パクパク日記8年1月3週

                 UAE・オマーン・バーレーンをクルーズしながらイタ飯食べていた

バージュ・アル・アラブ オマーン・グランドモスク

(先週続き)

1月 12日(土) 雨のち曇り

夜 浜松町 「PALATIN 但馬牛100%ハンバーグ+海老フライ 1380円、サラダ・スープ・ライス

      セ ット 530円、アイスコーヒー 320円 計2230

    今日は激辛カレーでないよ!

幸い朝からの雨は出かける頃には止んだ。タクシーで浜松町に行き、早めの夕食。この店では激辛の

コールマンカレーをもっぱら食べているが、旅の始めだから自重してハンバーグでも食べるか。あっ、イ

カン!家を出る前にアップした1月2週分で、人の名前を間違えちゃったわ。鎧塚氏と結婚したのは女

優の川島なお美だった。黒木瞳はもう大きなお嬢さんがいるよね。何で間違えたか?日記作成中、ロ

シア民謡の「♪ くーろきひとみいずこ わがふるさといずこー♪」なんて口ずさんでいて、つい書いちゃ

ったみたい。ごめん。午後7時半羽田集合。羽田から関空、そしてエミレーツ航空でドバイへ。無酒日

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1月 13日(日) UAE・ドバイは晴れのち曇り  今日は29時間の一日ばい

第1食 エミレーツ航空 関空=ドバイ ビジネスクラス機内食(和食)

    エミレーツの和食機内食

第2食 エミレーツ航空 関空=ドバイ ビジネスクラス機内食(和食)

関空の免税店でウィスキーを2本買い、10時半過ぎエミレーツ航空に乗り込む。相変わらず機材はピ

ッカピカで、席はマッサージも出来るし、電話だって掛けられる。でも、こーゆーカプセル型の席って私

は余り好きではないな。約12時間のフライトで機内食は2回。普通1回目の食事はドカンと、2回目は

軽くというのが多いが、ここは両方ドカンの和食であった。時差5時間、朝6時半ドバイ空港に着いた。

  

ユニークな設計のビルがニョキニョキ  7ッ星のバージュ・アル・アラブ 建設中の世界一のビル    ドバイはビジネスの町だ

ドバイの空に向かって競うような高いビルの群れ。それも、ユニークな形のビルが多い。それにしてもヒ

ドイ渋滞。なに?アメリカのブッシュ大統領が来ているので交通規制している?ったく!こんなところに

あんた来んでよろしい。ブッシュ大統領渋滞のおかげで、観光すべき場所がどんどん減っちまうよ。最

近ドバイで一番お洒落な場所はジュメイラ地区。あの7ッ星ホテルバージュ・アル・アラブを始め、ナツ

メヤシの形をした人工島の上に建設された「ラ・パーム」や地球を模した分譲地「ワールド」など、ここに

は唸るような大金が集まる。4億円、5億円の「ラ・パーム」の4000戸のマンションは僅か72時間で完

売したそうよ。バージュ・アラ・アラブは最低でも20万円以上だそうだし、エリザベスU号の引退後はこ

こでホテルに変身するんだってさ。別の地域には、世界一のビルを建設中。高さを公表すると真似され

てしまうから秘密にしている。現在でも530mを越えていて最後には800mになるかそれとも1000mに

なるか話題になっている。。とにかく「世界一!」が好き。それにしてもハイパーバブルって感じだなぁ。

第3食 ドバイ 「中国海」 中華料理いろいろ

  

  

渋滞のために、ドバイ博物館を見学したところで時間切れ。朝食は飛行機で朝5時だったから、全員お

腹がペコペコだ。中華料理だって、ワーイ。おそろしく品数が多く、不味いもの、フツーのもの、旨いもの

いろいろだ。中国には無いジャンボ焼き餃子も出て来てびっくり。日本のビジネスマンが教えたのか。

第4食 コスタ・ヨーロッパ 11F 「サイレント」 ヴュッフェディナー 3点セット 約15ユーロ

  

