パクパク日記12年2月3週

          スーダン北部のナパタ・メロエでは、かつてクシュ王国が繁栄していた

  メロエ・北ピラミッド群 スーダンの女性

2月 13日(月) アフリカ・スーダンのハルツームもカリマもは晴れ 暑い!

朝 アフリカ・スーダン・ハルツーム「グランド・ホリディ・ヴィラ」 朝食ヴュッフェ+持参のふすまパン

  

スルーガイドアヤッド氏    TOYOTA 4WDランドクルーザー3台で移動    意外にも快適な道路なのだ!

アフリカのスーダン滞在2日目。足が攣って目が覚めたのは午前4時半だった!昨夜酒も呑まずに寝

たのが午後9時。ということは3時間半もトイレにも行かず眠っていたことになる。凄いなぁ。こんなこと

何年ぶりだべか。6時半に朝食を摂りに行く。昨夜のヴュッフェで、日本人しか知らない「スパゲティナ

ポリタン」があって大いに注目を浴びたものだが、今朝は焼きそばがあった。今日はスーダンの北部の

町カリマに移動するが、その前にハルツームの町や隣にある大都市オムドゥルマンを2時間程見学す

る。スーダン国内を移動する時は、移動許可書みたいな書類が必要で11時位にならないと入手出来

ないらしい。19世紀の終わり、エジプト(オスマントルコの傀儡政権だけど)とイギリスが二重支配して

いたスーダンにマフディ(本名ムハンマド・アハマド)とその後継者達は約20年独立国家を築いた。そ

の壮絶な闘いに使用されたイギリス船やマフディ廟を見学。スークでは商品は良いけど全体写真は撮

影ダメなんだってさ。1120分許可証が手に入り、いざ出発。今日私は先頭のA号車に乗っている。

昼 スーダン ピクニックランチ マカロニツナサラダ+エジプト豆のタミヤ、茹で卵、チーズとトマト、き

ゅうり、持参のふすまパン、水、コーヒー

  

              たちまちこんなテーブルと椅子で食卓が完成! 料理は素朴だけど、こんなピクニックランチ程贅沢なものは無い!

スーダンでは食事に期待はしていない。特に長い移動が多い旅だから、ランチは「どうせランチボックス

でしょ」と諦めてもいる。ところが。今回旅を仕切った会社はスゴイプログラムを持っていた。砂漠の真

ん中のチャイハナの屋根を借りて、アッという間にテーブルセッティング。テーブルも折畳み椅子も皿も

フォークもナイフもナプキンもオリーブオイルや塩もすべて3台の4WDに積み込んでいるのだ。もちろ

んホテルからの料理ケータリング、水を冷やす氷、大量のミネラルウォーター、途中のパン屋で仕入れ

たホブスも熱いお湯がたっぷり入ったポットも積んでいる。みんな大喜び!つい食も進んでしまうのだ。

  

    ヌビアン・レストハウス正面玄関     10室から20室に増えたヌビアン・レストハウス    ツインの室内風景

ハルツームやオムドゥルマンなど大都市をノロノロ走っている時は多少ガタガタしていたのだが、郊外

に出るとシューッと車は進んで行く。素晴らしい道路を殆ど揺れずにシューッと進んで行く。もの凄いス

ピードで。ふっとスピードメーターを見ると130`だった!我々3台以外に同じ方向に走る車はたまに見

かける程度、対向車も殆どいない。これまで各国の悪路で苦しめられて来たから夢のようなドライブで

ある。とはいえ、トイレは無いから青空ね。砂漠地帯だからなかなか適当な場所が見つからないのだが。

300`真っ直ぐ北に向かって走って来たが、ここで右折。ナイル川を渡ると巨大岩山・世界遺産のジュ

ベル・バルカルとピラミッド群が見えて来た。ということは宿も近いな。と思ったらB号車がパンクした。

夜 スーダン・カリマ 「ヌビアン・レストハウス」 ホモス(ひよこ豆のペースト、カボチャのスープ、茄子

とチキンの炒め物、(ホブス・アラビアパン)、持参のふすまパン、苺のゼリー、ノンアルコールビー

ル 4j×2本

    

