パクパク日記10年2月2週

           日本は真冬だから、太陽の国メキシコに出かけたのだった

ティオティワカン 国立人類学博物館

2月 8日(月) 晴れ             米・スーパーボウルでニューオリンズ・セイインツ初優勝!

朝 家食 京都「プティ・ムッシュー」のカレーソースを使ったカレーうどん、オレンジ、アロエヨーグルト

ヘルシア茶

    つくづくカレーうどん好きと思う

アメリカ男子ツァーに参戦している石川遼君、最終結果は−4で32位だったそうだ。過密スケジュール

の遼君だが、38日は高校の卒業式だそうな。賞金王は高校生だったわねぇ。今朝のご飯は大好き

なカレーうどんを作った。昨日「プティ・ムッシュー」のカレーソースをちょっと残しておいた。和風の出汁

にカレーを足してと・・・美味しおす。先週は日本中が冷凍庫に入ったようだったが。今週は緩むらしい。

昼 新宿 「カフェ ハイチ」 ドライカレーとサラダ、スープセット 1100円(大盛り +160円)

    お釣りは募金 食べたのは半分

午前中、月に一度の整形外科に行く。私にとって月1回行くところは、この整形外科、西洋医者、美容

院、海外旅行、(最近は)京都・・・。それはそれとして、今日の膝注射は痛かった!針を射した瞬間だ

けならガマンできるが、注射後痛みは益々強くなり歩行出来ないほど。イデデデ・・先生はしきりに「ご

めんね、ごめんね」と謝ってはくれるが。新宿のビッグカメラに「2代目ご飯カメラ」のピンちゃん(キャノ

ン製)を入院させに行く。11台もカメラを持っていると、あっちがこっちがとメンテナンスに忙しい。スーパ

ーアシストカメラのクロちゃん(リコー製)の予備バッテリーを買おうと思ったら、ビッグカメラの新宿・池

袋地域の店舗には在庫ゼロと言う。「お急ぎでしたら有楽町店に行って下さい」。ナヌ?有楽町まで行

けと?ふん!5分歩いてヨドバシカメラ西口店に行くと、ザクザクあった。2個買った。ハイチで大地震が

あったのはカナリア諸島に滞在している時だった。テレビも新聞も見なかったので知らなかった。大惨

事だった。遅まきながら何か出来ないか・・・。「ハイチ」に行った。料理の料金は1260円だったが、2

円払ってお釣りを店内にある募金箱に入れて貰った。ドライカレーどうして大盛り?半分残しました!

夜−1 荒木町「仙水」 6千円のお任せコース(子持ちヤリイカとほうれん草、サザエの壷焼き(刺身に

代えて)、甘鯛の焼き物、野菜の炊き合わせ、海老真丈の揚げ湯葉巻、ハタのチリ酢)、もみイカ、

稲庭うどん、ビール×2本、冷酒「白岳仙」 4合 @1万4200

  

  

  

夕方4時、ケンイチさんが来てくれた。A先生はパソコン周り、オーディオとカメラはケンイチさんが師匠

だ。毎月海外不在中、留守番に来てくれる姪のカオルの報告によれば、現在我が家のCDDVD

不具合が生じていて使用出来ないそうだ。忙しくて確認も出来ていないのだが、ケンイチさんに出張修

理をお願いしたのだ。すんませーん。点検結果:CDプレイヤーは故障していない。オカシイのはアンプ。

あら?コンセントから外れていますね。解決!DVDプレイヤーは故障。ケンイチさんがご自宅から持

参された同型プレイヤーと交換。解決!ってことで1時間ですべて完了した。スンバラシイ!それでは

食事に行きましょう。北海道育ちの彼は肝付き烏賊が大好物。つまり、もみイカね。だから「仙水」に行

くことに。今晩も大賑わいでご主人の長男と彼女が手伝いに来ていた。たまにはとコースを食べよう。

私と同期のケンイチさんだが、四国巡礼を既に歩き通し、春になったら二順目(!)に入るのだそうな。

夜―2 荒木町 「HARLEY」 ジントニック  

たまには唄でもと「HARLEY」に行ってみたが、酔っ払いギャーギャー若者が数人いて、早々に退散。     

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2月 9日(火) 晴れ  ぽっかぽか陽気で春みたいじゃぁ       立松和平氏死去