午後2時イタリア船籍のコスタ・ヨーロッパ号に乗船。5万4千トン、全長243m、747室、収容乗客数

1773人。先週から乗っていた乗客の最終下船時間が午後8時ということで、それまで船内見学会やら

読書などで過す。11階のヴュッフェでカンタンな夕食を済ますと、「お待たせしました!お部屋の用意が

出来ました」ということで、これから6泊過すことになる7階の7074号室に向かう。あららー、いい部屋じ

ゃないの。38uの海側スィートルーム。広々したリビングの一箇所が開いていて、そこから寝室が見え

る。軽井沢万平ホテルのアルプス館と碓氷舘にこうゆう作りの部屋があったな。一番気に入ったのはウ

ォーキングクローゼットで収納がたっぷり。家族で泊まる客用に収納式の二段ベッドまであるぞ。たっぷ

りの氷を入れてウィスキーの水割りをグビッーと飲む。今日から6泊7日のクルーズの始まり始まり。

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1月 14日(月) ドバイ 午後からオマーンへ 雨ときどき曇り

朝 コスタ・ヨーロッパ 11F 「サイレント」  朝食ヴュッフェ

    最上階12階からプールを見下ろす

6時半起床。昨夜船は揺れなかった。当り前だ、未だ出航していないから。昨夜スーツケースが届いた

のが10時過ぎだったので、お風呂は今朝にした。ジャグジーバスである。ボコボコボコ。自宅にもある

のに4年間で1回しか入ったことが無い。朝食は3つのレストランから選ぶ。11階の「サイレント」に行っ

てみっか。今日のドバイは天気がよくない。ブッシュが来ているので一日港は閉鎖になってしまい、午

前中フリータイムなのに外出禁止。船に閉じ込められることになった。支払いのカード登録などをする。

昼 コスタ・ヨーロッパ 4F 「オリオン」 ムール貝入り豆のクリームスープ、パン、ツナとトマトソー

      スの ファルファッレ、無糖バナナケーキ、コーヒー 水 2ユーロ

  

今回のアラビア湾クルーズの参加者は20名。ご夫婦1組、女性友人同士12名、一人参加男性2名、

女性4名。Sご夫妻のご主人は、私と同じハイライト仲間と判明し、親近感を憶える。じゃご一緒にお昼

をと4階の「オリオン」へ。このレストランだけコース料理とアラカルトを注文出来る。あまりお腹が空か

ないので、前菜とメインはパスしてスープとパスタ、デザート。食事の途中船はオマーンに向けて出航。

夜 コスタ・ヨーロッパ 4F 「オリオン」 船長主催ウェルカムパーティ(フォーマル) 豆の海

       老のアミ ューズ、ホームメイドパテ、パン、ロブスタークリームスープ、豆のカツレツオーブン焼き、

        ミックス サラダ、デザート、3点セット(ビール、白ワイン、赤ワイン) 約15ユーロ

  

  

添乗員のT内氏は、1年前南極に行った時も一緒だった。「アラビア湾ですから、南極に比べれば揺れ

は少ないと思いますよ」と言われたが、念のため酔い止め薬を飲む。3時半から避難訓練があった。部

屋に備え付けの救命胴衣を着用して9階のBデッキへ。わらわらと乗客が集まって来る。世界中の年

寄りが揃ったかと思う程、各国のジジババカップルばかり。船内放送も、イタリア語、英語、フランス語、

ドイツ語、スペイン語、日本語と長々と続く。あとで聞いたら30ヶ国の客が乗船し、船のクルーを入れる

と合計100ヶ国の人々が1週間船で過すことになるのだね。545分から船長主催の歓迎カクテルパ

ーティと晩餐会。ドレスコードはフォーマルである。私しゃぁクルーズのこうゆうのがメンドーなんだよね。

たカジュアル姿。前菜、スープ、パスタ、メイン、サラダ、デザートから各自好きなものをオーダーする。

毎日こんな食事していたら、とんでもないデブになるな。気をつけろよ!料理の味はまぁフツーかなぁ。

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1月 15日(火) 曇り 時々小雨 オマーン・マスカット

朝 コスタ・ヨーロッパ 9F 「アンドロメダ」 朝食ヴュッフェ

  

                    平地は国土の8%、あとはゴツゴツした岩山ばかり   海辺の休憩所もこんなに立派!

