パクパク日記9年8月1週

         南アフリカから、中部アフリカのウガンダ、ルワンダ、そしてマラウィへ

マラウィ湖の夕陽 ウガンダ・ンガンバ島のチンパンジー【写真】

8月 3日(月) ナミビアも南アフリカ・ケープタウンも快晴           1ランド=1R=約14円

朝 ナミビア・ウィントフック 「カラハリ・サンズ」 朝食ヴュッフェ

    このホテルの朝食ヴュッフェはイケル!

4時50分起床。昨夜早くベッドに入ったのはいいが、レム&ノンレム睡眠挟間の1時間半おきにキッチ

リ目が覚めて困った。トイレも2度行ったしね。アタシ、考えが浅い人間だけど眠りも浅いんです。朝食

レストランは6時オープンだが、5時53分無理やり一番に入り込む。温かいクロワッサンが旨かった。

昼 南アフリカ航空 ウィントフック=ケープタウン機内食

   島のように見えるのは喜望峰だよ

7時半チェックアウトして空港に向かう。ホント、この町アフリカとは思えない程清潔なんだよねぇ。50

乗り程の小さな飛行機でケープタウンに向かう。10時頃出た機内食のサンドイッチが本日のランチ?

サビシー!南アフリカとは時差1時間、時計を進める。右側の窓からは大西洋がずっと見える。あの辺

からダイヤモンドが取れるのか?ダイヤの産出国としては世界8位だそうだ。やがてケープタウンの町

が見えて来る。おぉ!あの半島の先ッポは希望峰だな。3年前に喜望峰でシャンパンで乾杯したっけ。

  

ブローバークビーチから見えるテーブルマウンテン   ウォーターフロントはいつも賑わっている

2番目の訪問国は南アフリカ。この国は首都が3つあり、ケープタウンには立法府がある。因みに行政

府はプレトリアに、司法府はブルームフォンテンにあるのだよ。空港からほど近い場所には、相変らず

スラム町があった。それにしても今日は気持ちの良い晴天だ。ブローバークビーチに向かうが、工事渋

滞に思いっきり嵌まる。来年のW杯まで1年切っている今、準備のための工事なんだと思うが、南アの

あちこちでは工事関係者がストライキしているところもあるらしいし。ビーチにようやく到着して、湾越し

にテーブルマンテンが美しい姿を見せている。湾の右側にはロベン島が。そうアパルトヘイト終了後、

黒人で初の大統領になったマンデラさんは、島の収容所に18年間も繋がれていたのだ。一旦ホテル

にチェックインした後、ウォーターフロントへ。未だ旅の始めなのに皆さんそんなに土産買って大丈夫?

夜 南アフリカ・ケープタウン ウォーターフロント「QUAY FOUR イカのチリソース、魚と海老、チョ

コレートケーキ、3点セット(ビール小14R、白ワイン 25R、赤ワイン 30R

  

今日のランチはあったような無かったようなものだったので、全員腹ぺこだ。ウォーターフロントにある

ちょっとお洒落な「QUAY FOUR」で5時半から夕食。未だお客が誰もいないこを良いことに、自己紹

介をすることになった。ご夫婦1組、一人参加男性3名、女性5名の計10名、添乗員はガッツのあるI

間さんだ。何と東京在住は私一人、西日本在住が半数という珍しい構成だ。食事は前菜もメインもデザ

ートもチョイス制。メインの魚介類以外、前菜デザートは美味しい。それと南アと言えばワイン!旨い!

