パクパク日記 8年10月4週

             「猫バルカン大周遊」最後の6ヶ国目は、セビリアだった

聖ジョルジュ教会 とうもろこしの葉人形

10月 20日(月) セルビアのノビ・パサールは晴れ  DINノヴィ・ディナール=約2

朝 セルビア・ノヴィ・パサール 「ホテル タジ」 パンとオムレツ、ジュース、コーヒー

    何て質素な朝ご飯でしょうか

いよいよ西バルカン大周遊の旅も3週目最終週となった。はぁ疲れたぞ。4ツ星ホテルとのことだったが

何せ田舎のホテルだからか朝ご飯はサビシー内容であった。8時に出発してノヴィ・パサール郊外へ。

  

          13世紀の建立ソポチャニ修道院はラシュカ様式   1979年世界遺産に登録された

スタリ・ラスは、12世紀から始まったセルビア王国の最初の都であった。世界遺産に登録されているが

要塞や王宮、教会跡は丘の上にあるということで、見学せず。そこから少し走ったところに同じ王国の

ステファン・ウロシュ1世の命により建立されたソポチャニ修道院がある。教会内部には素晴らしいフレ

スコ画が描かれているが、オスマントルコ軍の攻撃を受け、天井部分を損失してしまった。以来150

間雨ざらしの状態ではあったが、1979年世界遺産に登録された。フレスコ画では珍しく感情を表現。

昼 クラブエバッツ 「アヴィラ」 ビーフスープ、温かいコッペパンとコーンブレッド、サラダ、ビーフ煮込

み、バクラバ)

  

    パンの食べ過ぎに注意しよう!

かつてナチスの収容所があったというクラブエバッツで遅いランチ。温かいコッペパンが出てみな大喜

び。メインの牛肉もじっくり煮込まれて良い味だったのに、その頃にはお腹が一杯で・・。もったいない!

  

   オプレナッツの聖ジョルジュ教会は20世紀初頭ペタル1世によって建立された  地下の霊廟にも豪華なモザイクが

最初の訪問国アルバニアではそれほど見かけなかったが、マケドニアあたりから猫の姿が増えて来た。

ボスニア・ヘルツェゴビナやモンテネグロは猫だらけ。「世界の猫観察」続けてウン十年の夢子としては

狂気乱舞の嬉しさなのだ。旅で仲良しになったチョコ好き千代子さんと一緒に猫の追っかけやっておる。

午後3時オプレナッツの聖ジョルジュ教会。歴史的に一番新しい王国カラジョルジュヴィチ王朝のペ

タル1世が建立した教会内部は、1万5千もの石を使ったモザイクで飾られ、地下は同王朝の霊廟だ。

夜 ノヴィ・サド 「ホテルパーク」 野菜スープ、パン、サラダ、サーモンのフィレ、プディング、赤白ワイ

      ン 500DIN

    

    サヴァ川の向こうに太陽は沈み、ドナウ川は夕やけに染まっていた

今朝からドライバーが交替した。身長190センチはありそうなドライバーで、何と白パンツに白のセータ

ーというモデルのような恰好なのだよ。昨日のおっちゃんドライバーは人柄は良かったが飛ばしに飛ば

した。で、モデルドライバーは意外と慎重なのだ。人間カッコだけではわからん。北上続けたバスは一

旦首都のベオグラードに入ったが、通過して更に北へ。ヴォイヴォディナ州の州都ノヴィ・サドに到着。

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10月 21日(火) 晴れ 

朝 ノヴィ・サド「ホテルパーク」 朝食ヴュッフェ

    一応5ツ星ホテルだから朝食ヴュッフェは揃っていた

5時15分起床。シャワーを浴びて、バスローブを纏う。5ツ星ホテルだからバスローブはあるが、バスタ

ブが無いのじゃ!でも「風呂風呂」と騒ぐのは日本人だけらしいね。レストランでは1番だった。嬉しい!

  

                ノヴィ・サドの旧市街の中心地スロヴオォダ広場は西欧風の美しい街並が続く

  

            ペトロバラディン要塞から見たドナウ川           長針が時針、短針が分針になった時計台

ノヴィ・サドの市内観光。ノヴィ・サドとは新しい旗という意味。一昨日泊まったノヴィ・パサールは新しい

市場という意味である。セルビアで一番北に位置するヴォイヴォディナ州は自治州でもあり、ノヴィ・サ

ドは州都であり、国内2番目に大きな都市だ。セルビアで初めて劇場が出来たのも、図書館が出来た

のもまずはノヴィ・サドということで、文化的に重要な都市なのである。ペトロバラディン要塞までは徒歩

で上ってゆく。去年まではバスで行けたらしいのになぁ。ヘタったが、丘の上からの眺めは素晴らしい!

