パクパク日記9年11月2週

      中東の旅も2週目。日帰りでレバノンにも行って中東の遺跡をタンノーした!

バールベック遺跡 パルミラ遺跡

11月 9日(月) 晴れ

朝 シリア・ダマスカス 「デデマン・ダマスカス」 朝食ヴュッフェ   1SPシリアポンド=約2円

    ま、一応5ッ星ホテルだからこんな朝食?

5時過ぎ起床。昨夜突然風邪のような症状が出たが、風邪薬を飲んですぐ寝たら治ったようだ。あぁい

がった。中東の旅も2週目。子供の頃から「胃強腸弱」。胃が丈夫だから、いくらでも受け入れるのだが

処理工場の腸が音を上げる。「こんなにたくさんよこされても俺は知らん。そのまま流すかんな!」って

ことで、そのまま排出されて・・・・くさっ!ま、しょっちゅうゲーリー・クーパーさんがいらしているというこ

とだ。この体質だと旅はシンドイ。バスで移動中や観光中に「うっ!ゴロゴロ・・・・(冷汗)ポタポタ・・・」っ

てことになり。だから医者から下痢止め薬を貰って飲むし、突然の対処に「ストッパ」は常に持ち歩くし。

ところがです、今回の旅では一度もクダラナイのだよ。不思議だが嬉しい。クダラナイって素晴らしい!

昼 レバノン・バールベック 「シャハラザード」 アラブ式前菜あれこれ、ファティール、ホブス、チキンス

ープカレーとライス、バナナ

  

今日はレバノンに行く。政情不安というか、イスラエルとの険悪な関係で「危険地帯」とされ、日本から

の主催旅行はつい最近まで中止されたままだった。今も南部地域や何ヶ所かにあるパレスチナ難民キ

ャンプ付近はヒジョーに危険であることは変わらないが、世界遺産の一つバールベック遺跡がある地

域はほぼ安全ということから今回の旅で行くことになったのだ。但し、日帰りで。ダマスカスから暫らく走

ると山々が見えて来る。シリアとレバノンの国境に沿って聳えるアンチ・レバノン山脈だ。40分後シリア

側国境に到着。緩衝地帯が広くて10分も走り、レバノン側国境。ここでビザ代18ドルを支払う。こう書く

とすんなり国境越えしたように思えるが、何の何の合計140分もかかっているのだ。2時間以上だよ。

ぢがれだ〜。103番目の国レバノン。ちょっと見には「どこが危険よ」ってな普通のアラブの町。道路の

中央分離帯に何キロにも渡って2本づつハタメイテいる黄色の旗は何?と聞いたら「あれはヒズボラの

旗だ」と聞いて、急にキンチョー感が蘇って来る。まずはランチ。前菜のあれこれはアラブ式でヨルダン

もシリアも同じだね。ホブスに茄子と胡麻ペースト・ムタッパル塗って食べた。ファティールという具入り

パイが焼き立てで旨いぞ。メインはチキンカレー?でも、ビシャビシャ辛くないカレーでちっとガッカリ。

  

       レバノン山脈を望むバールベックの町                  おじさん2人カッコイイ            バールベッグ神殿はこんなだった

  

          大庭園の中央にある水槽              水槽にはこんな彫刻が            ジュピター神殿の記念階段

  

          ジュピター神殿の6本大列柱           ライオンの彫像があちこちに              見事な姿のバッカス神殿

  

