パクパク日記8年9月2週

        中央アジアに来た。ウズベキスタンの後トルクメニスタンに行くハズが・・・・。

  ヒワの朝焼け   ブハラ

9月 8日(月) 晴れ 夜激しい通り雨

朝 家食 山盛り野菜のサッポロ一番塩ラーメン、幸水梨、黒烏龍茶

    野菜のピラミッドだぜ

7時半起床。午後スーツケースを預けねばならないから、未完成の荷造りを完成させ、手荷物も作らね

ば。朝食は野菜をたっぷり入れた塩ラーメン。野菜山盛りでピラミッドみたいになっちゃった。うめなぁ。

昼 四谷 「嘉賓」 回鍋肉定食(スープ、ザーサイ、ご飯、杏仁豆腐付き) 1000円、水餃子小 400

  

成田空港に行く時、いつもなら新宿駅西口からリムジンバスを利用するのだが、明日は成田エキスプ

レスを使うことにした。当日切符を買うとまごまごしそうなので、四谷駅まで指定席を買いに行く。あの

列車は全席指定だけど、どうして自由席は駄目なんだろうか。突発的に海外に行くってことあるじゃん。

四ツ谷ランチは久々に「嘉賓」で。お気に入りの労麺は朝ラーメンだったので泣く泣く止めにして定食。

午後のお茶 三栄町 「ドトール」 アイスコーヒー 200

この暑いさなか、四谷から四谷三丁目まで歩いた。たいした距離ではないけど、暑さ大キライな私とし

てはびっくりする行動だ。それでも日陰に入ると、湿度が低いせいかだいぶ楽になる。残暑帰れー!!

夜 荒木町 「味里」 付き出し:揚げ茄子の胡麻だれ、枝豆 700円、肝焼き 600円、うな重(菊) 

2800円、生ビール、冷酒 3杯 @7300

  

    「味里」うなぎの季節は終わり

旅の前日はいつもながら忙しい。朝からちょこまかと働き、毎日こんな風に働いていたら、今でも自宅

はキレイなままだっただろうなぁと、出来ないことに憧れる。来年2月、3月までの旅行を電話で申し込

んで申し込み金を振込み、申し込み書も書いて投函。とにかく私は気が早い。あぁやれやれ、さてどこ

に飲みに行く?ゴミを出すのがイヤなので今晩はどこかで軽く飲みたい。そうだ!来週19日でうなぎの

季節が終わると言っていた「味里」に行くか。この店に夜来るのは初めてだ。ご夫婦とゆっくりお喋りし

ながらうなぎを頂いた。8時半頃激しい雨。最近こればっかり。北の湖理事長ようやく辞任。辞任列島。

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9月 9日(火) 全国的に晴れ

第1食 家食 ヤマザキランチパック(ピーナッツ)、バナナ

5時起床。しかし、今起きては余りに早いだろうと15分間目を瞑っていた。今日は出掛ける日だからや

っぱり早く起きよう。新宿西口の高層ビル群に朝日が反射して美しか。ヤマザキランチパックを初めて

食べる。この1ヶ月、茹で卵とかツナとかのランチパックを探していたが、あるのは甘いものばかり。チェ

ッである。シャワーを浴びて、ざっと掃除して、ゴミ捨てて、さて出かけましょうか。忘れものないかな?

第2食 成田第一ターミナル・ANAラウンジ 天麩羅うどん(小)、巻き寿司、稲荷寿司

    ここは蕎麦よりうどんが旨い

東京駅から成田エクスプレスで成田第一ターミナルへ。今回の旅は老男女(若が無いのだ)が21名。

男性が13名、女性が8名とチョー珍しく男性が多い。今まで経験した旅で、女性23名、男性1名なんて

グループもあり、女性が断然多いのがフツーなんだけどね。昼食はANAビジネスラウンジでうどんと

寿司。つまり無料だ。蕎麦とうどんがあるが、圧倒的にうどんが旨い。タダだからって食べ過ぎでない?