ホテルへの帰り道、シグナルヒルに登って、ケープタウンの夜景を見学。ネオンが少ない優しい光だ。

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8月 4日(火) 朝曇り 日中は嵐のような大雨 夕方雨上がる

 南アフリカ・ケープタウン「ベストウェスタンケープスィーツ」 朝食ヴュッフェ

    何でも挟んじゃう私だす

朝ベッドから起きる時、腰にギクッと痛みが走った。あれれ?ギックリ腰?旅行出発3日前に右膝を痛

めて杖持参でスタートしたが、ここまで足は引き摺っても杖は使っていない。が、膝を庇ってヘンな姿勢

で歩いていたから腰に負担がかかっていたのかもしれない。何だかロボットのようなギクシャクした歩き

方で朝食へ。今日はケープタウン観光の目玉、喜望峰、ケープポイント、アザラシがいるドイカー島、ペ

ンギンが住むボルダーズビーチを回り、近郊のカーステンボッシュ植物園に行く見所がいっぱいの一

日なのだ。しかし、この膝と腰では・・・・・・ううう、私行きません!観光欠席します。3年前行ったし・・・。

昼 ホテル客室にて 赤いきつねミニ、「味とこころ」鯛雑炊、水

    観光をパスして部屋でひとり粗食のランチ

7時45分皆さんは出かけて行った。「行ってらっしゃーい!」。これから夕方まで全くのフリーだ。足腰

が悪いのだから、どこかに行くわけにも行かんし。だいたい女性の一人歩きは勧められない土地柄だ

しね。しかも、今にも雨が降り出しそうな黒い雲・・・。アフリカ地図を取り出してしげしげと眺め、西アフリ

カの国々の名前は覚えられんなぁ、なんて独り言。ここまでろくすっぽ読んでいなかった今回の旅行日

程表をじーっと読み込んで、「そんな旅行なんですね」なんて今頃理解。ドカーン!何?今の音は。わ

かった!毎日正午に打たれるシグナルヒルの大砲だ。じゃあお湯を沸かして豪華なランチにしましょ。

夜 南アフリカ・ケープタウン ウォーターフロント「Docks」 サラダ(食べず)、パン、(チョイス)

       チキンパスタ、アイスクリーム、ルイボスティ、ビール 17R、赤ワイン 35R

  

いつの間にか雨が降っていた。しかも大雨。観光に出かけられた皆さん、濡れてしまったんじゃないか

しら。お天気が良くても喜望峰辺りは強風が吹くのだよね。午後は集中して読書。ジェーン・オースティ

ンの「高慢と偏見」の下巻読了。面白かった!予定では6時頃帰られると聞いていたが、4時50分には

皆さん帰って来られた、全員濡れネズミで。喜望峰は嵐で何も見えず「失望峰」だったそうだ。「あなた

来なくて正解だったわよ」なんて慰められた。2日続きのウォーターフロントでの夕食の頃雨も上がった。

メイン料理はパスタにした。参加者の一人が食事中の話題を独り占めして不愉快だ。声がデカイぞ!

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8月 5日(水) 晴れ

 南アフリカ・ケープタウン「ベストウェスタンケープスィーツ」 朝食ヴュッフェ

4時半起床。腰は更に痛くなった。今日は飛行機に2回も乗るのに。それに膝だ。北陸旅行の頃は膝の

表側が痛く、次は裏に痛みが走り、そして今朝から膝の内側が痛くなった。満身創痍とまでは行かない

けどかなりヤバイ状態。腰と膝に湿布を貼って何とか炎症を鎮めるしか無いな。タイヘンな旅行だよ。

昼−1 南アフリカ航空 ケープタウン=ヨハネスブルグ機内食

7時チェックアウト。朝方激しく降った雨は止んだが、外は暗くて寒い。ケープタウンからヨハネに飛ぶ。

ヨハネスブルグ空港で待っている時、「そうだ!私は世界対応の携帯を持っているではないか!」と思

い出し(いつもは切ってあるよ)スィッチを入れた。メールが3通来ていた。ゲゲゲッ!かつての部下だっ

K松クンの訃報があった・・・・。仕事パートナーのM英から具合が悪いという話は以前聞いたことが

あったが、50歳で亡くなってしまうとは・・・。訃報を知らせてくれたSブーに生花の手配をお願いした。

昼−2 南アフリカ航空 ヨハネスブルグ=エンテベ機内食

大きな空港では移動がタイヘンだ。背負ったリュックから組み立て式の杖を出そうかさんざん迷ったが、

まぁ自力で歩こう。ヨハナスブルグからウガンダのエンテベまで4時間のフライト。あまり食欲が無いよ。

夜 ウガンダ・カンパラ 「ホテルアフリカーナ」 ディナーヴュッフェ 2点セット(ナイルビール大 

      2ドル、白ワイン 4ドル)

    スープ2杯で夕食終了!