ドナウ川にかかる橋は3つ。ホントは橋は5つあったのだが、9年前のNATO空爆で全部破壊され、現

在3つまで懸け直したところと聞く。18世紀完成した要塞は「ドナウのジブラルタル」と呼ばれていた。

  

              蜂蜜博物館内部                       ジヴァノヴィッチ家は蜂蜜とワインを作っている

郊外のスレムスキ・カルロブツィのジヴァノヴィッチ家。蜂蜜とワインを作っている。敷地の中には蜂蜜

博物館なんてのがあり、蜂を殺さずに蜂蜜を採集することに成功した先生の紹介やら、蜂蜜が健康に

いかに有効かという展示が行われている。ワインは、ハーブなどを混ぜたこれまた健康に良いワインを

作っている。試飲タイムがあったが、私は昼間飲まない主義なので見学していた。旨くなかったそうだ。

昼 スレムスキ・カルロブツィ「スレムスキ・クタック」 ヌードルスープ、サラダ、羊の蒸し焼き、チェリー

とアップルケーキ

  

ランチのメインは羊の蒸し焼きであったが「羊イヤ!」って人が数人いて、別メニューでロールチキンを

急遽用意して貰った。私は羊で結構よ。あらら、柔らかいし匂いも全然ないわ。チキンを頼んだ人は味

付けが塩辛くてたくさん残していた。何が幸いするかわからない。食後晴天の中街をぶらぶら歩いた。

                          フルシュカゴーラのクルシェドル修道院は16世紀に建てられた女子修道院

30分程走ってフルシュカゴーラへ。国立文化自然公園で園内にはセルビア正教の修道院がたくさんあ

る。その中の一つクルシェドル修道院に行く。修道院の前は大々的な工事が行われていた。猫が出迎

えてくれた修道院は、16世紀に建てられた。青い空に修道院の建物の白壁がくっきりと映えて美しい。

夜 ベオグラード 「コンチネンタル」 チーズパイ、パン、七面鳥のソティ 温野菜添え、フルーツケ

       ーキ、3点セット 900DIN

  

    クリスマスじゃないけど七面鳥

今日は早めにホテルに到着。ベオグラードの「コンチネンタル」。この旅の11個目のホテルである。「イ

ンターコンチネンタル」でなく、「コンチネンタル」だけ?はい、だけ、なんです。以前は「インター」付いて

いたらしいけど今は無いんですって。でも、今でも5ツ星なんですって。しかし、客室の水周りの老朽化

にたまげた。バスタブにお湯を張ろうとカランの栓をひねったら、バシャーっとシャワーから水が出て来

てビショ濡れになった。しかし、料理はそれほど悪くはなかった。2人欠席し、料理のお替りがあったよ。       

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10月 22日(水) 晴れ

朝 ベオグラード 「コンチネンタル」 朝食ヴュッフェ+カップヌードルミニ

    オムレツ、ジュース、野菜、パン、コーヒー、カップ麺・・・

5時半起床。観光も今日が最後だ。持ち帰るのも何なんで残っていたカップヌードルミニも朝食時食べ

ちゃおうっと。K名さん調子がよくないそうで朝食パスだって。長旅でもここまで全員元気だったのに。

  

                 カレメグダン公園は紀元前から要塞が築かれた丘         ドナウ川とサヴァ川の合流地点  

動物園の脇を上って丘の上にあるカレメグダン公園へ。昨日ノヴィ・サドのペトロバラディン要塞まで上

ってヘロヘロになったが、ここにもやっぱり要塞があるのだよ。要塞は白い石灰岩で作られた。昔スラ

ブ人が南下して来て「白い石灰岩の町」と名付けた。それが「ベオグラード」である。素晴らしい眺めだ。

ベオグラード市内やサヴァ川とドナウ川の合流地点もくっきり見える。市民や観光客で賑わっていた。

              セルビア正教の総本山大聖堂       19993ヶ月に渡ってNATO郡から攻撃を受けたクネズ・ミロシュ通り

未だ記憶に新しい1999年のコソボ紛争時、NATO軍はセルビアの大都市、特にベオグラードを激しく

爆撃した。クネズ・ミロシュ通りは政府の建物が並ぶ主要な通りであるが、それがために集中攻撃を受

ける。破壊されたままの建物がいくつかそのまま残っていて、今では「空爆通りと呼ばれているらしい。

 