スーダンの宿には期待していなかったのだが、ここ「ヌビアン・レストハウス」は素晴らしい。ヌビア風の

建物で内部はお洒落なツインベッド。電気もお湯も24時間OKでクーラーまで付いている!ベッドや洗

面シンクがエラク高いとか、椅子が一つも無いなんてことはどうでもよくなってしまうような充実ぶりであ

る。この地方では唯一の快適なホテルなのだそうで、これまで10室のみだったのが20室に増室され

ていた。お湯が出た。嬉しい。シャワーを浴びて夜8時から別館のレストランで夕食。豪華な料理は無

いけれど、家庭的で丁寧な料理が並べられた。え?ここのビールもあのマズイヤツ?ガッカリ。無酒日

                      _____________

2月 14日(火) スーダン・カリマは晴れ 暑い!風強し

朝 スーダン・カリマ 「ヌビアン・レストハウス」 目玉焼き+ヴュッフェ+持参のふすまパン

   世界遺産のジュベル・バルカル

昨夜は疲れていたのになかなか寝付かれなかった。ウトウトした頃、目覚まし替わりに枕元に置いた携

帯が鳴った。メールだった。朝方もメールが。スーダンのこんな場所なのにメールが届く!ビックリだ。6

45分に起きると未だ太陽は上っていない。着替えて外に出ると、宿の真ん前に聳えるジュベル・ハ

ルカルに朝日が当って美しい。朝食は午前8時から。卵料理以外はカンタンなヴュッフェだ。痩せるか。 

博物館のジュベル・バルカルとアモン神殿予想図      現代のアモン神殿          音楽の神ハトホルの石柱

 アモン神の妃ムート神の神殿              ジュベル・バルカル近辺にあるBC4〜BC2のピラミッド群 

9時からジュベル・バルカルの見学に出かける。ジュベル・バルカルとは、高さ98m、長さ250mの小

山でエジプト18王朝時代から「聖なる山」として崇められて来た。クシュ王国の首都だった頃は麓にア

モン神殿があった。スーダンの世界遺産第一号である。素朴な展示の博物館を見学した後、アモン神

殿跡まで砂の中歩く。暑い!「ここがアモン神殿の入口です」とスルーガイドのアヤッドさん。確かに、ア

モン神の化身羊のスフィンクスが崩れかけてはいるが出迎えてくれる。ふーむ、2千数百年前、ここをク

シュ王や神官やナパタの人々が歩いていたんだねぇ。BC16世紀エジプトのトトメス1世に征服され植

民地となったが、BC11世紀独立運動を起こしてナパタを本拠地としたクシュ王国。それにしても暑くて

風が強い。アチコチでひらひらしているのは、捨てられた色とりどりのポリ袋。その数夥しい。んもうっ!

一番の観光資源ジュベル・バルカルをゴミだらけにしちゃぁアカンよ!一番の観光資源とは言ったが、

われわれ7人(とH添乗員とガイド氏)以外は誰もいない。貸し切りである。スーダンにはこんな凄い遺

跡があるのに「独り占め」って凄くないかい?こんなゼータクを味わいたい方はお早めにスーダンに!

アモン神妃ムート神の神殿を見学した後、ジュベル・バルカルの北方向にあるピラミッド見学。エジプト

のピラミッドより小さく角度が鋭角である。風が激しく舞い上がる砂煙りに目を開けられずに往生。12

のピラミッドはBC3世紀のもので世界各国が修復に支援をした。少し離れたところにあるピラミッド8基

はそれから100年前のものと思われるがほぼ崩れてしまっている。風がぴゅーぴゅーと吹くのだった。

 スーダン・カリマ 「ヌビアン・レストハウス」 サラダ、ピザ、ソーセージ、豆の煮物、ポテトと人参、

持参のふすまパン、スイカ

    うまいねぇ、このスイカ!