午後7時ウガンダのエンテベ空港着。赤道はウガンダの南部にあるから、飛んでいる間に越えて北半

球に来たことになる。時差も東アフリカ時間で1時間進める。アフリカ最大の航空会社であるが、ロスト

バゲッジがよくあるという南アフリカ航空なのでスーツケースが出てくるか心配していた。よしよし。今日

からガイドしてくれるのはサミュエルさん。「皆さーん、ウガンダにようこそ。お疲れさまでしたぁ!!」。

あらら?この人日本語喋るよ、それもとっても流暢な。日本に3年留学していたウガンダでも珍しい人な

のだそうだ。エンテベから首都のカンパラまで40キロ。小さなマイクロバスでの移動だからキチキチ。

車窓から初めて見るウガンダの街。なのに、大声で大相撲の話なんぞするのヤメテくんちゃい。ホテル

に着いてそのままレストランへ。生ぬるいナイルビールを飲み始めたのは既に9時半を回っていたよ。

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8月 6日(木) 快晴!

朝 ウガンダ・カンパラ 「ホテルアフリカーナ」 朝食ヴュッフェ

昨夜客室に届いたスーツケースを巻いていたベルトが消えていた。取っ手の片ッポは完全にモゲてし

まったし。腰は更に痛みを増す。ウェイクアップコールをしてくれた添乗員のI間さんも腰痛持ちでコル

セットを持って来られていると。問題は彼女と私のウェストのサイズ(ウェストに限りません!もちろん全

身です!)がエラク違うということだ。腰のあちこちに湿布をし、思いっきりお腹を凹ましてコルセット装

着。な、なんとか嵌まった!でも息するのが苦じぃ!このホテルの朝食ヴュッフェは食べたいもの無し。

  

             ブガンダ王国暦代王の墓所「カスビ・トーム」は世界遺産である             樹木の皮に描いた鮮やかなアート

  

バナナの料理を作る女性達         たくさんのウガンダの人々が「カスビ・トーム」に集まって来た

いくつかの王国が形成されて来たこの地にブガンダ王国が出来たのは19世紀のことだった。初代の王

(カバカ)であるムサテT世から最後のエドワードU世まで4代のカバカの墓が「カスビ・トーム」で世界

文化遺産に登録されている。初代は王国を造り、2代目は初めて白人と戦い、3代目は初めて海外に

留学し、4代目は女性に社会参加を認めたと聞いた。そういえば、ウガンダでは女性がズボンを履くこ

とが禁止されていたらしく、この場所では私達部外者の観光客も布を腰に巻いてズボンを隠したのだ。

ウガンダ博物館の庭園にはたくさんの部族ごとの住まいが展示され、大勢の小学生が見学していた。

午前中のおやつ 焼きバナナ

ホワイトナイルの源流をもとめジンジャに向かう。約80キロあるから2時間のドライブだ。かつて英国の

首相だったチャーチルが、ウガンダを評して「アフリカの真珠」、「緑の国ウガンダ」と絶賛したことは知ら

れているが、確かに車窓からは茶畑などの緑で溢れている。主産業は農業で、コーヒーと紅茶が輸出

品の主なものだ。途中の市場でガイドのサミュエルさんが焼きバナナを買ってくれた。果物のバナナと

は全く違う種類でなかなか旨い。朝は黄色のバナナ、昼はバナナシチュウ、夜は蒸しバナナの食事?