朝 家食 「ハイチ」のドライカレー、ランチパック(ツナ 半分)、味噌汁、アロエヨーグルト、ヘルシア茶

昨日のニュースだが、統合のための準備をしていたキリンとサントリーが決裂し、統合話は破談になっ

たそうだ。今朝テレビで流された双方トップの会見は、一方は意味不明、別方は相手憎し!って感じで

吐き捨て言葉も混じってさ、はぁ〜・・・と私は面白がって観た。トヨタのリコール問題でもそうだけど、企

業人の顔の見せ方は難しい。企業の姿勢が見えてしまうからね。ウクライナの大統領選の投票結果が

判明した。徹底的に親ロシア候補者が当選。時代が戻るのか?昨日残して持ち帰ったカレーで朝食。

昼 愛住町 「峨眉山」 もやしと大葉の汁緬(杏仁豆腐付き) 900

    辛くないからラー油をかけて

支払う伝票(計3400円)3枚と、お金を貰える伝票(300円・・・・涙)1枚の処理をするため、郵便局

に行く。貰える方のたった1枚伝票を見ながら、郵便局員さん「昨日までなら支払えましたが、期限が切

れてしまったので銀行の窓口・・・・」。いいです、もうそれ要りません!チェッ。予約した11時半、N原先

生の治療院に行くと、代診のD助君が、「・・・11時の予約でしたよね?もう別の方が・・・」。ゲェーッ!

どうやらN原先生の転記ミスだったようでホッとした。治療後、「峨眉山」で汁緬。全く辛くない麺だった。

午後のおやつ 「小川軒」のレーズンウィッチ

スーツケースを完成させてから、4月、5月、6月の海外旅行申し込み書を記入。わざわざポストまで行

って投函し、申し込み金も支払う。年初に「毎月海外に行かなくてもいいじゃない、家にもいようよ」と考

えたのだが、もう前半の6ヶ月、全部入れてしまったなぁ。アハハハ、ダメねぇ。リズムが出来ちゃって。

夜 家食 もやしとピーマン炒め、塩辛炒飯、もずく酢、味噌汁、でこぽん、ヘルシア茶

    「おく谷」には遥か及ばず

5時過ぎ福山通運がスーツケースを取りに来た。これでよし。2月1週のパクパク日記を作成したり、手

荷物の準備をしたりしてから、夕食には、塩辛炒飯を作ってみた。「おく谷」の塩辛炒飯には遠く及ばな

かったが、ま、こんなものか。食事しながらテレビをつけた。さんまが司会する番組をやっていた。名前

は知らないが、若いオバカな女性が3人、代わる代わる自分がいかにオバカか自慢していた。「漢字な

んて普段使わないしぃ、知らないしぃ、読めないしぃ・・・」。自分の姓名を18歳まで書けなかったとか、

結婚して半年、夫の苗字が書けなかったとか、信じられない話だった。21世紀の日本でそんな人達が

いるんだね。識字率なんて言葉を思い出してしまった。さてと今日は早く寝て明日早く起きよう。無酒日

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2月 10日(水) 曇り          今日は24時間+15時間=39時間もあるのじゃあ!!