  

             5年前に完成した豪華絢爛のグランドモスク            国内に何ヶ所もあるスルタン(王様)の宮殿

6時起床。海の向こうから太陽が昇って来た。今朝は9階で朝食。8時過ぎ、オマーンのマスカットが見

えて来た。ほぅ、こんな風景の町かぁ。首都というのに、海辺までゴツゴツした岩山ばかりの景観にデッ

キにいた乗客は一様に驚いた表情。寄港地ごとに船が企画したオプショナルツァー(有料)が用意され

て船の下には30台以上の大型バスが待っていた。私達は、別手配のバスで観光に出かける。オマー

ンは他の国に比べれば埋蔵量はそう多くないそうだが、それでも石油の産出を始めてから、国も町も

様変わりした。それまで泥の小さな家が並ぶ漁村だったが、今は高速道理が走り、ビルが立ち並ぶ。

すべてが無料という教育施設も千を越え、病院も50を越えたと言う。日本もガソリンの高騰で悲鳴を上

げているが、ここは1リットル50円。ふんだんに石油が採れるサウジアラビアでは15円ですって!ス

ルタンの命で建設されたグランドモスク。観光客でも女性はスカーフで髪を隠さねば入場できない。暑

いのに、黒のスカーフなんか被って汗だくだよ。靴を脱いで入ったモスクの中は、世界一のペルシャ絨

毯が敷き詰められ、天井にはスワロフスキーに発注した7屯ものシャンデリアが輝いている。アラブ諸

国は、世界一が好きだなぁ。ベイト・アル・ズベール博物館。大金持ちの個人の邸宅に寄贈された展示

品がある。アラム宮殿。スルタンは国内に何ヶ所も宮殿を持っているそうで、ここで過すのも年に数日ら

しいよ。ハンドボールのオリンピックアジア予選やり直ししましょうよ!ボイコットしないでさー!私は宮

殿に向かって叫んだ。でも王様は不在だった。ポルトガル支配時代に築かれた砦跡があちこちにある。

昼 コスタ・ヨーロッパ 9F 「アンドロメダ」 昼食ヴュッフェ(インド料理ヴュッフェ)

    ソフトクリームを存分に!

ランチヴュッフェは毎日各国料理の特集のようなものあがる。昨日はメキシコ料理、今日はインド料理

だ。激辛カレーがあるかと勇んで行ってみたが、カレーはチキン1種のみ。しかも辛くも無いぞ!デザー

トコーナーにソフトクリームマシーンがあり、バニラとチョコレートクリームを好きなだけ食べることが出

来るのだ。ひひ。午後希望者はスークに買い物に行かれたが、9階と11階にあるプールで泳ごうかと

参加しなかった。水着に着替えてプールに行ったものの、166センチと深い。じゃ本でも読むとするか。

 コスタ・ヨーロッパ 4F 「オリオン」 タラのフライ ガーリックソース、パン、クリームベジタブルスー

プ、玉ねぎとベーコン入り辛味トマトスースのリガトーニ、チキンロール、ギリシャサラダ、アイスク

リーム、3点セット 約15ユーロ

  

   こんな食事続けていいのか!

4階「オリオン」の夕食は2回制だが、私達は1回目の6時半から同じテーブルで食べる。イタリア船だ

から、料理は毎晩イタリア料理だ。若い頃ほっそりした美人が、マンマになると3倍位に膨張するイタリ

ア女性。だからイタリア料理は困るのよ、と言いながら注文する自分がいる。太りたくなければ、スープ

とサラダだけだっていいのにね。食後は、毎晩シアターでミュージカルなどのショーがあり、プールサイ

ドでもたくさんの催しがある。8階のラウンジやバーでは生演奏があり、カジノだってある。7階の部屋に

いると遅くまで賑やかな音が聞こえて来る。しかし、私はどこにも行かない。食事が終われば真っ直ぐ

に部屋に帰り、パジャマに着替えて、水割りを飲みながら本を読むのだ。それが一番楽しい時間。あん

たクルーズに向かない人間じゃないの?はい、そう思いますよ。「カラマーゾフの兄弟」を読み始めた。

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1月 16日(水) 激しい雨 夕刻から晴れ UAE・フジャイラ

