パクパク日記9年12月3週

           ミャンマー(ビルマ)に行った。たくさんあるパゴダ(仏塔)では裸足で歩いた。

シュエズィーゴォン・パゴダ インレー湖         

12月 14日(月) 成田は晴れ

朝 成田日航ホテル 「セリーナ」 朝食ヴュッフェ 2000

5時半起床。「セリーナ」で朝食。いつも和食だ。美味しくないぞ、と毎回怒っているが今日はちょっとマ

シか?745分送迎バスで空港へ。15分で第一ターミナル到着。ABCでスーツケースを受け取る。

団体カウンターで添乗員のA部氏に挨拶。9人参加予定だったが、ご夫婦がドタキャンされて7名に。

昼 タイ航空 成田=バンコック ビジネスクラス機内食

タイ航空はスターアライアンスグループだ。よってANAラウンジでお気に入りのきつねうどんを食べる

ことも出来る。が、うどんと蕎麦のあるラウンジは一番奥にあってエラク遠い。TG641便は一番手前の

31ゲートから出発するのできつねうどんを諦めることに。エーン!ユナイテッドラウンジは日本の新聞

も雑誌も食べるものもほとんど何も無い!つまらんラウンジだ。今日乗ったタイ航空は、とても古い機

材で乗り心地は今ひとつだった。腹いせに酒をガンガン飲んだので、酔っ払ってちょっとだけ眠ったよ。 

夕方の軽食 タイ・スワンナブーム空港 タイ航空ビジネスラウンジ スナック

タイのバンコックまで約7時間、時差は2時間だ。午後3時40分、スワンナプーム空港到着。この空港

を利用するのは、今年だけで7回目だ。1月、2月、そして今回。2月ブータンに行った時はバンコック

宿泊もしたから4回も来たのだ。ここは広い。イヤになる程広い。Eから長いDを歩いてCに移動する。  

夜 タイ航空 バンコック=ヤンゴン ビジネスクラス機内食

2時間の待ち合わせの後、タイ航空でミャンマー最大の都市ヤンゴンへ。1時間のフライトだが、軽食が

出た。実はこれが今夜の夕食。グスン・・・。時差30分で午後7時前ヤンゴン到着。インフルエンザの質

問表に記入&提出。イミグレーションスタッフは殆どが女性だった。そういえば、ビザ申請の書類がメン

ドーだった。父親の名前、収入証明、肌の色、身長なんて書かされてね。専用バスでチャトリウム・ホテ

ル・ヤンゴンへ。2年前まで日航ホテルだったとかでNHK海外も映る。「家族に乾杯」を観てから寝た。  

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12月 15日(火) ミャンマー・ヤンゴンは快晴     9600ミャンマー・チャット(K)=約1ドル

朝 ミャンマー・ヤンゴン「チャトリウム・ホテル・ヤンゴン」 朝食ヴュッフェ

 庭がステキなホテルです

5時半起床。シャワー&シャンプー。朝は結構涼しいねぇ。6時過ぎレストランに。バングラデシュ、イン

ド、中国、ラオス、タイに囲まれている国だからか、中華あり、カレーあり、タイ料理あり、元日航ホテル

だから日本あり、5ッ星ホテルだからウェスタンあり、もちろんミャンマーありで。いいじゃん、こうゆうの

大好き!とたくさん料理を皿に取ったが、残念ながら旨くないのだった・・・。焼そばなんかグチャグチャ

で。緑のシャツを着た日本人グループがいた。演奏旅行中のOTO座という和太鼓集団の方々だった。

   

          ミャンマー最大の聖地であるシュエダゴォン・パゴダ。大小合わせて60以上の塔がある

8時観光開始。まずはミャンマー最大の聖地であるシュエダゴォン・パゴダに行く。シュエは「聖なる」、

ダゴォンはヤンゴンの古い呼び名、パヤーは「仏塔」である。仏塔=パヤー=ゼディー=パゴダ(英語)。

国民の9割近くが、戒律の厳しい上座部仏教徒のミャンマーでは、このシュエダゴォン・パゴダで祈るこ

とが憧れなのだそうだ。バスの中から靴下も靴も脱いで裸足になる。「はい、裸足で仏塔訪れましょう」

とガイドのAさんがちょっとヘンテコな日本語で呼びかける。海岸の砂浜でもなく、剣道道場でも無い道

や広場を裸足で歩くってヘンな気持ちだ。エレベータで仏塔の中心部へ。わぁ、キンピカだらけで目が

チカチカする。仏塔の高さは100m近くあり、金箔数8688枚、最上部はダイヤモンド5451個、1383

個のルビーで飾られているのだそうだ。ミャンマーでは「生まれ曜日」がとても重要らしい。8曜日と言っ

て、水曜日を除く6曜日+水曜日の午前と午後の8曜日。何と私はその水曜日の午前生まれで、その

動物は「牙の無い象」なんだそうだ。牙無し象=丈夫、なのだそうで・・・。この生まれ曜日で、性格、人

生、相性が決まるんだって。仏塔の周囲には8曜日の其々の祭壇があり、私も念入りにお祈りしたぞ。

昼 Thanlyin「Pwint Restaurant」 生野菜・香草とンガピージィ、チキンカレー、ポークカレー、

     馬蹄形のサラダ、白飯、梨とみかん

  