      バッカス神殿はアテネのパルテノン神殿より規模がデカイ。5回の大地震によく絶えた。     樹齢十数年のレバノン杉

バールベック神殿。バールとはフェニキア人の「豊穣の神」のことだ。ギリシャのゼウスと一緒ね。で、ベ

ックはベカー高原。この神殿は、レバノン山脈とアンチ・レバノン山脈の間に広がるベカー高原にあるの

だ。フェニキアの神の聖地だったが、ローマ帝国が1世紀半ばから造り始め、ジュピターとビーナス、バ

ッカスの三神を祀った神殿で構成されている。残念ながらビーナス神殿は見る影も無いが、ジュピター

神殿には見事な柱が6本残されている。かつては高さ20m、直径2,mのこの柱が54本も立っていた

というから、さぞや壮観だっただろうなぁ。バッカス神殿は、天井と屋根は失ったものの、それ以外の外

壁や柱はほぼそのままだ。入り口の上にはフェニックスと蛇、ゼウスの子マーキュリーの彫刻が残って

いて素晴らしい。ローマ帝国が200年以上もかけて造り上げたバールベック神殿も、キリスト教時代に

は教会に変身しその後イスラムの手に落ち、砦としても使われた。そして1920年代に政府によって保

存されるまでいくつもの家族が神殿に住み着いていたのだ。バッカス神殿の祭壇には煮炊きした火で

天井が焦げていた。今は世界遺産だす!入り口に10何才のヒョロッとしたレバノン杉が植えてあった。

夜 シリア・ホムス 「サフィールホテル」 ツナサラダ、ホブス、トマトスープ、チキンとライス、フルーツ

盛り合わせ、ビール5ドル、赤ワインハーフボトル 15ドル

  

    1日2度も国境越えした!

日帰りだから、また国境を越える。帰りの所要時間は105分。朝140分+夜105分=245分。4時間

以上だ。無駄な時間を過ごしたようで疲労感強し。朝よりだいぶ北寄りの国境を抜けたから、ホブスま

では1時間もかからずに着いた。シリア第三の都市だから、日本で言う名子屋かな。今日もセットメニュ

ーで、ダマスカスでの旅行会社社長に「ビュッフェやだ!」とお願いした効果が続いている。ただサラダ

が恐ろしくまずくて殆ど食べなかった。ワインはハーフボトルで15ドルだからいいよね。部屋暑いぞ!

                ___________________

11月 10日(火) 晴れ

朝 シリア・ホムス 「サフィールホテル」 朝食ヴュッフェ

    部屋が暑くて冷房かけて寝た

5時に起きた。朝方見た夢は・・・何と出産の夢。実際には一度も産んだことないのに、どーしてこんな

夢を見たのかなぁ。子供のお父さん?出て来なかったからわからん。ガハハハ。で、イキンでいるうち

に目が覚めたわけだ。朝食会場で日本人男性2人に会う。JICA(国際協力機構)の方々だった。アラブ

料理の食べ方を教えて貰った。シリアは住みやすい国だと言っていた。朝食にゼリーがあって嬉しい。

  

          石灰岩を使用したアパメア遺跡        ギリシャ時代流行った螺旋模様柱          1850m続く見事な列柱通り

シリアの名古屋(ウソだよ)、ホムスをカタチだけ(30分!)見学して、アパメア遺跡に向かう。自宅がこ

こホムスにあって、昨夜自宅泊まりだったガイド氏は元気一杯だよ。あのアレキサンダー大王の死後、

家来の数人が広い領地を治めることになったが、シリアはセレウコス1世が治めることになった。紀元

前3世紀初頭に造り始めたのが、ここアパメア。妻がアパマだったので、この名前にしたそうだ。日本な

らアパマンになっちゃう?アパートマンション情報なんてね。この遺跡の売りは、何と言っても1850m続

く列柱通りだ。ローマ帝国マルクス・アウレリウス皇帝治世時代の2世紀に建設された。数え切れない

程の柱にはギリシャ時代の螺旋型溝と、ローマ時代の縦型溝、そして無地の3種類があるそうだよ。大

シリアで最大の劇場もあったそうで、最盛期アパメアの町には12万人が住んでいた。でも暑いぞ!!

昼 シリア・ハマ 「ASPASIA」 フールとホンモス、サラダ、ポテトフライ、魚のソティ クリームソースラ

イス添え、ハマの伝統デザート、 レモンジュース 4ドル

  

 

          ハマの名物は木製の水車。ビザンチン時代からごとごと水を汲み上げているそうだ

アパメア遺跡から車で40分走るとシリア第四の都市ハマがある。この町の名物は何と言っても水車。

「ハマの水車」だ。6,7世紀に造られた木製の大水車が17基残っている。最大の水車は直径20mも

あってギネスブックに載っているそうだ。ただ、今は修理中とかで一基も動いていない。川の汚さにゲン

ナイしたが公園を走り回る猫がウジャウジャいたので許す。それにしても今日のランチは旨かったぞ!

