妹エリザベツを訪ねたエンカレムの訪問教会

帰路、分離防御壁を越えると、イスラエル側の検問所がある。「全員日本人か?」「はい」、「全員パス

ポートを持っているか?」「はい」とガイドさんが答えて無事通過。今からエンカレムに向かう。途中で道

が分れ、右に行くとヤド・ヴァシムに着くが私達は左の道を進む。ヤド・ヴァシムは、ユダヤ人600万人

が殺されたホロコーストの記憶を忘れさせないために造られた記念館。ユダヤ人を救った外国人の名

前も植樹と共に展示され、日本人ではリトアニア領事代理だった杉原千畝氏の名前が残されているそ

うだ。バスを降りると気持ちの良い風が出迎えてくれた。マリアの泉がある。但し飲料には適さないとか。

なだらかな坂を上って訪問教会に行く。受胎の告知を受けたマリアは、従姉妹のエリザベツを訪ねるた

めに遥々ナザレからやって来た。エリザベツは年齢的に子供は無理かと思っていたが、啓示を受けこ

の時妊娠6ヶ月だった。やがて生まれた男の子はヨハネ。イエスに洗礼を施した洗礼者ヨハネである。

夜 エルサレム 「オリーブ&フィッシュ」 前菜、パン、パタタのポタージュスープ、聖ペテロの魚の

   グリ ル ポテト添え、ライス、サラダ、シャーベットとミントティ、3点セット 18ドル

  

イスラエルに来て、初めてのセットメニュー夕食だ。しかも外のレストランで。嬉しい。一昨日足にケガを

されたK治さん(♂)は、足をひきずりながら観光されていたが、痛みが激しいということで添乗委員の

O村さんと病院に行かれた。今回の参加者は22名だが、何と家族ユニットは2名しかいない。つまりご

夫婦1組だけ。女性友人5組、男性一人参加4名、女性一人参加6名。地域別には、九州4名、中四

3名、関西圏9名、東海1名、首都圏5名というものであった。スープのパタタは、さつま芋に似た

根菜だそうだが、かなり甘い。メインは3つからのチョイスだったが、次の夜も魚と知らず、全員が聖ペ

テロの魚のグリルを選んでしまった。O村さんから電話。「K治さんの足、ヒビが入っているそうです」。

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11月 14日(水) エルサレムもテルアビブも今日も晴れ

朝 エルサレム・クラウンプラザホテル 朝食ヴュッフェ

  

    モスクの最高傑作と言われる岩のドーム                 ここが嘆きの壁         壁の隙間にはビッシリと願いの紙

エルサレムと言えば・・・そう、岩のドームと嘆きの壁に未だ行っていない。この2つの名所に行く場合、

糞門(ふんもん)からが一番近い。糞?そう糞。大昔は排泄物も水と一緒に流していて旧市街の一番低

地にある糞門に流れて来たことから、その名前になったそう。今は流れていない。岩のドームに行く人

は右、嘆きの壁に行く人は左の行列に並ぶ。博物館に入るにも、スーパーで買物するにも手荷物検査

はあるから、ここであるのは当たり前なのだ。岩のドームに向かう木製の回廊を渡る時、嘆きの壁が下

の方に見えた。やがて右手に巨大なアルアクサ・モスクが見え、左手に岩のドームがジャジャーンと登

場。ドームが金色なことから黄金のドームと呼ばれ、691年に建設された。ムスリム以外は入場できな

いが、ドーム中央にある岩は予言者ムハンマドがメッカからやって来られ、天に昇って降りた岩と伝えら

れている。イスラム教にとって、メッカ、メディナに次いで第三の聖地となっている。ムスリム地区のバザ

ールを通って次は嘆きの壁に行く。西暦70年ローマ軍は神殿を破壊したが、壁の下7段は約2千年前

ヘロデ王が建設した第二神殿西壁の残りと言う。ユダヤ神殿が無くなってしまったことを嘆く壁。ディア

スポラで世界中に散ってしまったユダヤ人にとって故郷を思い、エルサレムの神殿を思っての、心の中

の「嘆きの壁」でもあったのかもしれない。1967年の六日間戦争で東エルサレムを奪還した後は、オー

プンシナゴークとして24時間開放されている。びっくりしたことに、嘆きの壁も男女は分離される。左が

男性、右が女性でこちらの方が狭い。神殿の壁にはユダヤの神の精神が残っていると信じられ、ユダ

ヤ教経典を読み、額を壁にこすりつけ体を揺らしながら熱心に祈る。壁の岩の隙間には、祈りを認めた

と思われる紙がびっしりと挟んであった。壁から離れる時は後ろ向きに進む。背中を向けてはイカン。

  

                ダビデの町の入り口     ダビデの町はこんな風だった               細い水道を歩く

3千年前、ダビデは初めてイスラエルを統一して王となったと伝えられている。城壁の外、南東斜面

に住むエブス人を攻めて、ここをイスラエルの首都としたそうよ。そこには泉があったのだ。やっぱり水

が無いところに街には作れんものなぁ。トンネルに入る手前に3千年前の住居跡の遺跡があった。トン

ネルに入るには予約制。私達は11時入場だ。入ってみると暗い中で急な階段の連続!こんなことなら

サボれば良かった。あぁ疲れる。え?水道路はこれから?やっと通れる岩の間をぬって歩く。ここ水が

流れていたわけね。そこを人間があるくわけね。外に出た時はホッとする。げ?元の所まで昇るのぉ?

