パクパク日記9年5月1週

        砂漠に長く埋もれていたリビアのギリシャ・ローマ遺跡は素晴らしい!!

サハラ砂漠の夕陽 キュレーネ遺跡

5月 4日(月・日本はみどりの日祝日) リビアのガダメスは快晴   1リビアディナール(LD)=78

朝 リビア・ガダメス「ダール・ガダメス」 朝食ヴュッフェ

    リビアでも毎朝1番乗りです!

6時起床。砂漠のオアシスにある町だから、朝晩はかなり冷える。部屋からレストランやエントランスま

で5分位かかるから、6時52分に部屋を出る。チェッ!未だレストラン開いていないじゃないか!1番!

たいした料理はない。トーストに挟んだものはチーズ、きゅうり、玉葱、茹で卵。食後下痢止め薬飲む。

  

   ガダメスの民族や文化を紹介する博物館  北野誠を怖くしたようなガイドは仕事熱心      動物を描いた壁画

9時出発。素晴らしい天気だ。先ずは博物館へ。スルーガイドはすーっと姿を消し、ローカルガイドが案

内役。目付き悪いけど、誰かに似ている。そうだ!最近謹慎処分を受けた北野誠だ!最後は「ミスター

北野」と呼ぶと返事するようになった。コワモテの顔には似合わず、説明は細かく、見学が終わったら

私達はドンベになっていた。彼の説明で一番印象的だったのは、「ナツメヤシは母である」という言葉だ。

ナツメヤシの生える所には必ず水脈がある、実は貴重な栄養源だ、幹は家の建築資材となり、家具の

材料となる、葉はザルやバッグや台所用品の細工ものになる、燃料になる、動物の飼料になる・・・・・。

 

        800年前作られた旧市街は夏の暑さを逃れるため、トンネルのような通路を張り巡らした。通路から1歩出ればナツメヤシの林

    

    屋根の三角の突起はガダメス式。女性は屋上を行き来した  家の内部は派手な飾り付け     アイン・ファラスの泉

いよいよ世界遺産のガダメスの旧市街に入る。ガダメスはトリポリから650キロ南西にあり、「砂漠の

真珠」とも呼ばれる街だ。地中海とアフリカ内部の交易ルートの中心になった場所で、砂漠の町だから

夏など40度、50度を超える。800年前の先人達は考えた。暑さの原因は太陽だ。その太陽を遮断す

れば涼しくなるあるよ!ということで、窓の無い家同士を屋根のついたトンネルのような通路で結ぶとい

う方法を思いついたのですな。それだと真っ暗だから、25mごとに天井を開けて明りを取る。こうゆう

のを集壱住形住居群というらしいが、ホントに涼しいんですわ、ここ。建物の内部は真っ白な石膏の壁

に赤を基調とした美しい飾り付けがなされている。この旧市街にはワジート族とワリート族がそれぞれ

住む場所を分けて1400戸6千人が住んでいた。市街は、広場、商店、モスク、神学校のセットがいく

つもあった。建物の屋根の端に三角の突起があるのがガダメス式らしいが、女性達は通路を歩くことな

く、屋上の通路を行き来していたらしい。20数年前泉が涸れてしまい、旧市街には誰も住んでいない。

昼 ガダメス旧市街レストラン ショルバ、サラダ、パン、駱駝のクスクス、(りんご)、ミントティ

  

  広場では市や会議が開かれた               ランチを摂った伝統住居のサロン       こんなところで食事しました

     レストランでも出前料理

ランチは、旧市街にある伝統住居のレストランで。1階は食糧庫や女性用の小部屋、中二階はトイレ、

二階が一番広々したサロンと寝室、3階が屋上という構造だ。2階のサロンに上がってその派手な飾り

付けに驚く。派手なもの、光るものなどが壁一杯に飾り立てられている。ぶら下げられた夥しい数の金

物食器は、少ない光りを反射して部屋を明るくするため。明り採りは天井1ヶ所しなないからね。食事は

新市街からのデリバリーだ。メインはクスクス。世界一細かいパスタだが、私は苦手。ラクダ肉だって!