第3食 アシアナ航空・成田=ソウル ビジネスクラス機内食(タコのビビンパ)

    ビビンパって混ぜるという意味よね?

アシアナ航空に乗るのは初めてだ。ヘェーなかなか機材も新しいし、CAのオネーチャン達も爽やか系

が多くていいじゃないの。機内食にウェスタンスタイルと韓流があるのがいい。タコのビビンパは混ぜて

混ぜて混ぜこぜにして食べるとより旨い。ビジネス席は、突然キムチ臭くなったよ。2時間で仁川到着。

第4食 アシアナ航空・ソウル=ウズベキスタンのタシケント ビジネスクラス機内食

  

ソウルの仁川(インチョン)空港は5月にも来た。成田も関空も駐機代がバカ高いから、極東地域のハ

ブは仁川に奪われた恰好だ。午後5時ウズベキスタンのタシケント行きの搭乗開始だ。おっ!岡ちゃん

も同じビジネス席に乗り込んだぞ!実は日本代表の岡田監督が成田から同じ飛行機に乗っていたの

だよ。韓国はW杯最終予選別の組なのになぁと不思議に思ったら、やっぱり目的はウズベキスタンだ

ったのね。近くの席だったので観察?していると周囲が眠りこんでいるのに彼はパソコンに向かってナ

ンかやっていた。分析?メール?昨日の朝バーレーンから帰国したばかりなのに、翌日にウズベキス

タンとは!代表監督ともなると、寸暇を惜しんで敵を研究し、有望選手の発掘に注力するわけだ。北京

でブザマな姿だった野球監督とは雲泥の差である。夕食メニューを見てガッカリ。さっきと同じじゃない

のよ!仕方なくウェスタンにした。6時間半のフライトでタシケント着。時差4時間。ホテルに着きほっと。

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9月 10日(水) ウズベキスタンは晴れ                   130スム=約1米ドル

朝 タシケント・ホテル「マルカズィ」レストラン 朝食ヴュッフェ

    早朝なので朝食の準備が整っておらずパンも無い!

昔このホテルはシェラトンだったらしい。同じ飛行機に乗っていた日本の3グループが同じホテルだ。最

後にチェックインしたら、ナンとカードキーが品切れ(そんなことあるのか?)ということで、スタッフが開

けてくれた部屋に入ったのだ。電気はカードキーを入れて点ける方式で私はクレジットカードで代用。そ

んなことを思いつかなかった人は真っ暗な中で過したらしい。2時に寝て5時起床。7時出発で疲れる。

昼 ヒワ・ホテル「アルカンチ」 サラダ2種、ナン、トマトスープ、プロフ(中央アジア風ピラフ)、生野菜、

フルーツ(西瓜、ぶどう、りんご)、飲むヨーグルト、茶

  

9時出発のウズベキスタン航空でウルゲンチへ。昨年11月ウズベキスタン航空を利用した時は大幅に

遅れたので心配していたが、まさに定刻運行であった。ウルゲンチは北西の町だが、そこからバスに乗

って1時間、世界文化遺産のヒワに到着した。日差しはきつく30度は超えているか。それでも乾燥して

いるので不快さは無い。今晩泊まる「アルカンチ」は、観光の中心地イチャン・カラ(内城)のすぐ近くで

ロケーションは最高だが、何せ古い民家でボロ。ちょっと休憩してからランチ。テーブルには殻付きピー

ナッツや干しぶどうなどのつまみと西瓜や葡萄、りんごなど果物のデザートが予め並んでいる。ドロリと

した飲むヨーグルトやトマト、ズッキーニなどの生野菜もあって面白い。米入りのトマトスープの次は名

物のプロフ。羊肉と人参を加えて炊き込んだピラフである。味はいいが、脂っこいね。西瓜が甘い!!

