パクパク日記12年4月2週

            北鮮のミサイル発射は失敗し、私は真夏のフィリピンで風邪を引いた

  サン・オウガスチン教会 ビガンの町並み

4月 9日(月) 成田もフィリピン・マニラも晴れ        1フィリピンペソ=約2

朝 成田日航ホテル 「セリーナ」 朝食ヴュッフェ

  

フィリピンに行くために昨夜から成田のホテルに前泊している。5時40分起床。シャワーを浴びてから

朝食レストラン。美味しいとは言えない朝食ヴュッフェであるが、ここで納豆とご飯同量の「お納豆ご飯」

を食べるのが楽しみ。姪のカオルと甥のヒカルが小さい頃、「何を食べたい?」と聞くと、2人声を揃えて

「オナットゴハーン!」といつも答えていた。安上がりな子供だった。ちゃ〜んとネギもちょびっと入れる。

早い昼 JAL 成田=マニラ ビジネスクラス機内食

  

7時半第2ターミナル着。久々のJALさくらラウンジ、朝食コーナーはごったがえしていた。71番ゲート

に行ってみると、4年前4年前イースター島にご一緒したT山さんにバッタリ。吹雪の函館からいらした

そうだ。またよろしくお願いしますねぇ。添乗員のH名さんも昨年2度目の南極でご一緒した方だ。ビジ

ネス席もエコノミー席もマニラ行きは満席。昼は飲まない主義だが、機内では時間の観念は無いことに

しているからビールと赤ワインを飲んじゃう。4時40分のフライト、時差1時間だから午後1時20分着。

夜 フィリピン・マニラ・ヘジテージホテル 「リビエラ」 ディナーヴュッフェ、サンミゲルビール 

     180ペソ、白ワイン 350ペソ、赤ワイン 350ペソ

   

マニラのイミグレを通過する時、係官のオジサンはスタンプだらけのパスポートをジロジロと眺め、私の

顔もジロジロと見るのだった。「運び屋じゃありまりませんぜ!」。両替して外に出ると、アッチー!東南

アジア独得の湿気を帯びたネバっとした暑さだ。両替を済ませ、空港から程近いヘジテージホテルへ。

もともとこの旅行はデルタ航空の夕方発の便で移動し、夜遅くマニラに到着する予定だった。ところが

直前で午前9時半発のJALに変更になったから前泊することになったのだ。他の皆さんは、近くの大

型ショッピングセンターに買い物に行かれたが、欲しいモノがな〜にもない私は部屋で本を読んでい

た。夕食はホテルのレストランでインターナショナルヴュッフェ。和洋中海鮮料理。アルコール3点セット

(ビール、白・赤ワイン)が合計880ペソ(約1700円)もするのだった。ワインなど不味いのに高いぞ!

                     _______________

4月 10日(火) マニラもパウアイも晴れ あぢ〜!

朝 夜 マニラ・ヘジテージホテル 「リビエラ」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

  

ナゼかdocomoケータイはマニラに着いても時差自動補正をしてくれない。旅に出るとケータイの目覚

まし時計を使う。時差1時間だから、5時に起きようと思えば日本時間6時にセットすればいいのだが、

昨夜プラスとマイナスを間違えて4時にセットしてしまった。枕元でケータイがブルッと鳴った。起きた。

つまり私はマニラ時間午前3時に起きて血糖値を測る。シャワーを浴びようとふと時計を見たら3時過

ぎじゃないの!!慌てて寝たがすっかり目が覚めてしまっていた。朝食で食べたソーセージが甘くてビ

ックリ!740分チェックアウトして出発。フィリピンはイースターホリディに続いて昨日が「武勇の日」

の祝日で連休だったそう。道路は大渋滞だ。ようやく空港国内線ターミナルに到着。ラワグ行きは9

50分発朝便の1日1本のみ。しかも曜日によって小さな機材の夜便になり、その時スーツケースは15

`になるのだそうだ。空港に入る時セキリティチェックがあったのにゲート前にまたもやセキリティチェッ

ク。靴も脱ぎ男女別にボディチェックまである。国内線なのにウルサイ国よのう。1時間遅れ?チェッ!