ジュベル・バルカルの見学の後はカリマのスーク見学。ここも撮影NOなのだった。どうしてこの国は写

真を撮ってはイケナイのだろうかしらねえ。ガイドの友人であるカフェでお茶をご馳走になってから一旦

ホテルに戻ってランチ。食事も良かったが、デザートにでたスイカが美味しくて、ほぼ全員がカブリツク。

  

  クッルにある王タヌトアモン王の墓      ヴォールト造りの天井には青空       前室にはエジプトと同じ壁画 

  

   4000年万年の森林・化石の森        ヌーリにはタルハカ王を始めととして大小80のピラミッドがあった 

午後は近隣の遺跡見学だ。先ずはクッル。クシュ王国の墓所はジュベル・バルカル、これから行くヌー

リ、明日行くメロエ、そしてここヌッリの4個所である。ヌッリにはタヌトモアン王カルハタ王妃の墓がある。

王の墓は墓守のお爺さんがやって来るまで近所の子供が大騒ぎするような住宅街にある。墓から地下

4m程急な階段を下りて行くと王の墓の前室が現われる。エジプトで見たような壁画が鮮やかである。

死者の審判の図、生命の鍵「アンク」を吹き込まれる図など王族の再生と復活が望まれる壁画が描か

れていた。400万年前には森林があったと言われる化石の森を見学した後墳墓群があるヌーリへ。ナ

イル川左岸にあるという点ではエジプトと同じだが、ナイル川が大きく彎曲した部分(上流と下流が逆に

なる)にあるため、ネクロポリスが東側に位置している。エジプトでは左岸で西側と決まっているんだけ

どね。ヌーリにあるピラミッドの中でも最も大きいタハルカ王のピラミッドでも、1辺40m×高さ30mとエ

ジプトのそれに較べて10分の1の小ささだ。しかし、そのタハルカ王のピラミッドはほぼ崩れてしまった。

それにしても、ここに50数人の王と20数人の王妃のピラミッドがあった頃は、壮観だっただろうなぁ。

夜 スーダン・カリマ 「ヌビアン・レストハウス」 人参サラダ、マカロニグラタン、牛肉料理、マッシュポ

テト、持参のふすまパン、2種のアイスクリーム、ノンアルコールビール 3j×2本

  

昨日我われのグループだけだったホテルも今晩から他のお客が宿泊されて午後8時からの夕食は賑

やかだった。食事の後は、スーダンの民俗音楽の披露があった。なかなか楽しい夜であった。無酒日

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2月 15日(水) カリマもオールド・ドンゴラも晴れ 風強し!

朝 スーダン・カリマ 「ヌビアン・レストハウス」 オムレツ、ヴュッフェ、持参のふすまパン、H添乗員特

製おにぎり、味噌汁

   おにぎりと味噌汁!

6時過ぎ起床。待機した723分の日の出はたいしたこと無かった。8時からの朝食。いつものように

期待もせずに行ったのだが、添乗員Hさんがおにぎりと味噌汁(「某メーカーの朝げ」だけど)も用意さ

れていて、皆カンドー。数社でやっているサービスではあるが、こうゆう土地ではやっぱり嬉しいよね!

  

クシュ王国後コプト教国マクリア王国が栄えた    オールド・ドンゴラのナイル川の中洲        イスラム聖者の墓

今日はカリマから足を伸ばしてオールド・ドンゴラの観光に行く。1000年以上栄えたクシュ王国がエチ

オピアのアクスム王国に滅ぼされてからのち、この地域には、マルコがエジプトに建てた教会から派生

したコプト教会が伝えられ、マクリア王国の都があった。14世紀イスラム教が盛んになると、教会はモ

スクとして使用されたらしい。暑い、暑いと思いながら教会跡を見学していると、見慣れた人々が向こう

から・・・。おぉ!日本人だ!スーダンに来てから、世界中どこにでもいるというドイツ人グループにも1

回しか会っていなかったのに日本人に会うなんて!え?宿がヒドイ?私らのホテルは1番高級らしいよ。

エジプト文化に大昔から感化されていたのに、イスラム教伝播が遅かったのはナゼだろう。ワカランな。

昼 スーダン・オールド・ドラゴンの民家にて ピクニックランチ おくらのトマト煮、ソーセージ、サラダ+

持参のふすまパン、コーヒー

     