     2200年〜2500年に栄えたエブラ帝国の遺跡   ここから楔型文字のエブラ文書が発見された

添乗員のK藤さんがバスのマイクを使って何か言っている。「・・・3日目のワディ・ラム観光が日没で全

く出来なかったお詫びに、サプライズ観光をします。日本人グループは殆ど行かないエブラ遺跡を観光

しまーす!」。突然遺跡の観光かよ。私なんか「今日の仕事(遊びだけど)はすべて終了!」と靴も脱い

ですっかりリラックスしていたのに・・・・観光、それも遺跡の観光するんですかぁ、これから・・・・。そんな

ことで全く気は乗らなかったのだが、めったに見られないエブラ遺跡だから有り難く拝見することにした。

♪ エブラ、エブラ、エブラ、エブラ ボールペン♪エブラ!なんてゼブラボールペンのCMソング歌いな

がら。私は知らなかったが、何でも1975年にこの遺跡で大発見があったのだそうだ。エブラ帝国はBC

2200年〜2500年に栄えたが、当時使用していた楔文字が綴られた粘土板が1万7千枚発見された。

訳してみると旧約聖書のノアの箱舟などの話が記述されていたんだと。だから、旧約聖書がホントの話

ということにはならないとは思うが、後日博物館で見た発見された粘土板はそれはそれは美しかった。

夜 シリア・アレッポ 「デデマン・アレッポ」 豆のスープ、ミックスサラダ、K藤添乗員特製そうめん、白

身魚(ハムル)、フルーツ盛り合わせ、ビール 5ドル×2杯、白、赤ワイン 5ドル

  

    やっぱりそうめんが旨い! 

5時過ぎアレッポのホテル着。日没は4時半だから真っ暗。シリアには「秋の釣瓶おとし」なんて言葉あ

るんだろうか。ないだろうなぁ。ダマスカスと同じトルコ系のデデマンホテルだが、昔はシャーム・パレス

ホテルだったところ。買収したのだろう。このホテル、5ッ星というのに水周りが全然ダメ。シャワーを浴

びるだけでも大騒ぎで、おまけに床はビショビショになった。夕食はセットメニューで良かったが、ワイン

量が少なくかつ不味い。でもK藤さん特製のそうめんが出て来たので拍手で迎えた。いっぱい食べた。

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11月 11日(水) 晴れ

 アレッポ 「デデマン・アレッポ」 朝食ヴュッフェ+鯛雑炊

415分起床。眠れないのか?ううん、毎晩9時過ぎ(!)には寝てしまうので、睡眠時間はたっぷり。

旅に来ると快眠快食快便で、まっことカラダによろしい。いつもなら腹ピーで快便とは言えないが、今回

は腹を張って言えるぞ!(腹じゃなくて胸でしょうに)。その上、膝の調子も結構良いのだ。毎晩膝にプ

ラズマ入りウォーマーをして、朝は痛み止め湿布をペタペタ貼っているけど。65分にレストランに行く

と1番だった。電気が点いていなかったので料理に何があるかよくわからん。持参した鯛雑炊が旨い。 

     

世界遺産アレッポの象徴はアレッポ城だ               復元されたモスク天井                   クレオパトラも愛したアレッポのオリーブ石鹸