昼 パオアイ 「HERENCIA CAFÉ」 チキンと冬瓜のスープ、おかず5種、チャーハン、ピッツァ、持

参のふすまパン、フルーツ盛り合わせ、水

  

  

ラワグには1時間で到着。ムッチャ暑い。トイレに飛び込んでスパッツを脱ぐ。飛行機の中はムッチャ寒

いんですわぁ。ラワグはルソン島の最北端にある北イロコス州の州都であのマルコス元大統領の出身

地はこの州である。バスでパオアイに移動。午後見学する教会の真ん前にあるレストランで昼食。既に

テーブルには何種類かのおかずやチャーハンやスープが並べられている。ふーん、フィリピン料理って

中華料理の要素も入っているんだなぁと食べていたら、次はピッツァが出て来て頭を捻る。ニンニクが

効いていてまずまずの味ではあったが。でも1番評判が良かったのは、完熟のフルーツ。旨いぞぉ!

  

              パオアイにある世界遺産サン・オウガスチン教会はバロック様式の教会である 

「これから世界遺産のサン・オウガスチン教会の見学します。教会はレストラン出たとこあります」。スル

ーガイドのズィータさん。日本の大学にもいたことがあると言うが、ちょっとヘンテコな日本語を話す小

柄なオバサマだ。1774年造られた美しい教会だ。加工珊瑚とレンガで造られたバロック様式の教会。

 

             マルコス大統領が使用したマラカニアン宮殿別邸は贅沢な別荘           大衆バスのジープニー体験乗車

近郊のサラットにはマルコス元大統領の生家があり、バタックには実家がある。どちらにも博物館が併

設されていて皆さんはバタックの実家に見学にいかれたが、私は見る気になれない。バスに居残って

本を読んで待つことにした。イヤホンを嵌めたままにしていたからガイドの声は聞こえる。「マルコス大

統領夫妻が亡命した後宮殿で見つかったイメルダ夫人の靴は3006足で・・・死後4年後に帰って来た

大統領の遺体は冷凍保存されて・・・」。イヤホンのスィッチを切った。その後もマルコス見学は続き、マ

ラカニアン宮殿別邸に行く。湖に面した専用ゴルフ場(当時は)を併設した贅沢な別荘である。何かねぇ

って感じでしてね。ラワグ市内に戻り、イロコス・ノルテ博物館を見学。冷房が入っていた売店が1番人

気だった。ホテルまでの移動は大衆的な乗合バスのジープニーを借り切って。今日1番盛り上がった。                 

夜 ラワグ・フォート・イロカンディア・リゾート「琴軒酒廊」 フィリピン風中華料理コース(海老サラダ、

      シーフードスープ、肉のコンビネーション、海老春巻、ブロッコリーと牛肉炒め、オレンジとスペアリブ、

      野菜とハムスープ煮、チャーハン、ライチ、持参のふすまパン、バースデーケーキ)、ビール2杯、赤ワイン

   

    

本日から2泊するホテルのフォート・イロカンディア・リゾートは元マルコス大統領が末娘の結婚式披露

宴を開くために建てた迎賓館的ホテル。時の施政者を嫌悪してはいても、豪華なホテルに泊まるのは

OKよと現実的になる。ところが・・・客室に行ってみると、ドライヤーは壊れている、シャンプーやコンデ

ィショナー・ボディソープなどアメニティは無し、スリッパはペラペラ。メンテナンスの悪さが目立つホテル

なのだった。夕食はホテルのレストランで中国料理コース。量が多すぎて食べきれん。参加者の若い男

性Kさんの誕生日ということで、ちょっと毒々しいバースデーケーキ2つ運ばれて来た。自己紹介あり。

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4月 11日() ラワグもビガンも晴れ 今日もあぢぢ    スマトラ沖でM8.6の地震!

 ラワグ・フォート・イロカンディア・リゾート 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

  

              フォート・イロカンディア・リゾートの広い庭園には南国の花が咲き乱れている

5時半に目が覚めるまで、珍しく仕事をしていた頃の夢を見ていた。現役時代と言っても数十年前の20

代の頃。依頼を受けていた仕事を数ヶ月忘れてしまい、気がついて慌てている夢である。何でそんな夢

見たんだろ。実際にはありませんでしたよ、ゼッタイ!シャワーを浴びて6時過ぎ朝食。8時バス出発。

  