朝 コスタ・ヨーロッパ 11F 「サイレント」 朝食ヴュッフェ

雨だ。しかも寒い!昨夜船はオマーンから再びUAEを目指し6時半フジャイラに停泊した。今朝は6時

45分から朝食サービスが始まる。エレベータが止まっていたので7階から11階までハァハァ上った。

  

     フジャイラ博物館に飾られた歴代首長        UAEのグランドキャニオン?            UAE最古のモスク

UAE=アラブ首長国連邦は7つの首長国があり、その一つがフジャイラ。ホルムズ海峡の南に位置し

ヨーロッパへの石油積み出しの重要な港だ。港近くには大きな原油貯蔵タンクがズラリと並んでいる。

そうそう、2001年日本の海上自衛隊がインド洋で燃料補給をした時の補給地だった。年間雨が降る

のは10日くらいしか無い土地というのに、今日の雨はどしゃ降り。排水設備などないから、道路は水浸

しだ。それに寒いし。パキスタンから来て20年になるバスのドライバー氏は「UAEに来てこんな寒さは

初めてだぁ!!」と首をすくめていた。博物館見学の後、砦やグランドキャニオン似の渓谷、最古の小

さなモスクなどに行くが、寒いから皆すぐバスに戻ってしまう。フジャイラは雨と寒さだけが印象に残る。

 コスタ・ヨーロッパ 4F 「オリオン」 カラマリのグリルとサラダ、パン、レンズ豆のスープ、カルボナ

ーラリングイネ、洋梨のタルト

  

午後1時半帰船。船の出入り口への斜めの渡し板でM田さんがすっ転んだ。金曜市で買った香炉入

れが割れてしまったそうだ。出入り口のすぐそこが4階の「オリオン」なのでここでランチする。前菜、ス

ープ、パスタ、デザートだけだってマンプクなのに、他の国の人々はメイン料理も食べているぞ。お昼な

んだから、ちょっとはセーブしたら?なーんちゃって。午後はクラッシック音楽聞きながら読書して過す。  

 コスタ・ヨーロッパ 4F 「オリオン」 洋梨のカクテル、冷製アンダルシア風ガスバチョスープ、

      スパ ゲティペペロンチーノ、ギリシャ風野菜のムサカ、桃のフランベ、 3点セット

  

    ←この2皿は一口食べただけ

5時過ぎ、船はUAEの首都アブダビに向けて出航。あのホルムズ海峡を通ってね。ホルムズ海峡は

アラビア湾(ペルシャ湾とも言う)からの唯一の出口で北はイラン、南は飛び地のオマーン。最狭場所

は33キロしか無いから、キナクサイ時期には「ホルムズ海峡封鎖」なんてニュースよく聞いたよな。そ

んなことなど乗客はなーにも考えず、優雅な夕食を摂るのだ。食べ過ぎを反省し、コース全部は取るま

いと誓ったが、メインが大好きなムサカだったので、つい注文。しかし味がどーも・・・。デザートも残す。

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1月 17日(木) 晴れ!! UAE・アブダビ

朝 コスタ・ヨーロッパ 11F 「サイレント」 朝食ヴュッフェ

昨夜珍しく船は揺れた。きっとホルムズ海峡を通過した頃と思う。おぉ、珍しく青空だ!この旅に来てか

らすっきり晴れたのは今日が初めてだ。ヒャッホー!やっぱり天気が良いと人間嬉しくなるものだよね。

  

    アブダビのランドマーク・エミレーツパレス        今は珍しい木製ダウ船造船所         緑と噴水が溢れる町

船からアブダビの町が見える。高層ビルがギッシリ。しかし、風変わりなデザインを競うドバイに比べて

落ち着いた町のようである。果たしてバスに乗って走ってみると、緑が多く町のあちこちには噴水があり

よく整備されていた。ドバイのバージュ・アル・アラブに対抗して建てられた超豪華ホテル「エミレーツ・

パレス」は柵の外から写真を撮っただけだがバージュのモダンに比べ、ここはクラッシックな美しさなん

ですって。私はこっちの方に泊まりたいぞ。ダウ船の造船所。今は伝統的な帆船ダウ船もプラスチック

製になってしまったそうだが、注文があれば昔ながらの木製で造るのだそうだ。但し作り手はインド人。

昼 アブダビ・アル・アイン インターコンチネンタルホテル ランチヴュッフェ コーヒー 4ドル

  

