ローカーボパクパク日記10年7月5週

            ハワイの次は、アメリカ本土へ。タングルウッド音楽祭に行った!

タングルウッド芝生席 ボストン交響楽団  

7月 26日(月) 晴れ・・・暑・・・・       今日は土用の丑の日

朝 ローカーボ家食 アミノライスを使った味噌雑炊、もずく酢、無糖ヨーグルト

    朝から郵送作業

昨夜は珍しく、足が攣らなかった。いつも右足が攣るのだ。あぁ良かったぁ、ってベッドで思いっきり伸び

をしたら、攣った・・・。早朝から、宛名書きと短い手紙5通分書く。ハワイの写真と昨日の結婚宴会の写

真をアメリカに行く前に送っておこうと思うのだ。未だプリントには出していないけどね。朝食は雑炊だ。

昼 新橋 「キッチンジロー」 スタハンお好み盛り合わせ(スタミナ焼+ハンバーグ)+豚汁、持参のふ

すまパン 860円

    30年ぶり?キッチンジロー

ハワイと昨日の結婚食次会の写真をプリント依頼してから銀座へ行く。8月1日に叔父の3回忌がある

のだが、欠席するので京都の「松栄堂」からお線香を送った。次は美容院。月に一度の美容院では、

「おとなの週末」を読むことにしている。食べられないものが増えてから読む楽しみは半減してしまった

が、天ぷら特集に「天ぷら荘司」が★★★で出ていることも発見して嬉しくなった。「末げん」でランチし

ようと急ぎ足で行ってみると、5分遅れで閉店していた。1時半までだった。ニュー新橋ビル地下の「キッ

チンジロー」。カタカナ会社時代、深夜残業の出前と言えば「キッチンジロー」だった。単品もあるが、お

好みの組合せが可能で、昔のお気に入りはメンコロ(メンチとコロッケ)だった。ボリュームがあって徹夜

作業に最適(笑)。今日はスタハン(スタミナ焼+ハンバーグ)にした。たいして美味しくもないんだけど。

夜 荒木町 「うえ原」 お任せコース+アラカルト(蛸のやわらか煮、真蛸の子炊き合わせ、毛蟹の土

佐酢ジュレと水玉きゅうり、お造り:鱧と鮪、鱧と早松茸の酸い物、阿武隈川の鮎焼き 蓼酢、和

牛のネギ巻き、(とうもろこしのかき揚げ、海老と野菜の炊き合わせ、炊き込みご飯と漬け物、ちろ

めんじゃこ、赤出汁、クリームブリュレ)、私だけ甘鯛の油焼きと鰯の梅煮、ビール、麦焼酎「蔵の

師魂」 4杯 @1万2300円

  

  

    

ハワイではあんなに毎日長い散歩をしていたのに、日本に帰ってからはサッパリ。この炎天下、1歩だ

って外を歩くのはイヤじゃ!とカラダが拒否する。今日は1週間ぶりに5千歩以上歩いた。今晩は久し

振りにA先生+マキコ夫婦と食事をする。店は「うえ村」。何でも今月の東京カレンダーに大きく掲載さ

れたとかで、ご主人はちょっと緊張していた。今日も京都仕込みの美味しいコース。私は例によって途

中までがコース、以後とうもろこしのかき揚げ、海老と野菜の炊き合わせ、炊き込みご飯の食事セット、

クリームブリュレと(写真を小さく入れたよ)続いたが、私だけ甘鯛の油焼きと鰯の梅煮を出して貰った。

蛸の柔らか煮と毛蟹の土佐酢が秀逸だった。A先生もマキコも旨いと大喜び。「毎月来たーい!夢子さ

ん毎月連れて来てくださーーい!」。勝手に行けって。麦焼酎、水割という名のロックでグビグビ飲む。

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7月 27日(火) 晴れ   宮崎県口蹄疫非常事態宣言解除