アレッポの町はダマスカスと同じように古代都市として世界遺産に登録されている。シリアではダマスカ

スに次いで人口が多い。ホムスが名古屋なら、アレッポはシリアの大阪やな。夢子はん、そうゆう考え

いい加減にやめなはれ。町の象徴のようなアレッポ城に行く。そもそもここはネオ・ヒッタイト人の神殿

だったが、後に十字軍に備えて要塞となった。十字軍はここまで来なかったのだが、13世紀にモンゴル

が、1400年にはティムール帝国が押し寄せて来る。しかしアレッポ城は難攻不落で耐えたんだね、エ

ライ!城の見学中、韓国人のKさんとお喋りし始めて説明を聞いていなかった。よく覚えていない・・・。

この町にも古いスーク(市場)がある。全長は12キロもあるそうだ。アレッポといえば、オリーブ石鹸が

有名。超有名。あのクレオパトラはアレッポ石鹸の大ファンで、シリアに来たらわざわざアレッポに寄っ

てオリーブ石鹸買って帰ったそうよ。評判の良い店に連れて行って貰う。ナヌ?石鹸にもビンテージも

のがある?作って1年目のものは柔らかいが、年を重ねる程締まって硬くなる。最高は8年モノだそう

で、硬いもので叩いても傷がつかない。ふーん、じゃそれおくれ。他の店で値引き交渉して楽しかった。

昼 アレッポ 「Cantara」 アラブ式前菜6種、ホブス、チーズ揚げ、スパゲティミートソース、柿のハチ

ミツがけ、ザクロジュース 5ドル

  

   考古学博物館前のテル・ハラフの像              アガサ・クリスティやアラビアのロレンスが泊まったバロンホテル

午前中の最後の見学は考古学博物館だった。ダマスカスの博物館は南シリア中心の展示物だったが

ここは北シリアね。古代のマリ王朝の彫像は、全部ギョロ目玉で印象的。動物でさえ、ギョロ目玉なの

だ。しかし、何と言っても一番カンドーしたのは昨日行ったエブラ遺跡で発見された楔文字のエブラ文

書のホンモノ。粘土板に鳥の羽根や尖った石で刻んだらしいのだが几帳面で丁寧な文字がビッシリ。

ランチはイタリア料理店だった。しかし前菜はアラブ風。メインがミートソーススパゲティだったのだが、

茹で過ぎブツ切れ細うどんのようなシロモノだった。ホントにイタリア料理店?と全員が首を傾げた。ア

ガサ・クリスティやアラビアのロレンスが宿泊したバロンホテルを見学。100年以上経った古いホテル。

夜 シリア・アレッポ 「デデマン・アレッポ」 ミックスサラダ、マッシュルームスープ、ビーフと野菜のソ

ティ ライス添え、フルーツ盛り合わせ、ビール 5ドル×2杯

    痩せそうで嬉しい!

夕食に出たサラダは昨日と全く同じだった。メインのビーフは硬くて歯がもげそうになったので、野菜だ

け拾って食べる。イスラムだから豚はもちろんタブー、こちらの人はチキンと羊をよく食べるようだ。今朝

行ったアレッポ城内の大きなモスクを復元したのはシャーム・パレスホテルのオーナーで、私財を投じ

たのだそうだ。それで金に困り、ホテルをデデマンに売ったのではないかと、私は個人的には推測して

おる。違うかな、アハハ。ダマスカスのデデマンと違って水周りと食事内容が悪過ぎる。9時過ぎ寝た。

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11月 12日(木) 晴れ

 アレッポ 「デデマン・アレッポ」 朝食ヴュッフェ

4時半に起きて、バゲジダウン時間は7時半なのに5時半にはスーツケースのパッキング終了。怠け

モノのクセして旅に出ると突然働きモノになる。私っていつも旅をしているべき人間なのかもしれない。

それにしてもシリアのホテルはどうして客室がこんなに暑いの?外気はとても涼しいのにまるで夏だ。

昼 クラック・デ・シュバリエ 「ALKala’a」 13種のアラブ前菜と生野菜、ホブス、チキンのグルリ ガ

ーリックソース、フルーツ盛り合わせ

  

