パクパク日記16年2月4週

           2月上旬イタリア音楽の旅に続き、2月下旬はウィーン音楽滞在

 

    モーツアルト  ウィーン楽友協会黄金のホール

 

2月 22日(月)成田は晴れ ウィーンも晴れ  1€ユーロ=約130円

第1食 成田・日航ホテル成田「セリーヌ」朝食ヴュッフェ

 

  

 

昨日日曜日の夜から成田のホテルに前泊している。一番頻度の高い日航ホテル成田である。いつもの

ように「セリーヌ」で朝食ヴュッフェ。そしていつものようにサラダと湯豆腐と納豆カレーの朝食。

 

第2食 オーストリア航空成田=ウィーンビジネスクラス機内食

 

  

 

かなり久しぶりのオーストリア航空。ルフトハンザ航空の子会社になってしまったが、昔から親会

社より好きな航空会社である。CAが真っ赤なストッキングを履いていて食事が結構美味しいから。

ビジネスクラスの座席も他社に倣って最新のものになっていた。フィンランド航空、アリタリア航

空の偶数Aが好きな私だが、オーストリア航空は奇数。7を除く奇数AKと覚えておこう。前菜は

ワゴンサービス、スープの後のメインは和洋2種類からのチョイス。食事の最後にはバリスタから

カフェメニューが配られてウィーンカフェにいるようなカフェの数々から注文出来るのだ。メラン

ジェとかマリア・テレジアとかね。エンターテインメントも充実。久しぶりに映画を2本観た。ま

ずは「007スペクター」と「あん」。「007スペクター」はダニエル・クレイグのジェームズ・ボンド

の4作目。前作「007スカイフォール」も面白かったが、これもね。24本となるシリーズ中史上最

高の製作費と最長上映時間となるのだそうだ。「あん」は河瀬直美監督作品で樹木希林、永瀬正敏

が好演。樹木希林の孫(ということはもっくんの娘)の内田伽羅(16歳)が祖母と事実上の初共演

を果たした。何だか不思議な存在感をかもしだす少女だった。あのあんこのどら焼き食べたいぞ!

第3食 オーストリア航空成田=ウィーンビジネスクラス機内食

 

  

 

第4食 ウィーン・ブリストルホテル 客室にて おにぎりとビール、ウィスキー

 

  

 おにぎりとビール。最高!

 

ウィーンには午後4時前に到着した。こじんまりした空港はいいねぇ、歩く距離少なくて。それにし

てもこの暖かさは何だ!ウィーンのガイドに聞いたところでは、今日ウィーンの最高気温は19度!

真冬のウィーンでこの気温と地元の人も驚く暖かさなのだそうだ。絶好のロケーションのブリストル

ホテルにチェックイン。スタンダードの部屋も悪くは無かったが、5泊もするのでグレードアップし

て貰う。羽毛アレルギーなので寝具の取り換えや荷物の整理が終わったのは8時半。おにぎりで夕食。

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2月 23日(火)ウィーンは曇り 夜小雨

朝 ウィーン・ブリストルホテル「コルソ」朝食ヴュッフェ

 

  

 

公共交通機関を使用しての移動。市電、地下鉄、最後はバスで。      ベートーヴェンの「遺書の家」

 この家に住んでいたベートーヴェンは難聴に苦しみ弟達に向けて遺書を認めた

  少ない弟子の1人ツェルニー    ピアノを教えた令嬢に恋したが・・・  2万人が集まったベートーヴェンの葬式

  ベートーヴェンの散歩道に建つ胸像         左側の先に「田園」を作曲した家がある

 

 セセッション(分離派会館)にはクリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」が

 

ブリストルホテルの朝食は午前7時から。ウィーンに来た時いつも思うのだが、オムレツを焼いて

貰うと何時だってウエルダンになっちまう。ナゼならフライパンで調理したオムレツをオーブンに

入れ仕上げをするから。ナンでそんな余分なことするんじゃ!トロトロのオムレツが食べたいのに!