昼 ジンジャ「ジンジャ・ナイル・リゾート」 マッシュルームスープ、チキンとライス、フルーツ)、パッショ

ンフルーツジュース 2ドル、水 1ドル

  

午後1時過ぎジンジャに到着。「ジンジャ・ナイル・リゾート」は優雅なホテルで、プールサイドの木陰で

遅いランチを摂る。隣のテーブルには年配の日本人女性が一人座っていらした。伺ってみると、以前ご

友人と訪れたウガンダが気に入ったので、今回はウガンダ人のガイド&ドライバーと2人で2週間旅を

しているのだそうだ。「あなたね、ツァーなんかよりね、自由でずっといいわよ」と熱心に勧められたが、

どうも私はね、そうゆうのしたくない・・・。このホテルえらくゆっくりのサービスでもう3時!殆ど食べず。

  

     ブジャガリの滝は涼を取る人で一杯       ここが白ナイルの源流とされている         日本語上手なサミュエルさん

ウガンダの電気はナイル川にかかるオーエンフォールズダムで賄われているそうだ。ダムの上流にあ

るブジャガリの滝に行く。落差が高いわけではないが、水量豊かで側に行くだけで涼しくなる。一人用カ

ヌーに乗って滝に挑む人がいた。無事乗り越えて思わず拍手。ビクトリア湖近い場所でボートに乗る。

世界で3番目に大きな湖だ。湖から川となるゼロポイント地点に3000リットル/分の湧き水が出てい

る場所、そここそが白ナイル川の源流とのことだ。1862年英国の探検家ジョン・ハニング・スピークが

発見したんだってさ。彼は湖の名前も当時の女王に因んでビクトリア湖と命名した。スピークさん、そこ

までは良かったのだが、隣国ルワンダの部族について無責任な評論&箸述をしたため、ルワンダに大

きな悲劇を巻き起こしたことなどご存知ないのよね。ここから流れ出た全長6650kmのナイル川は3ヶ

月かけてエジプトから海に出る。しかし異説もあって、ビクトリア湖に流れ込んでいる川が存在するから

その川ルヴィロンザ川(ブルンジ)がナイル川最上流だろうというものだ。じゃこの辺りってことでどう?

夜 カンパラ 「ホテルアフリカーナ」 トマトスープ、魚(タイラピア)のフライ

ジンジャからカンパラのホテルに戻ったのは日もとっぷり暮れた午後7時半。そのまま中庭のレストラ

ンに案内された。照明は殆どなく真っ暗な食卓。明日このホテルで大きなイベントがあるらしく、大音響

でそのテストをやっていた。煩い!スープと魚を一口食べただけで、早々と部屋に引き上げる。無酒日

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8月 7日(金) 朝激しいスコールが数回 のち晴れ

朝 ウガンダ・カンパラ 「ホテルアフリカーナ」 朝食ヴュッフェ

    見よ!この大雨

5時過ぎ起床。昨日一日I間添乗員のコルセットを装着していたせいか、腰の痛みは和らいだ。もう1日

お借りしようっと。膝はダメだなぁ。湿布を続けているので、カブレが出始めた。ここのホテルの朝ご飯、

ホントに食べたいと思うものほとんど無い。今朝も茹で卵とコーヒー、干しバナナとパンを一口。ガイドブ

ックにわざわざ「ウガンダは料理が美味しい」と書いてあったので楽しみにしていたが、ここまで全部ハ

ズレだったから悔しいぞ!!朝食後激しい雨が降り出した。今日は島に行くんだぞ?雨よ止めぇ!!

  

高速船で1時間のンガンバ島     そんなにたくさん貯め込んで食べられる?        たくさん食べるのよー!