夕方のお茶 サハラ砂漠のベルベル人のテントで ぶくぶく茶

    

        「あの山に登りましょう」「イヤです!」        あそこがアルジェリア、こっちがチェニジア   ベルベル人のおじさんがぶくぶく茶を作ってくれた

  

       ベルベル人男性5人のダンスを観る           観客も誘われて一緒にね。私はイヤじゃ!     珍しく女性が踊ってくれた

  

                     サハラ砂漠の夕陽を見る。砂漠は歩きにくいし、陽が落ちると急に寒くなる  

暑い午後は2時間ほどフリータイムとなった。私だけホテルに帰り、他の皆さんは買い物すると町に残

られた。観光は結構歩き回るので、こうした日中の休憩は有り難い。読書しながらうつらうつら。4時半

砂漠に向けて出発。先ずはアルジェリアとチェニジアとリビアの国境近くへ。3年半前だったろうか、チェ

ニジアでもアルジェリア国境近くに行ったことがある。大昔「アルジェ」という映画を観て、何が何だかサ

ッパリわからなかったアホな学生だったが、結局アルジェリアとは縁が無いのではないか、なんて考え

てしまった。砂漠は4人づつ4輪駆動で移動している。おぉ!これぞ砂砂漠よ!という場所まで行き、ト

ゥアレグ族(ベルベル人)が設営してくれたテントの中にドカリと座る。女達は顔を隠しながら一塊になっ

てアラバーバという楽器を弾き、皆声を揃えて唄う。若い男性5人が刀を手に歓迎の踊りを踊る。顔は

隠しているが、そのうちの1人は目が美しくハンサムに違いないと私は睨んだ。長老らしい男性が私達

にも歌えという。♪ドーヒヤネーン♪ドーヒヤネーンと繰り返せばいい。副長老らしい男性が何度も何度

も高いところからお茶を注いでぶくぶく茶と言われるお茶を煎れて振舞ってくれた。熾き火で焼いたパン

も香ばしかった。女性は踊らないらしいが、若い女性が1人サービスして踊ってくれたのが嬉しかった。

4駆で砂漠の上の方へ移動し、砂の上を歩く。踏ん張るとズルズルッと砂と共に流され、歩き難いった

りゃありゃしない。モロッコでもチェニジアでもサハラ砂漠は歩いたが、私は砂漠向きではないわな。し

かし光と共に砂漠の表情が変わるのを見るのは楽しい。やがて西の山に太陽が沈み夕陽ショー終了。

夜 ガダメス「ダール・ガダメス」 夕食ヴュッフェ、ノンアルコールビール 3LD

 

        ベルベル人の住居を訪ねると月が・・・・      チェニジア製のノンアルコールビールはなかなか旨い!