今日はアレッポから再び南下する。アレッポとダマスカスの中間に位置するホムス郊外のクラック・デ・

シュバリエを目指す。シリアをバスであちこち走っているが、窓から見える風景はゴミだらけだ。世界中

の国を旅していて、ゴミの問題がとても気になる。政府行政の問題でもあり、国民のモラルの問題でも

ある。こうして考えると、ゴミがほとんど無いアフリカのナミビアなど例外中の例外なのだろうな。ガイド

のお気に入りのCDをかけると言う。今シリアで人気bPの「キングオブシリア」という男性4人グループ

のアルバムというので、期待して聞いたら、他と変わらぬアラブ音楽だった。外国人が日本の演歌を聞

いたらどれも一緒に聞こえるのと同じだね。3時間余、ようやくクラック・デ・シュバリエ着。未だ12時前

だが、ランチだと。世界遺産のすぐ近くのレストランに関わらず、味自慢のレストランだから早く行った方

がいいらしい。確かに前菜のバリエーションの多さ、チキンのグリルの旨さはこの旅のベスト3に入る。

  

         天空の城と呼ばれるクラック・デ・シュバリエは世界遺産に登録された              二重構造の堅牢な十字軍の砦だった

アラブの英雄サラディーンは、たった1日攻めただけでクラック・デ・シュバリエの攻撃を諦めて帰ったと

言う。「アラビアのロレンス」の主人公イギリス将校トーマス・エドワード・ロレンスは学生時代、この城を

訪ねて「十字軍が残した城として最もすばらしい!」と絶賛したとか。1144年、十字軍の聖ヨハネ騎士

段が、標高650mの丘に建つ城を要塞化した。4千人の兵士が長期間篭城できるよう広大な食糧庫を

持ち、外壁と内壁の2重構造の城は堅牢さを誇った。十字軍に参加したイングランド王エドワード1世は

帰国してからクラック・デ・シュバリエを見本にした城を母国の建設したらしいよ。雲の流れが早いなぁ。

夜 パルミラ 「デデマン・パルミラ」 豆スープ、ミックスサラダ、魚(ハムル)とトマトソース、デザートヴ

ュッフェ、ビール9ドル、白ワイン 9ドル、赤ワイン 9ドル

  

観光後、バスはひたすらパルミアを目指す。シリア砂漠地帯を走った。午後5時20分、パルミラのデデ

マンホテルに到着。パルミラでは最高級ホテルだが、例の旧シャーム・パレスホテルだから期待はすま

い。今年4回参加したU旅行会社の2グループも同宿だね。夕食はとても不味く、痩せるのが楽しみ。

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11月 13日(金) 晴れ 朝方強風

 パルミラ 「デデマン・パルミラ」 朝食ヴュッフェ

5時起床。このホテルも室内はやっぱり暑い!ベランダに続く窓を全開にしたら、冷たい空気が入って

来た。風が強く、砂漠の砂が飛んでいるのが見える。ヒエーッ。日の出ウォッチングに出かける人達の

物音がする。私は希望者だけの朝の散歩とか夜景見学とか朝日見物などほとんど行ったことが無い。

見たければ一人で行くもん、って感じだから。トーゼン今朝も行かずに、伊坂幸太郎の「グラスホッパ

ー」を読んでいた。このアマノジャクめぇ!6時半朝食に行く。このホテルのヴュッフェ、旨くないんだよ。

 