   

      青の丸屋根はパフラヴァン・マフムド廟  高さ45mのヒワで一番高いミナレット     鮮やかな色の服装が目立つ

ヒワが生んだ数学者ムハンマド・アル・ホレズミの像       町にはこんな爺さんもいます        未完成のカルタ・ミナル

ヒワの歴史は古いが、小さな寂れた町に過ぎなかった。当時はクフナ・ウルゲンチ(現トルクメニスタン)

がホレズム帝国の都で繁栄していたが、アムダリア川が大きく流れを変えたことから、ヒワは17世紀に

なって首都になってしまったのである。ホレズムとは「太陽の国」という意味で殆ど雨が降らない乾燥地

帯。貴重な水源である川の近くが栄えるわけね。田舎町から突然イスラムの聖都に格上げされたヒワ

は、外敵から守るために、外壁と内壁を築く。その内壁内部をイチャン・カラと言い、1990年に世界遺

産に登録された。モスクが20、メドレセという神学校が20、ミナレットも6基もある。どの施設の前にも

土産屋が並び、女性や子供達から激しい売り込みに合った。ホテルに帰ってシャワーを浴びようと思っ

たら途中でお湯がすべて零れてしまってヘッドからは1滴も湯が出ない。鄙びた地ならではの苦労だ。

夜 ヒワ 「夏の宮殿レストラン」 ピーナッツや干しぶどうなどのつまみ、サラダや和え物数種、ナン、

王様が食べた植物を練り込んだパスタ料理、フルーツいろいろ、飴やお菓子のデザート、ビール 

5000スム、赤と白ワイン @3000スム                

  

夕食はバスで夏の宮殿レストランへ。やっぱり、つまみ系とサラダ数種、デザートのフルーツ、菓子類

がテーブルにセットされている。「SARBAST:」というビールは旨い。ワインは白も赤もウズベキスタンで

生産されていると聞いたが、赤はまぁまぁだが白は甘くてイケナイ。中央アジア5ヶ国はイスラムが盛ん

な国で、確か9月1日からラマダン(断食)が始まっている筈だが、教えを守っている人はごく僅かに見

える。食事が始まって30分程経った時、突然真っ暗に。停電だ。レストランスタッフがすかさず蝋燭に

火を点けた。メインは王様が食べた植物を練り込んだパスタにソースがかかったもの。不思議な味だ。

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9月 11日(木) 晴れ

 ヒワ・ホテル「アルカンチ」 朝食セット

    食べたのはビスケット1枚とお茶、コーヒーだけ

5時起床。寒い。夜中から腸がシクシク痛み出し、何だかイヤーな予感。6時過ぎホテルの屋上(と言っ

ても三階だけど)に上って朝日の撮影。朝焼けにイチャン・カラの建物がシルエットになって、それはそ

れは美しかった。朝食のテーブルに座ったが、腸の痛みが気になり、ビスケット1枚とお茶だけにした。

昼 無し!

8時出発。トルクメニスタンとの国境まで1時間ということだったが、バスのドライバーが道を間違えて2

時間もかかってしまった。その間、腸の痛みは増して、持病の腸閉塞になったことがはっきりした。国境

を越えてトルクメニスタンに行けば、ハードなスケジュールの2泊3日が待っている。かと言って一人ウ

ズベキスタンに残るのも心細い。行くか、残るか・・・・散々迷って残ることにした。すぐそこに国境が見え

るのに、だ。突然の戦線離脱に驚く皆さんを送って、今朝チェックアウトしたボロホテルに戻って寝た。

夜 無し!!