  

     近代的なビルが建ち並ぶアブダビの町  黒のアバヤは女性の民族衣装            アブダビ最古の建物アル・フスン・パレス

アブダビ首長国でアブダビに続いて2番目に大きな町アル・アインに行く。アル・アインは泉という意味

で現首長シェイク・ザイードの生まれ故郷だそうだ。バスでぶっ飛ばして12時に到着した。アル・アイン

博物館。トイレに行ったが、鍵はちゃんと閉まるし、紙はあるし、水はちゃんと流れて何よりキレイ!こ

の後行った2ヶ所のトイレもキレイで「さすがUAEで一番金持ち国だね」と感心したのだった。博物館に

は王族の家系図が展示されている。イスラムは4人まで妻を持っていいそうだが、子供の数も半端じゃ

ない。しかも男ばかり?え?女は家系図には入れないの?あ、そう。船以外のランチというので中華か

なと楽しみにしたが、何だホテルのヴュッフェか。でも巻き寿司やカレーがあって嬉しかった。復路、道

路からちょっと入るとそこは砂漠。地元の人は、休日4WDで砂漠を走り回るのが大好きなのだそうだ。

 コスタ・ヨーロッパ 4F 「オリオン」 (イタリアンディナー) 仔牛肉薄切りツナソースがけ、ガー

       リッ クトースト、トマトのクリームスープ、海老とズッキーニトマトソースタリアテッレ、トマトとバジルの

      ラダ、伝統的なナポリのタルト、3点セット

  

  

今日こそ節食だ、とレストランに向かう。え?今晩はイタリアンディナー?いつもイタリアンじゃんさ。より

イタリアンですか。いつものパンがガーリックトーストに代わっているし、ウェイター達の蝶ネクタイはイ

タリアンカラーだ。でも私はメインを抜く!ゼッタイ食べん!でもガーリックトースト3片食べてしまった。

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1月 18日(金) 晴れ!! バーレーン・マナーマ

朝 コスタ・ヨーロッパ 11F「サイレント」 朝食ヴュッフェ

今日は3つ目の国バーレーンに行く。時差が1時間あるから、昨夜のうちに時計を1時間遅らせておい

た。だから6時に起きるともう日が昇っていた。バーレーンは33の島から成る国で、首都はマナーマ。

  

         完成間近のシェラトンタワー       町はアシュラ祭りの真最中であった       

今日一日はフリータイム。どこにも行くつもりの無い乗客たちはゆっくり起きてのんびり朝食を摂ってい

た。希望者はスークに行きましょうとT内氏が呼びかけたら、全員参加。タクシーで分乗して町中に向

かった。おうおう、ここも変わったスタイルのビルがあるなぁ。助手席に座ると、運転手が「バーレーンに

F1もあるぞ。美しいグランドモスク見ない?スークだけ?町中案内してやるよ」と執拗に誘う。スーク

をぞろぞろと歩いて、店は殆ど閉まっている。そうか!今日はイスラムの休日金曜日じゃないか。しか

もシーア派「アシュラ祭り」の最中で三角の黒旗がはためき、人々の祈りが続く。そんなことで買物は何

も出来なかったが、普段家に閉じこもっている女性達の姿も多く見ることが出来て、良い経験になった。  

 コスタ・ヨーロッパ 9F 「アンドロメダ」 昼食ヴュッフェ

    旨いカツレツだなぁ!