198087歳で亡くなったチトー大統領の墓は「花の家」と呼ばれる温室にある    肖像画も銅像も悩むチトーの姿だ

   

                      執務中のチトー大統領               聖サヴァ教会は東方正教系の教会としては世界最大 現在修理中

民俗学博物館を見学した後、ユーゴスラビア連邦の大統領だったチトー氏の墓に行った。「花の家」と

呼ばれる温室の中央に墓があった。つまりガラス張りの室内ということだ。圧倒的なカリスマ性によって

まとまっていたかに見えたユーゴスラビア連邦も、彼が87歳で亡くなるとガラガラと崩壊していった。し

かし、墓の脇にある執務室に飾られた肖像画(表紙右写真)も、庭に立つ銅像も懊悩するチトーの姿で

ある。チトーは渾名で本名はヨシップ・ブロズ。クロアチアで生まれ、スロベニアで87歳で亡くなった。

昼 ベオグラード 「イマダナ」 ジパニッツァ(チーズパイ)とチーズ入りパプリカフライ、サラダ、パン、

ポークとチキン、パイ

  

旧市街のジバニッツァ通りにある「イマダナ」でランチ。この通りは芸術家が集まった場所で、このレス

トランにも著名人が訪れたらしく、写真が飾ってあった。しかし、料理はそれほど美味しくはないけどね。

  

          コバチッツァ村のナイーブアート美術館に展示されている作品はどれも素朴な絵だ

  

       村の最高齢画家カタリーナさんの家を訪ねた。77歳のカタリーナさんは絵を書きながら猫と暮らす

バスで1時間揺られてコバチッツァ村に行く。16世紀から17世紀にかけてスロヴァキアから移住して

来た人々が農村生活や日常を題材に描いた素朴な絵画をナイーブアートというらしいが、その美術館

に行く。2年半前クロアチアの首都ザグレブにも同じような美術館に行ったことがあったな。村人の多く

は画家らしいがその中で一番年上のカタリーナさんの家にお邪魔した。77歳の可愛いおばあちゃん。

夜 ベオグラード ドナウ河水上レストラン 「ADA 温かいパン、ブイヤベース、大スズキのフィ

       レ、サ ラダ、ブルーベリーケーキ、3点セット 960DIN

  

    上品な店だが暗くってさ

長い旅、最後の晩餐はドナウ川の水上レストランで。雰囲気出すために照明をほの暗くしてあるのだろ

うが、暗過ぎて料理が見えない。で、千代子さんが懐中電灯で照らして貰って料理写真を撮ったのだ。

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10月 23日(木) 天気はわからず

朝−1 ベオグラード 「コンチネンタルホテル」ロビーでお弁当

4時起床。いよいよ旅も終わり、今日ウィーン経由で帰国する。去年1月行った南極は23日間で長か

ったが、今回は前泊入れて18泊19日。長かった。5時半チェックアウトして、ロビーで貰ったお弁当。

朝―2 オーストリア航空 ベオグラード=ウィーン機内食

おやつ ウィーン空港ラウンジにて スープなど

    ヨーロッパは塩の味付けが濃いよねぇ

午前10時ウィーン空港着。今回の旅でこの空港は3回目だ。10月7日はここで7時間近く待ってあき

あぎしたが、今日の待ち時間は4時間20分。喫煙席もあるラウンジに3時間いたら喉が痛くなる。人

間、変われば変わるものですなぁ。アハハハ。日本の新聞二紙、週刊誌二誌を読んでたまげた。のん

びり旅している間に、日本世界で何ていろんなことがあったのだ!三浦和義がロスで自殺した?阪神

3位?岡田監督辞任?ノーベル賞に日本人4人受賞?世界経済がめちゃくちゃ?あぁ、頭混乱!

 オーストリア航空 ウィーン=成田 ビジネス機内食(和食・メインはうなぎ)

  

午後220分発成田行きオーストリア航空。帰りの和食もうなぎだった。大いに食べ、大いに飲んで。

夜 無し

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10月 24日(金) 成田と東京は土砂降り

朝 オーストリア航空 ウィーン=成田 ビジネス機内食

    寝ていないからお腹すきませーん

予定より早く午前8時前には成田に着いた。タクシーに乗った途端激しい雨が降って来た。まるで台風

のような大雨ではないか。その上市川辺りから混み始め1時間半かかった。降りてびしょ濡れになる。

昼 愛住町 「北の大草原 」 秋ラーメン(きのこ味噌) 880

    期間限定メニューは勧めません! 