       砂が舞うエラベール家の塔墓          塔墓内部 300人以上の墓があった         斎藤教授が発掘したタイブールの墓

   パルミラ遺跡最大の建造物ベル神殿                パルミラはギリシャ語のナツメヤシ=パルマが語源と言う

          パルミラ遺跡の右上の山はアラブ城             パルミラ博物館前の獅子        パルミラの地名はパルマ(ナツメヤシ)から

中東4大遺跡のうちペトラ(ヨルダン)、バールベック(レバノン)を見て来た。3つ目はここパルミラだ。ダ

マスカスから北東へ230キロ、シリア砂漠のど真ん中に椰子やオリーブの林が突然現われるオアシス

都市パルミラ。メソポタミアやペルシャと地中海を結ぶ東西交易の重要な中継点であったことと地下水

が豊富だったため、古くから発展していた。遺跡の見学は墓の谷から。エラベール家の塔墓に行く。お

墓の鍵おじさんの到着を待つ。強風のため砂が舞い上がるから、観光客はスカーフ、帽子、マスク、サ

ングラスなどで完全防備している。この一帯にはBC2世紀からAD2世紀に造られた墳墓は110以上

発見されているとか。エラベール家の塔墓は4階建て300人もの墓を収容していた。少し離れた場所

には三人兄弟の墓があり、地下だけに保存状態がいい。奈良大学の斎藤教授の調査団がつい最近ま

で発掘されていたそうだ。BC1世紀にはこの辺りで墓の分譲とか仲介のような墓売買のビジネスがあ

ったらしいよ。次はパルミラの最大の建築物ベル神殿。ベルとはバールと同じ意味で豊穣の神。太陽

神マラクベル、月の神アグリボルの三神を祀っている。デカイ神殿だ。当時の姿は凄かっただろうなぁ。

昼 パルミラ 「ゼノビア・シャーム・パレス」 モロッコ風クスクススープ、魚(ハムル)とほうれん草とライ

ス、シリア風菓子

  

エラベール家の塔墓のミイラ4体などパルミラ遺跡で発掘された展示品を博物館で見てからランチ。唯

一遺跡の中にあるホテル・ゼノビア・シャーム・パレスのレストランで。スープの魚もまずまずだったが、

庭に可愛い猫がたくさんいて、食事中からソワソワ。たっぷり写真を撮らせて貰って、大満足であった。

        バールシャミン神殿              遺跡のどこからでもアラブ城が見える          美しい四面門

        記念門まで続く列柱道路            ほぼ完全に残る円形劇場        旅人達を驚かせた記念門

午後も引き続き遺跡見学。それほどこの遺跡は広い。バールシャミン神殿、4本の石柱の四面門。美し

いなぁ。四面門の横にはパルミラの心臓部とも言えるアゴラ(取引場)があった。東から西からやって来

る隊商はまずこのアゴラに立ち寄って通行税や関税を支払はねばならなかった。アゴラの周囲には関

税の事務所がたくさんあって、ザクザクと金を集めていたのだね。4千人を収容した円形劇場はほぼ当

時の姿を残している。デクマヌス・マクスムスと呼ばれた東西を貫く大通りには見事な柱が記念門まで

続く。ナゼ古代にこのような超立派な神殿や町を築いたのか。ひと言で言えば、「人集め」の装置だった

ようだ。シルクロードを歩いて来た商人達の会話を想像する。「隊長、フェニキアまでどの道行きましょう

かねぇ」、「そうだなぁ、最近パルミラに新しい神殿が出来たそうだから見学がてら行ってみっか?通行

税や関税取られてシャクだけど、あそこに行けば他国の商人達と情報交換も出来るしな」なんてことじ

ゃないか。灼熱の太陽を避けて夜砂漠を歩いて来た商人達は、朝方パルミラに到着する者が多かった。

彼らが最初に目にするのは朝日を浴びて白く光る記念門。「パルミラは何て美しいんだ!」と人々がカ

ンドーするよう門の建材も工夫したそうよ。夫のオダナイト王の死後君臨したゼノビア女王はエジプトの

一部までも支配下におきパルミア王国の最盛期を迎えたが、直後にローマ帝国に滅ぼされる。ゼノビ

アはクレオパトラと遜色ない絶世の美女だったらしい。でも2人を見た人はいないのだから、どうかな。

夜 パルミラ 「デデマン・パルミラ」 マッシュルームスープ、ビーフスライスグリルとライス、デザートヴ

ュッフェ、ビール9ドル×2本(1本は旅行会社のサービス)、白ワイン 9ドル、赤ワイン 9ドル

  