       特産のタバコの花が咲いていた             サンタマリアのヌエストラ・デラ・アスンシオン教会も世界遺産

今日はサンタマリアとビガンまで小旅行。乗り込んだバスが異常に寒い!温度を上げるよう皆で頼んだ

がたいして上らないのだ。なのに陽射しが強くて眩しい。道路は舗装されているのだが、微妙に揺れて

乗っているとかなり疲れる。見える景色は一面のタバコ畑。白い花が咲いていた。あぁ〜寒い!あぁ揺

れてきもじわり〜。酔い止め薬を飲む。3時間かかってサンタマリアの町に入る。ところがお祭りの飾り

付けが派手過ぎて、バスが通過出来ない!裏道をソロソロと走ってようやくヌエストラ・デラ・アスンシオ

ン教会に到着。この教会もバロック様式の教会で世界遺産に登録されている。中に入ってみると祭壇

のすぐ横には小鳥が巣を作っていて、自由に教会内を飛び回って餌を運んでいる。これで世界遺産?

昼 ビガン 「CAFÉ UNO トムヤムクン風スープ、おかず5種、チキンと野菜スープ、チャーハン、

     マンゴー入りクレープ

  

サンタマリアからビガンまでは途中住宅街を通ったのだが、低く弛んだ電線にバスが引っ掛かり竹竿で

電線外す作業に近所の人も総出で手伝ってくれた。15分かかって成功!思わず拍手。1時間北へ戻

ってビガンで昼食。ここも既にテーブルの上にはいくつもの料理が並べられていた。トムヤムクン風の

辛いスープがあるかと思えば、野菜炒めは甘いのだった。何だかフィリピン料理って特徴が掴めない。

  

      ビガン観光に活躍するカレッサ(馬車)      クリソゴロ博物館のお姉さん達         ビガンの街も世界遺産

午後は楽しみにしていたビガン観光。330年間スペインの統治下にあったこの国にあって、最もスペイ

ン情緒溢れる街と言われている。1999年世界遺産に登録された。2人づつカレッサという馬車に乗

る。私は添乗員のH名さんと。ところが、カレッサに乗る時、騙し騙し過していた左膝がギクッ!いで

で〜!その上ウォーキングシューズのファスナー部分がピリピリっと裂けてしまい、二重に哀しい。パッ

カパッカと馬が歩き、エーンエーンと私が泣く。それでも16世紀後半に建てられてスペイン風の建物を

ジロジロっと見学し、バシャバシャと写真も撮る。そうこうするうち目的地クリソゴロ博物館に到着した。

午後のお茶 ビガン 「マクドナルド」 コカコーラゼロ

クリソゴロ博物館見学後1時間フリータイムとなったが、ビガンの街を歩いてもどこも同じような品揃え

のお土産屋ばかりで期待したわくわく感がない。しかも暑いし膝痛いのでブルゴス広場にあるマックで

休憩。涼しいし、座れるし、トイレもあるし、ここは天国じゃ。聖ポール教会を見学してからバスに乗る。

夜 カリマオ 「PLAYA TROPIKAL 蟹コーンスープ、アジアンヌードル、スィートサワーポーク、揚

      げ魚の甘酢餡かけ、ビーフシチュウ、野菜炒め、チャーハン、持参のふすまパン、フルーツ盛り合

     わせ)、ビール 60ペソ、白ワイン 120ペソ、赤ワイン 120ペソ

      

    

ホテルに帰る途中ラワグ近郊のリゾートホテルで夕陽見学しながら中華料理のコースの夕食。このホ

テルのオーナーは25歳の女性ということで挨拶に来た。こんな若い女性が?!海に太陽が沈みホテ

ルに帰る。寒い。洟が垂れる。咳が出る。どうやら風邪を引いたようだ。こんな暑いフィリピンでだよ!

客室のテレビでNHKのニュースを見るとスマトラ島沖でマグニチュード8.6の地震が先ほどあったそう

だ。スマトラ島沖?ここから近いじゃないの。津波は?ラワグはルソン島の西側。しかもすぐそこは海

だ。津波が来たらひとたまりも無い。H名さんに電話する。ガイドは津波来ないと言っているそうだ・・・。

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4月 12日(木)  ラワグもマニラも晴れ もちろん暑い!  京都祇園で大きな交通事故!