第1食 家食 蒸しもやしポン酢がけ、塩辛炒飯、味噌汁、アロエヨーグルト、ヘルシア茶 

6時半起床。あらら天気が悪いわ。昨日は4月並の温かさだったが、明日からまた冷えるらしい。私は

暖かメキシコだもんね。朝風呂や朝食の他にも出発前は何かと忙しいが、今日は歌舞伎座チケット売

り出しもあるんじゃ。9時半前から2台のパソコンを立ち上げ、グチャグチャやりながら売り出しの10時

を待つ。おっ!1発で入った。買った。全部1列目!よっしゃー!あれ、余計なものまで買ってしまった

よ。歌舞伎座も4月でおしまいだから、チケット獲得熱は異様な雰囲気だ。さてと、出発しましょうかね。

第2食 新宿 「追分だんご本舗」 きしめん 1,000

    だんごは食べません、きしめんです

成田に向かう前新宿でランチを摂るなら、今まではハルク地下のカレー屋にほぼ決めていた。然るに、

そのカレー屋はちょっと前撤退してしまったんさ。ガックリだ。街からカレーの灯を消しては遺憾よ、キミ。

というわけで開店直後の「追分だんご本舗」できしめんを食べることに。年寄り1人客で店は埋まった。

第3食 アエロメヒコ 成田=メキシコシティ ビジネスクラス機内食

16時発メキシコシティ行きアエロメヒコ。1年前乗った時は14時55分発だった。4年前「アエロメヒコ直

行便就航!」と聞いて、ヨッシャ!行くぞと思っていたのに、その実ティファナで全員降りる仕組み。ティ

ファナ直行便であって、ほとんど乗客が行くメキシコシティ直行ではなかったのだ。それが今年になって

シティまでの「ノンストップ便」開始となって約1時間出発は遅くなった。嬉しいな。しかし、機材が以前よ

り小さくなり、機内食は相変らず不味い。日本の新聞も雑誌も積んでいないのは米航空会社と同じだ。

第4食 アエロメヒコ 成田=メキシコシティ ビジネスクラス機内食        1ペソ=約7円

メキシコには時間帯が3種あるが、今回訪れる土地はいずれも日本とは時差15時間。現地時間午後

2時首都メキシコシティに到着。気温は低い。標高2240mの地にあるからね、気圧に慣れるまでは走

ったりしないようにしなくちゃ。今回の旅のスルーガイドを務めてくれるCバさんはスレンダーの美人だ。

第5食 メキシコシティ 「フォーシーズンズホテル」 トマトスープ、クラブハウスサンドイッチ、「コロ

   ナエ クストラ」ビール 80ペソ、赤ワイン 200ペソ

  

都心に向かう中、ジャカランダの紫の花が咲いていた。今日からフォーシーズンズホテルに3泊する。

ワーイ!嬉しいなぁ。植物に溢れた大きな中庭を囲むような建物で、私の部屋は5階にある。今日は時

差のお陰で39時間もある長い長い一日だったから、食事も5回目だ。トマトスープ、クラブハウスサン

ドイッチだけの軽食だったが、レストランの外の席で寒くてブルブル。メキシコは先週まで大荒れの天気

で、乾季なのに大雨による土砂災害で死者も出たし、シティには雪も降ったとか。あぁ、疲れたなぁ!!

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2月 11日(木) メキシコシティは晴れ

朝 メキシコシティ 「フォーシーズンズホテル」 朝食ヴュッフェ

      中庭の噴水とホテル内階段

疲れていたから昨夜はグッスリ?うんにゃ!それがほとんど眠れなかった。ほわほわの寝具がカラダ

に合わず、朝方4時半まで眠れなくてね。浴室からバスローブを持って来ることを思いつき(思いつくの

が遅いんだよ!)、ようやくウトウト。1時間半で起床時間となってしまった。朝食のヴュッフェは、7時か

ら。夜はバーになる場所でソファ席なんかもあって、ちょっとヘン。フルーツはふんだんなヴュッフェだ。

   