幸い携帯プラズマを4つ持って来たから、こういう時は心強い。お腹に3つ当てて寝ている。この病気と

つきあって既に20年以上になるから、付き合い方、治し方も心得ている。前回は7ヶ月前タヒチ島から

帰る日に起きた。その前は2年前のジンバブエだったな。ガイドのフェルズさんが何か食べなくていい

のかと聞きに来てくれたが、今日一日は何も食べずにいよう。こうしていれば治りは早い筈だ。無酒日

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9月 12日)(金) 晴れ

 ヒワ・ホテル「アルカンチ」 朝食セット

    やっぱり食べたのはビスケット1枚とお茶、コーヒーだけ

5時起床。昨日安静にしていたから、腸閉塞の痛みも随分軽くなった。ヤマイはとにかく最初が肝心で

徴候が出たらすぐ休むことだ。朝食に降りて行くと、宿の人が「具合はどうだ?」と聞いてくれた。ちょっ

とは食べようと思うが、下痢が止まらないので、ビスケット1枚とお茶だけ。ガイドのフェルズさんが今日

ブハラに移動する車とドライバーを探してくれた。500キロ近い町に彼と2人で行くのだから、タイマイを

ドライバーに払うのだよ。この国を旅する時、パスポートを宿に預けて宿泊証明書を貰う必要がある。

昼 ティジルクム砂漠のチャイハナ ラグマン(汁あり) ひとくち、西瓜

  

       これが2000キロ流れるアムダリア川       ティジルクム砂漠は赤い砂漠        砂漠にあるチャイハナ

  

8時出発。ドライバーはイスラムベクさんと言って、大統領と同じ名前の無口の男性だった。昨日国境

からホテルに戻る時、ボロボロの軽自動車に6人と荷物混載で乗せられたから、客2人なんて天国み

たいだ。暫く走ったところでアムダリア川を渡る。せっかくだから歩いて渡りますか。この川の流れが変

わったために、ヒワが発展したのね。途中立ち寄ったガソリンスタンドのトイレを勧められた。余りの汚さ

と臭さに絶句した。これなら青空トイレの方がいいが、何せ砂漠地帯が続くので・・・。ランチはチャイハ

ナで。消化の良いものを頼んだら、汁かけうどんのようなラグマンがほんのちょっぴり出て来た。それよ

り私は西瓜がいい。甘くてミズミズシイ。西瓜を食べたら暫く水を飲むなとフェルズさんが教えてくれた。

夜 ブハラ・ホテルブハラパレス サラダ2種、揚げ餃子、シャシリク(肉と野菜の串焼き)、ナン、フル

       ー ツ、赤ワイン 4000スム

  

イスラムベクさんはスピード狂らしい。砂漠の道を平均130キロでぶっ飛ばす。ソ連時代の名残りか検

問所がところどころにあって、警官や兵士が威張って車を止める。そこを過ぎたら、また130キロだ。当

初8時間かかると言われたが、休憩を入れても6時間半でブハラのホテルに着いてしまった。明日の夜

までツァーの皆は帰って来ない。それまでの費用を捻出するために、銀行や両替所に連れて行って貰

ったのだが、窓口の女性達はエリート意識なのかツンケンしていて極めて横柄。「今日は米ドルもスム

もすべて無くなりました」なんて言うか?銀行員なんてナンボのもんじゃい!と腹立たしかった。夕食は

フェルズさんと2人で。ご馳走がいろいろ出て来たが、とても私は食べられない。付け合せの野菜をちょ

っとと、よく熟れた無花果を2つ食べてオシマイ。若い彼がお喋りしながらも全部平らげた。彼は22歳

の青年で、ウズベキ語、ペルシャ語、ロシア語、英語、日本語を話す。しかし、一度も国外に行ったこと

は無い。「最初に行きたい外国がどこ?」と聞くと、暫く考えていた彼は言った。「やっぱり秋葉原です」。

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9月 13日(土) 晴れ

朝 ブハラ・ホテルブハラパレス 朝食ヴュッフェ

    半分位食べたかな

昨日も摂生したので、腸の痛みは時々出るが随分回復した。下痢は相変わらずだが。朝食レストラン

に行くと日本語がちょっと出来るウェイターが「おはようございます!ご機嫌いかが?ゆくり食べてくらさ

い」と声をかけて来た。あら?あの2人は昨日の朝ヒワで会った日本人夫婦だわ。日本語出来るロシア

人ガイドと3人でウズベキスタンを1週間旅行中と言う。ロシア人がウズベキスタンで日本語でガイド。

  