    この地方一番の店だそうで

ヤンゴンの旧名はラングーン。軍事政権がヤンゴン(戦争の終わりの意)と変更した。ミャンマーの首都

であったが、200610月ネビドーへの遷都が行われた。しかし近郊含め人口が500万人の最大の

大都会である。大きな川を2つ渡って郊外に行く。いくつかの大学があった。睡眠不足でうつらうつらし

ながら1時間ほどバスで移動し、11時には早めのランチ。この地方の料理を食べさせる町一番のレス

トランだそうだ。たくさんの野菜や香菜をンガピージィにつけて食べる。素朴だが旨い。スープは酸っぱ

辛くてこれも好き。メイン料理はチキンとポークのカレーだが余り辛くない。これなら痩せそうで嬉しい。

午後のおやつ ユワティジ村小中学校職員室にて 各種フルーツとお菓子

  

    ユワティジ村小中学校。生徒達は可愛い。     職員室で先生方から接待を受ける。         村で会った少女は愛らしい

チャウタンの船着場から船に乗り、ユワティジ村へ。同村出身のエライお坊さまも一緒だ。現地でお世

話になっているランド旅行社の関係で、特別にこの村を訪問することになったらしいよ。40分程でユワ

ティジ村に到着。168世帯で約千人の人々が暮らすと聞くが、去年のサイクロンでは大きな被害を受け

たと言う。強風が吹けば吹き飛びそうな家の作りだし・・・。同行のお坊さまはエライ方らしく、擦れ違う

村民は地ベタに座って深くお辞儀をする。途中で上品な女性達と会った。え?私達を出迎えですか?

皆さん学校の先生?恐縮しちゃうよねぇ。やがて学校に到着。280人の生徒が学ぶ小中学校で、教室

を覗くと学校のお客様である私達一行に興味津々。皆、目がキラキラ輝く可愛い子供達だ。中学生が

小学校低学年の面倒を見る教室もある。どうゆうわけか、先生方は全員我々の接待に当られ、全校自

習になっていたのだよ。教室を見学した後、職員室でフルーツやお菓子、お茶などのご接待。暑さもあ

るが恐縮して汗を拭いていると、四方八方から先生方が団扇で扇いで下さる。益々恐縮する。先生方

はこの島出身で、大学を卒業した後島に戻って来たのだそうだ。同行のお坊さまが島のことを色々説

明してくれた。学校の後は、若夫婦の家訪問。余りに小さな家で入ることは断念した。決して豊かでは

無いが、のんびり穏かで良い村だった。船とバスに乗ってヤンゴンのホテルに帰ったのは5時過ぎだ。

夜 ヤンゴン「カラウェイパレス」 ディナーヴュッフェ、ミャンマービール 3000K

  

       ミャンマービールのラベルのモデル            結婚式の民族衣装                 食事は民族舞踊を身ながら

シャワーを浴びた後、バスで夕食会場のレストランへ。ミャンマービールのラベルにはこの「カラウェイ

パレス」がデザインされている。建物は立派だが、食事はヴュッフェだって!チェッ!である。まぁ、それ

ほど不味くは無かったが。ミャンマービール、結構旨いのだ。大瓶で3千チャット、約300円なのだよ。

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12月 16日(水) ヤンゴンもバガンも快晴

朝 空港にて 弁当(チーズサンド、茹で卵、バナナ)、コーヒー

3時半起床。実は今日は5時出発して615分発のバガン行きの飛行機に乗るのだ。バゲジダウン

した後445分ロビーに下りてゆくと韓国人グループが貰ったばかりの弁当を開いて朝食を食べてい

た。昨日のヤンゴン昼間は34度だったが、真っ暗な早朝はやっぱり寒いわ。重ね着して空港に行く。

  