4駆ドライバーの兄ちゃんがアクロバットのような運転をするのでA野夫妻とヒェー!ヒェー!と叫びな

がらホテルに帰った。9時10分だった。そのままレストランでヴュッフェ。ノンアルコールビールの旨いこ

と!食後すぐ寝たかったが、頭が砂でジャリジャリだったので、お風呂に入ってコロリと寝たよ。無酒日

              ___________________

5月 5日(火・日本は子供の日祝日) 快晴

朝 リビア・ガダメス「ダール・ガダメス」 朝食ヴュッフェ

昨夜コロリと寝たはずなのに、夜中にカラダ中が痒くて起きだし、計4回も起きてしまう。今朝は砂漠に

朝日を見に行くことになっているが、砂漠の朝日は昔2度見たし、いいや、行かない。5時半に近くの部

屋のドアがバタンと閉まったので、今出掛けられたのだな。7時に朝食に行ってみると、何と日の出ツァ

ーに参加したのは6人中2人だったそうで。ドクターA岡は「起きたら6時過ぎだった」そうで。このホテル

はガダメスでは一番高級なのだそうだ。チェックアウト時、ビール代6LDを払うため10LD札をだしたら

お釣りに9LD返してくれた。えぇー!!大丈夫か。この頃には随行ポリスとも触れ合いらしきものも。

昼 アルージョービア「アルージョービア」 ショルバ、サラダ、ビーフと付け合せマカローナ、パン、緑の

ハリッサ、ナツメヤシ、ミントティ

          ナフーサのカスル跡              ナフーサ台地からジファーラ平原を見下ろす    アラビア文字の意味は「革命は永遠に」

朝からカーっと強い日差しが照りつけている。今日もあちこち寄りながらトリポリまでの長い長い移動と

なる。お気に入りの最後尾席を一人占めにして、右に座ったり、左に座ったり。ガダメスからは東に100

キロ走ったところにあるDarjという小さな町のカフェで、来た時と同じようにトイレ休憩。またもや某社グ

ループと擦れ違う。この店は日本人グループは必ず立ち寄るらしく、出入り口の扉にはたくさんの旅行

社のステッカーが貼ってある。H野添乗員からゴチになったミントティーを飲みながら見ていくと、W社の

S野さんの文字があった。彼とは南アフリカに行ったっけね。12時丁度にアルージョービア到着。トイレ

休憩兼ランチ場所は行きと同じだ。某社グループは既に着いて食事中だ。チキンとビーフが変わった

位で食事内容は一緒だから写真は割愛。同じような食事って、ここに限らないけどね。アハハ。午後は

ナルートの町の旧市街にあるカスルを見学。7世紀に出来た共同倉庫である。来る時に訪ねたクサー

ル・ハッジと同じようなものだが、あちらが9世紀に出来たのに対し、こちらは7世紀のもので部屋数も

360と規模がずっと大きい。それより何よりなカスルから眺める景色が素晴らしく、暫し見惚れたのだ。

         ガリヤンの穴居住宅跡         住まいは意外に広く涼しい!      ガリヤン焼きの店が道路に並ぶ

既に午後6時になっていたが、参加者のお一人の希望で予定外のガリヤンに行くことになった。こうゆ

うのって少ない数だからできることだよね。ガリヤンにはダモースというベルベル人の穴居住宅の跡が

ある。高さ8〜10mも大きな穴を掘り、横穴を開けて部屋を作る。外敵を守るためと避暑を目的にした

住居のようだ。下に下りてみると、部屋の中は広々として涼しい。チェニジアにも同じような住居があっ

たが、映画のロケ地に使われたり、ホテルに転用していた。帰路有名なガリヤン焼きの店を物色した。

夜 トリポリ 「サフィーナ」 シュリンプスープ、パン、ミックスサラダ、白身魚のグルリとカラマリ、パン、

クリームカラメル、ミントティ、ノンアルコールビ−ル

  

  

トリポリに到着したのは既に午後840分だった。ホテルでの食事はイヤよね、ということで魚介レス

トランに連れて行って貰うと、何と某社グループはここにもいるではないか。こうどこでも会っては鼻白

むよ。でも明日帰国するんですって。お気をつけてね。店に来るまで新鮮な魚介類を並べた店がたくさ

んあったから期待をしたのだが、料理はたいしたことはなかった。バスに戻るとドライバーとポリスが怒

り狂っている。ガイド氏がレストランの名前を言わずに行ってしまい、喰いっぱぐれてしまったと。無酒日

           ___________________

5月 6日(水・日本は何でか知らんが祝日) 朝のうち小雨 曇り 時々小雨

朝 トリポリ 「ホテル サファリ」 朝食ヴュッフェ

4時過ぎ、アザーンの声で目が覚める。首都のトリポリだからモスクは多い。あちこちからハリのある美

しいアザーンが聞こえるっていいね。起き出してお祈りに行かなくていいなら。5時半起きてシャワーを

浴び髪を洗って、6時にはレストランへ。このホテルに住んでいるらしいビジネスマンが3日前と同じテ

ーブルで3日前と同じパンを食べていた。A野夫人から、美味しい日本茶を頂き、ゆっくりと頂きました。

    