スィトライ・マヒ・ホサ宮殿は夏の宮殿        ロシアに憧れて作った宮殿内部     最後のハーン、アリム・ハーン

  

ウズベク刺繍のスザニ        メッカに次ぐ聖地バハウッディンには大勢の巡礼者が訪れる

体調も良いようなので、午前中ブハラの郊外に連れて行って貰う。世界遺産の旧市街は明日グループ

の皆さんと一緒に観光する。スィトライ・マヒ・ホサ宮殿は「月と星の宮殿」とも呼ばれ、ブハラ・ハーンの

最後のハーンであったアリム・ハーンが建てた夏の宮殿である。ロシアに留学したことから、すっかりロ

シアにカブレて西洋風の宮殿を造ってしまった。旧市街に造るとイスラムのお偉方から叱られるから郊

外にね。ロシアから連れて来た孔雀10羽の孫世代の孔雀が庭内で遊んでいた。バハウッディンはイス

ラム神秘主義ナクシュバンディ教団の開祖バハウッディン・ナクシュバンディの廟で、メッカに次ぐ聖地

だと言う。巡礼者が大勢訪れていたが、アラビア語を解さないウズベク人はコーランも読めないのでお

祈りが出来ないのだとか。だからイマムが人々に代わって祈るらしい。最後はチャルバクルという死者

の町に行った。チャルバクルとは4人のバクルという意味で、たくさんの墓地がある。長居は無用だね。

昼 ブハラ 「キャラバン」 スープフリーカデリキ、西瓜 3人分の半額 2万スム

    やっぱり西瓜がいいです

フェルズさんとドライバーのイスラムベクさんと3人で食事。昨日ヒワに帰るつもりだったイスラムベクさ

んにタイマイ払って午前中仕事をお願いした。彼らはサラダや牛肉などモリモリ食べているが、私はフ

リーカデリキというあっさりしたスープと西瓜だけ。フリーカデリキは肉団子と麺が入っていてとても美味

しい。フェルズさんは、グループの皆さんを迎えにトルクメニスタンとの国境まで出掛けて行った。イスラ

ムベクさんはヒワに帰り、私は部屋で休んでいた。カッスラーのチンギス・ハーンの本がとても面白い。

夜 ブハラ・ナディール・ディヴァンベキ・メドレセの民族舞踊ショーのコース(サラダと和え物数種、

       サ モサ、肉と米と野菜のスープ、ラグマン、ナン、デザート)、赤ワイン 4000スム

  

国境越えがスムーズなら6時頃ホテルに到着するかもと言われ、ロビーで1時間待っていたが来ない。

部屋で待っていると、7時45分ようやく到着した。皆さん、国境越えに3時間もかかったということで、ヘ

トヘトだった。それでも私が元気になったということで拍手して貰い、照れちゃう。今夜は民族舞踊のショ

ーを見ながらの夕食ということで早速出かける。旧市街のナディール・ディヴァンベキ・メドレセの中庭

に民族舞踊ショーと食事場所が設営されていた。民族楽器の演奏に合わせて、舞踊とファッションショ

ーが交互に。温かいサモサとスープは半分食べたが他は要りません。皆さん疲れてグッタリしていた。

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9月 14日(日) 晴れ

朝 ブハラ・ホテルブハラパレス 朝食ヴュッフェ

5時半起床。今回のツァーは「メルブ遺跡と中央アジア4ヶ国周遊」というタイトルだが、メルブはトルクメ

にあるので、私だけ「中央アジア3ヶ国周遊」になってしまったわけだ。国境まで行ってトルクメニスタン

を諦めたのは残念であったが、行った皆さんも苦労が多かったらしい。深夜便と早朝便のフライトで睡

眠時間が2,3時間だったり、国境越えでは荷物を持って2キロ以上歩かされたり・・・だって。やっぱり

私は行かなくて良かった。病気じゃ、皆さんに迷惑かけたと思うからさ。連泊したホテルともお別れだ。

  