朝 ローカーボ家食 ロースハム目玉焼き(卵2)、ワカメスープ、ふすまパン、無糖ヨーグルト、プロティ

ンゼリー

    朝から大量のパンを焼く

5時半起床。血圧や血糖値計測、植物への水遣りと言った朝一仕事を終えたら、すぐふすまパンのミニ

食パンの焼き作業に取り掛かる。長期間かびたり腐ったりしないよう、水分を飛ばすのが目的だ。今回

の旅は28食、1回2枚食べるとして56枚である。ちょっと大きなオーブントースターにパン12枚キッチ

リ並べ数分焼き、裏返してまた数分。焼けたら木製の台に並べて冷ます。十分冷めたら、また袋に戻し

て終了。7袋分をスーツケース用と手持ちに分けて作業完了。これは10日間程度の旅の量だが、もっ

と長い旅の時のパンの量を考えると・・・・でも、糖尿病でもこのパンがあるお蔭で海外にも行けるのだ

から感謝こそすれ文句は厳禁じゃ。スーツケースにパン用密封容器を納めて、準備完了。さあ朝食だ。

昼 舟町 「みつ竹」 もみじ定食(鰤の照り焼き、豚ロースの生姜焼き、サラダ、小鉢、味噌汁) 900

円、持参のふすまパン

    最短距離の外食

今日は父の祥月命日。父が亡くなってからちょうど25年になる。今年の夏も暑いが、25年前もクソ暑

かった。そんな時肉親に亡くなられて、連日大汗かいた。告別式は三鷹の禅林寺で行った。森鴎外や

太宰治のお墓があり、毎年6月19日に太宰を偲ぶ桜桃忌が行われる寺である。しかしそんな名刹で

行った告別式は7月31日だったから、会葬者も遺族も水浴びしたような大汗だくだくの葬儀だった。だ

いたいの用事は午前中片づけて、昼飯は隣の「みつ竹」で食べた。汗をいかにかかないかを考えて。

夜 成田・日航ホテル成田 「サンセットラウンジ」 晩酌セット 1500円、中華前菜盛り合わせ(ピータ

ン・クラゲ・鶏肉ネギソース) 2100円、牛ヒレ肉の黒胡椒炒め 2300円、麻婆豆腐 1100円、焼

酎、グレンリベット 1730円 @9530円

  

自宅を4時半に出て、タクシーで新宿駅西口へ。いつもなら新宿へは地下鉄で行くのだが、今日の暑さ

はたまらん。1歩も歩かんぞ!って思いましてね。高速は渋滞していて、乗ったリムジンバスもノロノロ。

成田空港に着いた頃には薄暗くなっていた。いつもの日航ホテルにチェックインし、いつもの「サンセッ

トラウンジ」で夕食。そしていつもの晩酌セットといつもの中華料理を食べる。保守的な人間なのだよ。

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7月 28日(水)                    アメリカドル$=約90円

第1食 成田・日航ホテル成田 「セリーナ」 朝食ヴュッフェ 2000円

    私しゃあ、足攣りバーさんダス

6時起床。夜中足が攣って漢方薬を飲んだが、朝方また攣った。シャワーを浴び、髪を洗ってから朝食

へ。ここで旨いと思ったことは皆無だったが、今朝の味噌汁はなかなかであった。送迎バスで空港へ。

第2食 ANA 成田=シカゴ ビジネスクラス 糖尿病特別機内食+チーズの燻製

  

今回の旅はビジネスクラス設定が基本だから、ビジネス席のあちこちに同じグループの方がいらっしゃ

るのだろうが、顔合わせしていないのでわからない。それがいい。先日、JALでハワイに行き、機内食

に食べるものがなくて餓死しそうに(えぇ、えぇ私は大袈裟な人間ですよ!)なったので、今回はANA

の糖尿病特別機内食を予約して貰った。HPで調べてみると、食べてはイカンご飯やらパンやら入って

いてどうかと思う内容であるが、フツーの機内食よりはいいだろう。ついて来たパンを断わり、糖質の多

いじゃが芋などの付け合せはすべて残して魚と肉だけ食べる。普通食は栗原はるみ料理人気らしい。

第3食 ANA 成田=シカゴ ビジネスクラス 糖尿病特別機内食+オムレツとハム

    え?糖尿病特別食は無味のタラスープだけ?足りんよ!

