パクパク日記13年4月2週
風邪を引いたまま、またカタール航空に乗ってイランに行った
細密画風マニキュア壺
イランの少年
4月 8日(月) 快晴 英・元サッチャー首相死去
朝 家食 アーモンド、オニオンスープ、低糖ヨーグルト、でこぽん
4月8日になったというのに、西の空にはくっきりと富士山が見えた。春になると空気が霞むからいつも
なら見えないのに、2日間吹き続けた強風で、空気中の埃や塵が吹飛ばされたんだね、きっと。さて、
今日は出発日だ。朝からふすまパンをラスクちょい前まで焼いて水分を飛ばす作業。7日分準備する。
昼 四谷3丁目 「ぐ^-ばーぐ」 ライス&カレーばーぐランチ(味噌汁付き) 690円、唐揚げ(2個)
180円、サラダ 150円、アイスコーヒー 150円 計1170円
風邪は良くなるどころか、咳が激しく昨夜は寝ながらずっと咳込んでいた。今日からイランに行くのにヤ
バイじゃないか。ってことで、パン焼き&真空パック作業を終えてから近所のM医院へ。咳と鼻水と総
感冒薬と咳止めシールを貰った。ランチは久し振りに「ぐーばーぐ」。季節メニューに「カレー」の文字!
夜-1 成田空港・ANAビジネスラウンジ きつねうどん(小)、お稲荷さん、生ビール
パクパク日記3月4週をアップする。あと1週分作ればリアルタイムに追いつくのになぁ。ま、よくやった
よね、夢子さん。午後6時前に出発して東京駅へ。成田エクスプレス49号で成田空港へ。ちょうど1ヶ
月前3月8日のカタール航空ドーハ経由でタンザニアに向かおうとしたのだが、飛行機が飛ばなかった
というアクシデントがあった。「今日は飛ぶのでしょうね。システムは正常に動いている?」なんてカター
ル航空のカウンターでつい尋ねてしまった。「その節はご迷惑おかけしまして」。ちゃんと飛んでよね!
夜―2 カタール航空 成田=ドーハ ビジネスクラス機内食、持参のふすまパン
午後10時30分発の予定であったが、何と20分早く出発することに。ハハハである。午後11時にはド
リンクサービスも始まる。真夜中ではあるが、ちゃんとした夕食食べていないから機内食食べようっと。
ただ、深夜便なので、アラカルトを選ぶというメニュー構成だ。イランに着いたら1週間酒は飲めない。
ガブ飲みして「飲み溜め」しよう。ビール、赤ワイン、赤ワイン、赤ワイン・・・・・。映画「東京物語」観る。
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4月 9日(火) イラン・テヘランは晴れ イラン南部で強い地震! 3万リアル=約1㌦
朝―1 カタール航空 成田=ドーハ ビジネスクラス機内食、持参のふすまパン
2時間半ほどトロリと眠った。午前3時機内食サービス。1ヶ月前食べてまぁまぁだった鯖と卵ピラフのプ
レートを注文した。酒はもう飲まんよ。12時間のフライト。時差6時間。午前5時前ドーハ着。涼しいな。
早朝のお茶 ドーハ カタール航空ビジネスラウンジ コーヒー
朝-2 カタール航空 ドーハ=テヘラン ビジネスクラス機内食
今回のツァーではビジネスクラスは私だけ。カタール航空はドーハ乗り継ぎの際、ビジネス客とエコノミ
ー客を連絡バスもラウンジも全く別の扱いをする。だから成田空港から私はずと一人。でもドハ空
港には何度も来ているから心細いってことは無いからいいのだよ。ラウンジでは歯を磨いたり、ちょっと
薄着になったりできるから有難い。2時間過ごしてテヘラン行きの搭乗。おぉ!添乗員のT村さん、久し
振り!ビジネス席12人のうち6人が日本人だった。テヘランまで2時間10分。時差は1.5時間戻す。
昼 イラン・テヘラン 「フェドズィ インターナショナショナル ホテル」 スーペ・ジョウ(小麦のスー
プ)、ランチヴュッフェ、持参のふすまパン
飛行機が着陸体制になる前にアナウンスがあり、女性はカラダの線が見えないようなコートやカットソ