      テュピ・パゴダからバガンのパゴダを見渡す         金ピカのシュエズィーゴォン・パゴダ        商品豊富なニャウンウーマーケット

ヘンケンかもしれないが、国内線のバゴダ航空はちゃんとは飛ばないと思っていた。パプアニューギニ

ア航空やマダガスガル航空などにはさんざん悩まされて来たからなぁ。しかし、バゴダ航空は驚くほど

定刻パンクチャルだったのだ。715分バゴダ空港到着。外国人だけ発熱していないか耳を検査され

る。ミャンマーは大小含めてバスはほぼ全部日本車の中古。我々は「越後交通」のバスに乗って出発し

た。このバゴダにはかつて5千を超えるパゴダがあったそうだ。度重なる地震で多くが崩れ、しかし半数

が残った。半数でも2500だから、テュピ・パゴダから見るバゴダの平原にはパゴダ、パゴダ、またパゴ

ダ・・・。見ているだけでお腹が一杯になるようなパゴダの数だった。ここを別にして今日だけで7つも観

るんですかぁ・・・はぁ・・・・。ニャウンマーマーケットに行く。野菜、果物、鯉や鯰などの川魚などが信じ

られない位の安さで売られている。薪のようなものは「タナカ」と言って女性達が顔に塗っている黄色の

日焼け止めだ。薪を擂って水に溶かす。市場の女性が嫌がる私を抑えつけてタナカを塗りたくったぞ!

昼 イラワジ川 「サンセット ガーデン レストラン」 野菜の天ぷら、豆のスープ×2杯(お替りした)、

馬蹄形サラダ、カボチャ煮、鶏と大根煮、ライス、鯉料理、空芯菜炒め、パパイア

  

  

ランチはイラワジ川を見渡すレストランで。軍事政権はエーヤワディー川と名前を代えたんだったなぁ。

空は真っ青、川はゆっくりと流れ、気持ちの良い風がレストランを吹き抜けて行く。野菜のかき揚げ風

の天ぷらがカラリと揚がってとても旨い。続いて出て来た豆のスープも美味しくて、つい「お替り!」。あ

ら、Y岡さんもお替りですか?彼女は香坂みゆき似の青森美人だ。小竹をスパっと割ったようなサッパ

M屋さん、Y美子さん&M理子さんの義理姉妹、市場で「お店のお値段は一軒一軒違うのかしら?」

なんて大ボケかますK林さん、黒一点の高崎から参加のH野さん、それに美声添乗員のA部さん。

美味しいランチだった。12時半今夜から連泊するトレジャーリゾートにチェックイン。3時まで休憩した。 

  

        バガン遺跡の代表的寺院アーナンダ寺院       9.5mの仏像が4体        これは獅子で犬ではありませぬ

午前中お腹がゴロゴロ言っていたし、パゴダも十分観たしと午後の観光はパスしようと思う。しかしアー

ナンダ寺院は見ないと後悔しますぜ、是非!と勧められ、それだけは行こうかと出かけた。確かに「あ

ぁなーんだ、スゴイじゃん、ここは」と親父ギャグで感心。本堂の中央には高さ9.5mの仏像が4体、4方

向に向かって納められていた。1時間見学した後、ホテルに送って貰った。ゆっくりお風呂に入り、伊坂

幸太郎ワールドに浸る。皆さんは漆工房見学した後、馬車で幾つかのパゴダを見学されていると思う。

夜 バガン「トレジャーリゾート」 客室にて ルームサービス(トマトクリームスープ 3j、クラブハウ

   スサンドイッチ 7j)、缶ビール 2ドル、ミニチキンラーメン)

    今晩の夕食は千円かかっていませーん

私を除く皆さんは夕陽を鑑賞した後夕食レストランに直接向かわれたハズだ。私はホテルで一人ルー

ムサービスで夕食。トマトクリームスープとクラブハウスサンドイッチを取り、これに日本から持参のミニ

チキンラーメンをつけよっかなぁ。NHK海外はいいが、NHKワールドは面白くない。8時半に眠った。 

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12月 17日(木) バガンは晴れ

 バガン「トレジャーリゾート」 朝食ヴュッフェ

    お粥もありました!

睡眠不足だったのか、昨夜は7時間トイレも行かず熟睡した。5時起床。今朝は朝日組、気球組、朝寝

坊組に分れる。たった7人しかいないのにね。結果的に4人、1人、2人の割合になった。私は朝日組

545分出発した。寒い!かなり寒い!20分jかけて朝日鑑賞するパゴダに到着したら、やけに静

か。鍵を持っている管理人が留守で入ることが出来ない。それじゃあ、別のパゴダに行きましょう。今は

上れるパゴダはごく僅かなので、よく現地事情をわかっていないと苦労する。高くてキツイ階段を、アシ

スタントクンに手を引っ張って貰ってようやく屋上に到着。雲が多くて朝日が拝めなかったが、朝焼けは

美しいものであった。7時にホテルに帰り朝食。日本人が来るというので、お粥を用意してくれていた。

  