         イスマイール・サーマニー廟      コスモスが咲き誇っていた          ヨブが泉を発見したチャシュマ・アイユブ

  

        バザールには新鮮な果物や野菜、干した果物、米、焼き立てのナンなどが整然と並んでいた

  

      ブハラ・ハーンが祈ったバラハウズ・モスク        歴代のハーンが住んだアルク城は4ヘクタール

朝からブハラ旧市街の観光。旧市街は車進入禁止だから、歩いての観光だ。暑いが、風がそよそよ不

吹いて気持ちがいい。旧市街は、16世紀に築かれた周囲12キロの城壁で囲まれている。ブハラとは

「僧院」を意味し、茶色の街とも呼ばれている。サーマニー公園の真ん中にはイスマイール・サーマニー

廟。中央アジアの残る最古のイスラム建築である。9世紀の終わりに造り始めたらしいよ。それじゃあ、

13世紀初めのチンギス・ハーンの蒙古襲来で壊されなかった?土に埋まっていて助かったんだって。

水不足に困った12世紀に予言者ヨブが杖で叩いたら泉が湧き出たとか。ヨブが泉を呼ぶわけね。バザ

ールでフリータイム。いろんな国の市場に行ったことがあるが、ここは整然としていて市場特有の匂い

も少ない。住んでいるなら安い果物をどっさり買いたいところだ。ハーン専用のモスクや居城のアルク

城に行ったが、歴代ハーン達は、残虐な圧政を敷いていたと知って、どうにも気持ちが落ち着かない。

昼 ブハラ旧市街 「CHASNMAL・MIZO」 サラダ2種、牛肉とじゃが芋と野菜の煮込み、フルーツ、

コカコーラ 3000スム

  

徒歩での観光は疲れる。ようやくランチと喜んでレストランに入ったが、席は屋上(写真右の屋上)だっ

て!疲れているのにとブーブー言いながら階段を上っていくと、どうだ!この景色は!ミル・アラブ・メド

レセとカラーン・ミナレットとカラーン・モスクが丸見えじゃないか。風も吹き抜けるし、景色は素晴らしい

し、この席まで来て良かった。珍しくコーラなんか飲んで、料理は要らんと思ったが、じゃが芋がほくほく

美味しく2つ食べた。ほんのちょっとしか食べなくなって4日目。ゲッソリ痩せてしまうのだろうか心配。  

  

レストランの屋上席から撮影したミル・アラブ・メドレセとカラーン・ミナレット

  

     カラーン・モスクは1万人が祈ることが出来る        ウズベキの焼き物         タキとは交差点を意味するバザール

  

         タキで売られていた民族楽器          味のある顔の爺様達です      タキの店のエキゾチックな女性

午後は最大の見所ミル・アラブ・メドレセ、カラーン・ミナレット、カラーン・モスクを見学したのだが、ラン

チの時以外朝から歩き通しで皆さんお疲れモード。椅子があれば椅子に、無ければ石段にすぐ座り込

む。はぁ、カラーンってのは大きいって意味なんですね・・・あぁ、ぢがれたーって感じで。ブハラは十分

に拝見しましたってことで、交差点を意味するタキの一つでお茶。6時40分の便で、首都タシケントへ。

夜 タシケント 「Sin Sin サラダ、肉団子と麺のスープ、シシカバブ、フルーツ、ビール 5000スム、

赤ワインハーフボトル 6500スム

  