一旦ホテルに帰って暫し休憩した後、再び遺跡に戻り、ディオクレティアヌス城砦とアラブ城に行った。

アラブ城は遺跡のどこからでも見える岩山の上にあり、そこから見る夕陽が美しいという。ところが。ゼ

ィゼィ息を切らして登ったアラブ城の隣の丘に堂々たるテレビ塔の鉄塔が・・・。こんなところに無粋なも

のを建てる神経を疑うぞ!!夕陽を見に来た全員がブーイング!パルミラの責任者、シリア観光局の

人!何とかしなさい!帰路、記念門のライトアップされた美しい姿を見て、ちょっと怒りは収まったけど。

旅の最後の夕食。障子貼りに使う糊のようなスープとビーフ。あぁ。ヴュッフェはイヤだとセットメニュー

にして貰ったのはいいけどこんなに不味くてはなぁ。ヨルダンもシリアも米ドル通用するから両替せず。

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11月 14日(土) 晴れ 朝方強風

 パルミラ 「デデマン・パルミラ」 朝食ヴュッフェ

朝起きたら風邪を引いていた。12時から5時までの間に引いたということだ。喉が痛い。洟水が垂れる。

熱っぽい。珍しく、ほんとうに珍しく一度もお腹をこわさなかったと密かに、しかしモーレツに喜んでいた

のに最終日に風邪を引くとは・・・。いつも用心に医者から貰った風邪薬を持参しているから慌てない。

昼 ダマスカス郊外 「ダマスカスゲート」 シリア式前菜、ホブス、フレンチフライ、ミックスグリル

     (羊、チキン、挽肉串)、りんごとオレンジ、紅茶

  