    ロバで通う少年達がかっこいい!     ランチ場所をお願いした民家            今日のランチです

オールド・ドラゴン見学の後は、この地域を走り回る。ここまで見て来た町々に較べてどの家も敷地も家

も大きい。豊かであるということだ。途中で擦れ違った中学生らしい少年達は自転車、バイクではなく、

ロバで通学しているのだ。ナイル川が近いということは豊かだということだ、と実感する。今日ランチを

食べる場所を提供いただくお宅も広い敷地にゆったりとした建物が幾つもあるお家だった。ただ蝿がぶ

んぶん飛び回っていて、食事するのはとてもタイヘンだったけどね。2人の娘さんはエラク美人だった。

夜 スーダン・カリマ 「ヌビアン・レストハウス」 スープ、スーダン風サラダ、魚のフライ、肉のミックスソ

ティ、持参のふすまパン、プリン、ハイビスカスティ、ノンアルコールビール 3j×2本

  

夕食は午後8時から。どうもこの国は、ビールにしても、ミネラルウォーターにしても、テッシュペーパー

にしても、すべて同一製品を使用するようにしているのではないか!と思い始めた。まぁ思いつきに過

ぎないとはいえ、多分本当だろうなぁとも思うのである。そんなことで、今晩も全く酔えないしかもマズイ

BARBICANの缶ビールを2缶飲む。不味かったら飲むなって?う〜む、それじゃぁさ淋しいじゃない。

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2月 16日(木) カリマもメロエも晴れ 今日も風強し!

朝 スーダン・カリマ 「ヌビアン・レストハウス」 目玉焼き+ヴュッフェ+持参のふすまパン

   ジュベル・バルカルピラミッド群

  

コプト教会修道院跡               半遊牧民の新妻はタイヘンな美人!

訪問しているお国柄、無酒日が続いているが、こう続くと夜もすっきり眠れる。「酒が無いと自分は眠れ

ないんです!」なんて言っているオヤジよ!そんなこと無い!人間酒なんて無くても絶対眠れる。快適

に3泊した「ヌビアン・レストハウス」ともお別れして9時出発。やがて舗装道路を外れてガタガタ道へ。

揺れて揺れて、あぁもうやめちくれ〜!と泣きたたい程揺られた頃、コプト教会修道院跡に到着。11

紀当時この地にはワジ(涸れ川)があって80もの僧院があったそうよ。今はポーランドの調査隊が入っ

ていた。15分ほどサックリ見学した後、またオフロードをガタガタガクガクと走る。そうそう、スーダンで

大移動時のトイレは基本的いん「青空トイレ」である。半遊牧民のチョー簡素な住まいを訪ねる。4ヶ月

前結婚したばかりという若い嫁はエラク美形で、年を聞くと何と14歳!唇を白く塗り、顔にもヘナでアク

セントを入れるなどお洒落をしている。新婚の旦那は留守だったが、その兄弟も美形の男子であった。

昼 スーダン北部のどこか ピクニックランチ チーズとトマト、ピラフ、ほうれん草のキッシュ、持参のふ

すまパン、オレンジ、文明堂のカステラ、コーヒー

  

  

    砂漠の中の井戸は貴重な存在             少女も一人で水汲み                  またB号車がパンクです!

今日のピクニックランチは大きな木陰であった。A号車のベテランドライバーは「あそこのあの木の下」

と決めているに違いない。ほうれん草のキッシュとH添乗員持参の文明堂のお菓子が好評だった。ラ

ンチの前に、砂漠の真ん中にある井戸に立ち寄った。深さ25mの井戸にたくさんの人々、駱駝、ロバ、

羊などの動物が集まっていた。貴重なんだろうねぇ、この井戸。水汲み女性達も美人揃いでビックリ!

夜 スーダン・メロエ パーマネントテンティッドキャンプ 

   テントに砂が入らないよう注意!