     カテドラルのグアタルーベの聖母              サントドミンゴ教会・ロサリオ礼拝堂のマリア像

世    界遺産のプエブラの旧市街              18世紀迎賓館でもあった砂糖菓子の家         タラベラ焼きでも有名

午前8時出発したバスは東のプエブラを目指す。ホテルに迎えに来た大型バスは、メキシコシティに数

台しか無いデラックスバス。飛行機で言えばビジネスクラスのように座席のピッチが広く、足置きがつい

ている。オマケに最後部には男女別のトイレも完備していて誠に結構なのだが、その分座席数が少な

い。今回のグループは22名参加だから、半分の人は二人掛けとなって、それが何とも狭苦しいのだ。

道中で見かけたのは左右の丘陵地帯にビッシリ建つ家々。地方から出て来た人々が違法であることを

知りながら、「ここ空いているじゃん」と山の中腹にどんどん家を建て・・・。「空から降って来た人々」と呼

ばれるらしいが今や3階に建て増ししたり堂々と住んでいるそうだ。2時間半かけてプエブラに到着。植

民地時代の旧市街は世界遺産に登録されている。カテドラルを見学してからサントドミンゴ教会に行く。

教会内にあるロサリオ礼拝堂は、壁から天井から隙間なくびっしりと装飾が施され、ガイドのCバさんの

言葉を借りれば「ウルトラゴシック」調。「この頃の人は隙間があるのが許せなかったんじゃないでしょう

か」って。アハハ。しかしその礼拝堂にいらっしゃるマリア様が素晴らしい。豪華で愛らしいマリア様だ。

昼 メキシコ・プエブラ 「ホテルコロニアルレストラン」 ポテトスープ、パン、ピラフ、サラダ、名物料理

チキンのモーレ、モーレソース、トルティージャ、アイスクリーム、コーヒー

  

  

ここプエブラは、メキシコ郷土料理の発祥地でもある。昔、地元で収穫される食材を利用して修道女達

が王宮料理を作ったのだそうだ。そんな伝統料理の「最高傑作」と呼ばれるのが「モーレ」。唐辛子、ア

ーモンド、胡麻、干しぶどう、チョコレート、シナモン、トマトなどでソースを作る。旨いか?シー。私は結

構好きだな、この味。甘いけど。メキシコのレストランでは、マリマッチがつきもの。隣に座ったS木さん

が異様に喜ばれている。78歳の青森の方だが、フォルクローレが好きでボリビアまで行かれたそうだ。

  

ポポカテペトル(5452m)の高さは2番目!       チョルーラの古代遺跡トラチウアルテペトルとその上に建つ教会 

メキシコの最高峰はオリザバで5699m。なのに、高さでは2番目となる「煙を吐く山」という意味のポポ

カテペトル(5452m)の方がずっと有名らしい。ポポの右隣にはイスタシワトル(5286m)というやさしい

カタチの山があり、「眠れる女」という意味なのだそうだ。ガイドのCバさんから2つの山の悲恋物語を聞

く。ま、そうゆうことにしておきますか。プエブラ近郊のチョルーラ。ここに古代遺跡のトラチウアルテペト

ルがある。アステカ時代、この地に人口10万人を超える大都市があってトラチウアルテペトルという大

神殿が建っていた。エルナン・コルテスのスペイン軍によって400あった神殿はことごとく破壊され、そ

の礎石を利用してカトリック教会が31も建設された。ポポカテペトルを仰ぎみながら、ウームと唸った。 

 メキシコシティ 「フォーシーズンズホテル」 ミックスサラダ、各種パン、鮪のステーキ、ホワイトチョ

コのムース、「パシフィコ」ビール 80ペソ、白ワイン 180ペソ、赤ワイン 200ペソ

朝8時にホテルを出発し、帰って来たのは夜8時。ふぅ〜。寝不足の上、一日お腹がゴロゴロしていて、

トイレ完備バスで良かった。何度か冷汗をかいた。夕食は今夜もホテルで。食事しながら自己紹介タイ

ムがあった。夫婦3組、姉妹1組、友人同士3組、一人参加7名、計22名。世界中どこに行っても飲ん

でいるビール、赤白ワインの3点セットを注文したが460ペソ=3220円!このホテルはやっぱり高い。

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2月 12日(金) メキシコシティは晴れ

朝 メキシコシティ 「フォーシーズンズホテル」 朝食ヴュッフェ

    茹で卵は1つだけ食べた

昨日毛布でベッドメーキングして貰ったので、昨夜は少し眠った。5時半に起きてシャワーを浴びる。今

朝は9時出発で余裕があるから、朝食では茹で卵をオーダーした。1つで良い、というのに2つ来ちゃっ

たよ。ホテルの中庭から見えるメキシコシティの空は真っ青で、雲ひとつない。晴れてくれてありがとう。

  

      ソカロ地区メトロポリタン・カテドラル   国立宮殿の壁画はディエゴ・リベラ作品最大の「メキシコの歴史」が。トロッキーもいるよ

メキシコシティの旧市街ソカロ地区に行く。広い中央広場に面した一角に国立宮殿がある。アステカ時

代の王の居城跡にスペイン人コルテスが築いた宮殿である。ここでの見所は、アステカ時代から現代

のメキシコまでを描いたディエゴ・リベラの大作「メキシコの歴史」の壁画である。正面階段から描かれ

て回廊をぐるっと一周するつもりだったが、リベラの死去で途絶えた。スペインに征服され、植民地とな

り、やがて独立運動に発展していく様子が力強く描かれている。3番目の妻フリーダ・カーロや浮気相

手でもあったフリーダの妹も登場するし、スターリンと争ってメキシコに亡命したトロッキーの姿も描か

れている。今や夫人のフリーダの方が世界では有名になったが、これを見るとリベラは巨匠であるな。

  