 ラワグ・フォート・イロカンディア・リゾート 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

6時起床。昨夜津波は来ないと思うので安心して寝て下さいと言われたが、客室近くの若い女性客達

が廊下で騒ぎまくっていて眠れなかった。企業の研修か何かで大勢の若い男女が宿泊しているような

のだ。若者の企業研修やるようじゃぁ高級ホテルとも言えんわな、と思っていたら、今晩から学生300

人が宿泊する予定と聞いて更にびっくり。今晩から大阪発グループが宿泊する予定でしょ。気の毒に。

もの凄く遅い昼 マニラ 「Sea food Market」 海鮮コース(アサリスープ、キスの天ぷら、海老

       の焼き物、小海老スチーム、揚げ魚の甘酢餡かけ、野菜炒め、蟹の甘酢和え、チャーハン、フルー

       ツ盛り合わせ)

  

  

たった1便しか無いマニラ行きの出発は30分遅れとなった。そうそうセキュリティチェックで折畳み傘

がひかかって取り上げられて人がいた。折畳み傘って危ないんだっけ?マニラ上空でぐるぐる旋回した

せいで到着は1時間遅れ。そんなことで、昼食会場の海鮮レストランに到着したのは午後3時!皆さ

ん大空腹(もちろん私も!)で、魚天ぷらだの蟹だの海老だの海鮮料理にムシャぶりついたのだった。

    

マニラ市民の台所サン・アンドレアス・マーケットでドライフルーツなどを仕入れて、いよいよマニラホテ

ルへ。今回1番楽しみにしていたのはこの名門ホテルに宿泊することだった。ロビーに入ると、クラッシ

ックな趣きある広々としたロビー。正面では数人編成のオケがポピュラーなクラッシック音楽を演奏して

いる。いい雰囲気ではある。ゆったりとソファに坐って待っていたのだが、いっこうにチェックイン手続き

が終わる気配が無い・・・15分、30分、45分、60分!ナニやってんのよ!手続き中のカウンターに行

ってみると添乗員H名さんはプリプリ。コンピューターの具合が悪く手作業でやっているので遅くなるん

だって。でもたった15名の客に1時間以上かからないでしょうに!世界ベストホテル受賞が泣くよね。

夜 マニラ湾 ディナークルーズ スープ、魚とチキンプレート、ドライケーキ、ビール 2杯

  

夕食はマニラ湾のディナークルーズと突然言われて行ってみたら、かなり小さな船でチョー簡素。出航

が遅れたと思ったら、積んでいるビールが6缶しか無いというので、酒屋に買いに行っていたらしい。8

時に出航して少し沖に出るとモーレツな風が吹いていた。慌ててビール缶やグラスを飛ばされないよう

に抑える。ずっとこの姿勢も疲れますわなぁ。その間ずっと船のスタッフとガイドが交替でカラオケを歌

っていた。長渕剛の「乾杯」日本の歌も。客には勧めないんですか?マニラの夜景が風に揺れている。

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4月 13日(金) マニラは晴れ  北朝鮮人工衛星(ミサイル)発射するも失敗

朝 マニラ マニラホテル 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

    チキンコンギー(鶏粥)が1番旨い

一昨日寒いバスの中で引いた風邪は益々悪化し、寝ている間も咳が止まらなかった。日本と持参は1

時間だから、朝7時から「梅ちゃん先生」が始まる。マニラホテルだけあって、朝食ヴュッフェの料理は

かなり充実している。しかし、1番旨かったのはチキンコンギー(鶏のお粥)と完熟のフルーツであった。

  

                イントラムロスのサンチャゴ要塞とリサール記念館                リサールが愛した日本女性おせいさんの肖像画

  

                       世界遺産のサン・オウガスチン教会とその内部                 スペイン時代の邸宅カーサ・マニラ博物館

9時からイントラムロスの見学。イントラムロスとは、スペインが統治の根拠地とした城塞都市で、今

でも城壁で囲まれている。先ずはサンチャゴ要塞にあるリサール記念館。19世紀末フィリピン独立の

ために活動したホセ・リサールは処刑までここで過した。サンチャゴ要塞は、第二次世界大戦中日本軍

によって多くのフィリピン人が命を落とした場所でもある。サン・オウガスチン教会はフィリピンで最も古

い教会で度重なる地震や戦争にも耐えた世界遺産。最後はスペイン時代富裕層の邸宅カーサ・マニラ

博物館を見て見学は終了。それにしても暑い!今日マニラは今年最高気温の35度を記録したそうだ。

昼のおやつ 客室にて お菓子とコーヒー、バナナ

   ホテルから見たリサール公園

昼食を含めて午後はフリータイム。希望者は2日目と同じショッピングモールに行かれたが、風邪で調

子が今一つの私は自重して部屋で過す。昼食はコーヒーとバナナ、そしてアメニティのバナナ1本。こ

れでは痩せてしまうかも。絵葉書を書いたり、本を読んだり、ウトウトしたりでカラダを休めたのだった。

夜 マニラホテル 「シャンパンルーム」 フレンチコース(カラマリを浮かべた黒豆ポタージュスープ、サ

       ラダバルサモコソース、スモークサーモンを包んだパスタ、グラニテ、仔牛テンダロインステーキ、

        レモンケーキとチョコレート、プチフール)、ビール、白ワイン、赤ワイン

  