ーなどを着て、髪を隠すスカーフを被った。短い前髪も見えないよう、マキコに貰ったヘアピンで髪を留
める。イランは外国人、観光客にもすべて服装上の規則を守らせるのだ。予定より早い午前11時にテ
ヘラン空港に到着。入国審査で私あ2分位でクリアしたが、H巻さん夫妻やH神空港のお客さんは入
国審査で引っ掛かった。特にご当人に問題があるということではなく、「偶然」とか「たまたま」なのだ。と
は言っても30分位入国が許可されないのだから、ご本人達にすればツライわな。到着から約1時間後
ようやく全員が揃ったぞ。大型バスで市内ホテルのレストランへ。隣の席には同じ旅行会社のグループ
が。西イランを含めたイラン全土を周遊する旅(15日間)を依頼し、今日でその旅が終わるのだと言うふ
~ん、それで十分かと思っていたら・・・。NHK番組編成教えて!イラン観光の前の予習であるね。
愛嬌たっぷり動物の土器
ダレイオス1世(右)と息子クセルクセス ペルセポリスの王子の頭部
サーサーン朝の陶器の出土品
逆Y字のアーザーディ・タワー
これからイランを回るなら先ずはテヘラン考古学博物館へ。イラン最大の博物館である。ほとんどのバ
ックは大き過ぎるということで持ち込み禁止で入口で預けることに。カメラビデオもフラッシュ禁止だが、
撮影OKである。イランと言えばペルシャのこと。この博物館にはBC5千年前からのものが展示されて
いるのである。今から7千年前だよ!その頃日本は・・・ヤメマス。有史以前の陶器、石器、青銅器など
が展示されているのだが、完成度が高いのよね。そして2500年前のアケメネス朝のペルセポリスから
の発掘品。数日後に行きますよ。知ってはいたがホントイランは大昔から文化が発展していたんだね。
アンティーク絨毯の名品が揃う絨毯博物館の展示品の中には500年前の絨毯も 立体的なタペストリ
続いて絨毯博物館へ。ここはイラン革命が起こった1979年の前年にオープンした博物館。革命時国
を追われた国王夫人が絨毯蒐集に尽力したなんて皮肉なエピソードもあるのだよね。イラン各地から、
それどころか世界各地からアンティーク絨毯が集めらて展示されている。アンティーク。一番古い絨毯
は500年前ですよ!ペルシャで織られた手織り絨毯だけを「ペルシャ絨毯」と言うらしいよ。凄いわぁ!
早い夜 テヘラン空港 「SINAR」 サラダ、ピッツァー(2切れ)、紅茶
空港から案内してくれた現地ガイドRさんとスルーガイドのAさんが交代。Aさん、これから帰るまでよろ
しくね。Aさん、日本語ペラッペラ。今夜南部の都市シラーズに移動する。夕刻空港へ。夕食は空港に
ある簡易レストランで。サラダとピッツァを2切れ。イランでは「ピッツァー」と言うらしいよ。酒?あるわけ
ないでしょ(涙)。イランの国内線遅れるなんて日常茶飯事と聞いていたが、何と定刻に離陸した。午後
7時50分発シラーズ行き。9時15分シラーズ着。バスのドライバーはテヘランから長いドライブして待
っていてくれたアフマドさん。眠くて倒れそうだよ。12時前、ようやくホテルの客室で眠ることに。無酒日
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4月 10日(水) イラン・シラーズは晴れ イラン南部ブシェール近郊でM6,3の地震!
朝 イラン・シラーズ パルス・インターナショナル・ホテル 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
酒なんか飲まなくても昨夜はコトンと眠りに落ちた。ただカラダが温まると出るのは咳!マスクをして寝
たのだが、ゴホンゴホンと安眠をボーガイする。ウルサイ!そのうち足攣るし、トイレに行きたくなるしで
朝方までトロトロ寝ただけ。だからからか、寝坊してしまった。携帯がイラン時間を認知せず、自動補正
してくれなかったのだ。つまり1時間半早いカタール時間のまま。5時半に起きたら、イラン7時だった!