     ヨーソー僧院は博物館も兼ねている          竹製漆塗りの大仏      ササナヤウンヂー寺院の高僧ウー・コゥン・タラッ師

今日はバガンから車で1時間半ほどの郊外、サレーに行く。サレーの文化財保護エリアは、数年前ま

で外国人立ち入り禁止の地だったそうで、ミャンマー3回目という添乗員A部氏も初めてとか。先ずはヨ

ーソー僧院へ。1882年に造られた僧院は、高価なチーク材造りで高床式。かつては4人の僧が暮らし

ていた内部は博物館となって公開されている。引き付けられた仏様が安置されていた。徒歩数分でシ

ンビンマハラバマン寺院へ。ここには国内3体しか無い竹製漆塗りの大仏が安置されている。仏様の

内部は空洞で希望者は中に入れて貰えるらしい。最後に訪れたのは、ササナヤウンヂー寺院。ここに

は国内で5本の指に数えられる高僧ウー・コゥン・タラッ師がいらっしゃるそうだ。我々がお邪魔すると、

高僧は食事中でいらした。私らもバナナとお茶でお接待を受ける。食事が済んだ後、木綿に描かれた

絵と椰子の葉に書かれた経典を見せて頂いた。高僧のお講和を伺うと幸せになるって本当だろうか。

昼 タウン・カラッ 「ヤンゴンレストラン」  海老の辛子炒め、鶏と野菜炒め、野菜スープ、野菜と

   豆腐 炒め、パパイアとバナナ、ライムジュース 1500K

  

3つの寺の見学は、もちろん裸足で。見学が終わるとバスの中で足を拭いて靴を履くのだ。面倒だけど

仕方ない。サレーからタウン・カラッに移動し、ミャンマー風中華のランチ。田舎の食堂然とした店であっ

たが、ここ料理が旨いのよ。特に海老の辛子炒めと鶏と野菜炒めはご飯が進んで困る程で。白米食べ

方やめー!!と号令を出してようやく止めた程だ。ウソだよん。しかし、ライムジュースは思いっきり×。

  

     ギリシャのメテオラ似のタウン・カラッ      サトウヤシにするする登る若者       イラワジ川に向こうに沈む夕日 

ポッパ山は、花あふれる山という意味だそうだ。25万年前活動を停止した死火山で、高さは1518mも

ある。その麓にあるタウン・カラッは737mの岩峰で、古くから土着宗教の聖地だった。頂上まで20

から30分かけて登ると言う。私は行かんぞ!頂上への階段入り口には猿がたくさんいる。階段も急そ

うだし、途中から裸足だしね。本を読んで待っていると50分ほどで皆さん戻られた。階段がかなり高く

て大変だったそうよ。行かなくてイガッダ。バガンに帰る途中、サトウヤシ栽培所に寄り、夕陽も見たよ。

夜 バガン 「Eden BBB Restaurant」 野菜のフリッター、野菜スープ、カリフラワーサラダ、

  野菜、トマトサラダ、カボチャ、ポークカレー、チキンカレー、ライス、シェアジーという菓子とフルーツ、

  ミャ ンマービール 2500

  

    ここでも人形劇を観ながら

ホテルで少し休憩してから、バスでレストランに出かける。30分近くもかけて・・・。お洒落で高級そうな

「Eden BBB Restaurant」だった。野菜のフリッターと野菜スープが特に旨かった。ミャンマー料理

は普通とても脂っこいらしい。それを日本人の口に合うよう脂少なくとレストランに注文しているようだ。

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12月 18日(金) インレー湖は快晴!

 バガン「トレジャーリゾート」 朝食ヴュッフェ

5時起床。4時には目が覚めていたが。今日も645分と早朝出発なのだ。6時から朝食を食べてか

ら出発。バガンの空港で、初めて日本人グループと遭遇した。最大手旅行社名古屋から来た皆さんで

これからマンダレーに向かうらしい。「マンダレーよりインレー湖の方がずっと面白いのにね」なんてね。

  