昨今、長距離国際線の第2食は好きな時間に食べる。シカゴまでは約11時間、時差は夏時間で14時

間である。他の人のことはわからないが、どうも東に向かって移動するのが苦手だ。日付変更線を超え

るから、行く時は1日がエラク長くなるし、帰りは1日失う感じだし、到着するとまた朝だし・・・キライだ。

    7月30日、シカゴ空港で一眼レフカメラ「テブ君」(ペンタックス製 5年間私と共に世界中を

撮影。一番活躍したカメラだった・・・・・)を失いました!!!!テブ君に入っていた8ギガの

SDカードも一緒です。シカゴで撮影した画像も失いました。よって画像はありません。 涙

第4食 アメリカ・シカゴ・オークパーク 「ヘミングウェイズビストロ」  ガスパチョスープ、ハムとアスパ

ラガスのグラタン、持参のふすまパン、(ベリーと3色アイスクリーム)

  

シカゴ空港には30分遅れて朝の8時45分到着した。酔っぱらって2時間ほどウトウトしただけだから、

トーゼン眠くて仕方がない。暑さも一段落したと聞いていたが、今日のシカゴは蒸しますなぁ。中型バ

スに乗った途端、睡魔が襲って来る。でも、郊外の高級住宅地オークパークまでは、すぐ着いちゃうの

よ。シカゴは建築の町としてつとに有名だが、20世紀三大建築家の一人として活躍したのが、フラン

ク・ロイド・ライト。聞いたことある?そう、旧帝国ホテルの設計者ですよ。車を降りて徒歩観光。「ほら、

ここが八角形が特徴のロバート・P・パーカー邸、こっちはライトには珍しいチューダー様式のネイザン・

G・ムーア邸ですよ」ってな具合に、19世紀終わりから20世紀始めに設計された家を見て歩く。そのう

ちの1つ、ユニティテンプルには入場してみた。ほう、シンプルで風変わりな教会ですなぁ。その教会の

前には、この一角に生家があるアーネスト・ヘミングウェイが通った教会があり、設計はフツーだった。

ランチは、そのヘミングウェイの名前を冠したレストランで。ガスパチョとグラタンをチョイスしたが・・・。

第5食 アメリカ・シカゴ・ハイアット・リージェンシー ロブスターのビスク、グラニテとコーン、白身魚の

ムニエルタルタルソース、(苺とアイスクリーム)、ビール 9j、白ワイン 15j、赤ワイン 14j

  

ライト邸とスタジオツァーは人気で予約制。夕方の予約時間まで時間を潰すため、ウォルマートになん

か行っちゃってね。そうでもしないと、全員バスの中で爆睡しちゃいそうで。薄手のカットソーなんか買っ

てしまいましたよ。ウツラウツラしながらも立って説明を聞き、無事今日の見学終了。ほっとした。今夜

のホテルはハイアット・リージェンシー。シカゴの中心地にあり、この町最大のホテルだ。今日5回目と

なる食事の夕食はホテル内のレストランで。早くも自己紹介タイムがあった。ご夫婦1組、旅友女性2

1組、一人参加男性2名、女性5名、計11名。ビールをグビグビっと飲み干し、プッハーと息を吐い

て満ち足りる。今日は24時間+14時間で38時間もある長い長い一日だった。ビスクスープが濃厚!

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7月 29日(木) シカゴは晴れ

朝 シカゴ・ハイアット・リージェンシー 朝食ヴュッフェ+ふすまパン

    良い天気になりそうよ

昨夜部屋に帰って濃いウィスキーの水割りを飲んでいるうちに、うたた寝。自分のことだから、予想して

いたことだが、ヤッパリって感じ。今日は「お疲れを取って下さい」という20時出発だから、7時までグだ

グダベッドで寝転んでいた。シャワーを浴びて髪を洗うとシャキッとする。朝食でオムレツを焼いて貰う。

  