マスジェデ・ネスィーロル・モルク 朝陽が射し込む西の礼拝堂
抒情詩人サアディー廟
花が咲き誇るエラム庭園。「ペルシャ式庭園」として世界遺産に登録されている庭園でもある
昨夜テヘランから南に飛んで来た距離は約600㌔。イランの南部に位置するが、標高も1600mある
から温暖な気候で、2500年前栄えたアケメネス朝はこの地から起こった王朝である。今シラーズと言
えば「バラと詩」で知られる芸術の香りがプンプンする町だ。最初に行ったマスジェデ・ネスィーロル・モ
ルクは別名バラのモスク、もしくはピンクモスクとも呼ばれる。モスクには珍しいバラの花やヨーロッパ
の教会の絵柄タイルが使われているからバラのモスク。このモスクで有名なのは冬に使われる西の礼
拝堂。一歩入ってみて目を瞠る。ステンドグラスから射し込む朝陽が何とも言えず美しい!いいなぁ、こ
こ。次はイラン国民が愛する四大詩人の1人サアディーの廟へ。サアディーさんはある時旅に出て北ア
フリカ、中近東、インドなどを30年だか40年放浪して70歳でシラーズに戻った。それからは今廟のあ
る地でずっと過ごして何と107歳の長寿だった由。シラーズ大学の敷地にあるエラム庭園。エラムとは
楽園という意味で、2011年「ペルシャ式庭園」として世界遺産に登録された国内9つの庭園の1つであ
る。ペルシャ式庭園で重要な5要素とは水、緑、花、鶯、そして美しい女性、と日本語ガイドのIさんは言
うのだが、ホントかなぁ。Iさん調子いいからね、話半分で。この季節のイランは花盛りで素晴らしいよ!
昼 シラーズ 「PARSSH」 サラダ・スープ、アダスポロ(牛肉・玉葱・干しぶどうのチャーハンのような
もの)、持参のふすまパン、紅茶
アリー・エブネ・ハムゼ聖廟
聖廟内部は鏡モザイク張りで眩いばかり 大詩人ハーフェズ廟
ランチを摂るレストランに行くと、昨日ドーハから同じ飛行機でイランに入ったH神航空グループが食事
されていた。バラのモスクでも会ったし。サラダとスープはヴュッフェ形式で、メインのアダスポロという
牛肉・玉葱・干しぶどうのチャーハンのような料理は各自に運ばれて来る。3口だけ食べた。腹空くぞ!
午後は先ずアリー・エブネ・ハムゼ聖廟。イランはイスラム教のシーア派、その中の十ニエマーム派信
者が圧倒的多数だ。予言者ムハンマドの直系アリー以下子孫12人を「エマーム」と呼ぶ。殉教させら
れた11代までのエマームはサウジアラビアに5人、イラクに5人、イランに1人(8代目)の墓があるが、
今お隠れになっている12代目が再臨されるのをシーア派十ニエマーム派の信徒は待っているらしい。
アリー・エブネ・ハムゼ聖廟とは、イランで殉教したエマーム・レザーの弟の甥の廟なんだそうで。入口
も内部も男女別々。入口で外国人の私達もチャードルで全身をすっぽり包まされた。聖廟の壁も天井も
すべて鏡のモザイク張り。目がチカチカする。聖廟の中で、お祈りしていた1人を除けば、昼寝している
人、お弁当食べている人、お喋りしている人・・・。何だかなぁ。シラーズ最後の観光は、この国で一番
愛されている抒情詩人ハーフェズ廟へ。サアディーと違ってハーフェズはずっとこのシラーズで過ごして
生涯を終えた。廟には可愛いらしい幼稚園児達が次から次へとやって来て彼の詩を暗誦するのだよ。
ペルセポリス遺跡の夕陽
夜 イラン・ペルセポリス 「タフティ・ジャムシード」 サラダ、スープ、虹鱒のフライ、持参のふすま
パン、プリン、紅茶、ノンアルコールビール(レギュラー味) 2㌦
シラーズからペルセポリスまでは約1時間。遺跡まで車で5分という好立地のホテル「タフティ・ジャムシ
ード」に午後4時半チェックイン。ペルセポリスとはギリシャ語で、ペルシャ語ではタフティ・ジャムシード
と呼ぶそうだ。「ジャムシード王の玉座」という意味だ。ホテルは山小屋のような造りだが、全員スィート
ルーム(一応ね)となった。夕刻ペルセポリスの遺跡に沈む夕陽を見に行く。普段は入れない南口から
入り、特別にアパバーナ(謁見の間)内部に立って沈みゆく太陽を見つめた。アパバーナに残った柱の
お陰で印象的な日没となった。ホテルに帰って夕食。食事の前に自己紹介タイムがあった。ご夫婦2
組、旅友女性2人組、一人参加女性3人計9名。H巻夫妻とは2回目の南極でもご一緒だった。レギュ