断続的なスコールの中、エンテベに向かう。遅刻して来た他のグループの客を待ったりして945

スピードボートはンガンバ島に向かってビクトリア湖に漕ぎ出す。かなりのスピードだが、1時間も乗っ

ていると眠くなるね。さて、島に着いた。無人島のンガンバ島には、密猟で母親を失ったり群れから弾き

出されたりしたチンパンジー44頭が保護されている。人間界のウィルスが動物にうつらないよう全員手

の消毒とマスクが義務付けられている。係官から話を聞いた後、チンパンジーの食事風景を見学に行

く。マンゴやオレンジなどのフルーツ、茄子や人参など野菜が盛大に金網の向こう側に投げ入れられる。

受け取った端から口に入れる者あり、せっせと溜め込んで後から食べようとする者あり、面白いねぇ。

ははぁ、あそこで悠然と食べているのがボスですか。その時、隣にいた欧米系の男性が私に話しかけ

て来た。「ねぇ、あなたはパンくん好き?」。思わず私は「パンくんって志村園長のとこのパンくん?どう

してパンくん知っているの?」と聞き返した。「僕、埼玉に住んでいるから。僕パンくんはテレビに出るよ

りここにいた方がいいと思うよ」。それだけ言うと欧米系男性はどこかに行ってしまった。見学後、係員

の方からチンパンジーのボス選びの様子は人間の政治家と酷似している話を聞いてさもありなんと。

昼 エンテベ「インペリアルボタニカルビーチホテル」 ランチヴュッフェ、水 1ドル

    スープ皿に引っくり返されたカップを持ち上げるとマッシュルームスープが

船でまたエンテベに戻って来たのは午後2時過ぎだった。「インペリアルホテル」と名前だけは凄いホ

テルでランチヴュッフェ。スープだけはサーブしますというので待っていると、浅いスープ皿にコーヒーカ

ップをひっくり返してあるものを持って来て、そのままカップを持ち上げた。とろりとスープが出て来たよ。 

  

          ほとんど動かないことで有名なハシビロコウ      ライオンくん今日は具合悪いみたい       カンムリツルはウガンダの国鳥

  

                        動物園で出会った子供達。みんな良い笑顔していると思いませんか?

遅いランチの後は、ウガンダ野生動物教育センターに行く。密猟された動物達を保護して、公開してい

るのだそうだ。今、ウガンダは学期が終了したばかりで長い休暇の前のヒマな時期。とにかく、博物館

でも滝でも動物園でも国中子供だらけ!!この動物園に2時間いたのだが、もう子供達が湧いて来る

としか思えない程大勢の子供達に出会った。遠足なんだってさ。赤、ピンク、オレンジ、緑、青、黄色、

紫、茶など色とりどりの制服を着ていて、それがまた似合って可愛いらしい。日本人が珍しいらしくて触

って来たり、写真を撮ってとせがんで来たり、まぁ好奇心旺盛でいいねぇ、この子達は。将来楽しみだ。

夜 エンテベ 「ソフィーズホテル」 オニオンスープ、パン、チキンカレーとライス、フルーツ、コーヒー

   あまり辛くないカレーです

 私達が乗っていたマイクロバスはもちろん日本製。日本の中古車だ。街中でも漢字が書かれた車体

はよくお目にかかる。この車は、「右に曲がります」とか「バッグします」とかの音声サービス付き。運転

している人は何のことか全くわからず乗っているのだった。今日のフライトは夜便なので、夕食はエンテ

ベのホテルで。チキンカレーですって。ウガンダで食べた中では一番マシな料理だった。空港に向かっ

て午後945分のルワンダ航空。37人乗りのプロペラ機である。満席。1時間のフライトでキガリに着

いたのは午後950分。ルワンダとは時差1時間ある。そしてまた南半球に飛んで来たことになる。            

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8月 8日(土) ルワンダは晴れ

昨夜膝の状態は最悪で、ルワンダ航空機のタラップ最後の段を降りられず立ち往生した。平らな場所

ならゆっくり歩けばいいが、階段はツライ。4番目の訪問国はルワンダで、映画「ホテル・ルワンダ」で有

名になったホテルミルコリンズに着いたのは午後11時を過ぎていた。あの事件の時、この客室にはい

ったい何人の人が隠れていたの?なんて考えると疲れているのになかなか眠れなかった。5時起床。

今日は朝食前に「虐殺記念館」を見学するので、7時集合前にシャワーを浴びた。コルセットのお陰で

腰は良化したが、腹部カブレて真赤に腫れた。トイレットペーパーに切れ目が無いのが不思議だった。

  