  

  

  

短い旅はアッという間に終わるもので、早くも今晩はフェアウェルパーティ。会場は宿泊しているマニラ

ホテルのメインレストラン「シャンパンルーム」。1912年に創業し、フィリピン歴代大統領他マッカーサー

など世界各国のVIPを迎えて来たレストランでフレンチコースを頂く。味ですか?そうね、まぁまぁじゃ

ないでしょうか。オマケのレバーペースト旨い。ワインも旅行会社がサービスって嬉しいな。グビグビ。 

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4月 14日(土) マニラは晴れ 東京は雨

朝 マニラ マニラホテル 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

  

帰国日の今日は出発が早い。4時過ぎに起きた。シャワー浴びてパッキング。5時過ぎにはバゲジダウ

ン。あらら、早過ぎだわね。6時オープンの朝食会場には550分に行って待つ。3分前に1番で入

る。大急ぎで朝食を食べてトイレに行くと、同じグループの女性陣全員が歯を磨いていた。6時半出発。

昼 JAL マニラ=成田 ビジネスクラス機内食

  

7時空港着。国際線のセキュリティチェックでも昨日と同じように折畳み傘が引っ掛かっていた。不思議

に思って聞いて貰ったらフィリピンで折畳み傘を使った事件があった由。それでですかなるほど、JAL

のマニラ空港のラウンジはまことにプアだった。9時発JAL成田行き。朝でもビールを飲むんですか?

夜 舟町 「仙水」 先付け:毛蟹と菜の花とアサリの和え物、もみイカ 900円、いさき焼き 2400円、

       竹の子と山菜の天ぷら、新じゃが甘辛煮、稲庭うどん、生ビール2杯、麦焼酎 @1万3750

  

  

成田には予定より早い午後2時過ぎ到着。気温は12度で雨が降っていた。35度の蒸し暑いマニラか

らではブルブルの寒さである。タクシーで帰宅。帰国日のいつものように洗濯、写真取り込み、メールチ

ェックを終えてから「仙水」へ。6日間の短い旅ではあったが今一つ把握出来なかったフィリピン料理の

後だから日本料理のスパッとした旨さが嬉しい。新じゃが甘辛煮がポクポク!稲庭うどんはツルっと。

                      _______________

4月 15日(日) 晴れ 今日はポカポカ陽気

朝 家食 「ファミマ」のフォー、コンビサラダ、ふすまパン

  

昼 六本木・東京ミッドタウン 「スギモト」 黒毛和牛入りハンバーグセット(ハムポテサラ、ライス) 

      1050円、持参のふすまパン

  

午前中は乃木坂の治療院に行った。フィリピンで風邪を引いたから治してとお願いすると、「いつも言っ

ていますが風邪は膀胱の冷えから来ます。ここを温めて・・・・」。そうでしたねぇ。ランチはミッドタウンの

「スギモト」でハンバーグを食べた。食べたご飯は写真に写っている量の4分の1ですよん。腹減るぞ。

夜 荒木町 「やくみや」 付き出し:大豆とひじき煮、ピータン冷奴 600円、初かつお塩たたき 800

        円、白海老かき揚げ 900円、トマトとアボガドのチーズ焼き 800円、葉山葵醤油漬け 500円、

        温麺 600円、生ビール 2杯、麦焼酎「知心剣」2合 @7800円

  

     