                セプティミウス・セウェルス門       レプティス・マグナはセウェルス帝の出身地であり北アフリカ最大のローマ遺跡だ   

その昔、フェニキア人は地中海を中心に交易を行い、シチリア、イベリア半島、北アフリカに殖民都市を

建設した。首都トリポリは、当時(紀元前9世紀頃)オエアと呼ばれ、旅の最終日土曜日に行くサブラー

タとレプティス・マグナの3都市は「トリポリス」と呼ばれた。今日はそのレプティス・マグナの遺跡に行く。

東に120キロ、2時間で到着した。このレプティス・マグナは2世紀、初のアフリカ出身のローマ皇帝セ

プティミウス・セウェルス帝を輩出。セウェルス帝は在任中、せっせと生まれ故郷に金を注ぎ込み立派

な町にしていく。その頃チェニジアにもレプティスという町があったから、「偉大な」の意味の「マグナ」も

くっつけてしまった。博物館を見学した後、遺跡に続く道を歩いて行くと、突然ドッカーンと下の方に遺跡

が広がる。先ず迎えてくれるのはセプティミウス・セウェルス帝の凱旋門だ。因みにセウェルス帝の息

子はカラカラ浴場で有名なカラカラである。ハドリアヌスの大浴場をハァと見ている時、遠くに子供の姿

を見かけたと思ったらアッという間にワラワラと子供達が押し寄せた。まるでイナゴの襲来である。ここ

が世界遺産だとか、北アフリカ最大のローマ遺跡だとか、リビアの重要な観光資産だなんてことを知っ

てから知らずか、走り回るわ、叫ぶわ、よじ登るわ、飛び降りるわ・・・・。静かにしろい!!大人しくし

ろ!!200人くらいいただろうか、フンとに腹が立つ。フォーラム、バジリカを見学してふっと見ると3

がいない。A野夫妻と広島から参加のK道さんの3人がいない。どこからともなく現われた随行警察の

A氏が彼ら3人を探して連れて来てくれた。たまには仕事するじゃないの。最後ローマ劇場を見学した。

昼 レプティス・マグナ「アルジャンラ」 魚のスープとリビアンスープ、パン、サラダ、ビーフのクスクス、

りんごジュース 2LD

  

これだけの遺跡が残ったということは、レプティス・マグナの町が石灰岩の上に築かれたことと、砂に埋

没していたからだと考えられている。遺跡の近くでランチ。スープは3種あって選べと言う。スープ好き

の私は2種貰っちゃった。クスクスに入っていたビーフナイフが立たなかった。ちょっとづつ痩せたか?  

夜 ベンガジ 「フィニシア」 ショルバ、サラダ、コブサ、ハリッサ、シシカバブ ライスとフライドポテト添

え、焼肉のサンドイッチ、ノンアルコールビール 2LD

  

  

今日はこれから飛行機でベンガジまで行く。ベンガジはリビアで2番目の都市、日本なら大阪ですわね。

5時発の飛行機に乗るんやけど、国内線でもこの国は2時間前にチェックインしなくっちゃアカンと言わ

はるんですわ。昼食後1時に出発して走れ、走れとトリポリ空港まで急ぎ、3時ピッタシに着きましてん。

今日で5日間随行したおまわりさんはここでお別れかと思いきや一緒に行かはるんやて。飛行機で!

カダフィィ大佐率いるリビアの課題の一つに公務員の削減があると聞いたが、6人+添乗員のグルー

プにくっついて一緒に旅行するのが仕事とはどーしても思えないんだけどなぁ。しかも景色写真を撮っ

て一番楽しんでいる風だし。もうひとつ驚いたのはリビア航空が定刻通リに飛んだのである。びっくり!

午後6時過ぎベンガジ着。爽やかな夕暮れだった。近くのサッカー場でトリポリとベンガジのチームの

試合が行われ、2対2で引き分けたらしい。どちらも勝った気分の賑やかな車で大渋滞だった。ホテル

はベンガジで一番という触れ込みだったが、何か昔のソ連時代のホテルのような・・・・。夕食はMガイド

が個人的に行くというチョー庶民的なレストランへ。コブザというインドのナンそっくりのパンが香ばしく

ハリッサつけると旨い。隣の若い女性が食べていた焼き肉のサンドイッチもシェアして食べた。無酒日

               ___________________

5月 7日(木) 晴れ

朝 ベンガジ 「ディベスティ」 朝食ヴュッフェ

こんなに寝ていてもいいのかなぁと寝ながら思っていた。そおっと目を開けて時計を見ると、ギャッ!6

時半近いぞ。目覚まし時計は何をしていたのだ!ちゃんと仕事したのか!・・・っていうか私が寝坊した

のよね、きっと。大慌てでシャワー&シャンプーし、荷造り後バゲッジダウンして33分後にはレストラン

に行った。やる気になれば早く動けるのだ私も。ここベンガジは反カダフィ運動の中心地なのだそうだ。

    