                   テオティワカンの壁画                  月のピラミッド          世界で3番目に大きい太陽のピラミッド

今日もビジネスクラスのようなバスが来た。席順が最後列グループになったので一人掛けで楽チン。1

時間走ってテオティワカン遺跡に到着した。テオティワカンとは「神々の都」という意味で、BC2世紀頃

建造されたメキシコ最大の宗教都市国家だった。350年間から650年ほどの300年間栄え、最盛期に

20万人の人口を誇ったと推定されている。高度な知識と技術をもったテオティワカン人であったが、

8世紀になると忽然と消えてしまった。数百年後この地に来たアステカ人は、打ち捨てられたテオティワ

カンのピラミッドなどの建造物を見て、腰を抜かすほどタマゲタ。「こんなものを建てたのは神々以外に

はいない!」と信じ、「太陽のピラミッド」、「月のピラミッド」、「死者の道」などの名称を与えた。月のピラ

ミッドには途中まで、太陽のピラミッドは頂上まで上ることが出来る。もちろん、私はどっちも上らない。

昼 テオティワカン 「GRAN TEOCALI」 ランチヴュッフェ

    下手くそな歌を聞きながら

2時、遺跡近くのレストランでランチ。植民地だったスペインの影響だろうか、メキシコの食事時間は遅

い。昼は午後2時から4時頃に、夕食に至っては8時なら早い方で9時頃が標準のようだ。この店で

もマリアッチの演奏があったが、歌い手がとんでもなく下手くそで、ただでさえ美味しくないヴュッフェ料

理が更に不味くなる。私なんて3口くらいで食べる気持ちが萎えてしまったもんね。チップを入れる籠が

回って来たが、こんな下手な歌を聴かされたのだから、こっちこそ慰謝料を欲しいところだ。おくれよ!

  

       雨神の像               太陽の石アステカカレンダー         このオッサンが面白い             パカル王のヒスイの仮面

夕刻渋滞をくぐりぬけ「国立人類学博物館」に行く。結論から先に言ってしまうと、この博物館はスンバ

ラシイ!極端に言えば、メキシコのどこにも行かなくてもいいから、ここだけは来てねって感じ。テオティ

ワカン、トルテカ、アステカ、オアハカ、マヤといった部屋に分かれていて、遺跡ごとに発掘されたホンモ

ノ、あるいはコピーが展示されている。2時間ほど駆け足で見学したのだが、1日がかりでもいいなぁ。

夜 メキシコシティ 「ウジャマリア」 タコスの前菜、カボチャの花のスープ、メキシカンステーキ(牛の

横隔膜のステーキ)、トルティージャ、メキシコケーキ、「コロナネグロ」ビール 40ペソ、マルガリー

タ小70ペソ、赤ワイン 70ペソ

  

  

メキシコシティ最後の夜は、街中のレストランで。とても人気のある店ということで、8時半に到着した時

店は満員だった。フローズンタイプのマルガリータが名物で、大きいサイズになると丼のような大きさだ。

私は冷え冷えのビールとマルガリータの小にした。メイン料理は牛であるが、牛の部位を当てよ、という

クイズが出た。皿の中を見た途端、私が「これ横隔膜でしょ?」と答えてしまい、あまりクイズにはならん

かったな。とても旨かった。この店のマリアッチは上手。髭のお兄ちゃんが、スペイン語と日本語で「川

の流れのように」を熱唱してやんややんやの喝采。Y崎さんが今日誕生日だって。還暦らしいですよ。

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2月 13日(土) 晴れ

朝 メキシコシティ 「フォーシーズンズホテル」 朝食ヴュッフェ

   フルーツ、クロワッサンとホットチョコが旨い!