夕方近く東京ガスの方が年に一度の検査に来た。年に一度の検査と言うが、このガスの他にも電気と

か消防設備とか何だらかんだらとた〜くさんの検査が来るので覚えていられに。正常だそうだ。明日は

1年半ぶりの人間ドッグ。どのくらい体重が増えたか考えるとユーウツである。じゃ、今夜はプロティンだ

けにする?午後7時過ぎるとモーレツの空腹を覚え「えィッ!ままよ!」と「やくみや」へ。一杯食べた。

                        ________________

【今週の振り返り】

アジア。一口でアジアと言ってもその概念は複雑で切り口は難しい。アジアに含まれる地域、国々の捉

え方がいろいろあるからだ。人によっては東南アジア以東をアジアと思っている人もいる。いやいや、シ

ベリアも中近東もアジアだよ、という人もいる。正解はこれ、と言えないところがメンドーなのだが、一番

広くアジアを捉える考え方で言うならば、「ユーラシア大陸からヨーロッパを除いた大陸」を指すことにな

る。これは国際サッカー連盟(FIFA)の傘下にあるアジアサッカー連盟(AFC)の所属地域(2006年か

らオーストラリアも入っているけど)に一番近い。よって、サウジアラビアもヨルダンもアフガニスタンもイ

ンドもモルディブもロシアのウラル連邦管区・シベリア連邦管区もアジアになるのだ。国の数は48、人

口に至っては40億人近く、他の地域をぶっち切っている。何せ中国もインドもインドネシアも入っている

のだから負けは無いわな。って勝ち負けの話ではないが。48の国々の中で私が行っていない10数ヵ

国の中には北朝鮮、アフガニスタン、パキスタン、イラク、イエメンなどがあって、一生行かないだろうと

思っている。しかし、易々と行けるのに行っていない国もあったのだ・・・。

フィリピン。はい、確かに行っていませんでした。理由?う〜ん、わからん。とはいえ申し込みは何度か

はしたのだ。世界遺産にもなっているバナウエの棚田を巡る旅に行こうかとか、セブ島などビーチリゾ

ート中心のツァーでターコイズブルーの海を見て過そうかとか。だが、都度あちら(旅行会社)かこちら

(私だ!)の都合で訪問には至らなかった。そんなことで、満を持して(用法が違うよ)フィリピンに出か

けた。

フィリピンは7107もの島からなり、人口は約9500万人である。330年間スペインの植民地だったこと

もあり、国民の多くはカソリック教徒である。国名のフィリピンは、1542年スペイン皇太子フィリペの名

から、スペイン人征服者がラス・フィリピナス諸島と名付けたことに由来している。そのフィリピンから連

想すること。初老のオジサン達は「フィリピンパブ!」と言うかもしれない。若者ならセブ島やボラカイ島

などのビーチリゾートだろう。香港在住のK岩は「アマ!」と叫ぶに違いない。私らの年齢のオバサン達

は「イメルダ夫人の靴!」を思い出すだろう。

2日目から4日目まで過したラワグは北イロコス州にある。北イロコス州はルソン島最北端にあって、

1965年から20年間に渡って強権政治を行ったフェルディナンド・マルコス大統領を生んだ地でもある。

ご記憶の通り、マルコス大統領と言えば、1970年から9年間も戒厳令を敷き、憲法を停止し、独裁政

権下で一族と取巻きに特権を与え、イメルダ夫人と共に私腹をこやし贅沢の限りを尽くした。在任中多

額の国家資産を横領したと見られるが実態はわかっていない。しかーし。盛者必衰。1986年大統領選

挙の不正開票操作がバレちゃってエドゥサ革命が起こり、マルコス夫妻はマラカニアン宮殿からアメリ

カ軍のヘリコプターで命からがら脱出した。ハワイに亡命したものの、3年後の1989年ホノルルでイメ

ルダ夫人に看取られて死去した。

今回北イロコス州のバタックに行ってみると、マルコス元大統領の実家に併設された博物館には冷凍

保存された遺体を納めた棺があるではないか。それだけでなく、3006足もの外国製の靴がマラカニア

ン宮殿から発見されたイメルダ夫人は健在で、現役の上院議員であるというのだ。まだまだあるよ!長

女のアイミー・マルコスは北イロコス州の知事!長男のフェルディナンド・マルコス・ジュニアは北イロコ

ス州の知事を務めてから今は下院議員だと・・・・。はぁ〜〜。まぁ長女、長男はいい。しかし、あのイメ

ルダ夫人がどうして国会議員をやっていられるのだろう。イロコス州出身というガイドの中年女性によ

れば、「マルコス大統領を巡ってはいろいろあるかもしれないけど、私達は今でも彼を故郷の英雄だと

思っています」。「革命で故国を追われた人」に向けた言葉とは思えないけど、同郷の人間はそう考え

るものなのかなぁ。「バタックは偉大な指導者達の家」と書かれた文字が南国の強い陽射しにギラギラ

と光っていた。

            3006足の靴全部履いたんかニャ? 知らん!

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