今日もウズベキスタン航空は時間通り。先月のマダガスカル航空の後だからパンクチャルだとしきりに

感心する。しかし、空港でスーツケースがなかなか出て来なくってね。夕食は街中のレストランで。生演

奏が入った大型の店で、日曜のせいか満員の盛況であった。食べないことが習慣になりつつあり、サ

ラダは一口だけ、スープは飲んだが、シシカバブは手をつけなかった。私ホントに痩せちゃう。ムヒッ。

          _________________________

【今週の振り返り】

もう30年近く前だろうか、NHK特集で「シルクロード」のシリーズを放映し始めたのは。海外ドキュメン

タリーの大型番組としては初めてだったと記憶している。中国中央電子台との共同制作で、最初のシリ

ーズは「シルクロード・絲綢之路」というタイトルであった。喜多郎の素晴らしい音楽に乗せて、石坂浩

二のナレーションが流れた。「「敦煌から・・・・楼蘭では・・・・・オアシスのトルファンが・・・・タクラマカン

砂漠を越えれば、そこに待つ天山山脈が・・・・幻のイシククル湖は・・・・・草原の王都のサマルカンドと

ブハラは・・・・」。今となっては内容は覚えていないのに、喜多郎の音楽と石坂浩二の声が頭にしっかり

刻まれている。それからなんだよなぁ、ニワカに日本はシルクロードブームになってしまって。

「東西南北」の一字の苗字の男性と、その頃よく酒を飲んだ。昼もメいっぱい忙しいが、夜は接待が仕

事であった時期で、仕事仲間だったから毎晩のように一緒に飲んだ。客を送り出した深夜、彼は呂律

の回らない口でこう誘うのだ。「夢子さーん、シルクロード行きましょうよ。浪漫っすよ、人間の。昔、駱駝

が歩いた砂漠をバーっと車でぶっ飛ばして、夜は掴めるような星空眺めて酒呑みましょうよ。親しい何

人か誘って、行きましょうよぉ!」。いつ行くの?と尋ねると、彼は「来年の今頃」といつも答え、ふっと見

るとクークーと寝ている。誘われた私はというと、その頃毎晩酒漬けで(もちろん仕事もいっぱいやって

いましたよ!)、毎日お腹をこわしていたから、砂漠で用を足すのはどうするのか・・・なんてことを考え

ていたのだった。女は現実的なのだ。

今回旅している中央アジア諸国は、そのシルクロードが通っていた場所である。旅する相手は違ったが、

25年経ってようやく実現したことになる。中央アジア5ヶ国とは、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベ

キスタン、タジキスタン、キルギス。ある人に教えて貰ったのだが、5ヵ国の頭文字を取って、「加藤タ

キ」と覚えるとすぐ頭に入る。アハハハ。今回はタジキスタンを除く4ヶ国周遊の旅だが、日記に書いた

通り、私だけトルクメニスタンには行かず、3ヶ国の旅となった。「〜スタン」は、「〜の土地」という意味ら

しい。

シルクロードとは、19世紀のドイツ地理学者リヒトホーフェンが命名し、名付けた頃は中国敦煌(或い

は洛陽)から北インドまでをさしたが、後に地中海までの解釈が一般的になったようだ。道と言っても1

つだけではない。主なものだけでも西域南道、天山北路、天山南路の3つがある。まぁ詳しいことはよく

は知らんが、海路を使った大航海時代まで、ユーラシア大陸の東西を陸路で結んだ重要な交易路であ

ったのだ。隊商が絹や香辛料などを駱駝に乗せて西に行き、西からは品物以外にイスラムも来たんだ

ね。

しかし、現地の人々は自分達の土地の道が、「シルクロード」と呼ばれていることなど知らなかった。シ

ルクロードというエキゾチックなイメージに憧れて観光に訪れる外国人が言うので「あぁそうなのか」と思

ったらしい。だから、今シルクロードは重要な観光資源として、当地でもしっかり意識されてはいる。歴

史を紐解けば、中央アジアの人々にとっては、これらの道は絶えず敵が押し寄せて来る道であった。西

からはトルコやペルシャやマケドニアやアラブが、東からは唐が、北からはモンゴル、後にロシアが攻

めて来ては、彼らを支配した。現に、ソ連邦の支配下から中央アジアが脱して独立したのは1991年。

未だ17年しか経っていないのである。明日はカザフスタンに、明後日はキルギスに行く。どんな国なの

か楽しみであるぞ。来週に乞うご期待!

         夢子ちゃん、お腹治ったんかニャン

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         *9月3週もなる早で作りますので、ちょっとお待ちを!