ラー味があるというので初めてノンアルコールビール注文。甘ッ!マズッ!魚のフライが旨い。無酒日
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4月 11日(木) ペルセポリスは晴れ
朝 イラン・ペルセポリス 「タフティ・ジャムシード」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
昨夜も一晩中咳をしていた。6時起床。スィートルームでも、シャワーしかない。なかなかここでシャワー
を浴びるのは難しい。朝食にはT村添乗員が、若布の味噌汁(インスタントだけど)を作ってくれたよ。
ペルセポリス入口のクセルクセス門
幸せを運んで来る鳥ホマー
アルタクセルクセス2世王墓から一望
アバダーナ(謁見の間)東階段 当時のアバダーナ予想図
階段レリーフは贈物献上する人々
ダレイオス1世を支える28の国
ダレイオス1世冬の宮殿タチャラ 12万5千㎡のペルセポリス
今日はペルセポリス遺跡の見学だ。中東3P遺跡と言えば、ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺
跡、そしてイランのペルセポリス遺跡。これにレバノンのバールベック遺跡を入れて中東4大遺跡とも呼
ぶ。私は全部見たが、シリアのパルミラ遺跡が今どうなっているか、とても心配している。もしかして・・・
ねぇ・・・はぁ。ペルセポリスはギリシャ語で「ペルシャ人の都」とう意味で、キュロスが初代のアケメネス
朝3代目のダレイオス1世が紀元前520年この地に建築に着手した都であった。その息子クセルクセ
スの代でほぼ都は完成したが、アレクサンダー大王によって滅ぼされた9代目までかかっても未完成
な部分もあった。この都は南北に450㍍、東西に300㍍、高さ18㍍の大基檀が築かれ、その上に都
市が建設されたのだ。広さ12万5千㎡。広いねぇ。東のラフマト山の中腹にはアルタクセルクセス2世
の墓がある。そこにハァハァゼィゼィ汗流して登って行く。上りたくないけど。この丘からは遺跡が一望
出来る。破壊される前の都をこの丘から見たら壮観だったろうなぁ。この遺跡のハイライトはアパバー
ナ(謁見の間)の階段のレリーフ。当時西はリビア、東はインドまで28国を支配したアケメネス王朝。レ
リーフの絵柄は、この属国の使者が贈り物を献上する様子が描かれている。栄華を誇ったアケメネス
朝も、9代目ダレイオス3世時マケドニアのアレクサンダー大王に敗れ、紀元前331年陥落したのだ。
昼 イラン・ペルセポリス 「タフティ・ジャムシード」 サラダ・スープ、ラムと茄子の煮込み料理、(ライ
ス)、持参のふすまパン。紅茶
これだけの遺跡だし、世界遺産に登録されているペルセポリスだが、遺跡の周囲にはお土産屋など見
当たらない。ペルセポリス饅頭もペルセポリス煎餅も何も無い。ガイドのIさんに聞くと「そんなに客来な
いし」とのことだ。唯一簡易な建物にDVDと絵ハガキを売る店があっただけ。ホテルに帰ってランチ。
イランは煮込み料理が多いらしく今日はラムと茄子の煮込み。食後部屋で一休みしたが、暑い中を歩
き回った後だからか疲れがドッと出る。もう眠くて眠くて。スーツケースを出して、2時半チェックアウト。
ナグシェ・ラジャブのサーサーン朝レリーフ
アケメネス朝歴代王墓ナグジェ・ロスタム
捕虜となったローマ皇帝とシャープール1世
ホテルを出て10分程でナグシェ・ラジャブに到着。サーサーン朝初期のレリーフが4つある。シャープ
ール1世と臣下のレリーフ(上の写真・左)など、くっきりはっきりしている。そのまた先10分位行くとナ
グジェ・ロスタム。ここはアケメネス朝歴代王の墓がある。ダレイオス1世、クセルクセス1世の墓など5
人の王の墓だ。墓下部にはサーサーン朝のれリールが残されている。有名なのは「騎馬戦勝図」(上
の写真・右)で、馬上のシャープール1世が捕虜になって東ローマ帝国皇帝ヴァレリアヌスの手首を掴
んでいる場面。ペルシャの歴史の中では、ローマ皇帝を捕虜にしたという史実は貴重なんだろうなぁ。
夜 シラーズ空港にて サンドイッチ、バナナ、水
バスでシラーズの町に戻る。昨日お休みだったピスタチオ屋に立ち寄る。ピスタチオと言っても、塩の