      足で船を操るインダー族の漁法       トレジャーリゾート・インレーは水上コテージ     天蓋付きベッドで寝るのだ

今日もバガン航空は時間通りだった。エライ!そう言えば、バガンとインレーで泊まっているホテル、ト

レジャーリゾートもバガン航空と同じグループらしいよ。845分ヘイホー空港到着。♪ 与作は木を

切る〜ヘイヘイホーヘイヘイホー♪ のヘイホーだ。アッハハ。マイクロバスでインレー湖に向かったの

だが、途中で五日市が開かれていたので急遽見学。ここシャン州のインレー湖周辺では、5日ごとに市

が開かれている。各地を回ってきっちり5日毎に市を開くらしいよ。野菜も果物も肉も雑貨も生きた兎も

たくさん売っていた。ニャウンシュエの船付き場からボートに乗り換える。5人分の椅子を取り付けたボ

ートにモーターがくっついている。スピードを出すと、初めは気持ち良かったが、段々寒くなった。11時、

湖上ホテルのトレジャーリゾートが見えて来る。ホテル近くでエンジンが止められ、乗り込んで来た男性

が足で漕ぐ。ホテルでは大勢のスタッフが揃って歓迎の儀式。ボートから降りる客を助ける人、荷物運

ぶ人、熱いタオルを渡す人、それを回収する人、レモングラスと生姜入りの飲みモノを渡す人、盛大に

演奏をする3人の男性・・・・。我々のみならず今日から泊まる客の殆どは午前11時に到着するようだ。

昼 インレー湖 湖上レストラン 「NAMPAN」 鯉の唐揚げ野菜餡かけ、野菜炒め、スープ、青トマト

サラダ、鶏と野菜、ナートシンジェ(インダー族おにぎり)、海老唐辛子料理、アボガドとコーヒー、フ

レッシュメロンジュース 1500K

今回は義理姉妹も含めて、参加者全員がひとり部屋。作りは同じらしいが、景色の差もあろうと鍵のク

ジ引きがあった。私は一番近い部屋だった。何だか皆さん、ワクワクしている。12時、昼食と午後から

の観光を兼ねて2台の船で出発。45分船を飛ばして、ようやく今日のランチ場所の水上レストランに到

着。腹ペコである。幸い、どれも旨いぞ。カリカリっと揚がったライスクラッカー、豪華な鯉の唐揚げ 野

菜餡かけ、海老の辛子炒め旨い!特に、ご飯+じゃが芋+トマト+唐辛子を丸く固めたインダー族ライ

スは、不思議な味でクセになりそう。メロンジュースが美味しくて、思わず「旨い!!」と叫んでしまった。

しかし、ここでショッキングな出来事が。一眼レフカメラのテブちゃんが故障してしまったのだ。シャッタ

ーが下りない。ナンデナンデ?この美しいインレー湖をキミは写さないと言うのかい?エーンと泣いた。

  

      インダー族の足漕ぎはこんな風に      水上畑でたくさんの野菜を育てる       静かな湖面に網が打たれる

  

期に備えた高床式の住居         インテイン遺跡参道はエラク長い      シャン族独得のパゴダが1054も!     

インレー湖では観光ももちろん船で移動する。インレー湖周辺には40万人近くの人々が住むというが

多くの集落は水の上にある。移動はすべて舟だ。お父さんの出勤(?)も、お母さんの買い物も、子供

達の通学も、お婆ちゃんの近所への用足しもすべて舟。畑でさえ水上にあるのだよ。ヘチマやトマトや

きゅうりや茄子が水上畑でたわわに成っていた。インレー湖の村の鍛冶屋さんを訪ねた。屈強の男性4

人が、真赤に熱せられた鉄器をトンカントンカン凄いスピードで叩く。オジさんが鞴(ふいご)を扱ってい

た。次は蓮(ロータス)の繊維から糸を紡ぐ繊維工房へ。ロータスは麻のような感触だが、エラク値段が

高いんだね。だからシルクのスカーフを買った。ここからが予定していた観光。30分程走って、インテイ

ン遺跡へ。舟を下りて歩くと、あちこちで生まれたばかりの子犬がうろうろしていた。遺跡に着いても参

道が長くて疲れる。17世紀、18世紀に造られた仏塔は、バガンのスタイルとは大きく違って細長いね。

夜 トレジャーリゾート・インレー ディナーヴュッフェ、ミャンマーワイン赤と白、ミャンマービール 8

で割り勘 8000

ホテルに帰るまで50分かかるので、予定していた2ヶ所は明日に回して帰路に着く。途中で太陽が沈

んだ。途端に気温がグンと下がってエラク寒い!持っているもの全部着て風を避けた。520分、薄

暗くなったホテルに到着。冷たくなったカラダを風呂で温めたいが、お湯を出していると水になっちゃう

のよね。夕食はホテルで。またもやヴュッフェだ。ということは明日も同じレストランでヴュッフェかぁ。ミ

ャンマーではワインを作っていると言う。それでは、と皆で赤と白のボトル(@20j)を1本づつ開けるこ

とになった。不味くは無いが・・・特段旨くもないか。舞台では、シャン族の舞踊や演奏が行われている。  

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12月 19日(土) 晴れ

 トレジャーリゾート・インレー 朝食ヴュッフェ

5時半に目が覚めたが、寒くてなかなかベッドから出る気がしない。このインレー湖は海抜1328mにあ

るから、夏でも気温がかなり低いそうだ。軽井沢だって駅周辺が939mだものね。レストランは6時オー

プンなのに、愚図愚図していたから一番クジは引きそこなった。何それ?故障のため戦線離脱した一

眼レフ・テブちゃんの代役リコ黒ちゃんが朝焼け雲を撮影。ところが10秒後に消えてしまい不思議だっ

た。朝食レストランには、十数人のスタッフがいた。このホテルの人々はホスピタリティに溢れている。

  

    湖岸には牛や馬や羊が草を食んでいる           高床式の集落              藻や蔓状の植物もいっぱい

  