         カスル・リビアの博物館には見事なモザイク画が展示されている           かつてこの橋辺りはイタリア軍との激戦場

今日からセレイナイカ地方の観光に入る。フェニキア人に続いて入植してきたギリシャ人が作り上げた

地域だ。ここベンガジは当時イウスペリデスと呼ばれ、アル・マルジ、トクラ、キュレーネ(セイリーン)、

アポロニア(スーサ)の5都市をペンタポリスと呼んだ。トリポリ(当時オエア)中心のトリポポリタニアと

張り合う豊かな土地であった。朝一番に向かったのは内陸のカスル・リビア。約50年前、ビザンチン時

代の教会とモザイクが発見された。東西2つの教会があり、東の教会から発見された50枚のモザイク

が博物館に展示されている。これを見ずにリビアのモザイクを語るなかれ!というわりに客が少ない。

昼 キュレーネ 「サフィーナ・シャハリ」 ショルバ、パン、サラダ、ミックスグリル、バナナ

   

キュレーネ遺跡近くのレストランに着いたのは1時半だった。そもそもカスル・リビアまで2時間半もかか

って予定が遅れ始めた。かといってリビアの道路事情は悪いわけではない。意外なことにかなり良い状

態なのである。渋滞もあるが、トリポリやベンガジといった大都会以外ではたいしたことはない。しかし、

何だか知らぬがやたらと時間がかかるのだ。スープとサラダとパンと肉(時々魚)。この組合せにはそろ

そろウンザリして来た。パンを千切ってスープと共に食べるかハリッサつけて食べるか。痩せちゃうよ?

  

         キュレーネ遺跡のゼウス宮殿                   ギュナムシオン/フーラム                  ヘラクレス、エルメス、ヘラクレス、エルメス、と続く

  

         勝利の女神・ニケの像       丘の上に造られたキュレーネの町           最も古い建造物・アポロンの聖域

さて。1番楽しみしていたのは、ここキュレーネ遺跡だ。英語ではセイリーン。もちろん世界遺産だ。紀

元前7世紀、エーゲ海のサントリーニ島(当時テラ島)で7年干ばつが続き、ギリシャの聖地デルフィで

アポロンの神託を受けたところ「リビアに行け!」だったそうだ。そこで100人の移民団がキュレーネの

丘の上に泉を発見し、ここに住み着いたとさ。という話をギリシャの歴史家が伝えている。地中海を見

下ろす美しい丘で、泉もあれば、雨にも恵まれた豊穣な土地。紀元前4世紀に最盛期を迎えてあのプ

ラトンも訪れて「哲学の都」とも呼ばれた。プトレマイオス朝からは強力にほぼされ、ローマ支配化でも

繁栄は続いたが、ユダヤ人の反乱、3世紀、4世紀に3度もあった大地震で廃墟と化してしまう。昨日

レプティス・マグナは飛行機の時間もあって走って回ったが、今日はゆったり遺跡を見学。海からは

気持ちの良い風が吹き上げ、花々は美しく、牛はのんびり草を食み素晴らしい遺跡を存分に楽しんだ。

 