旅の間ヒル時になると、千代子さんとランチ架空メニュー話を毎日のようにしていた。ある日はこんな感

じ。「今日はサッポロラーメンかぁ。じゃあ私は味噌で、モヤシとコーン大盛りにしてね。千代子さんは塩

味?」とか「日本蕎麦屋だったら、カレーきしめんにミニ天丼つけてねー」なんて言っておった。しかし、

日本食レストランに行くことも中華屋に行くことも全くなく、毎日肉か魚ばかりだった。洗濯機を回したら

ラーメン食べに行きましょうよ。辛みそにしようか香り味噌にしようか・・・。秋味ラーメンね。失敗したよ。

夜―1 舟町 「おちあい」 お任せコース(数の子豆、玉こんにゃく、ヤリイカの刺身、銀杏、小鯵の一

       夜干し、和風しゅうまい、芋鍋、白菜漬け物、雑炊、ビール、冷酒 5合 @4600円

  

  

それにしても雨はよく降った。雨の中買い物にも行ったのだが、夜になったらメンドーに。それでは、「お

ちあい」でお父さん相手にちゃちゃっと食べますかな。小さな鯵の焼き物が旨い。今日は雑炊もねー。

夜―2 荒木町 「Deep」 ジントニック 500

帰国日当日、更に飲みに行くってよくないわな。罰が当ったのか、飲んでいる間に携帯が鳴った。「え?

11月3日発の海外旅行は中止になった?」。それはないでしょ。今さら別の旅は探せないでしょうに!

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10月 25日(土) 曇り

朝 家食 ヤマザキランチパック(卵)、春雨カップスープ、りんご、黒烏龍茶

    久々の日本の朝食がこれでは・・・泣く

昨日夜11月3日からの旅行が中止になったと電話で聞いて寝たから、夜中ヘンな夢ばかり見ていた。

それにしても10日前に中止なんて困るじゃないか。代わりを探そうにも週末で旅行会社も休みだしね。

昼 四谷三丁目 「陳麻家」 陳麻飯セット(半坦々麺付き) 900

朝食後パキパキとパクパクを作ろうと思ったのに、手が止まった。取材手帖が行方不明になったのだ。

今朝あったじゃない!いったいどこに行ったの!手帖が無くても書くことは出来るが「あったものが無く

なった」状態が気になり作業が進まない。気分転換にランチ。あら、今度はカメラを忘れて来ちゃった。

夜 家食 じゃこ天きしめん、ヤマザキランチパック(ツナ)、りんご、黒烏龍茶

    気もそぞろの夕食

午前中見失った取材手帖を午後もずっと探していた。玄関のシューズクローゼットからトイレの物入れ、

バスルームまで。そんな所に小さな手帖が歩いてゆくわけないじゃん!とは思っても探す。こうなったら

意地である。計8時間は探していたから、パクパク日記作成もなかなか進まず、夕食なんてどうでもよく

なって。午前2時にベッドへ。ンっ!あの引き出しは見ていないぞ。起き出して探したら「あった!!」。

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10月 26日(日) 曇り

朝 家食 メンチとキャベツトースト、コーンスープ、飲むヨーグルト、柿、黒烏龍茶

    おちょぼ口では食べられん!

一日探した手帖がどこから出て来たかはかっこ悪いから言わない。かっこ悪過ぎだよ。しかし、一日の

終わりに探し当てて気持ちよく眠れたことは良かった。厚いメンチカツトーストにガブリと喰らいついた。

昼 愛住町 「フェアファックス」 オーガニックサラダ、パン、鶏と長ネギのクリームリゾット、デザート、コ

 ーヒー 1600

  