午後は1時に出発するので、急いで9階のヴュッフェランチ。ポロ葱とじゃが芋のスープ、ミラノ風カツレ

ツがめちゃんこ美味しかった。このクルーズで食べた料理で一番美味しかったのはこれだったのだよ。

  

        世界遺産のバーレーン・フォート  コーズウェイの向こうはサウジアラビア      4、5千年前の古墳群

  

        土漠にポツンと1本「生命の木」          バーレーンの夕陽は美しい      グランドモスクのシルエット

午後も希望者(15名)はバーレーン観光に行く。先ずは世界遺産に登録されたバーレーン・フォ^ト。ポ

ルトガル支配時代に築かれた城砦跡。堂々たる砦であった。しかし、その隣に4千年前の遺跡が発見

され、今から発掘するのだと言う。バーレーンはアラビア半島には珍しいシーア派が9割を占める国。

王族はスンニ派だから、雇用の不平等を巡ってしばしば暴動めいたことが起こるらしい。シーアという

言葉は「派」という意味だそうだから、シーア派というと「派派」って言葉になってしまうが、ま、いいか。

シーア派は、外壁に様々な絵が描かれたカラフルな家を持ち、黒の旗が立っているからすぐわかる。

世界で2番目に長い橋コーズウェイをぶっ飛ばす。左に王様の宮殿の入り口。車でも10分はかかり

そうな海の奥に宮殿がある。右側には王様の島。立憲君主制だが、甥が王様、大統領は叔父さんなん

だってさ。コーズウェイは全長25キロもあり、世界で2番目に長いのだと。丁度半分まで来たところに

サウジアラビアとの国境がある。展望台に上って両国を見るが、どっちがどっちだかわからなくなる。マ

ナーマに戻ると道路の両端におかしなものがある。土を盛り上げたこんもりしたものが無数に広がって

いるのだ。何とこれは4、5千年前の墓でアアリ古墳群というらしい。大きい。一家で一山。数千年もた

だ土や石を盛っただけで崩れないものだとたまげた。たまげると言えば、「生命の木」。一面に土漠が

続く土地に、1本だけポツンと立っている木。近くに川もなくどうやって水分を摂取しているのか。ここを

「エデンの園」だったのではないかという伝説があるそうだ。若者達がバギーを乗り回して遊んでいた。

 コスタ・ヨーロッパ 4F 「オリオン」 サヨナラパーティ(フォーマル) アボガドと海老のアミュ

      ーズ、 パイナップルボード、マッシュルームのクリームスープ 黒トリュウフ入り、マッシュルームの

      リゾット、チキンふらいキエフ風ピラフ添え、ベイグドアラスカケーキ、3点セット

  

  

早くも今晩はサヨナラパーティ。ドレスコードはフォーマルだ。午後6時船はドバイに帰るべく出航した。

今晩はお祭り騒ぎで、コースも半ばを過ぎると、ウェイター達がしきりに踊りに誘って来る。私しゃぁイヤ

だよん!そのうち、客の半分位が参加してレストランの中を練り歩いていた。クルーズの最後と言えば

お約束のベイグドアラスカケーキパレード。ケーキが美味しいわけではないけど、賑やかでいいよね。

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1月 19日(土) 晴れたり曇ったり ドバイ

朝 コスタ・ヨーロッパ 4F 「オリオン」 オムレツ・ソーセージ・ベイグドポテト、ヴュッフェ

    ソーセージ硬くて食べられない

コスタ・ヨーロッパ号で過す最後の朝。いつも一番客を目指してレストランに行く私だが、今日は8時半

からゆっくり食べようとT中さんと約束している。初めて「オリオン」の朝食。卵料理、肉料理などは注文

する。オムレツとソーセージを頼んだらソーセージは硬くて喰えんぞ!プンプン。やっぱり11階がいい。

昼 無し!!

午前中はずっと荷物の整理をしていた。6泊もして、かつ収納場所がたっぷりあったからモノがあちこち

に入っていて時間がかかる。下船は今晩午前零時。夕方6時半スーツケースは出せばいいから気楽。

アフタヌーンティ ドバイ 「マディナ・ジュメイラ」 デザートヴュッフェ+コーヒー 25ドル

      