          ミシガン湖から見たシカゴ摩天楼群              ネオンも広告看板も何もないシンプルな美しさ

雲ひとつない晴天とはこういう日を言うのだろう。琵琶湖が80個入ってしまうデッカーイミシガン湖対岸

からシカゴの摩天楼を見る。真っ平な土地に個性的な高層ビルがズラーッと並ぶ景観はスンバラシイ。

どこか、九龍側から見た香港島の景色を思い出させるものがある。しかし香港と全く違うのは、この町

にはネオンや広告看板が禁止されていて何もないことだ。怖くて汚い街のイメージがあったシカゴだが、

来てみるとゼンゼン違うのね。中心街のユニオン駅に行く。「アンタッチャブル」という映画で、エリオッ

ト・ネスに扮したケヴィン・コスナーが、アル・カポネ(ロバート・デニーロ)派と派手に銃撃戦を行う階段

を見に行った。えぇ?こんなに狭くて短かかったっけ?乳母車が効果的に使われた場面だったね。そう

いえば、去年「戦艦ポチョムキン」で有名になった階段もウクライナのオデッサの町で見たなぁ。アメリカ

で摩天楼が生まれたのはこのシカゴ。車窓から個性豊かなビルを見上げてバスを走らせたのだった。

昼 シカゴ 「CARSON’S」 コールスローサラダ、名物バーベキューリブ、ポテトグラタン、持参のふす

まパン、紅茶

  

  

町の南の方は危険な地域があるそうだが、建築物が面白い上にゴミ1つ落ちていない、そして花に溢

れたシカゴであった。シカゴと言えば、大リーグはシカゴ・カブスとシカゴ・ホワイトソックス、アメフットは

シカゴ・ベアーズだ。ホワイトソックスには以前高津がいたし、井口もいた。井口は88年振りの優勝時

在    在籍した幸運な選手だ。カブスには現在福留がいる。そんなスポーツ選手もたくさん訪れるという店が

今日のランチの店「CARSON’S」。名物は、どでかいバーベキューリブで我々のグループは「2分の1

カット」をオーダーしたにも関わらず、運ばれて来ると余りのデカさにボーゼン自失(自失は余計ですな)

してしまうジーさん&バーさん達なのであった。適当な所でカットして手づかみで肉にしゃぶりつく。甘

い!ハチミツを使った甘さだな、これは。骨の周りの肉を食べていると、意外に全部食べてしまい、多く

のジーさん&バーさんは完食したのだった。添えられたポテトグラタンの大きいこと。これ2口でヤメ。

午後リンカーンパーク温室植物園に行く。隣の動物園もここも入場は無料だ。先々週ハワイ島で咲きこ

ぼれていた南国の花々がシカゴ植物園温室で咲いていた。植物園の前の公園では子供達が花壇の

蝶を追いかけている。ちょっと見には、住みやすそうな町だ。見事なステンドグラス美術館に行く途中で

湖水浴をしているビーチを通った。まるで海と同じビーチ風景なのだが、湖だから淡水で恐ろしく冷たい

のだそうだ。高層ビルの間には「プラザ」と呼ばれる公共スペースがあり、ここに著名人の作品がゴロリ

と展示されているのもシカゴだ。ピカソがシカゴに寄贈した「無題」というタイトルの大きな彫像には子供

達がたくさん乗って滑り台代わりに遊んでいた。その像の向かいには「ミロのシカゴ」が立っている。そ

の他にもシャガールのモザイク画「四季」、カルダーの「フラミンゴ」、デュビュッフェの「起立した野獣へ

のモニュメント」などがあった。希望者はシカゴ美術館に行ったが、私はホテルに帰って休憩しますよ。

夜 シカゴ 「CATCH 35CHICAGO」 ガンボスープ、クラブケーキ、持参のふすまパン、(チーズケ

    ーキ)、ビール 6j、白ワイン 12j、赤ワイン 12j

  

夕食はホテルから歩いて10分程のレストラン「CATCH 35CHICAGO」で。シーフードの店で、スープも

メインもチョイス制だ。アトランタやニューオーリンズで食べた南部料理のガンボスープと、ハワイ島でも

食べたクラブ(蟹)ケーキにした。味はなかなか。希望者は、ジャズを聞きに行かれた。日本人ミュージ

シャンも大勢活躍する中今晩ブルースの野毛洋子さんが演奏すると聞いていたが、急遽替わった由。

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7月 30日(金) シカゴもボストン、ピッツフィールドも晴れ