      7時半に開けて貰った「虐殺記念館」の外観          冷静に説明する職員は理知的         被害者の名前が記された壁

首都キガリは8つの丘に囲まれた街だ。この朝日を浴びたこの美しい街、そしてルワンダという国の悲

しい歴史が詰った「虐殺記念館」は現在工事中なのだが、私達のために時間外特別公開をしてくれると

いうので、こんなに早く訪問することになった。同じ国で同じ言葉を話し友人同士であり隣人同士であっ

たフツ族とツチ族が反目し合うようになり、最もヒドかった1994年にはたった100日間で80万人もの

人が殺されたルワンダ大虐殺事件。決して忘れないためにと建設され子供達に歴史を教えるのが「虐

殺記念館」である。庭園の墓、内部の展示を見てから2階に行く。2歳の女の子、5歳の男の子、生後

半年の赤ちゃん、10歳の少女・・・・・名前と大きな写真、好きだったこと、彼女が彼がどうやって殺され

たか・・・・もう涙が止まらない。一人ひとりあどけない子供が、夢を持った若者が、母親が、祖父が、働

き盛りの父親が80万人も殺された・・・・・・。どうなったら人間はジェノサイドを止めるのか・・・・・重い。

朝 ルワンダ・キガリ 「ホテルミルコリンズ」 朝食ヴュッフェ

  

          久々に朝食らしい食卓となる         ここがあの有名なホテルミルコリンズ!      この客室には何人隠れていたのか!