       アフタヌーンティのセットは無くデザートヴュッフェに変更                       クリーク(水路)の向こうにバージュ・アル・アラブが見える

昼食を抜いたのは1時からアフタヌーンティに行く予定だったから。当初、例のバージュ・アル・アラブに

行く予定だったのだが、予約が一杯と言うことで同じ経営の5ッ星に変更。バージュは予約をしていな

いと入れてもくれない。ま、観光客だらけになってしまうからね。マディナ・ジュメイラには3つのホテル

があり、クリークという水路が巡らされて客は船で移動する。え?予約は入っているけど、アフタヌーン

ティの設定は無い?ということで、デザートヴュッフェとコーヒーに変わった。何かイメージちゃうよねぇ。

 コスタ・ヨーロッパ 4F 「オリオン」 蟹のふらい、アスパラガスのクリームスープ、スパゲティシー

フードクリームソース、薄切りポークのフライパン焼き、ディプロマタルト、3点セット

  

  

このクルーズは7泊が1パッケージ。だからもう1泊出来るのだが、我々は深夜の飛行機で日本に帰る

から午前零時に下船する。7名の方は砂漠夕陽ディナーに出かけられたから、残りの14名は「オリオ

ン」で最後の夕食。食後はすぐ部屋に引きこもる生活を送っていたが、最後位はシアターに行ってみる

か。だが、華やかなショーではなく、バイオリンとピアノのクラッシックコンサートだった。0時船を下りる。

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1月 20日(日) 関空は雪まじり 東京曇り

 エミレーツ航空 ドバイ=関空 ビジネスクラス機内食(和食)

    朝ご飯は鰻だった・・・

ドバイ空港からエミレーツで関空へ。離陸は何と午前2時50分!24時間オープンの飛行場ならでは

のフライト時間である。この機材のビジネス席は、2、2、2の横6席。私の座った席の左隣は通路。窓

側の席が2つ空いている。フライト時間間近になって、窓側に若い女性が座った。あら?どこかで見た

ことがあるような人だわ。どこかで、毎晩見てような・・・キャー!!本物の「のだめ」がいるじゃないか!