  

今日は風が強い。オフロードを走っている時など、舞い上がった砂のため前方が殆ど見えないこともあ

った。午後になってオンロードに戻る。同乗者女性3人は思わず拍手。ドライバーも一緒に拍手。あぁ

楽チン楽チン。と思ったら、前を走っていたB号車がパンクして急停車。これでB号車は2度目だよ。

車はメロエを目指して走っているのだが、それは首都のハルツームに近づくということである。砂だらけ

の景色に建物が増えて来た。工場がある。あそこにも工場。セメント工場だ。あれだけ空いていた道路

はいつの間にやらセメントを山のように積んだ大型トラックだらけになった。そして渋滞・・・。こんな場所

に果たして世界遺産のメロエ遺跡なんてあるのだろうか・・・不安がヨギル。午後445分またもや舗

装道路を外れてガタガタ道を10分走ったところで、突然パーマネントテンティッドキャンプが現われた。

砂漠の中に張られた左右10のテント。専用のトイレとシャワールームはテント後方に5つ纏めて建って

いる。電気が付くのは午後6時から11時まで、それ以降は水も出ない。シャワーのお湯は機械故障の

ため出ない。シーツ・タオルの交換は滞在中無し。私は14番テント。砂でジャリジャリしたベッドに座っ

て資料を読んでいると、強風でテントがバタバタとウルサイ。何だか暗澹とした気分。今朝まで滞在した

カリマの「ヌビアン・レストハウス」とはエライ違いだ。順番が逆だったら良かったのにね。水シャワーを

浴びて、7時半から夕食。やっぱりノンアルコールビールは例のマズイヤツだった。9時半就寝。無酒日

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2月  17日(金) メロエは晴れ 風極めて強し

朝 メロエ パーマネントテンティッドキャンプ 朝食ヴュッフェ

   早起きして朝日を見にいく

真っ暗の中で起床。枕元には携帯電話と懐中電灯。440分オジョーからメールが来たから目は覚め

ている。懐中電灯を照らしてモゾモゾと着替え。645分日の出ツァーに出かける。砂漠の真ん中の

小高い丘に上って日の出を待つ。風が強いから寒いぞ。あちこちから駱駝を引いたおじさん達がワラワ

ラと集まって来た。帰りに駱駝に乗らないかい?ということらしい。テントホテルまで10jだって。5人が

乗った。私は乗らない。商売しそこなったおじさんがいかにもガッカリした様子でトボトボ帰って行った。

  

                   ナバタから遷都したメロエの北ピラミッド群               メロエ文字など独自の文化があった

  

            41基ピラミッドのある北ピラミッド群        16基ある南ピラミッド群        ピラミッド東側には葬祭殿があった

今日午前中はメロエ遺跡見学だ。出かける前に完全武装した。日焼け止めを顔に塗る。マスクをする。

大判のスカーフを被る。大きな帽子を被る。大きなサングラスをする。手袋をする。カメラは撮影する時

以外はベストの中にしまう。銀行強盗ルックである。クシュ王国はBC540年からBC300年にかけてナ

パタからメロエに遷都。AD5世紀アビシニア(現エチオピア)のアクスム王国に滅ぼされるまでメロエに

あった。砂の丘をはぁはぁ上って行くと、目の前に北ピラミッド群が広がっていた。41基あったピラミッド

だが、現存するのは27基。いずれも鋭角で小さく上部が崩れている。ケシカランことに1820年イタリア

人フェリーニが金銀財宝探してすべてのピラミッドの上部を壊したのだそうだ。何てヤツ!で、アマニシ

ャヒド王妃のピラミッドから4000点の財宝を発見。ヨーロッパで売りに出したらニセモノと間違われ二束

三文にしか売れなかったそうだ。ざまぁみろ!その後本物とわかり、現在はベルリンのペルガモン博物

館に展示されている。エジプトのピラミッドは角度が50度前後で玄室は内部にあるが、クシュ王国のピ

ラミッドは65度〜68度、中には72度と鋭角だがピラミッド内部には何も無い。王や王妃の遺体を収め

る玄室は、ピラミッド東側に設けられた葬祭殿の地下4mにある。南ピラミッド群まで砂漠を歩いて移動。

ピラミッドはこの南の方が先に造られたようで16のピラミッドがあったらしい。メロエの世界遺産登録が

2011年とジュベル・ハルカルより遅れた理由は、遺跡の近くにセメント工場があったことが問題視され

工場が移転してから登録が認められたのだそうだよ。こんなに凄い遺跡なのに観光客の少ないこと!