丘の上のキュレーネに対し、ギリシャ人達はアポロに港を建設した   3度の地震で町の半部は海に沈んだ 円形競技場

キュレーネ遺跡見学は丘をぐんぐん下るハイキングのようでもあって楽しくもクタクタに疲れた。しかー

し!遺跡はもう一つ残っているのだ。丘の上に作られたキュレーネに対し、同じ時代に港の町として作

られたのがアポロニア((スーサ)である。アポロニアの港から主に輸出されたものは、シルフィウムとい

いうセリ科の植物の汁で、便秘薬、防腐剤として非常に珍重されたのだそうだ。キュレーネ遺跡のゼウ

ス神殿の近くには戦車競技場があったが、レース前には馬にこっそりシルフィウムを飲ませると効果が

あったそうよ。今はできないよね、そんなこと。アポロニアは海に面していたから大地震で町の半分は

水没してしまった。昔は町の一部だった場所が小さな島として見えるのが何とも悲しい風景であった。

夜 アポロニア 「アル・マナーラ」 夕食ヴュッフェ ノンアルコールビール 3LD×2本

アポロニア遺跡を見学してホテルに着いた時には、「車椅子!」と叫びたいほどクタクタだった。それほ

ど今日は歩いた。歩くの大っきらいだから。ヴュッフェか。いいよ、痩せるから。ビール2本ね!無酒日

              ____________________

5月 8日(金) 晴れ

朝 アポロニア 「アル・マナーラ」 朝食ヴュッフェ

「松下」が移転して、新しい店の中を案内してもらっている時、オジョーとK岩が着物姿でウロウロして

いるではないか。着物の着方がなっていない!「あなた達ここで何しているの?」「働かせて貰えれば、

お料理タダで食べれると思って・・・」「バッカじゃないの!」と怒っている時、ハタと目が覚めた。アッチャ

ー!2日続けて寝坊だよ。5時半のつもりが6時半だった。試してみると目覚ましは壊れていないのだ。

昼 トルメイタ 「トルメイタツァーズ」 ショルバ、パン、ハリッサ、魚とクスクスの盛り合わせ

  

8時出発。地中海を右に見ながら、昨日下りて来た坂道を今日は上って行く。海岸近くの建物は海水

を真水に換える工場だそうだ。ホテルで使っていたのは元海水だったとか。そして丘の上にはキュレーネ

遺跡。ゼウス神殿にいた大きな黒牛は今朝アポロンの聖域あたりをうろうろしていた。今日は金曜日。

イスラムの休日である。ある町の広場を通りかかると人込みでごった返している。週1の金曜市が開か

れている。覗く?ってことで30分ほどぶらぶら。中国製の縫い針、パキスタン製のお香、歯ブラシ代わ

りの木、台所用品、野菜・・・・。それにしても目的地トルメイタ遺跡は遠い!4時間もかかってやっと!

もう正午なのでランチを先に。声の嗄れた猫が1匹、椅子の下に座って魚を欲しがる。ほら、喰え喰え。

  

     トルメイタ遺跡はかつてプトレマイスという名前で大きな貯水槽を持っていた            博物館の写実的なモザイク画

トルメイタ遺跡。今は小さな町だが、その昔ここはセレイナイカの首都であったのだ。地中海に面したベ

ローンと広がる赤茶けた土地にかつて巨大な都市があった?ウソつけ!と強い日差しを浴びながら埃

っぽい羊の群れがウロウロする道を疑わしげに歩いていたのだが、あったのだよ、印が。金持ちの屋

敷跡とか列柱宮殿が・・・。でも暑い。どこかで一人戻ってしまおうかと思ったのだが、ローカルガイドの

爺さんが、何かというと「マダム!マダム!」と私を呼ぶ。で撮影ポイントを指差すのだ。これでは逃げ

られん。ここには北アフリカ最大の貯水槽があった。博物館にある魚と鶏のモザイクは実に写実的!

 

                   トクラ遺跡は、美しい地中海に面した遺跡だが、未だほとんど発掘されていない

実は今晩、我々はベンガジからトリポリに飛行機で帰る。つまり国内線なのにまたもや2時間前空港着

ということだ。なのに、遺跡見学はもうひとつ残っているのだ。トクラ遺跡。ペンタポリスの1つね。現地

ガイドに「時間がないのだ」と伝えると30分で済ませてくれた。この遺跡は本来大きなハズなのだが、

未だ1割しか発掘されていない。ギリシャ・ローマ遺跡に加え、オスマントルコ時代に築かれた砦もある。

キャメルレッグという黄色の花が咲いていた。とにかく地中海の美しさにはただただ見惚れるばかりだ。

夜 トリポリ 「アンバサダー」 魚のショルバ、パン、ハリッサ、サラダバー、ラムのタジン、ノンアルコー

ルビール 3LD×2本

  

    この旅行で唯一旨かった食事!