         奥インレーのサガー遺跡              パオ族の美人ガイド         酒造所見学の帰り、牛車に会った

今日は一日かけて奥インレーまで足を延ばす。足延ばすと言っても、もちろん舟だけどね。昨日の経験

でいろいろ学んだ結果、マスクとデカサングラスで顔を覆い、ツバの大きな帽子をマフラーで括りつけた。

これで風は当らないから長出に完璧!と自慢したいところだが、外から見ると、どうも銀行強盗に見え

るわな。たくさんの民族が住むミャンマー。今日行く奥インレーはパオ族の陣地なのでパオ族の人と一

緒でないと入れない。途中の水上ホテルでパオ族の青年ガイド・オンパン氏と合流した。オンパンは

「目的」という意味だそうだ。ホテルを出てから2時間半で、ようやく目的地に到着。パオ族の村をぶら

ぶらと散策。あるお宅を皆で眺めていると、住んでいる人も中から我々を眺めている。「中も見てみませ

んか?」なんて声をかけてくれる。何ともほんわかしている。村の小さなパゴダを出て来たら、子供達が

摘んだ花を差し出した。隣村の酒造所見学もしたが、そこで会ったパオ族のオバサンの笑顔がいい。

昼 奥インレー 湖上レストラン 「ゴールデンアイランドレストラン」 豆腐とライスクラッカー、トマト

  サラ ダ、豆のスープ、ポークの煮込み、野菜炒め、チキンとじゃが芋、ライス、ムニエンジェン漬

  け物、フルーツ、メロンハニージュース 2000K

  

    スープは甘くないお汁粉みたい!

ランチは湖上レストランの「ゴールデンアイランドレストラン」で。先ほどまでガイドをやっていたオンパン

さんが、突然ウェイターになって料理を運んで来た。豆のスープは、ほぼ日本のお汁粉。但し、塩で味

付けてあるから甘くない。旨いなぁ。ムニエンジェンという料理は、葉モノと豚肉と唐辛子を混ぜたもの

で漬け物のようなだがご飯が進む。この湖上レストランに猫がいた。どこにも行け無くて寂しくないの?

  

    ファウンドーウー・パゴダには五体の仏像       ガーペー僧院の猫は芸をする            インレー湖の夕暮れ  

昨日日没で観ることが出来なかったファウンドーウー・パゴダに行く。五体の仏像が有名だが、有り難

い、有り難いと金箔を貼り続けた結果、6インチだった仏像は金の団子みたいになっていた。男は自分

で貼れるが、女は男の代理人に貼って貰うのだそうだよ。ふん!最後は一番楽しみにしていたガーペ

ー寺院。この寺では猫に芸を仕込み、ジャンプして輪をくぐるのだそうだ。しかし、一眼レフは故障してし

まったから、コンパクトカメラで撮るしかない。失敗した。何度もジャンプしてくれたのにね。ガックシ・・・。

 トレジャーリゾート・インレー ディナーヴュッフェ

    ミャンマー赤ワインも白ワインもビールもご馳走になりました!

早くもさよならパーティ。8日間の旅と言っても実質6日だし。食事は昨日と同じヴュッフェでつまらない

がJ社がアルコールはご馳走して下さるそうだ。今回は変わった人ヘンな人はいなくて穏やかな旅だっ

た。私が一番ウルサカッタかも・・・。アハハ、スンマセーン。ほろ酔い加減。天蓋付きベッドで眠ったぞ。

                ______________________

12月 20日(日) インレーもヤンゴンも晴れ

 トレジャーリゾート・インレー 朝食ヴュッフェ

今日は7時出発だから、4時半に起きた。今朝も思いっきり寒かった。あぁ、今日でインレー湖ともトレジ

ャーリゾート・インレーのホテルともお別れね。イヤイヤ、今日の夜にはミャンマーともお別れするのだっ

た。急いで朝食を摂り、7時前ホテルの方々に見送られて出発。舟で。余りの寒さにホテルから毛布借

りて包まったものの、舟のスピードが出ると顔など寒さで痛い!こんな時一番前の座席に座っている不

遇を嘆く。さぶさぶさぶっ!!!洟が垂れて左右に飛ぶよ。30分凍えた。バスと飛行機でヤンゴンへ。 

    チャウッターヂー・パヤーの寝仏 

5日ぶりのヤンゴンは暑かった。暑さギライなのに、今朝の舟が寒過ぎたのでホッとする。今日も日本

の中古バスだが、50席の大型だ。出迎えてくれたランドの女性社長(ガイドのAさんのボス)を入れて

も10人しかいないから、1人4席使えるぞ。ここ数日、バガンやインレー湖といった地方で過したから、

大都市ヤンゴンの大渋滞がまどろっこしい。今日は日曜日というのに、どうして混むのじゃぁ。アウンサ

ンスーチーさんにお目にはかかれなくても、軟禁されているというご自宅は見たいと思っていた。しか

し、湖に面したお屋敷までの道は許可が無ければ通行不可ということでチラ覗きも出来なかった。チャ

ウッターヂー・パヤーに行く。また裸足だが、最後の裸足だよ。全長70m、高さ17mの巨大な寝仏が

いらして、足の裏には黄金の仏教宇宙観図が描かれている。足を丁寧に拭いて裸足の1週間が終了。

昼 ヤンゴン 「グリーンエレファント」 ポテトチップ、豆と玉ネギのスープ、チキンカレー、ポークカレー、

   隠元豆のサラダ、空芯菜炒め、海老、白飯、フルーツとタマリンドの菓子、コーヒー、西瓜のフレッシュ

   ジュース 2000K

  