3泊したフォーシーズンズホテルとも今日でお別れだ。朝食では、メキシコ特産カカオ豆を使ったホット

チョコレートが美味しい。カカオが特産ならチョコレートが旨かろうと思うのだが、この国の人は固めたチ

ョコではなく、粉状にして水で溶いたドリンクを愛飲するのだそうだ。フルーツとクロワッサンが旨いね!

  

          世界遺産のルイス・バラガン邸               生家を利用したフリーダ・カーロ博物館     夫君ディエゴ・リベラとフリーダ

メキシコシティ最後の観光はアートを楽しむ。ルイス・バカラン邸。個人住宅を博物館として公開してい

るのもだが、世界文化遺産に登録されている。ルイス・バカランはメキシコを代表する建築家で、この邸

宅は自邸として1947年着工され翌年完成した。直接照明を嫌って様々な工夫を凝らして光を取り、ピ

ンク、ブルー、イエロー、オレンジなど淡いながら鮮やかなカラーリングを駆使した家。敬虔なカトリック

らしく、家々に十字がさりげなくデザインされている。生涯独身で通したルイス・バカランは86歳で天寿

をまっとうするまでこの家で過した。次はフリーダ・カーロ博物館。映画化されたのでご覧になった方は

多いと思うが、メキシコ3大壁画家ディエゴ・リベラの3番目の妻となった画家フリーダ。幼い頃小児麻

痺を患って病と闘い、医大生の時には交通事故で全身22箇所も骨折する大怪我をする。以来ケガの

後遺症に苦しむ生活を余儀なくされたが寝たきりになっても天井につけた鏡を見ながら自画像を描くな

44歳で亡くなるまで絵筆を放さなかったと言う。リベラが手を入れた彼女の生家が公開されている。

昼 空港 「Flap‘s」 ブロッコリースープ、白身魚(ぴらぴあ)のソティ、アイスクリーム、コーヒー

  

夜 ビジャエルモサ 「ハイアットリージェンシー」 ディナーヴュッフェ、ビール「DOS EQUIS」50ペソ、

    白ワイン100ペソ、赤ワイン 100ペソ

  

夕方の飛行機で、ユカタン半島のつけね部分にあるビジャエルモサに飛ぶ。飛行機は大揺れだったら

しいが、3晩よく眠れなかったので爆睡していて気付かなんだ。標高の高いメキシコシティは乾燥して涼

しかった(朝晩は寒い!)から、高温多湿の気候にちとタジログぞ。ビジャエルモサとは覚えにくい地名

だが、エルモサは美しい、ビジャは町という意味で、タバスコ州(!)の首都である。空港に迎えに来た

大型バスにもホテルの客室にも冷房が入っていた。夕食はヴュッフェ。チェッ!ヴュッフェは嫌いだ。い

つものようにスープを飲んだ後は、チーズとクラッカーで酒を飲み、メインを食べずにデザートで終了。

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2月 14日(日) 曇り

 ビジャエルモサ 「ハイアットリージェンシー」 朝食ヴュッフェ+注文スクランブルエッグ+

     赤いきつ ねミニ

私は羽毛布団が苦手だ。苦手というよりアレルギーに近い。寝具が羽毛ではゼッタイ眠れない。昨夜

毛布に交換してくれや、とK添乗員を通じてお願いすると、ホテル中さんざん探して「すまん、毛布無い

んだわ」と信じられない答え。ハイアットホテルでだよ?じゃ、どうしたかと言うと、シーツを4枚貰って、

重ねて寝たんさ。すると、どうだ!よく寝たのだ、アハハハ。フォーシーズンズホテルの3晩、あまり眠

れなかったからね、疲れていたんだろう。小さい赤いきつねを食べようと「Hotwarter please」とお願

いしたら「Si」と言ってお兄ちゃんが持って来たのはバター3つ。?アグアスカリエンテスって言うのか。

  