濃さ薄さ無塩、それに大きさや産地もいろいろあって選ぶのに迷う。ガイドIさんが「これ!」と言うので、
3㌔買った。物価が安いイランで、ピスタチオって高級品なんだね。空港へ。フライトを待つ間、現地ガ
イドのソマイエさんが買ってくれたサンドイッチとバナナでチョーカンタン夕食。私はサンドイッチのパン
も食べないし。イラン空港は今夜も時間通りに運航!凄いじゃないか。イスファハーン空港には順調に
到着したのだが、道路の渋滞でホテルには午後10時ようやく到着。イランでは週末なんだね。無酒日
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4月 12日(金) イスファハーンは晴れ
朝 イスファハーン・コウサル・インターナショナル・ホテル 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
午前のお茶 イスファハーン チェヘル・ソトゥーン宮殿庭園「チャイハネ」 チャイとクッキー
チェヘル・ソトゥーン宮殿の庭園も世界遺産 博物館内部サファヴィー朝の歴史画
庭園にあるチャイハネ
アルメニアのヴァーンク教会 ヴァーンク教会内部
昨夜から宿泊しているホテルには3連泊する。(一応)5ツ星ホテルということだが、「ホント?これが?」
って感じだった。古いホテルを直して直してって感じでね。9時半イスファハーンの観光へ。「イランの真
珠」と呼ばれるイスファハーンの栄光は、1597年アッバース1世がサファヴィー朝の首都と定めたとこ
ろから始まった。チェヘル・ソトゥーン宮殿。アッバース2世が建てた宮殿で、チェヘル・ソトゥーンとは四
十の柱という意味だ。実際の柱は20本しかないけど。庭園は世界遺産になったペルシャ式庭園の1つ
で、宮殿は博物館になっている。博物館にはサファヴィー朝の歴史を描いた6枚の絵画、17世紀の細
密画師の絵も展示されていた。緑が眩い庭園を少し歩くと小さなチャイハネが。チャイでほっこりした。
町の南部にあるジョルファー地区。この地区には17世紀に建てられた13のアルメニア教会があるが、
最も有名なヴァーンク教会に行く。教会に入ると素晴らしい壁画に暫しボーゼン。隣には博物館。髪の
毛に描かれた文字、世界最小の0.7gの聖書、レンブラントが描いたアブラハムの鉛筆画などを見学。
昼 イスファハーン 「カンサラー」 サラダ、スープ、牛肉とレンズ豆とトマトとポテトの煮込み、持参の
ふすまパン、紅茶、アイラン(飲むヨーグルト) 2㌦
ザーヤンデ川にかかる美しいハージュ橋 イスファハーンで最も古い金曜モスクはイラン寺院建築の粋を集めたよう
ランチのメイン選択制だった。私は牛肉とレンズ豆とトマトとポテトの煮込みを食べた。味は濃いがまぁ
まぁの料理であった。午後はイスファハーンで一番美しい橋と呼ばれるハージュ橋へ。今日金曜日はイ
スラムにとっての休日。お天気も良いので、橋や川には大勢の市民がピクニックを楽しんでいた。あち
こちから「どうぞ食べて」とナンを出されたり一緒に座っていかないと声をかけられたり。楽しい人達だ。
金曜モスクは、イスファハーンで一番古いモスクで8世紀に造られ始めた。一度焼失したが、14世紀ま
でに大部分を再建。10世紀から14世紀まで建て増しされて来たから数百年分のイラン寺院建築がい
っぺんに見られて建築学博物館のようでもある。モスクにドームの技術が使われたのはここが最初だ。
夜 イスファハーン 「Bastani」 サラダ・スープ、牛肉とプラムの煮込み、持参のふすまパン、サフラン
とピスタチオのアイスクリーム、紅茶、ノンアルコールビール(レギュラー味) 2㌦
夜のイマームモスクと33アーチ橋
夕刻ホテルに帰る。一人で。他の皆さんはペルシャ絨毯の店に行かれた。後刻伺うと高額のペルシャ
絨毯を購入された方もおられたとか。夕食はバスで市内へ。メインは牛肉とプラム煮込みだったが、と
にかく種が多い!あんまりあってウンザリした。帰りも渋滞。途中でバス降りて、橋渡り歩いて帰った。
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4月 13日(土) イスファハーンは曇り 午後から小雨 淡路島で震度6弱の地震!