朝 シカゴ・ハイアット・リージェンシー 朝食ヴュッフェ+ふすまパン

5時過ぎ起床。今日はボストン経由でピッツフィールドに移動するので早く起きたのだが、シャワー&シ

ャンプー、着替え、スーツケースのパッキングを終えた時、添乗員のY澤さんからモーニングjコールが

あった。6時だ、早く起き過ぎたか。6時半から朝食を摂り、7時半にはチェックアウトして空港に向かう。

昼 無し!

詳細は省くが、この後、シカゴ空港で私は愛機カメラのテブちゃんを失ってしまった。この5年以上を私

と一緒に世界中を、日本中を旅して画像に納めていたテブちゃん。ロストペット症候群の話は聞いたこ

とがあるが、ロストカメラ症候群になっちまった。目もウツロ、口からヨダレ・・・・。嘘だよ。でも、相当ガッ

カリ、いや大ショックの出来事だった。その上、空港には私が食べられるようなものは売っていないし、

ボストン行きの飛行機は遅れるわで、踏んだり蹴ったりの一日になった。ボストンまでは空路2時間20

分。時差はマイナス1時間である。ボストン空港から大型バスに乗って、空腹と傷心を抱え夕刻到着。

夜の軽食 ピッツフィールド・クラウンプラザホテル サラダ、ローストチキン、持参のふすまパン、紅茶

  

飛行機が遅れたため、ホテル到着から大忙し。各自部屋で音楽会に行くための着替えをし、ホテルの

レストランで軽食(不味かった!)をかっこみ、先ほどニューヨークから到着したというミニバスに乗って

タングルウッドへ。今日からタングルウッド音楽祭を3日連続楽しむのだ。タングルウッド音楽祭は、マ

サチューセッツ州の西にあるバークシャー地方レノックス郊外のタングルウッドで毎年夏行われる。今

日のプログラムは、「ルスランとリュドミラ」の序曲、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番、そしてプロコ

フィエフのバレエ曲「ロミオとジュリエット」。指揮者はシャルル・ミンシュじゃあなかったシャルル・デュト

ワ、オケはこのタングルウッド音楽祭のレジデンス・オーケストラであるボストン交響楽団だ。テレビで

何度か見たタングルウッドの芝生席には人々が思い思いのスタイルでコンサートを待っている。我々の

席は屋根つき席、前の方の椅子席だ。チケットはホテルを出る時くじ引きで決めた。8時半過ぎ開演。

最高齢Sさんは最初から最後まで寝ていたし、ドクターは演奏中も一眼レフで撮影ばかりしていたが、

そーゆーことを除けば良い演奏会だった。ロミジュリはハープ、サックス、チューバも入る大編成で、

日本人オーボエ奏者の若尾圭介氏のソロも何箇所かあった。10時半終了してホテルに帰る。無酒日

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7月 31日(土) 晴れ

朝 ピッツフィールド・クラウンプラザホテル 朝食ヴュッフェ+ふすまパン

  

7時起床。初日の睡眠不足はよくやく解消出来たようだ。しかし、持参したふすまパンにカビが生えて来

た。未だ旅の半ばなのにアーァである。でもカビを取ってまた焼けばいいか、と食べることにする。12階

の部屋から外を見渡すと、低いけど穏かな山々に囲まれた町であることがよくわかる。近くに線路があ

るらしく、長い列車が通り過ぎて行った。朝食ヴュッフェは料理数が少なく旨くない。3泊するのになぁ。

昼 ストックブリッジ 「RED LION INN」 サラダ、サーモン、(ブルベリータルト)、持参のふすまパンと甘いラスク、紅茶

  

          アメリカ合衆国独立前の1773年に出来た「Red Lion Inn」は今も大人気      若き日の天皇陛下ご夫妻と小澤征爾氏

  