              ダマスカスの聖パウロ教会                ギネスブックにも載っている世界最大のレストランはガラガラ

今日も強風が吹いている。ギラギラした太陽が上がると暑い。ダマスカスに向かって砂漠の中を走る。

途中、イラクへの分岐点があった。ドライブが順調で早めに到着したため、聖パウロ教会をおまけで見

学。キリスト教徒を迫害していたユダヤ教徒のパウロだったが、キリスト教に改宗した。立場が代わっ

てユダヤ教徒から追われる身になったパウロは城壁を籠で下ろされてダマスカスから逃げ出す。その

場所に近年出来た教会だ。シリア最後の食事は、ギネスブックにも載っている世界最大のレストラン

「ダマスカスゲート」で。何しろ6670席あるというのだから凄まじいが、休日の昼ドキなのにガラガラっ

てのも驚きなのだ。バスの中で熱が高くなったらしく、やたら寒い。ハーックション。空港に着いたら、Y

子さんもO竹さんも風邪引きになっていたことが判明。どうも先週風邪を引いてダウンしたK池夫人か

ら順繰りに移ったらしい。この国は出国検査も「グループ」というものがあり、ガイドが一括して行った。

夜 エミレーツ航空 ダマスカス=ドバイ ビジネスクラス機内食

    早めの夕食です

午後450分離陸。3時間のフライト、時差2時間、午後920分ドバイ着。6時間以上待つのだ。

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11月 15日(日) 天気?わかりまへん

朝 エミレーツ航空 ドバイ=関空 ビジネスクラス機内食

眠らない空港、ドバイ空港で6時間以上過す。いくら時間があるとはいえ、ビジネスラウンジで寝込んで

乗り遅れちゃイカンと心配で本を読む。伊坂幸太郎の「グラスホッパー」読了、続いて「死神の精度」を

読み出す。ようやく3時半関空行き。メシ?要らん。寝るぞ。しかし咳ばかりしてあまり眠れなかったよ。

昼 時差のため存在しない

帰路は関空まで8時間半弱、時差5時間。フライト上の朝食をちょっとつまんでボーっとしていたら関空

に到着。ちょっと遅れたから走ってJALに乗る。しかし私はしっかり鯛寿司と豚マンはゲットしたのだ。

夜 家食 「日清」のチキンラーメン(卵、刻み海苔入り)、ヘルシア茶

羽田からタクシーで帰宅。タクシー代は成田からと比べて3分の1だ。もう夜の9時だし、飲みに行く

のは止めてチキンラーメンにしよう。旨いなぁ。ホントに旨い。「天地人」の録画を見て寝ようぞ。無酒日

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【今週の振り返り】

レバノンと聞いて、私が真っ先に頭に浮ぶのはレバノン杉である。杉と名前はついているが、マツ綱マ

ツ目マツ科のヒマラヤスギ属で、実は松なのだ。古代は中近東にたくさん自生していたらしい。建材や

船材として優れていたレバノン杉は、古代エジプトやメソポタミア時代から大いに利用され、地中海沿い

に住んでいたフェニキア人は、レバノン杉を伐採してはガレー船をじゃんじゃん造り、木材や樹脂をエジ

プトなどに輸出していた。レバノン杉はフェニキア繁栄の原点でもあったのだ。そんなことを長く続けて

いたから、膨大なレバノン杉はいつしか消滅してしまう。一度失ったものを復活させるのは至難のワザ

で、今やカディーシャ渓谷と神の杉の森に1200本ほどが残るだけになり、世界遺産に登録して保護さ

れるものになってしまった。しかし、レバノンの象徴であることは今も変わらず、国旗の真ん中にはレバ

ノン杉が描かれている。

レバノン共和国は別名モザイク国家とも呼ばれ、イスラム教徒が圧倒的な中東の国には珍しくキリスト

教徒が30%いる。キリスト教徒の中もギリシャ正教、アルメニア正教、ローマカトリック、プロテスタント

などいろいろ、イスラムもスンニ派、シーア派、マラウィ派、ドルーズ派などがいて、イランを除く他の中

東国に比べてシーア派の割合が高いと言う。その昔大シリアと呼ばれたシリア、ヨルダン、レバノンの

中では一番早くフランスから独立したが、PLO(パレスチナ解放機構)がどっと流れ込んだことで宗教

宗派間のバランスが崩れて内戦に発展。その後も南隣国イスラエルとの間で数度に渡ってドンパチは

あるわ、北と東を囲まれているシリアは「助けちゃる」と軍隊を派遣して来て安定はしたものの、その後

もずっと居座ってしまうわ、で苦労と悩みは尽きまじなのだ。その上、経済を立て直した反シリア派のハ

リーリー首相は20052月爆弾テロで暗殺されてしまう。おぉ、こわっ!首相暗殺はどうもシリア軍の

仕業らしいということで、国際世論も「シリア軍はレバノンから出て行け!」と加勢。同年4月シリア軍は

撤退したものの、国内には親シリア派がしっかり存在して国内分断の危機が常にある。翌2006年の夏、

イスラエル軍のレバノン全土空爆があり(レバノン侵攻)、観光客の入国も難しくなった。イスラエルとの

反目関係、シリアとの緊張関係、国内の反シリア派と親シリアの対立関係・・・・レバノンの苦悩は続い

ているが、情勢が落ち着いているということで、今回日帰りだが、バールベック遺跡の観光が可能にな

った。

実際に行ってみたレバノンは、中東国家でありながら砂漠が無く、水も豊富だ。日本の岐阜県ほどの小

さな国土に、標高2500m〜3000mのレバノン山脈とアンチ・レバノン山脈の2つの山脈があり、山頂に

は雪が見えた。2つの山脈に挟まれたベッカー高原は、昔ローマ帝国の穀倉地帯と呼ばれたほどの肥

沃な土地で、現在も多くの野菜や果物が栽培されている。温暖な地中海性気候で、葡萄も栽培してい

るから良質なワインも出来る。見渡す限りの緑の大地と仰ぎ見る冠雪した山脈。それが、レバノンの風

景であった。 

次にシリアは・・・・。今回の旅でシリアは8泊したから、1番長く過したシリアについて書かないのはヘン

だ。とてもヘンだ。書きたいこともある。しかし、シリアを書くと、振り返りとしては長過ぎちゃうな。だから

「シリアのことはまた今度ね」ということにしてしまおう(サボり心がミエミエである)。ただ、このことだけ

は書き残したい。中東に住む日本人が言っていた。「なんだかんだ言っても、住むのはシリアが一番で

すよ!」って。       

        また今度ね、っていつなのかニャ?  聞くな!

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      * 中東の旅の始まりは 11月 1週 をご覧ください。

    やっと終ったけど、急いで11月3週も作らなくっちゃ。あぁ、忙しいぞー!!!