週末でも昼食は外で食べたい派だ。平日ランチの「フェアファックス」は、土・日曜日ブランチメニュー-

なる。ブランチだから、白ワインを飲みながら料理をつついている夫婦らしき男女もいる。でも11時半

からワインなんか飲んだら午後は昼寝になっちまわない?それでもいい?あ、そう。リゾットが旨いよ。

夜 銀座・東武ホテル 「バー光琳」 ミックスピザ 1650円、タラコとイカの和風スパゲティ 1650円、

     生ビール×2肺、ジントニック 3杯 @8400円

   歌舞伎の千秋楽の後

4時半から歌舞伎座の千秋楽を観る。小S子さんと一緒だ。夜の演し物は「本朝U四孝」の十種香と狐

火、「雪暮夜入谷畦道」の直侍、「英執着獅子」の3つ。「本朝U四孝」では玉三郎の八重垣姫。武田勝

頼は菊之助、濡衣は福助。昼の部「魚屋宗五郎」の女房おはまの玉三郎は、特に観るべきものはなか

ったが、「本朝U四孝」特に狐火の八重垣姫は良かった。「雪暮夜入谷畦道」で愛する男女を演じるの

は、菊五郎の父親と菊之助の息子だからねぇ、歌舞伎って不思議な世界だ。最後の舞踊はパスして東

武ホテルのバー「光琳」に行く。ピザとパスタを2人で半分こね。帰宅してパクパクアップしようと思った

ら、げげげ!パソコンがうまく動かん。長旅から帰って来てから、何かいろいろ起きてついてないなぁ。

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【今週の振り返り】

ボスニア・ヘルツェヴゴビナの首都サラエボのトンネル博物館で20分程のビデオを見た。トンネル博物

館とは、1993年の内戦中、旧ユーゴスラビア連邦軍に包囲されたサラエボ市内に掘られた700メート

ルものトンネルの出入り口の建物を博物館として残したもの。スロベニア、クロアチアに続いて1992

独立宣言をしたボスニア・ヘルツェヴゴビナ。独立当時、独自の軍隊を持たない同国に、先日まで同胞

であったユーゴスラビア連邦軍(主にセルビア軍)が、軍事演習をやるとサラエボにやって来た。周囲を

山々に囲まれたサラエボは、ふと気がついてみれば武装したユーゴスラビア連邦軍に完全に包囲され

ていた。独立なんてさせないぞ!同胞を失いたくないというより、ボスニア・ヘルツェヴゴビナという国を

渡したくないから。軍隊を持っていなかった同国の大人は全員が戦い、1年間必死で戦い抜いた。しか

し物資が乏しくなり、トンネルを掘った・・・。そこには独立したいボスニア・ヘルツェヴゴビナを攻めるユ

ーゴスラビア連邦軍(主にセルビア軍)の姿があった。

6ヶ国の最後にセルビアに行った。そこで聞いた話は全く違うトーンの内容であった。セルビアは、かつ

ての大統領ミロシェビッチを含めて、世界から「悪者」と映っている。それは情報操作が下手であったか

らだ。クロアチアやボスニア・ヘルツェヴゴビナは、内戦が始まった直後にアメリカの広報会社に仕事を

依頼した。だから犠牲者チックに報道されたのは常にクロアチアやボスニア・ヘルツェヴゴビナで、セル

ビアは加害者、悪者扱いされた。中には自作自演の「悲劇」さえあったのに、世界の人々は騙されてい

たのだ、と・・・・。うーむ。

〔7つの国境、6つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェヴゴビナ、マケドニ

ア、モンテネグロ)、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家〕というのが、チトー

大統領の率いた旧ユーゴスラビア連邦であった。それまでセルビアとクロアチアは血みどろの戦いを続

けていたが、圧倒的なカリスマ性を発揮したチトーの力で1つの国としてまとまったのだ。連邦について

は自由に発言してもいいが、民族問題は口にするな、と厳命して。チトー大統領は悩みながらも87歳

までガンバッタ。しかし、彼が亡くなると連邦のあちこちが軋み出し、十年過ぎると連邦は崩れた。旧ユ

ーゴの人々にとって、そんなチトーは英雄なのだとずっと思っていた。しかし、セルビアの人々はチトー

をよく思っている人は少ないのだと。連邦のバランスのために、2つの自治州(ヴォイヴォディナ州とコ

ソボ州)を作ってセルビアの力を減じた、からだという・・・・。うーむ。

2年半前、旧ユーゴスラビア連邦を旅して、私なりにけっこう勉強したと思っていた。今回スロベニアを

除いた5ヶ国と、連邦には入っていなかったアルバニアを旅した。2回目だから知識が深くなったことも

あったが、却ってわからなくもなった。ホント、ユーゴ問題は複雑なのであるよ。そんなことで頭は混乱し

ていたが、猫には恵まれた。「西バルカン大紀行」というタイトルのコースだったが、私にとっては「猫バ

ルカン大紀行でもあった。

                 キミの頭ではユーゴは無理だニャ

              バックナンバーのトップへ   夢子倶楽部のトップに戻る

         西バルカンの旅は 10月 210月 3週 をご覧ください。

         これで終わりかと思ったら、今日で105週が終わってしまう・・・。

         すぐ作りますで、ちょっとお待ちを!3日中にはアップしますので。