ホテル近所の小さな臨時市場を覗いてから、車で30分程のストックブリッジに行く。メインストリートで

解散となったが、2,3分も歩くと終ってしまうような小さな小さな町だ。しかし、その通りに由緒ありげな

白い建物があり、アメリカ合衆国が1776年イギリスから独立するより3年も前に開業したホテルという

か旅籠の「Red Lion Inn」が堂々と建っている。1部屋1部屋が全部違う造りになっていて、シーズン

オフでもないと相当早く予約しないと泊まれないらしい。当時からの建物がそのまま使われていて、ロ

ビーには若き天皇陛下ご夫妻と小澤征爾氏、チェリストのロストロポービッチ氏と小澤征爾氏の写真が

飾ってあった。午後行く予定のノーマン・ロックウェルの写真もあり、この町芸術家に愛されたのだね。

  

      ノーマン・ロックウェル博物館            彼の作品は近代のアメリカ歴史でもある      制作中のロックウェル氏

ノーマン・ロックウェル。若い頃から頭角を現わした彼は、わずか22歳の時、「サタディ・イブニング・ポ

スト」の表紙にイラストが採用され、以来、実に47年間同誌表紙の321点のイラストを描き続けた。思

わずクスリと笑いたくなる人間味溢れる作品や人種問題を深く抉った作品、美しいアメリカを描いた作

品など、ノーマン・ロックウェルの作品を展示した博物館を見学した。1953年にこのストックブリッジに引

っ越して来た彼は、1978年亡くなるまでこの地に住んだ。代表作「クリスマスのメインストリート」は、愛

するストックブリッジの短いメインストリートを描いたものだ。アメリカ人の多くが愛した彼の作品である。

夜の軽食 ピッツフィールド・クラウンプラザホテル サラダ、甘いサーモン、持参のふすまパン、紅茶

  

今晩もカンタンで不味い軽食を食べた後、タングルウッドの2晩目に出かけた。今日は早めに会場に着

いたので売店を覗いてみた。何気なく黒のフリースを買ったのだが、これが大活躍することになる。今

晩の演目はベルクの「管弦楽のための3つの作品」、R.シュトラウスの「4つの最後の歌」、そしてマー

ラーの「交響曲第4番」。小澤征爾氏の後任として2004年から音楽監督を務めるジェームス・レヴァイ

ンが振ることになっていたが、腰を痛めて手術をすることになってキャンセル。私は、今年の3月もベル

リンで彼にフラれたのだよ。代わって振るのは、45歳のスペイン人ファンホ・メナ。R.シュトラウスとマ

ーラーの4楽章を歌うのソプラノは、韓国系アメリカ人のHei-kyung Hong。癌を患い亡くなったご主

人の看病と喪に服すため数年活動を休止し、今年4月復帰したという女性だ。それにしても今晩の寒さ

は何なんだ!持って来た薄手の上着なぞ着ても寒さは防げん。買ったばかりのフリースを着てもぶる

ぶる。なのに、前に座っているアメリカ人のおっちゃんは半袖&短パンで平気な顔している。ドレス姿で

歌うソプラノの彼女の寒さを思って我慢した。11時近くに演奏会が終った時、外気は10度!!無酒日

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8月 1日(日) 晴れ

朝 ピッツフィールド・クラウンプラザホテル 朝食ヴュッフェ+持参のふすまパン

今日は午前中フリーだ。それでもちゃんと6時半に起きて朝食を食べる。昨日カビが発見されたふすま

パンは、カビがヒドイものは捨て、残りすべてレストランのオーブンでキッチリと焼いた。東京に較べれ

ば随分涼しいのだが、こちらのホテルの客室には冷蔵庫が無いのだよ。結構な高級ホテルなのにね。

昼 タングルウッド 「VIVA」 ガスパッチョスープ、グリルチキンのサラダ、紅茶

    はっきり言って不味い!