無言でホテルに帰り、遅い朝食。ウガンダでは朝食はほとんど食べなかったから、久し振りのホテルら

しい朝食が嬉しい。クロワッサンとヨーグルトとコーヒーが旨い。事件があった当時、この高級ホテルの

1泊宿泊料は、ルワンダ人の年収と同じだったと聞いた。今も同じようなものかもしれない。1268名の

ツチ族をこのホテルに匿って助けた総支配人のポール・ルセサバギナ氏がいないかキョロキョロ探す。

昼−1 キガリ空港にて ランチボックス チーズハムトースト

これでルワンダ滞在は終わりなのである。えぇ?昨夜遅く来たばかりじゃん!!もっといたいよう。それ

では、というわけで空港に行く前に街をぐるぐる1時間位走ってくれた。ここは病院、ここは大使館、ここ

は国営テレビ、教会、新興住宅地・・・・。中国がヒタヒタと入り込んでおるな。この街もナムビアのウィン

トフック並までは行かないがゴミが少ない清潔な場所だ。治安も良いそうよ。あら空港に着いちゃった。

昼―2 ケニア航空 キガリ=ナイロビ機内食

ウガンダを日本語でガイドしてくれたサミュエルさんはルワンダまで同行してくれた。私達がケニアのナ

イロビに向かう時、彼はウガンダ・カンパリに帰って行った。彼は日本とウガンダの交流に尽力したいと

旅行会社を立ち上げ、そこの社長さんでもある。ナイロビまでのフライトでは窓からビクトリア湖がよく見

えた。改めて大きな湖なんだなと実感した。ケニア航空が機内に積んでいるワインはチリワインだった。

夜―1 ケニア・ナイロビ空港にて 添乗員I間さんから頂いたおにぎり

ケニアのナイロビ空港に着いたのは午後150分。今年の1月来たばかりだよ。ここの空港は建物

が古いし、狭いし、ゴチャゴチャしているから好きじゃない。なのに、今夜945分のフライトまで空港

で待つのだぁ!はぁ・・・。ここで無為に過す時間があったら、ルワンダにもっといたかったよ、ホントに。

夜―2 ケニア航空 ナイロビ=リロングウェ機内食

今回の5番目の訪問国はマラウィなのだが、何とも行きずらい国で・・・。7時間半も待ってようやく乗り

込んだ945分発のケニア空港が午前零時に着陸したと思ったら、そこはザンビアのルサカだった。

三分の二位の人が降りて空いたな、と思ったらもっとたくさんの人達が乗り込んで来て満席に。午前1

20分離陸して、マラウィの首都リロングウェに着いたのはまたもや時差1時間で午前1時半。降り

たのは私達11人+3人の14人。飛行機はそのままナイロビに向かって行った。暗いバゲージクレー

ムでスーツケースを待っていたが、ベルトは全く動く気配無し。そのうち係官がやって来て「待っていて

もキミ達の荷物は来ない。ナゼならナイロビの空港に未だあるから」だって。がっくり・・・。ロスバゲは南

ア航空ではなく、ケニア航空がやってくれた。ホテルには2時半に到着し、ベッドに入ったのは3時半!

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8月 9日(日) マラウィは晴れ

朝 マラウィ 「サンバード・キャピタル」 朝食ヴュッフェ

    寝不足で着た切り雀

7時過ぎ、I間さんに起して貰った。フライトがある度に「ロスバゲに備えて1、2泊分の下着や洗面道具

などは常に手荷物に」とI間さんに耳が痛くなる位言われていたが、はいはい、というばかりでパンツ一

丁リュックに放り込んであっただけだ。そうゆう人間だからこうゆう時にしっぺ返しを浴びる。シャワーを

浴びて髪を洗ったのは良いが、ブラシも櫛も無い。手櫛でいいか。化粧水も何もないけど、いつもつけ

ないからいい。歯ブラシが無いのは念入りにウガイすればいいか。パンツの替えはあるし、シャツなん

か昨日と同じでいいし。レストランで焼いて貰ったオムレツが旨かった。天気に恵まれたマラウィの朝。

昼 マラウィ 「クラブマココラ」 トマトスープ、マラウィ湖の魚(チャンボ)のフライ、アイスクリーム、水

  

           萱拭きの簡素な家ばかりだ          標高の高い同国はあちこちに山がある     マラウィも昔女性のズボンは禁止だった

今日8月9日は旅の第10日目。ちょうど折り返し時点だ。全員とんでもない寝不足だが、9時半にはマ

ンゴチ目指して出発。333キロの移動である。マラウィ共和国は、タンザニアとモザンビークとザンビア

に囲まれた南北に細長い国だ。やっぱり細長いマラウィ湖が大きな面積を占めるが九州の半分の大き

さがある。あちこちにゴツゴツとした巨石、奇石のような山が見えて面白い景色。バオバブも多いのね。

    クラブマココラ、私が泊まったロッジ       天蓋つきのダブルベッドです            プールの向こうはマラウィ湖

  

午後1時半、今夜の宿泊地「クラブマココラ」に到着。マラウィ湖に面した高級リゾートホテルのようだ。

ランチにはチャンボという湖で撮れた魚の美味しいフライが出たのだが、食事中に心無い発言をする人

のお陰で鼻白んじゃうよ。ったく!ま、それでも広々としたロッジの部屋に入って機嫌はすぐ直ったさ。

  

         マラウィ湖のクルーズに出掛けた       フイッシュイーグルが獲物を攫って飛ぶ          美しい夕焼け

3時半マラウィ湖クルーズ出発。ホテルのすぐ裏からね。マラウィ湖は、アフリカ大地溝帯(グレートリフ

トバレー)に含まれる陥没湖で、一番深い場所は706メートルもあるんですってさ。ヨーロッパに初めて

紹介したのはヴィクトリアの滝を発見したリビングストンで、彼は「きらめく星の湖」と名付けたとか。船

頭さんが、ピューッと口笛を吹いて魚のアラを湖に放ると、どこからかフィッシュイーグルが姿を見せて

水に浮いたアラをヒョイっと攫って行く。毎日やっている習慣のようで船頭さんは鳥を個別に覚えている

のかもしれない。パン屑を撒くと今度は熱帯魚のような小さな魚が集まって来た。夕日の美しいこと!