昼 メロエ パーマネントテンティッドキャンプ 昼食ヴュッフェ+H添乗員特製日本蕎麦

  

ロッジ近くの石切場を見学してからランチに戻る。あれほど完全武装したのに顔は砂でジャリジャリだ。

今日のランチは旨かった。添乗員H川さんが日本蕎麦を茹でてくれた。皆夢中で食べる。その上デザ

ートはスイカだった。スーダンで一番旨いものはスイカ。炎天下歩いたので3時までの休憩が嬉しい。

午後のお茶 メロエのチャイハナ 紅茶

  

        ロイヤル・シティ王宮跡               王の浴室跡              西のピラミッド

  

      4WDの3人のドライバー                メロエのピラミッド群に沈む夕陽をゆったり見つめる

3時に出発したもののすぐチャイハナへ。午後の遺跡見学後夕陽を見る予定なので時間が余るらしい

よ。お茶飲んだり、水パイプ吸ったりね。私は吸わんけど。さて、それではロイヤル・シティに行きましょ

う。ロイヤル・シティ。メロエ王国(クシュ王国はメロエに遷都してからこう呼ぶ)の王宮である。ここにも

アモン神殿はあったのだが、ほとんど何も残っていないので想像するしか無い。王が使用した浴室跡な

ど見ると、エジプト以外にローマの影響が強かったこともわかる。太陽の神殿を見てから西のピラミッド

群へ。ここは南北ピラミッド群と違って、ロイヤルファミリー以外の貴族や王朝高官などの墓で、ピラミッ

ド状だけでなく、台形や円形墳のカタチの墓があった。今日こそは夕陽を見ようと、あちこちで時間を潰

して待機。ピラミッドに沈む夕陽の写真を撮れるかと期待したのだが、砂が邪魔して今ひとつだったよ。

 メロエ パーマネントテンティッドキャンプ 夕食ヴュッフェ

7時前にロッジに帰る。急いで水シャワーを浴びて、7時半から夕食。あのマズイノンアルコールビール

を2缶飲むのも習慣になった。テントに帰ってベッドに横たわっても、強い風は収まる気配も無い。バタ

バタとテントがハタメキ、顔の上を砂が飛んで行くのがわかる。夜中懐中電灯片手にテントの後方にあ

るトイレに行くと、満天の星!地平線まで星が瞬いているのである。これなら不便でもいいか。無酒日

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2月 18日 (土) メロエもハムツールも晴れ 風極めて強し

朝 メロエ パーマネントテンティッドキャンプ 朝食ヴュッフェ

  

     ナカ遺跡のキオスク(東屋)               ナカ遺跡のライオン神殿             ライオン神殿側面の浮彫りが素晴らしい

  