11時集合して、タングルウッドの奥の方のレストランにランチを摂りに行く。素朴なスペイン料理屋だ。

レストランの前に、今回の旅のランド(現地旅行手配会社)の社長夫妻がニューヨークからわざわざ来

られていた。この地はボストンから2時間半だが、ニューヨークからも車で3時間の距離なのだそうだ。

       

     タングルウッドの門                    メイン会場のクーセヴィッキー・ミュジック・シェドは6000席も座れる

   

       ピクニックに来るような芝生席の観客              花瓶に花を飾る人も!           音楽会とは思えませんなぁ

   

       芝生席にはスピーカーから音が            セイジオザワ記念館は室内樂用            広大な敷地のタングルウッド

今日は午後2時半からの演奏会に来た。チェロのヨーヨーマが出演するとあって、席はとっくの昔にソ

ールドアウト。1時頃会場に着いたのに、駐車場は既に車がギッシリ止まっている。恐るべし、ヨーヨー

マ人気!メイン会場のシェドには、BSOを世界的なオケに育てたセルゲイ・クーセヴィッキーの名前が

冠されているように、少し離れた所に建つ室内樂用の記念館には小澤征爾の名前がつけられている。

クーセヴィッキー在任時にこのタングルウッド音楽祭は始まった。今日の演目は、シベリウスの「カレリ

ヤ」、エルガーのチェロ協奏曲1番、最後がムソルグスキー「展覧会の絵」。指揮者はデュトワで昼だか

ら黒ワイシャツだけの姿で現われた。ヨーヨーマは、いつもの「ふんぞり座頭市」姿の演奏。ちょっと何

なんだよね、このスタイルが。「展覧会の絵」の終盤は凄い迫力で、鐘がカーンカーンと盛大に叩かれ、

私達グループのタングルウッド音楽祭は華やかに終了した。良かった!音楽祭は8月末まで続くが。

夜 ピッツフィールド 「MAZZEO’S」 イタリア料理各種、ふすまパン ビール 6j、赤白ワイン 10j

  

  