夜 マラウィ 「クラブマココラ」 夕食ヴュッフェ 3点セット

    暗くてよくわからん!プリンかぁ?

屋外の暗いテーブルでヴュッフェ夕食。暗いから何食べているのかよくわからん。プリン以外あまり旨く

ないことはわかったが。アハハ。部屋に帰ると、スーツケースが届いていた。お帰り!再会を喜んだ。         

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【今週の振り返り】

今週訪れたウガンダ、ルワンダ、マラウィは初めて訪れる国だ。北と南と一部東アフリカには行ったが、

中部アフリカは初めてだ。東アフリカのウガンダには57もの部族が住んでいて、使用言語だけでも40

を超えると言う。だから同じウガンダ人でも自分達の言葉を使っていてはコミュニケーションが出来ない。

よって英語が公共言語となったそうだ。週末に訪れたマラウィもそうだが、ウガンダは一夫多妻の国。

私達のガイドを数日やってくれたサミュエルさんのお父さんは2人の夫人がいるそうだ。彼のお母さん

15人の子供を産み、もう一人の奥さんが産んだのは13人。合計28人兄弟なのですって。最近都

会に住む若者は複数の夫人を持つ人は少ないようだが、地方の豊かな男性はその限りではない。博

物館にも展示があったが、土地があれば第二夫人、第三夫人の家を敷地内に設けることが出来るから

だ。そんなに子供が多かったら、教育はどうなる?教育費は?ウガンダ政府は、「一家で4人までは授

業料等無料にする。それ以上は有料!」と決めたのだそうだ。じゃあ、28人も兄弟がいるガイドのサミ

ュエルさんちはどうしたのか!!!

サミュエルさんは、カンパラにある名門大学マケレレ大学の卒業生である。ウガンダの東大ばかりか、

ケニア、タンザニアの秀才も集まって来る程の優秀な大学で、タンザニアの初代大統領ニエレレもマケ

レレ大学の卒業生なのだそうだ。サミュエル家に話を戻そう。彼の話によると、彼の27人の兄弟どころ

か親類縁者で中学以上の学校に行った者は皆無で、彼だけが進学してマケレレ大学まで行った。その

上TOYOTAやSONYのウガンダ人なら誰でも憧れる日本に留学までした、一族の誉れ的存在なのだ。

まさに輝けるスーパースターなのだ。日本留学時、飛行機代を捻出出来無くて留学を諦めかけた彼に

家族・親類・友人達がなけなしの金をカンパして「夢を実現させろ」と励ましたと言う。泣ける話じゃない

か。日本語をマスターし、自分の会社も立ち上げた彼は、向学心のある子供達の援助に金は惜しまな

いそうだ。ウガンダの各地で出会った瞳のキレイな子供達。成長した彼らがウガンダを豊かな国になる

よう導いて欲しいものだ。第二次世界大戦中、ドイツナチに攻められていた英国は、首都機能を植民地

だったウガンダに臨時に移そうかという案を温めていたそうだ。

この旅をしながら、ルワンダのホテルミルコリンズの総支配人だったポール・ルセサバギナ氏の著書

「ホテル・ルワンダの男」を舐めるように丁寧に読んでいた。読むのがツライ。しかし、読まずにはいられ

ない。本が終ってしまうのが惜しい。そんな気持ちで。映画をご覧になった方もおられるだろうが、是非、

この本読んで下さい。

「ホテル・ルワンダの男」ポール・ルセサバギナ著 堀川志野舞訳

ヴィレッジブックス刊 定価1600

こんなことがたった15年前に行われていたのに、知らなかったことが恥かしい。

アフリカの旅もようやくここで半分。未だ見ぬ国が私を待っている、かな?

 ウガンダの猫は鳴くのも英語だニャア

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    * 旅の始まりは 7月5週 をご覧ください。まだ、2週作らないとなぁ・・・。はぁ・・・。