朝 イスファハーン・コウサル・インターナショナル・ホテル 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
33アーチ橋を歩いて渡る ザーヤンデ川の向こうに見える4千m級の山々 それは賑やかな女子高生達
ハシュト・ベヘシュト宮殿
イマーム広場のアリカプ宮殿
宮殿テラスから見たイマーム広場
イスファハーン3泊目。これまで晴天であったが今日は生憎の曇り空。一番に行ったのは、ハシュト・」
ベヘシュト宮殿。サファヴィー朝後期1669年時の王の命により建てられた宮殿。ハシュト・ベヘシュト」
とは「八天宮」の意。この宮殿で王様は8人の愛人と楽しく暮らしたらしいよ。ホントかよ、と思うけどね。
次は昨夜も行ったイマーム広場。アッパーズ1世の命で1598年から数十年かけて造られ、ナグシェ・
ジャハーン広場の名前も持つ。ナグシェ・ジャハーンとは「全世界の図」という意味である。「政治と経済
と信仰」のすべてを集約した広場ということなんですってさ。アリカブ宮殿に行く。イランで最初の高層建
築なのだそうだ。2階のバルコニーまで段差イジョーに高い石段を約50段登る。そこで私のガラスの膝
は強く「NO!!」と言っている。倍上れば最上階の音楽堂があるが、それは見なくていいや。ナゼなら
そのバルコニーから見下ろすイマーム広場がとっても素敵でね。広場を観光馬車がずっと走っている。
昼 イスファハーン 「ALIQAPU HOTEL」 サラダ、豆スープ、ミートソーズパスタ、持参のふすまパ
ン、ゼリーとプリン、紅茶
スルーガイドのIさんが「今日のランチはパスタですよ!楽しみにしてね!」と言っていたので期待して
いた。いつものようにホテルのヴュッフェであったが、メイン料理には言葉違わずパスタがあった!たっ
ぷりミートソースをかけて食べたら、何だか欲求不満が少し解消されたような気分になった。旨かった。
王族専用だったシェイフ・ロトフォッラー・モスク
豪華絢爛のモスク内部 モスク天井には孔雀が!
イランのイスラム芸術を集大成したと言われるマスジェデ・エマーム 中央礼拝堂天井ドームは二重構造で音響効果抜群
昨日の夜、今日の午前、そして午後と3度目のエマーム広場。何しろ縦510㍍、横163㍍もあって、
「全世界の図」だからねぇ。この広場にはかつての政治の中心アリカブ宮殿があり、宗教上のマスジェ
デ・エマーム(エマームモスク)も王族専用であったシェイフ・ロトフォッラー・モスクもあった。そして回廊
部分には延々と商店が並ぶ経済の地でもある。「エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン」という有名な言
葉は、「イスファハーンは世界の半分」という言葉なのだそうだ。かつて広場ではポロの試合が行われ、
王様はアリカブ宮殿のテラスから観戦した。ポロって英国のスポーツでしょ?NO!NO!ポロはイラン
が発祥のスポーツなんですってさ。広場の周りを観光用の馬車が走り回る。当時は王族専用のモスク
であったシェイフ・ロトフォッラー・モスク。1601年着工されドーモ天井には孔雀の図があり、射し込む光
が孔雀の羽のようにも見えた。1979年のイラン革命までは「王の寺院」と呼ばれていたが、今はマスジ
ェデ・エマーム(エマームモスク)と呼ばれてエマーム広場の北に位置する。モスクに入る時、イランの
女子高校生一団と一緒になってイヤな気がしていた。このモスクの中央礼拝堂のドームは二重構造に
なっていて音響効果抜群なのだがクダンの女子高生は阿鼻叫喚!暫く待ち静かになってから現地ガイ
ドマウヌチェさんがアザーンを謳ってくれた。私も4章節程歌ったら歌声がドームに響き渡ってビックリ。
午後のお茶 イスファハーン・エマーム広場 「チャイハネ アーザーデガーン」 チャイ 2万リアル
妖しげなチャイハナ!