会場からホテルまで大渋滞の中ようやく帰って来た。シカゴではアメ車が多かったが、ここバークシャー

地方は日本車が多いねぇ。特にホンダ車が目立っていた。夕食はバスに送り迎えして貰って、イタリア

レストランで。私らはただ座って聴いていただけだが、「タングルウッド音楽祭、お疲れさまでしたー!」

と乾杯した。ビールが喉に沁みた。パスタやトマトや茄子はよけて、肉とキノコを主に拾って食べたぞ。

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【今週の振り帰り】

長い間持っていたイメージと、実際に行ってみての印象に、こんなにギャップが大きい町を、私はシカゴ

以外に知らない。シカゴと言えば、♪ シカゴ シカゴ とフランク・シナトラが歌ったメロディが浮んで来

る。今も超ロングランを続けているブロードウェイミュージカル「シカゴ」は、映画化もされた。男を殺しち

ゃって刑務所に入っている女性がヒロインだった。マフィアの親玉、アル・カポネが裏社会を実際に支配

したシカゴだから、トーゼン「アンタッチャブル」もこの町で撮影された。エリオット・ネス役ケヴィン・コス

ナーも、10キロ太って出演したアル・カポネ役のロバート・デニーロも熱演したが、警官役のショーン・コ

ネリーが凄い演技を見せて数々受賞した。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが大暴れした

「スティング」、テレビドラマのリメイク版でハリソン・フォードがキンブル医師を演じた「逃亡者」もシカゴ

で撮影された。因みにハリソン・フォードはシカゴ出身だ。

シカゴ→マフィアとギャングの巣窟→ネオンと怪しげな女→酒の臭いとゴミの山→犯罪の多いキケンで

貧しい街・・・・勝手に描いたシカゴのこんなイメージは、実際に訪れてみてガラガラと崩れた。アメリカ

の摩天楼はこのシカゴから始まっていたし、建築家が腕によりをかけた建築群はネオンも広告塔も禁

止されたクリーンな環境の中ですっくと建っていた。著名芸術家が町の広場に作品を残し、ゴミなんぞ

ゼンゼン落ちていない。ばかりか季節ごとに手入れされるという花々が美しく咲き乱れていた。うーん、

イメージちゃうなぁ。良い意味でね。

そういえば、シカゴを舞台にした映画も怖い話ばかりではなく、アメリカリメイク版映画「Shall We Da

nce?」で主人公のリチャード・ギアが通勤で使用していた電車は、シカゴのダウンタウンを走るループ

だったし、ケビン坊やが笑わせてくれた「ホームアローン」シリーズの舞台もシカゴだった。加えて思い

出したのだが、ある時期熱心に読んだサラ・パレッキーの女探偵ヴィク・I・ウォーショースキーシリーズ

は、シカゴが舞台だった。結構いい年だが独身で酒好き、元弁護士だが金持ちじゃあなく、頭の回転が

早いのに武勇に優れ、シカゴの渋滞やシカゴの冬のとんでもない寒さを口汚く罵り、シカゴカブスの弱

さを嘆いていたヴィク。私は武勇関係全然ダメだし、探偵職を仕事には出来ないけれど、作者のサラと

は同じ年齢だけあって、共有できる心情も多かったように思う。

シカゴは人口では西海岸のロスアンジェルスに抜かれて3位となったが、それでも近郊を入れて1千万

人を超えるアメリカ中西部で最大の都市だ。1871年に起こった火災は、3日3晩燃え続けてシカゴの

街はほぼ燃え尽きてしまった。この火災を起した犯人は、1匹の豚だという説が有力らしい。10万人が

家を失った大惨事ではあったが、キレイさっぱり焼けてしまったために、ここに新しいシカゴという町を

計画的に造る絶好の機会にもなった。ちょうどその頃電気が発明され、エレベーターも出来たから、高

層ビルの建築が可能になった。力のある建築家は続々とシカゴに入り、個性を発揮した高いビルを建

設して行った。これが摩天楼の始まりである。1893年には、アメリカで初めての万国博覧会がシカゴで

開かれ、国際都市の仲間入りをした。現在のシカゴは、商品取引の中心であり、保険、食品、家電、工

業機械、半導体、電子機器、通信販売など多彩なビジネスの町である。マクドナルドもリグレーチューイ

ンガムもこの地で生まれた。アメリカのほぼ中心にあるという立地から北米最大のコンベンションの中

心地でもある。

だからシカゴに観光に訪れる人は少ないのだが、この町は観光にも是非お勧め。ダウンタウンのビル

群を見て回るだけでも一見の価値があるが、今回訪問出来なかった屋内型水族館としては世界最大

のシェッド水族館や、人気恐竜「スー」がいるフィールド博物館、シカゴで人気bPという科学産業博物

館、あっ、それにミレニアムパークにも行ってみたいなぁ。支持率がジワジワ落ちているとはいえ、現役

のオバマ大統領とミシェル夫人のゆかりの地を廻ってみるというのも、ミーハ-で結構楽しいかもね。た

だし、冬はとんでもなく寒いそうだから、季節を考えて。

あららー、紙面(どこに紙があるんじゃ!!!)が尽きたから、本来の目的だったタングルウッド音楽祭

について書く余裕が無くなっちゃった。だからちょっとだけ。タングルウッド音楽祭のレジデンス・オーケ

ストラ、ボストン交響楽団(BSO)の音楽監督兼常任指揮者を29年間つとめた小澤征爾氏は、本年1

月食道癌のため活動を休止して療養に専念すると宣言。今年のタングルウッド音楽祭には出演が予定

されていたのだが、叶わなかった。しかし、8月1日北志賀高原でサイトウ・キネン・フェスティバルのコ

リハーサルに姿を見せたとオジョーから連絡があった。食道を全摘出して15`も痩せられたというが、

記者会見する様子はお元気そうだったと。良かった。本当に良かった。

BSOの小澤氏の後任者となったジェームズ・レヴァイン氏は、1973年からメトロポリタン歌劇場の芸術

監督を37年間もつとめている。つまり、兼任である。このため、ニューヨークとボストンを激しく往復する

必要があるのだ。腰に来るわなぁ、相当。そうでなくても、4年前レヴァイン氏は演奏終了後、舞台で転

倒して大ケガをして数ヶ月治療した傷もある。人のことは言えないが、巨漢でもある。今回の休演の理

由は、「腰の手術のため」とのことだった。音楽家もカラダが資本、ということなのである。

来週からボストンに行きますのや。乞うご期待!

             ボクもシカゴの水族館見たいニャア

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