           ナカ遺跡のアモン神殿   参道には羊の姿のアモン神が左右3体づつ並んでいる

この不便なテント生活にもようやく慣れたと思ったら今朝はチェックアウトだ。やっぱりホッとする。8

に朝食を摂って9時出発。1時間程舗装道路を走った後、お約束のオフロード。今日も激しく揺れるぜ。

11時過ぎ、メロエから100`地点にあるナカ遺跡に到着。ナカはメロエ王朝の都市の一つで、エチオピ

アとの交易中継点でもあった。ローマ様式のキオスクとライオン神殿(アペデマーク神殿)。神殿の正面

には、ナカマタニ王とアマニタリ王妃のレリーフ。正面横には頭がライオン、体が蛇のアペデマーク神の

浮彫り。インドの影響と考えられている。側面もは王族やライオン神、アモン、ホルスなど神々のレリー

フがあり素晴らしい。少し離れたところにはアモン神殿とアモン神(スフィンクス)の参道が続いていた。

昼 ムスワラット遺跡の近くにて ピクニックランチ+H添乗員特製おにぎり

  強風で砂が舞い上がる

ムスワラット遺跡のアベデマーク神殿とその内部(ドイツチームによって修復された)    巨大な構築物の象の像

今回の旅で何度もあったピクニックランチも今日で最後。今日は風が強く、砂が舞い上がっているから

ドライバー達は風除けに4WDを並べたりして工夫をしてくれた。そして最後の遺跡見学はムスワラット

遺跡。これもメロエ王国時代のBC270年頃の最大の神殿跡だ。狩猟の神を祀る神殿、象の神殿、ライ

オン神殿などがあった。14時半見学終了。ここからはヒタスラ首都ハルツームを目指し走る。17時着。

夜 ハムツール レバノン料理「エルザッハ」 サラダ2種、ホモス、ホブス、4種の肉料理、スイカと冷た

いプリン、ノンアルコールビール 3j×2本

  

    この食事が一番!

6日前にチェックアウトした「グランド・ホリディ・ヴィラ」に帰って来た。3日ぶりのお湯の出るシャワー。

あぁ気持ちいいぞ!電気もつくし、トイレも水が流れるし、文明はいいなぁ。午後7時ミニバスでレバノン

料理レストランに向かう。滞在中を通じて、このレストランの料理が群を抜いて美味しかった。しかもデ

ザートは皆大好きスイカだったし。しかし、ノンアルコールビールはやっぱり不味いアレだったけど。結

局この国のノンアルコールビールは1種類なんだな。本物ビール飲める時まで「あと20時間」。無酒日

                       ______________

2月 19日(日) ハムツールは晴れ

朝 アフリカ・スーダン・ハルツーム「グランド・ホリディ・ヴィラ」 朝食ヴュッフェ

  

       国立博物館ホロス神とファラオ          エジプトに近い場所にあったピラミッド      ライオンに喰われる人の像

冷蔵庫などとは縁遠い生活だったので、ふすまパンはカビてしまい途中で捨てた。代わりにホブスとい

うこちらのパンをちょっと食べていた。スイカは食べるし、添乗員差し入れのおにぎりや日本蕎麦もムシ

ャムシャ食べていたわりに血糖値は高くはない。朝食後チェックアウトして、隣町オムドゥルマンにある

マフディ博物館に行く。前述したようにエジプトと英国に支配されていた時代、わずかな期間スーダン人

が政権を奪還した。そのリーダーがマフディ(救世主の意味)だ。戦いに敗れた時、既に病死していたマ

フディの家族もすべて殺されたが、たった1人男の幼児が助けられた。やがて成人して1950年代スー

ダンが独立する時活躍し、その子孫は現在も尊敬を集めているのだそうだ。ハルツームに戻って国立

博物館へ。アスワンハイダム建設に伴なう水没対策のため移設されたヌビアの遺跡が敷地内の保管

庫にあった。博物館2階にはコプトキリスト教時代の壁画、宗教画の展示があった。これで観光終了!

昼 スーダン・ハルツーム「アスキラ」 マンゴージュース、スープ、ホモスとサラダ、2種の肉と鯰のミッ

クスグリル、持参のふすまパン、フルーツサラダ、紅茶

ランチを食べるレストランは国立博物館からすぐ傍というので行ってみると、ハルツームに到着した2

12日行った店だった。連れて行ってくれた人が違ったので、同じメニューを注文されてしまったよ。昼食

後空港へ。小さな空港だから手続きも移動もすぐ。ビジネスラウンジで座っていると、何と行きの飛行機

で一緒だったハヤブサ軍団がドヤドヤ入って来た。また一緒かいな。今回は写真を撮らせて貰ったよ。

夜−1 エティハド航空ハムツール=アブダビ ビジネスクラス機内食 ビール2缶、赤ワイン3杯!