    ミャンマー最後の食事

ミャンマー最後の食事は「グリーンエレファント」という高級レストラン。この国の食事には、必ずという

くらいスープがつく。一度だけチキンスープが脂っこ過ぎたが、毎回美味しく感心した。今日は豆と玉ネ

ギのスープ。薄味なのにコクもあって旨いぞ。空芯菜炒めと西瓜フレッシュジュースが特に旨かった!

夜 タイ航空 ヤンゴン=バンコック ビジネスクラス機内食

旅の最後はボーヂョーアウンサン・マーケットの見学と買い物。観光客の多くが立ち寄る場所だからか

それまで見かけなかった子連れの母親や幼子の物乞いがいたよ。イギリス統治時代に建てられ、貴金

属や漆、衣類などの店が並ぶ。ミャンマーに到着した日に、50jを両替したら47500Kになった。1

間経っても未だ半分近く残っている。男も女も大半が身につけているロンヂー(女性はタメイン)を作ろ

うか。たった15分で完成した。空港では、泣きそうなガイドのAさんとお別れし、タイ航空に乗り込んだ。

                ______________________

【今週の振り返り】

次期中国のリーダーと目されている習近平副主席は、日本訪問の後、韓国とカンボジア、そしてミャン

マーを歴訪した。今月20日に行われたミャンマー軍事政権トップとの会談の議題は、両国国境地帯の

安定化問題だったそうだ。ミャンマー東部と中国の国境では今年8月、漢族系少数民族とミャンマー国

軍の武力衝突が起きて、漢族系少数民族数万人が中国雲南省に逃げ込んだことがキッカケで両国の

関係は冷え込んでいたのだ。ミャンマーは中国からは多額の援助を受けている。

昨年20085月に公開された「ランボー/最後の戦場」は、ミャンマーが舞台だった。タイ北部にひっ

そりと暮らすランボーが、キリスト教系NGOにミャンマーへの案内を頼まれて送り込むことにする。ミャ

ンマーでは、少数民族カレン族が軍に虐待されていて・・・・というストーリーだそうだが、私は観ていな

い。この映画は残忍な映像が多いことからR―25指定を受けている。ランボーを演じ、監督・脚本・製

作すべてを担当したシルベスタ・スタローンは、「現実に、残忍な暴力や虐殺が起こっている地域を舞

台にしたい」ということで、ミャンマーを舞台にしたということだ。

2007年日本のジャーナリストの長井健司氏が仏教僧による大規模の反政府デモの弾圧に巻き込まれ

て射殺されるという事件が起きた。当初、ミャンマー政府は「流れ弾に当った」と説明していたが、別の

角度から撮影された録画では、至近距離から軍人が長井さんを撃ったように見えた。この録画は何度

も日本のテレビで流されて人々の怒りを買った。

非暴力民主化運動の指導者、アウンサンスーチー女史は、「ビルマ建国の父」と呼ばれるアウンサン

将軍と外交官だったキンチーとの間に生まれた。1991年ノーベル平和賞を受賞したが、賞金の130

ドルはビルマ国民の健康と教育基金に使われた。イギリス人の夫はミャンマーに入国が許されず、ア

ウンサンスーチー女史が国外に一旦出れば再入国を拒否される可能性が高いため、再会できないま

10年前夫君は亡くなった。選挙では圧倒的に支持されても、軍事政権によって度々自宅軟禁され、

アメリカを筆頭とする諸外国からの抗議・非難にも関わらず、現在もその状態が続いている。因みに、

彼女の名前アウンサンスーチーは、どれが姓でどれが名前だろうか。アウンサン・スーチーと表記し、

スーチー女史なんて書いてある新聞・雑誌を見かけるが、あれは間違い。ビルマ民族は性別に関係な

く姓は持たないのだそうだ。よって全部が個人名。父の名(アウンサン)+父方の祖母の名前(スー)+

母親の名前(キンチー)から一音節ずつ取って名付けられたのだそうだ。

竹山道雄作の「ビルマの竪琴」は、過去2回に渡って映画化された。1956年版は水島上等兵に安井

昌二が、1985年版は中井貴一が演じた。青いオウムが「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンンヘカ

エロウ」と呼びかけ、仲間の兵隊達による「埴生の宿」の合唱。涙無しでは観ることが出来ない映画だ

った。1956年版、1985年版とも市川崑監督だった。太平洋戦争中、ビルマでは日本人19万人が命を

落とした。その他、タイとビルマ国境付近が舞台になった「戦場にかける橋」とい映画もあったなぁ。映

画主題歌のクワイ河マーチが日本でも大ヒットした。1957年公開の映画で、アカデミー各賞を作品賞、

監督賞など7つも受賞したのだった。日本軍の斎藤大佐役に早川雪洲が演じ、受賞は逃したが、ノミネ

ートはされた。

ミャンマー連邦は、1989年軍事政権が国名変更を行うまではビルマだった。当時首都だったラングー

ンはヤンゴンに変わり、パガンはバガンに変更された。国土の中央を縦断するイラワジ川もエーヤワデ

ィ川となった。更に、3年前の200610月10日には遷都を宣言し、ネピドーを新首都とした。ヤンゴ

ンから車で北へ4時間行った場所にある。バングラデュとインド、中国、ラオス、タイの5国と海に囲ま

れ、北緯10度から28度に位置する南北に細長い国だ。国土は日本の1,8倍もあり、人口は約5000

万人。135種類もの民族がこの国に住む。

1962年からこの国は軍事政権となった。通貨はミャンマー・チャット(k)だが、公式レートは1j=20k、

しかし空港での両替レートは1j=450k、そして普通の人々がやり取りしている市場レートでは、何と

1j=950kなのだ。ミャンマー・チャットの不安定さは、ミャンマー政府と市場の思惑の大きなズレを示

しているようだ。この国では政府批判は当然のこと、政治について話すことさえ禁止されている。警察

に通報されれば、直ちに逮捕され、家族にも累は及ぶ。若手インテリ層の批判を避けるためか、一番

の大都市ヤンゴン市内にある大学はヤンゴン外国語大学くらいで、殆どは大きな川を渡った郊外に学

部ごとに分かれて設置されている。集会やデモなど行えないようにしているのだろう。怖い国だと思う。

20085月に大型のサイクロンが襲い、ミャンマーだけでも30万人もの死者を出す大被害に見舞わ

れた。

「ミャンマーに行く」と伝えた数人の友人達は、「大丈夫なの?危なくないの?」と心配してくれた。私もミ

ャンマーはちょっと何だよなぁ・・・と思いながらツァーを申し込んだのだ。しかし、行ってみれば。熱心な

仏教徒であるミャンマーの人々は、裸足でパゴダに通い、毎日祈っていた。若い女性でも、お爺さんで

も、子供でも、目が合うと必ず笑顔が返って来る。その笑顔がいい。ささくれだった心でも蕩けるような

笑顔だ。泊まった3つのホテル、特に地方ホテルのスタッフのやわらかなサービスがとても気持ち良か

った。インレー湖で過した23日で会った人達の、素朴にして温かい人柄はジンと来た。奥インレーで

会った子供達の目はキラキラ光っていて、無垢そのものだった。ミャンマーでひとりとして感じの悪い人

がいなかった。奇跡のようだった。

インレー湖。真っ青な空と透明度の高い湖。湖の周囲はグルリと山が取り囲む。緑いっぱいだ。インバ

ー族が足で櫓を漕ぐ舟がアメンボウのように湖面を走る。浮島には彼等の住む高床式の家があり、村

がある。そして浮島には畑が作られて野菜がたわわに実っている。魚介類も野菜や果物も湖から貰う

のだ。ボートで長い浮島が引き摺られて行く。学校帰りの子供達が船にズラッと座って家路につく。湖

畔では牛や馬がのんびり草を食んでいる・・・・。桃源郷というものがあるとすれば、こうゆう世界を言う

のではないか。いつまでもこの世界に浸っていたいと思った。

「こんな穏やかな美しい国が、実は軍事政権の怖い国だなんて信じられない!」と何度も一緒に旅した

人と話した。ちょっと旅する人間にはミャンマーの実像、実態はわからない。それほどに、表面はホント

に平和に見えるのだよ。ボーっとした人なら、2、3週間ミャンマーを旅しても、この国の根底の悲しみは

伝わってこないに違いない。全くわからないような気がする。

ミャンマーが、自由にモノを言える国に早くなって欲しいと思う。あの優しい人達の心の悲しみが消えて

ほしいと思う。真の平和がミャンマーに来て欲しいと思う。たった1週間だったが、私はすっかりミャンマ

ーの人々に惚れてしまったのだ。またあの笑顔に会いに行きたい.。皆さんもいかがですか?オススメ

ですよ、是非!

       ♪ ぼくの名前は ミャン坊    ぼくの名前はマー坊

         ふたりあわせてミャンマーだ    君とぼくとでミャンマーだー ♪

              お待ちしておりますニャア   ぼくニャン坊

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