1時間超フリータイムになった。買いたい物も無いし、膝も痛い。じゃ、どこかでl休息ね。「近くにチャイ
ハネとか休むとこありますか?」とガイドIさんに聞く。最近イランではチャイハネは減る一方なのだそう
だ。近くに1軒あると聞いて行ってみる。添乗員のT村さんが一緒に来てくれた。店は地下。店のほとん
どは男性客で、水パイプを吸っている。女2人が行くとジロジロ目線が半端じゃない!そんな視線を避
けられるような女性・家族席があった。チャイを注文し、互いにトイレを借りてからT村さんは帰り、私は
ここで茶を飲みながら本を読む。後半30分更紗の店に行って、寝室用のマットを買ったので満足した。
夜 イスファハーン・コウサル・インターナショナル・ホテル サラダ、オニオンスープ、魚のケバブ、T村
添乗員特製具無しバラ寿司、持参のふすまパン、プリン、紅茶
いつも笑顔のドライバーアフマト氏
ホテルに帰ると1階カフェでは昨日に続いて若い男女で溢れていた。お見合いである。この町の若い
男女は「お見合いするならコウサル・インターナショナル・ホテルのカフェで」が合言葉なのだろうか。今
日は珍しく午後ずっと小雨が降っていた。今日の夕食はホテルのレストランで。現地ガイドのマヌチェさ
ん、シラーズからずっとバスの運転してくれているアフマトさん、そしてスルーガイドのIさんも一緒だ。
アフマトさんは、首都テヘランからシラーズへ、次はシラーズからイスファハーンへと私達が飛行機で移
動する間もバスを運転して来てくれた。そんな苦労をしていてもいつもニコニコ。ホント良い人だ。夕食
には添乗員T村さんがバラ寿司(具無しだけど)を作ってくれた。イランの皆さんも美味しい!!無酒日
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4月 14日(日) イスファハーン曇り→雨 テヘラン雨→晴れ 三國廉太郎氏死去(享年90歳)
朝 イスファハーン・コウサル・インターナショナル・ホテル 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン
昼-1 イラン航空 イスファハーン=テヘラン 機内食
イスファハーンは今日も雨だった。私達観光客にとっては「あ~ぁ」ってな感じだが、雨が少ないイラン
の人達には「恵みの雨」なのだそうだ。いつもは「晴れ女」を自認しているが、水不足の土地では「雨
女」として寄与するわけさ。いつも笑顔のアフマトさん、さよなら!彼はひとりでテヘランまで帰るのが寂
しいから、フライトキャンセルになりますようにと祈っているそうだ。しかし、今日もイラン航空は定時フラ
イト。やれば出来るじゃん!機内にドヤドヤと大きな男達が入って来たと思ったらイランで2番目に強い
サッカーチームの一団だそうだ。チーフトレーナーのようなオジサンが、日本人がいるぞ、と話しかけて
来た。浦和レッズと名古屋グランパスと試合したことある、強いチームだったって。12時半テヘラン着。
昼―2 テヘラン 「ボナプ」 ヨーグルト、羊のケバブと付け合せの野菜、ナン、持参のふすまパン、ア
イスクリーム
今日の昼食は、ケバブのチェーン店である「ボナブ」だった。ホテルレストランでの、サラダ&スープヴュ
ッフェに煮込み料理&プリンという構成に飽き飽きして来たので、嬉しいぞ。暫く待つと、羊肉の挽肉を
細長~くして焼いたケバブが運ばれて来た。これを薄いナンに挟み、生の玉葱や濃厚なヨーグルトと共
にパクリ。うんま!羊肉の臭みなんて全くないよ。パクパク一番で完食!女性3人がケバブ完食した。
夜 テヘラン・アザディ・グランドホテル サラダ、豆スープ、チキンケバブ、(ライス)、持参のふすま
パン、コーラゼロ 3㌦、プリンとフルーツ、紅茶
時間があればテヘラン郊外のナンチャラ宮殿に行ってみようかという話はあったが、今朝までの激しい
雨で道がぬかるんでいるというのでヤメにした。その代わり、大型のスーパーに行きましょう。紅茶とか
干しぶどうとか手持ちのリアルを使い果たす。テヘラン北部は高級住宅地。4月中旬なのに4千㍍級の
アルボルズ山脈は雪をたっぷりいただいている。アザディ・グランドホテルにチェックイン。元ハイアット
ホテルで、イランでは一番!という5ツ星ホテル。確かにここキレイだわ。バスルームには体重計もある
し(笑)。夕方まで本を読むなどゆっくり出来た。夕食はホテルで。一番ホテルでも内容は一緒。無酒日
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【今週の振り返り】