       ラベンタ遺跡公園の「空を見上げる猿」              巨石人頭像の年老いた戦士        亀君達の日向ぼっこ

ホテルから15分ほど走ると、ラベンダ遺跡公園に着く。オルメカ文明の中心地ラベンダ遺跡から出土し

た石碑と動物園が一緒になった公園である。紀元前1200年から紀元前400年前に造られてと思われ

る巨石人頭像は、重さ20tを超えるものもあり、33個の石像が展示されていた。中でも「空を見上げる

猿」は芸術的にも素晴らしいと思うよ。この時代、ジャガーが神として崇拝されていたらしく、動物園の

部には、ジャガー、黒豹、まるで猫のようなオセロテもいて可愛らしかった。オセロテ飼いたいなぁ・・・。

  

       パレンケ遺跡碑文の宮殿                    正面は天体観測所と思われる宮殿の塔       一番立派な建物は神殿

2時間走って正午パレンケ遺跡に到着。昼と夜は食事時間が遅いから、当然のように今から観光する

のだ。パレンケとはスペイン人が後につけた名前で、先住民の言葉では「ナカヌハ」。「大きな水」の意

味だそうだ。431年クックバラム1世が創始したパレンケ王朝は周囲と覇権争いに明け暮れていたが、

615年、母である女王から12歳にして王位を継いだパカル王の時代、最盛期を迎えた。息子の代を含

86年間の黄金期の後、徐々に弱体化し、900年には完全に放棄された。以来1000年の間熱帯ジ

ャングルの奥深くに眠っていたが、18世紀半ばスペイン人宣教師によって発見され、「神秘なるマヤ」と

ヨーロッパから発掘隊が押し寄せた。パカル王の地下墳墓が発見された話はセンセーショナルだった。

昼 パレンケ 「Los Leones」 チャヤ(葉)のクリームスープ、チキングリル、プリン、コーヒー

  

今日は天気予報によると雨になる予定だった。傘をさしての遺跡見学はユーウツだなぁと思っていたの

だが、予報は見事に外れてお天気となった。青森のS木さんとはすっかり仲良しになり、毎日食事の度

にお喋りをしている。で、どんな話をしているかと言えば、俳句とか連句のね、そんな話しているんさ!

夜 カンペチェ 「ホテル デル・マール」 野菜スープ、海老フライカンペチェ風、レモンパイ、ビール 

40ペソ、白ワイン 70ペソ、赤ワイン 70ペソ

  

今日はロングドライブの日だ。朝出たビジャエルモサはタバスコ州、パレンケ遺跡があったのはチアパ

ス州、そして宿泊するカンペチェはカンペチェ州。3つの州を走破するのだ。遅いランチを終えて3時に

出発したバスは、夜8時過ぎメキシコ湾に面するカンペチェにようやく着いた。しかし、カンペチェの町は

カーニバルのお祭りで、町中が大騒ぎさ。夕食が終わったのはもう10時近かったが、希望者は夜のカ

ンペチェの見学に出かけて行った。私ですかぁ?もうそんな元気は残っておりましぇーん。お休みです。

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【今週の振り返り】

かなーり昔のこと。当時とても人気のあったテレビのクイズ番組で、こんな出題があった。「その昔、干

ばつに悩むメキシコでは、肉体にある特徴をもった人間が雨乞いの生贄に選ばれました。さて、その肉

体の特徴とは何でしょうか?」。皆さん、何だと思いますか?正解は・・・・・「頭部に複数のツムジのある

人」だった。自慢じゃないが、私の頭にはツムジが3つもある。その頃メキシコに生まれていたら、私な

んぞ真っ先に生贄にされていたかもしれない。で、心臓を繰り抜かれ、チャック・モールの像に私の心

臓が捧げられるのだ・・・・・。そんなことになったらタイヘンだから、メキシコには行かないようにしよう、

と思ったのだ。でも、210日からそのメキシコに行ってしまった。

紀元前1300年頃起こったオルメカ文明から始まって、モンテ・アルバン、テオティワカン、トルテカ文明、

アステカ文明が栄えて行く。一方ユカタン半島の熱帯ジャングルにはマヤ文明が発達し、パレンケ、チ

チェン・イツァー、ウシュマルが栄えた。しかしナゼだか知らんが、これらの宗教都市は大いに栄えてい

たのに、忽然と人がいなくなり、都は打ち捨てられてしまうのである。そして1519年、エルナン・コルテ

ス率いるスペイン軍がやって来る。ところが、アステカの人々は、姿を消された「ケツァルクワトル」の神

はやがて戻って来られる。その神は白い肌で背が高く髭を生やしておられるのだ」と信じていて、それ

を侵略者であるエルナン・コルテスに見てしまい、大歓待したという話もある。事実とは思えないが、そ

れ以降300年の間、スペインの植民地になってしまうのだ。アステカ文明の神殿などは、スペイン人に

破壊され、キリスト教の改宗を迫られる。搾取され、奴隷として働かされる。先住民にとって苦しい300

年であった。

1810年独立宣言がなされ、独立戦争が起きる。1821年多くの犠牲を伴ないながら、独立に成功!!