何とかベンガジ空港に2時間前に着いてヤレヤレと思っていたら、飛行機は遅れるんだって!!スル

ーガイドのMさんに「トリポリではなにとぞチャイニーズを!」と100回お願いした。飛行機で移動して、ト

リポリの中心街に着いたのは午後10時過ぎ。「すみません。チャイニーズは団体で満員です」。ホント

かよ!その代わり、彼の知っている高級な店に連れて行って貰った。アラブ料理からは逃れられなかっ

たが、ショルバもサラダもタジンもきっちり「シェフ」の存在を感じる。初めてのことだ。ノンアルコールビ

ールをつい2本飲んじゃった。食事終わったのは11時15分だったが、2人以外は買い物に!無酒日         

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5月 9日(土) 晴れ

朝 トリポリ 「ホテル サファリ」 朝食ヴュッフェ

昨夜、ホテルの部屋に入ったのは12時近かった。風呂に入り、崩れるように眠ろうと思ったのにどうし

たわけか眠れない。結局3時まで読書して4時半のアザーンの声で目を覚ました。1時間半しか寝て

いないよ。添乗員のH野さんは貫徹だそうだ。今朝は6時朝食、6時半バゲジダウン、7時出発というス

ケジュール。トリポリに着いた日予定していたジャマヒリーヤ博物館に、帰国日の今日行くためなのだ。

  

    最後の遺跡見物は、世界遺産のサブラータ遺跡        よく洗ったか?浴場のモザイク         リベル・パテル神殿の5列柱

  

                         海に向いた浴場                 3階階層のファサードを持つローマ劇場             舞台の下のレリーフが見事 

7時出発。予定通りサブラータ遺跡に向かう。9時オープンなのだが、事前にお願いをして8時過ぎ入

場させて貰った。昨日と一昨日は東部のセレイナイカ地方の遺跡を観て来たが、サブラータはトリポリ

スを形成していた町だ。紀元前12世紀のフェニキア人が築いた町だが、以降カルタゴの衛星都市、カ

ルタゴ滅亡後はローマの支配下に入り、2世紀から3世紀始めに最も栄えた。南北に走るカルドを歩い

て行くと地中海から気持ちの良い風が吹き付ける。フェニキア時代のベスの搭、アントニヌス神殿、アプ

レイウスのバシリカ、クリア(元老院)、海に向いた浴場・・・・そして圧巻はローマ劇場だ。舞台の背に聳

える3層構造のファサードは迫力満点。舞台基部のギリシャ神話を主題としたレリーフも素晴らしいよ。

  

トリポリのジャマヒリーヤ博物館  ヴィーナス像             カリス3姉妹像                       アルテミス像       博物館にいた女性 

10時過ぎにバスに飛び乗り、トリポリに引き返す。リビア最後の半日は内容ギッシリだ。途中渋滞にも

着込まれたが、何とか11時半ジャマヒリーヤ博物館到着。カメラ以外すべて荷物はロッカーに預ける。

この博物館には、これまで見学してきた遺跡で発見された宝物が展示されている。レプティス・マグナ

遺跡で発見されたものが一番多いようだ。中でも私が一番気に入ったのはカリス3姉妹像。美しい!

昼 トリポリ空港ラウンジにて クッキーとパイ、カプチーノなど

博物館でリビア最後の観光が終わる。空港に急ぐ。1250分までに空港に行かねばならないのだが

ちょっと難しいので旅行社の方に代理でやって頂いた。世界でこんなことが出来るのは今やリビアだけ

だそうだ。今日の昼飯はついていない。ビジネスラウンジでクッキーとパイ、お茶で済ませて搭乗する。

午後のお酒 エミレーツ航空 トリポリ=チェニス ビジネスクラス機内食 ビール2杯

    い、い、1週間ぶりのアルコール!

午後250分発ドバイ行き。エミレーツ航空はアルコールがある。この1週間ノンアルコールビールを

飲みながら、「これで何とか持つじゃん」なんて皆で強がりを言って来たが、本音は本当のビールを飲

みたかった。で、頼んだ。飲んだ・・・・・あら?感動がないわ。余り美味しくないし・・・冷たくないからか!