昼 存在せず

本物の「のだめ」こと上野樹里ちゃんが、そこに座っていると思うと、寝る気にならん。あとで調べたら、

彼女はタンザニアに行った帰りらしい。ミルクティを注文する彼女は、あの声だった。関空で下りる時、

通路に2人立った時彼女に触れたが、声をかけられない。気が弱いから。髪寝ぐセないわね、なんて。

夜 家食 ネギと卵のチキンラーメン、「みち子がお届けする鯖鮨」、桃のゼリー

    久々の鯖鮨です

関空から羽田まで他の方々より2本早いJALに乗ることが出来た。8時前帰宅。外に食べに行こうちと

思っていたが日曜だし、寒いしで、羽田で買って来た鯖鮨とチキンラーメンでいいわ。メールチェック後

写真をパソコンに取り込むとテレビの前。え?のだめは卒業って言ったじゃない?又1巻から?無酒日

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【今週の振り返り】

アラビア半島は、大男の雪靴のように見える。雪靴は右(東方向)を向いている。靴底の踵部分がイエ

メン共和国、やはり靴底の爪先あたりがオマーン。足の甲部分から指の付け根までがアラブ首長国連

邦(UAE,足首の上にカタール、その上にバーレーン。その他は全部サウジアラビア王国である。この

6ヶ国を湾岸6ヶ国と言う。正確に言えば、右の最上部(北)にクェートもあるが、同国は「別に入れて貰

えんでいいよ。十分豊かだから」って入らなかったらしい。湾岸6ヶ国協定は、民族衣装、教育機関、医

療施設を共有化し、入国手続きも優先する。食べるものや生活習慣もほぼ似通っているようだ。今回、

その中の3ヶ国をクルーズしながら訪れた。一番多く寄港したアラブ首長国連邦(UAE)についてちょっ

と書いてみたい。

United Arab Emirates。Emiratesエミレーツは首長国の意味である。だからエミレーツ航空は首

長国航空なんだよ。この地域には7つの首長国がある。アブダビ、ドバイ、シャルジャ、ラス・アル・ハイ

マ、アジマン、フジャイラ、ウム・アル・カイワインの7つの首長国。ポルトガルに続いて湾岸諸国を支配

した英国は、「そんな小さな国じゃしょーがないから、7つの首長国と、カタール、バーレーンを併せて一

つの国になったら?」と提案したが、カタールとバーレーンは「イヤじゃ。僕ら独立するもん」と独立しち

ゃった。じゃあ残りの7ヶ国で一つの国を作って独立しようじゃないかということでアラブ首長国連邦が

成立した。1971年のことである。昨年2007年12月2日36回目の建国記念日のお祝いをしたそうだ。

7ヶ国の中で、中心国はアブダビ。最大の土地を持ち、最も豊かな国である。だから首都はアブダビだ

し、同国の大統領はアブダビの王様が就任している。しかし、アブダビはかつて最貧の首長国であった。

それが今のように発展したのは、1939年大きな賭けをしたことに始まる。石油の試掘を開始し、20年

後には石油を発見。一躍首長国のトップに踊り出たというわけ。独自に貿易で栄えていたドバイは自国

でも石油を発見し、この2国はウハウハ。しかし他の5ヶ国では石油は見つかっていない。

オマーンやバーレーンも含めて、石油発見前の湾岸諸国は小さな漁村であったそうだ。魚介類と天然

の真珠を採って暮らしていた。そこに養殖真珠技術が発達し、大きな真珠がブームとなった。そう、日

本が貧しい湾岸諸国を更に苦しめたわけさ。しかし、1958年石油が発見されると何もかもが様変わり

する。海水から塩分を除いて砂漠を緑に変えた。高速道路を作る。競って高いビルを建てる。ユニーク

なデザインで人目を引くか世界一の高さじゃなければイヤ。今もドバイは、世界のクレーンの三分の一

を集めて、あっちでもこっちでも建設中、工事中である。巨大なショッピングモールも作ろう。世界一豪

華なホテルも作っちゃうもんね。最低でも1泊20万以上にしちゃおう。人口島を作ってマンションやホテ

ルやレストランをたくさん作れば高く売れるよね?形が問題だ。うん、ナツメ椰子の形がいいな。全部売

れたら、地球の形の人口島もね。夏は気温が50度にもなってバスを待つ人が気の毒だよね。空調設

備のあるバス停留所にしなさい。そうだ、スキー場も作らない?砂漠の国でスキーってゼータクじゃん。

そうそう、世界一の空港も作ろうっかなぁ。滑走路は6本にしなさい。海外の大企業にガンガン来て貰お

うよ。無税にすればきっと来る。手続きもカンタンにしよう。貿易も観光も盛んにすれば、石油が無くなっ

ても暮らしていけるじゃないか。これらは、ほとんどドバイの王様のアイデアなのだそうだ。たいした57

歳のアイデアマンである。

これだけ豊かになれば外国からの出稼ぎが増えるのは当然だ。UAEの人口440万人のうち、地元民

は2割にしか過ぎない。つまり8割が外国人なのである。地元民は皆豊かだ。税金が無い。市内電話

は無料。学校は無料どころか手当ても貰える。結婚すれば、土地が貰える。一番金持ちのアブダビで

は家も貰える。但し外国人と結婚したらダメ。大学を卒業して公務員になれば、初任給は50万円。数

年後には月収100万円も珍しくない。一方出稼ぎ外国人の生活は悲惨だ。出身国、業種、職種によっ

て賃金は異なるが、一番悲惨なのは建設業で働くイラン人、インド人労働者で早朝から15時間も働い

て賃金は一日200円から300円。これでは月収1万円にも満たない。ホテルで働くフィリピンやアフリ

カからの出稼ぎ者は月収3〜4万円、ドライバーで5万円位だそうだ。

石油はいずれ尽きる。一番早く石油を発見したバーレーンでは、あと15年位で石油は無くなるだろうと

いわれている。どの国も石油に頼る経済から脱却しようとしている。外国企業を誘致し、貿易や観光を

盛んにしようと躍起だ。とはいえ、○○には負けたくない!世界一の何かを作りたい!という「世界一欲

求」は相変わらずのようで・・・。ニョキニョキと天に向かって建つ奇妙なビル群を見ていると、石油という

有限の資源がもたらした「うたかたの夢」に思えた。長い歴史から考えれば一瞬の夢ではないのか。石

油が無くなった時にこそ、湾岸諸国にはアイデアが重要になって来る。なーんて、ちょっとやっかみも入

っているかな?シュクラン。

               日本経済は落ち目なんだろ?あぁラクダ。

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