しかし、混乱と苦難はその後もずっと続くのである。政情不安のため各地で反乱が起こり、テキサスは

分離独立してしまう。テキサスが独立して8年経ったところで、アメリカはテキサスの併合を宣言し、メ

キシコを盛んに挑発する。負けとに決まっているのにメキシコは仕掛けられた戦争に突入してしまい、

やっぱり大敗した結果、大きな大きな犠牲を強いられる。現在アメリカのカルフォルニア州、ニューメキ

シコ州、アリゾナ州などの領土をアメリカに割譲せざるを得なくなったのだ。その土地には石油、銅、ウ

ラニウムなど地下資源が豊富に埋蔵されていたのに。この時失なった国土は、それまでの国土面積の

52%、つまり半分以上をアメリカに奪われてしまったのだ・・・・。豊かなアメリカは益々豊かに、貧しい

メキシコはまたもや苛められた訳さ。これらの州に住むヒスパニック(ラテンアメリカの中でスペイン語を

話す人々)は、移民と思われがちだが、アメリカとメキシコによる米墨戦争の結果、住んでいる土地が

アメリカになってしまった、元メキシコ人もかなり含まれているのである。

国内の混乱を収め、強大な教会の力を抑え、ようやく安定して来たと思ったところに、今度はフランスの

ナポレオン3世が強い圧力をかけて来る。ふんとにもうっ!なのである。オーストリアのマクシミリアン

大公を皇帝として迎えるなんて事態もあったのだ。20世紀になると、各地で圧政に対する抵抗運動が

激しくなり、メキシコ革命に突入する。これ以降のことはゴチャゴチャしていて、ニワカ勉強では巧く伝え

られないから省略するとして、メキシコという名前について触れたい。アステカは先住民の言葉で言うと、

メヒカ。初めて統一国家となる国名をつける時、人々は悩んだ末、「アステカの土地」という意味のメヒコ

(英語でメキシコ)と名付けたのだそうだ。そこでムッとしたのはユカタン半島の人々。ユカタンはアステ

カではなく、マヤの土地だ。「ナヌ?メヒコ?私らねぇ、メヒコじゃないの!独立しちゃうよ?」ってね。国

土は日本の5倍以上、人口は1億1千万人。あのアメリカとの戦争で国土を失わなければ、強大な国

になっていたのだろうな。

近代になると発展激しく、東京オリンピックの次の1968年には中南米アメリカでは初めてオリンピック

の開催地となった。その上、ワールドカップも2度も開催地に選ばれているのである。昨年は豚インフ

ルエンザで大被害を受けたが、1821年独立宣言してから、今年200年を迎えている。   

メル友のショーコさんは、若い頃バックパッカーで世界を彷徨った人。グアテマラのスペイン語学校で3

ヶ月学んで、中米辺りもあっちこっち長逗留したらしい。そのショーコさんはメヒコ大好きと言う。国も面

白いが、メキシコ人が面白いのだそうだ。そんな彼女が興味あることを教えてくれた。「メキシコには禿

(ハゲ)と自殺者がいない」というのである。確かに今までのところ、これから自殺しようとしている人を

見かけなかったし(当り前だ!)、ハゲも全く見かけなかった。メキシコの旅は未だ未だ続きますよー。

お楽しみにねー。     

 ワシ、猫ちゃうねん。オセロテ云いまんねん ニャン

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      メキシコ第1週お届けします。未だ1週以上遅れている?わかってますよ。

ま、そんな時言いにくいのですが、実は26日からまたちょっと海外に行って

参ります。えへへ。次回はメキシコ2週目のパクパク日記は38日か9

に更新したいと思いまーす。