夜 エミレーツ航空 チェニス=ドバイ ビジネスクラス機内食

この便は、チェニジアのチェニス経由なのだ。だから、ドバイまで計8時間半もかかる。トリポリからチェ

ニジアまでは飲み物サービスだけで、チェニスには2時間も止まっていたから、食事が出て来た時は腹

ペコだった。4種の中からベジタリアン向きのパスタをチョイス。和食よりはマシ。赤ワインをガブガブ。

                ____________________

5月 10日(日) そんなもんは知らん

朝 エミレーツ航空 ドバイ=関空 ビジネスクラス機内食(和食)

リビアとドバイの時差2時間もあって、ドバイ空港に着いたのは午前1時だった。二日酔い気味。1

間ぶりの酒だったからね。結局ビール2杯、シャンパン、ジントニック、赤ワイン4杯、計8杯のアルコ

ールを飲んだことになるな。アホか。午前3時過ぎの関空行きに乗り込むなり、誘眠剤を飲む。食事も

断って寝て、4時間後には起きる。朝食に当たる和食機内食を頼んだが、ホントにマズイ。殆ど食べず

に残した。8時間半のフライト後、午後520分関空着。羽田までのフライトは2時間後。ここでツァー

を離脱して615分のJAL便を取って飛び乗った。タクシーで帰宅したのは午後820分。疲れた。

昼 存在しない

夜 四谷三丁目 「日高屋」 たんめんと餃子のセット 670

    何となく体調不良 酒も飲みたくないし・・・

毎月海外に出かけるが、夜帰ることは少ない。関空経由のエミレーツ航空利用時と、秋の香港から帰

って来る時だけ。空腹でもないが、何か食べるか。しかし、どうゆうわけか飲む気にはならないのだ。1

週間も禁酒に耐えて来たのにねぇ。やっぱり麺がいいと「日高屋」でたんめん餃子。半分残す。無酒日

               ____________________

【今週の振り返り】

何度も書いているからキマリが悪いが、昨年930日に禁煙したことは、私の人生にいろんな変化を

もたらした。トーゼンながら煙草代が減ったとかライター代が減ったという金銭的なこともあるが、禁煙

を強いられる場所のどこにでもフツーの気持ちで出入り出来るということが思わぬメリットだった。2

にブータンの旅を実現したのもこの禁煙がなせる業であった。そしてもう一つ、私には今まで無理と思

っていたことでも「実現できる力」があるのではないか、という錯覚を覚えたことだ。錯覚でいいのだ。そ

んな勇気がある、という錯覚でいいのだ。

禁煙の次は禁酒。地球上にあるイスラムの国は戒律に寛容な国と厳しい国がある。寛容な国は信者

にはともかく、異教徒・外国人には飲酒など自由である。私が行ったイスラムの国では、エジプト、トル

コ、モロッコ(南部の一部はダメ!)、チェニジア、ドバイ、バーレーン、ウズベキスタン、カザフスタン、キ

ルギス、マレーシア、ブルネイ(公式な場はダメ)などは外国人の飲酒には寛容であった。

しかし、敬虔なムスリムというか、イスラムの戒律に厳しいと言われるサウジアラビア、イラン、イラク、

リビアなどは外国人を含めて一切飲酒は禁止。売ってもいないし、持ち込んでもならない。ゼーーッタイ

飲んじゃいけないのよ。煙草もスパスパ、酒もグビグビ時代の私は、「そんな国誰が行くか」と思ってい

た。カラダの具合が悪いのなら仕方ないが、健康でピンピンしているのに旅行で酒が飲めないなんてオ

カシイやん!と心底思っていたのだ。だから、そうゆう国は旅先からは必ず外した。しかしである。禁煙

に成功して何だかわからぬ自信を持った私は、「よし、次は禁酒に挑戦してみようじゃないか」と思った

のである。その第一弾がリビアだった。

結論から言えば、全く問題無かった。始めから覚悟して行ったということが大きいが、昔不味くて吐きそ

うになったノンアルコールビールも今ではかなり美味しくなって、夕食時グビグビと飲み干すとノドが「こ

れでもいいよ」と言うのである。2本目お代わりしても全く酔わないという魅力?もあるし。1週間禁酒し

ながら「私の肝臓ちゃんも喜んでいるかも」なんて考えるのも楽しみだった。

       煙草止めて思ったこと。「煙草吸わない人生自由」

       酒を1週間止めて思ったこと。「酒が無くても生きてはいける」

飲まない、吸わない、食べ過ぎない。ダイエットリビア!ヘルシーリビア!なのであった。

            痩せたかったらリビアに来いニャ

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             * 旅の始まりは 4月 5週 をご覧ください。