    6日の無酒日の後は・

午後4時発アブダビ行き。ふふふふふふ。もう少しでアルコール入りのビールだってワインだって飲め

るぞ。いよいよ食事タイム。ビジネスクラスには日本人CAがいたので「ビール2本いっぺんに持って来

てね」とお願いした。プシュッ!トクトクトク。グビグビ・・・プッハァ。あら?思い描いたような旨さが無い。

夜−2 エティハド航空ハムツール=アブダビ ビジネスクラス機内食(和食) シャンパン、ビール、赤

ワイン3杯

ハルツームからアブダビまでの3時間半の間にビール2本に続いて赤ワイン3杯飲んだ。アブダビで成

田行きに乗り換えて、またシャンパンとビールと赤ワイン。この6日間の無酒日を取り戻す勢いである。

                       _________________

【今週の振り返り】

スーダンはそも、どこにあるか。北アフリカにある。エジプトの南にあって、リビア、チャド、中央アフリカ、

エチオピア、エリトリア、そして昨年7月分離独立した南スーダンと国境を接している。南スーダンが独

立するまで、アフリカ53ヶ国の中で一番国土面積が大きい国だった。南スーダンが独立してでも、アル

ジェリア、コンゴに続いて3位の大きさだ。その大きな国スーダンに何を求めて行ったか?ズバリ観光

地化されていない遺跡である。

BC2200年からナイル川流域北部ヌビアには黒人によるクシュ王国築かれた。スーダンは白ナイルと

青ナイルが合流する地でもある。エジプト新王国に勢いがある時はヌビアまで南下して支配し、文化や

言葉や宗教や風習の多くを伝えた。BC1550年からBC1069年にかけての時代である。エジプトが衰

えてこの地から去ると、現在のカリマ地域にナパタ王国(クシュ王国)が再建された。ナパタ王国(クシュ

王国)は徐々に力を蓄え、それから250年程経ったBC747年から90年間、ヌビア人王は弱体化して

いたエジプト全土を逆に支配するまでに至ったのである。エジプト25王朝である。エジプト25王朝(別

名クシュ朝)は黒人のヌビア王が初代ピアンキ(ピーという名という説も)から、シャバカ、シャバタカ、タ

ハルカ、タヌトアメンと5代続いた。後に「黒いファラオ」と呼ばれたエジプト25王朝は、シリア地方のア

ッシリアによって追われ、エジプトの地を諦めてナパタに戻った。ナパタ王国(クシュ王国)は後にメロエ

に移ってメロエ王朝として続いていくのである。後年、近代のヨーロッパの考古学者たちは、かつてのエ

ジプトに黒人のファラオ達が実在したことを認めようとしない風潮があったようだ。当時は肌の色を気に

することなど無かったようなのに、である。

オペラ「アイーダ」の主人公アイーダは、エジプト王女に仕える奴隷であるが、実はヌビア人の王女であ

る。エチオピアの王女と設定されているが、「エチオピア」という言葉は「褐色の人々」という意味で、ア

ラブ語では「スーダン」になる。つまり、オペラの物語は、スーダンのクシュを指しているのである。エジ

プトには最近発見されたものも含めて118のピラミッドがあるが、スーダンには250から300のピラミ

ッドがあった(崩壊してしまったものを含めて)とされている。ピラミッドの大きさはエジプトのそれよりず

っと小型であるが、建設上では難しい鋭角のものが多い。エジプトのピラミッドは王の墓以外の建造物

であるとも考えられているが、ヌビアの場合は、墓以外の何ものでもない。王や王妃は自分のピラミッド

を存命中に造ることを命じたらしい。

エジプトではとっくにピラミッド建造を止めてしまっていても、ヌビアではシコシコとたくさんのピラミッドを

造り続けていた。墓の位置等埋葬の仕方はエジプトとは違ったが、墓の前室・玄室にはエジプト人が信

じた神々を描き、再生・復活を願った。こうしてヌビア人によるナパタ王国・メロエ王国(クシュ王国)は、

エジプトの宗教儀式や伝統をひたむきに守り続けていた。ヌビア人はそれほどエジプト化されていたの

である。スーダンのこれらの素晴らしい遺跡であるが、信じられないことに、今行ったら「独り占め」出来

る!「貸し切り」である。行くなら「今」である。

現代のスーダンについては、次回ちょこっと書くことにします。50年間の内戦とか、南スーダンの独立とか、

西部のダルフール問題とか、いろいろ難しいことがたくさんあるんですわ。

              遺跡独占ってホントかニャ? ホント!

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                   * 旅の始まりは  2月 2週  をご覧ください。