イランに行こう!と思ったのはこれまで何度もある。3度イランツァーを申し込んで、いろんな事情で旅
は実現しなかった。いろんな事情=イラン航空が日本乗り入れを止めたのでツァーが中止になったと
か、「酒飲まないと眠れないから禁酒はイヤ!」と自ら取り消したとか。「地球の歩き方のイランペルシ
ャの旅」07年版が我が家にあった。もうイランけど。4度目の申し込みでようやくイランに行くことが出来
た。実際イランに行ってビックリ、見てビックリ。とにかく驚きの連続だった。いかにイランについて間違
ったイメージを抱いていたか、いい加減な思い込みをしていたか、誤った情報を信じていたかの連続で
であったのだ。
先ずは気候。「サラメシ」のナレーションを担当する中井貴一ちゃん風に言えば、「中東イランにも四季
はある~~!」。「イラン=砂漠っぽい国」と思い込んでいたから、首都テヘランで北郷に雪山の連山を
見た時は、連ドラ「あまちゃん」のビックリ語で「ジェジェジェ!」。ナンジャコレ!イランは日本の国土の
4、5倍の広さがあるから、北にある首都テヘランでは冬は雪が降るし、南のペルシャ湾沿岸では夏場
50度近い高温にもなる。ただ湿度が低くて乾燥しているから、木陰に入っただけで10度下がる。乾燥
しているから気持ち良いしね。イランの春と秋はとても過しやすい気候なのだ。
イランの人はアラブ人だとばかり思っていた。中近東と北アメリカに住むイスラムの国はアラブ人、とい
う思い込みがあったのだ。だから彼らが使う言葉はアラビア語だとばかり思っていた。ところが違うので
ある!イランの人々は主にペルシャ人であり、文字はアラビア文字を使用してはいるものの、使用言語
は主にペルシャ語なのである。イランという言葉自体が「アーリア人の国」という意味なのだそうだ。ふ
ーん、そうだったんだぁ。
イランは美人だらけである。イランに行く前は、女性は夫・家族に髪を見せてはならない、カラダの線が
わかるような服装をしてはならない、と言われていたから、どの女性も頭からすっぽり覆うチャードルを
つけているとばかり思っていたのだが、そうじゃない女性もたくさんいるではないか。お洒落さんも多い
のである。イラン美人の中には鼻にバンソウコウを貼った人を何人か見た。どうしたのか聞いてみると
と整形手術を受けたのだと言う。あぁ鼻を高くしたのね。え?違う?高過ぎる鼻を低くしたぁ?「ジェジェ
ジェ!」である。子供達は男の子も女の子も実に可愛いらしい。じゃあ男子は皆ダルビッシュ有みたい
かって?イヤ、そうでも無いんだ・・・。
イラン=砂漠っぽい国というイメージはテヘランで雪山見て崩れたと書いたが、最高峰ダマヴァンド山
はナンと5671㍍だよ。富士山なんて目じゃない、という程高いのだ。そうそう富士山で思い出したが、
お財布から千円札を取り出してみてください。はい、裏を見ましょう。左側は富士山ですね。次に上下逆
にして見てください。水に映った山は富士山・・・・「ジェジェジェ!違う!」。水に映っている山こそ、イラ
ン最高峰ダマヴァンド山だと言うのだ。ホントかなぁ、日銀の黒田さんに聞いてみないとなぁと思いなが
ら、帰って来た。そして私達が訪れたシラーズもイスファハーンも緑に溢れていた。花で溢れていた。バ
ラが美しかった。4月は花が競うように咲いて最高の季節だ。
イラン人は詩が大好き。シラーズにはイラン人が尊敬し愛する四大詩人のうち2人を輩出する国であっ
た。2人の廟は、観光名所のようになっていて、イラン国民は家族同士で、恋人同士で詩人の廟に遊び
に行く。遊ぶに行くtっと言ってもブラブラしているのではなく、廟の前で詩を詠み上げるのである。幼稚
園児でさえ、長い詩を朗々と詠み上げる。日本人はそんなこと出来ね。せいぜい「古池や蛙飛び込む
水の音」だな。「おしん」が大好きなイラン人である。
ポロという競技知っていますか?ほら、馬に乗ってスティックで球打つスポーツ。あぁイギリス発祥の
ね、とあなた思いましたね。ノンノン!ポロはイランが発祥の地ですよ!紀元前6世紀、つまり2600年
前にペルシャで始まり、その後ヨーロッパに伝わったのである。ペルセポリスには下水道があった。って
ことは、2500年前から?古代ローマより早い?
ま、他にも「ジェジェジェ!」だらけのイランであったが、この続きは次回また!
「ジェジェジェ!」は猫に難しいニャ
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