昼 エルサレム 「ムールハハル」 数種の前菜、牛肉・チキンの盛り合わせ、ポテト、コーンライス、

   野 菜サラダ、甘いお菓子、コーヒー 2ドル

  

  

ダビデの町の一番下から昇って汗だらだら、足がくがく。バスで10分程走った南の丘に下り立った時、

気持ちの良い風と素晴らしい景色に迎えられて機嫌が直った。眺めの良いレストランには、猫が7、8

匹いたぞ!そうそう、この国は喫煙者天国であり、猫天国でもあった。その意味では好きだ。アハハ。

  

      雰囲気のあるヤッフォは芸術家の街     右の白い建物群はテルアビブの町     地中海を見下ろす聖ペトロ教会 

   

    テリアビブの世界遺産ホワイトシティ  バウハウスが並ぶロスチャイルド通り       近代的な超高層ビルが並ぶテリアビブ

午後は西に向かい一気に地中海へ。イスラエルの首都はエルサレムだが、地中海側のテルアビブと

近郊ヤッフォなど加えた地域が人口の面では圧倒的に多い。エルサレムが歴史と政治の都市なら、テ

ルアビブは経済の最前線という感じ。南にあるヤッフォは古い街で、聖ペトロも滞在したし、ナポレオン

も来たことがある。今では芸術家達が多く住まい雰囲気のある魅力的な町。テリアビブはニョキニョキと

近代的な超高層ビルが立ち並ぶ。その一角ロスチャイルド通りに世界遺産のホワイトシティがあった。

夜 エルサレム・クラウンプラザホテル宴会場 サヨナラパーティ ローストビーフの前菜、パン、ク

   ラウ ンプラザサラダ、聖ペテロの魚の揚げ物 ポテト添え、ホットチョコレートケーキとバニラアイス、

   ビ ール・ワイン飲み放題!

  

    飲み放題でウレピー!

早くも今日はサヨナラパーティ。宴会場の個室を借りての夕食である。ヴュッフェで無いから座ったまま

なのが嬉しいし、お酒飲み放題であったのがもっと嬉しい!メインは2晩続きの聖ペテロの魚。これで3

回食べたことになるが塩焼き、ロースト、揚げ物と料理方法は違うからいいか。サラダとホットチョコレー

トケーキがとても美味しかった。それにしても今回のグループは個性の強い人が何と多かったことか!

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11月 15日(木) エルサレムは曇り

朝 エルサレム・クラウンプラザホテル 朝食ヴュッフェ

入国する時は、パスポートにスタンプを押さないで、と言えばよかったが、出国はえらくタイヘン。空港

には遅くとも3時間前には着かねばならん。グループなら、リーダー、ガイド、代表者が質問を受ける。

どこに行ったか、全員同じ行動をしたか、運転手は誰か、誰かから荷物を受け取らなかったか、スーツ

ケースは自分で詰めたか、荷物は自分で管理していたか・・・・。360度角度からスーツケースを映せる

超高感度のX線検査機を通して、9割の人はオープンチェックを命じられる。この行列が1時間以上!

現地で買ったDVD,CD,本、貰った帽子、地図などを出させられ、質問を受ける。私達日本人は5分位

で終わるが、ロシア系の乗客の小さなチョコレートもキャンディーも1つ1つ検査。カラになった段ボール

箱さえX線を何度も。30分も検査される人もいて・・・。チェックインするまで2時間!テロ対策は万全。

昼 ウズベキスタン航空 テルアビブ=タシケント間ビジネス機内食

夜 ウズベキスタン航空 タシケント=成田間ビジネス機内食 

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11月 16日(金) 東京は晴れてサブー!         オシム全日本監督脳梗塞で倒れる!

朝 ウズベキスタン航空 タシケント=成田間ビジネス機内食

2,3時間ウトウトしたところで、朝食の機内食が出て来た。サンドイッチは剥き出しで、触ってみると、カ

チンカチン。5日前のかぁ?フルーツを2口とコーヒーを飲んだだけ。成田では5人だけが降りて、あと

の皆さんは関空まで行かれる。11月1日から千葉県のタクシーも禁煙となった。禁煙のタクシーなんか

乗るかい!と思っていたが、偵察のため乗ってみる。「運転手さん、携帯灰皿もっているから吸ってい

いよね?」「あっぁ・・・・・、一応禁煙なんですけどねぇ・・・、お客さまがどうしてもと言われると・・・ねぇ」。 

昼 四谷三丁目 「板内 小法師」 ごまみそラーメン 670円、餃子 360

  

午前11時半帰宅。関西の皆さんは成田を飛び立った頃か。いつものように洗濯とスーツケースの片付

け。あっと言う間に終了。メールがどっさり。急ぐものはどれだ?洗濯物を干してから昼メシ。麺が食べ

たい。中華系。「小法師」のごまみそラーメンはこのヘンではマシと思うが、不満は残る。夕食