何だかはっきりしない天気の2日目午前中は「ベートーヴェン・ディ」。フツーの海外ツァーなら貸

し切りバスでグルグル回ることが多いが、今回はすべて公共交通機関を使う。ベートーヴェンの「遺

書の家」があるハイリゲンシュタットに行くのには市電、地下鉄4号線、市バス、そして徒歩。着い

た頃にはくたびれている。ここ何年か前にも来た。生涯で70回も引っ越ししたという引っ越し魔の

ベートーヴェンだが、ウィーン郊外のこの家に住んでいる頃、音楽家としては致命的な難聴に苦しん

で遂には弟と甥宛てに遺書を認めた。32歳の時だった。しかし遺書はそのままベートーヴェンが保管

していたということだ。聴力を失いつつある彼は散歩が好きで、近所のせせらぎに添って何時間も歩

き回って曲想を練った。ドイツ・ボン生まれのベートーヴェンは、16歳の時モーツアルトに憧れて

ウィーンに来た。母の病気で一旦ボンに帰るが、ハイドンに認められ弟子となりウィーンに移住した。

昼 ウィーン「MULLERBEISL」ミックスサラダ、鰈のグリルポテトサラダ添え、アップ

ルシュトゥルーデル、小ビール45€、コーヒー5€

 

  

 

また公共交通機関を使ってカールス・プラッツに戻り、ランチ前の最後の目的地「セセッション」へ。

これまでも何度も機会がありながら、いま一つその気にならず来たことが無かった「セセッション」。

基本的にクリムトが好きで無いからね。しかし、オルブリッヒが設計したというセセッション館は美

しいとずっと思っていた。特に月桂樹のドームは「金のキャベツ」のニックネームを持つ。ここにベ

ートーヴェン「第九」のワーグナーの解釈に従って描いたクリムトの壁画がある。テーマは「人類の

幸福への憧れ」ですってよ。内部撮影禁止。さぁ、ようやくランチだ。ところがレストランまで遠く

てね。今日は一体何歩歩いたんだ!あれ、午前中だけで1万2千歩超えているぞ。芋だらけの昼食。

 

  

   オペラ座見学ツァーに参加した         5カ国ツァーの中には日本語も。日本語ペラペラのガイド氏

          オペラ座エントランスの豪華な天井     ホワイエには著名音楽家の胸像が。これはベートーヴェン

              マーラーは作曲家のみならず、オペラ座の指揮者としても活躍。旅に持参した小型のピアノ

  オペラ座劇場内            豪華絢爛の皇帝専用の休憩室   舞台では今夜のロミジュリのための準備

  毎年2月初旬オペラ座で開催される舞踏会(オーバンバル)は世界で一番有名な舞踏会

 

午後3時からオペラ座見学ツァーに参加。英語、独語、伊語、スペイン語、日本語のツァーがあって

日本語ツァー参加が一番多い。ガイドの青年の余りに上手な日本語に皆びっくり!グスタフ・マーラ

ーが指揮者になるまでオペラ公演やコンサートには休憩という概念が無かったなんて面白い話も聞く

ことが出来た。昨日は「マノン」、今日は「ロミオとジュリエット」、明日は私達も観る「コシファン

トッテ」と毎日演目が変わる。その準備に忙しい舞台裏も見せて貰った。ウィーンでは主に冬の期間

に舞踏会がいくつも催される。場所は王宮だったり楽友協会だったり、ここオペラ座であったり。中

でもオペラ座舞踏会(オーバンバル)は世界で一番有名な舞踏会である。昔は貴族の社交界デヴュー

の場であったが、今では18歳から24歳でウィンナーワルツを踊ることが出来て試験に受かれば、日

本人でも参加出来るそうだ。12000人が入場するこのオーバンバル。見学するためのロージェ席(

ボックス席)は何と300万円!なんですってさ。小澤征爾さんもこのオペラ座の音楽監督を務めた。

夜 ウィーン「HUTH GASTWIRTSCHAFT」葱のクリームスープ、ビーフのターフェ

ルシュピッツ 林檎ジャム+ホースラディッシュ添え、芥子の実とベリーのパフェ、ビール大5€、

白ワイン35€、赤ワイン35

 

 

夕食はほど近いレスランと聞いて歩き出したが、結構遠いじゃないか。新潟から参加されたFさんは

往復ともにタクシー利用された。今夜は自己紹介が予定されていたが、他のお客さんもいるレストラ

ンでそれは無いでしょ、という雰囲気。で、添乗員のK村さんが皆さんを紹介。16人参加で男性は

3名。添乗員のK村さんは、これまで何度もご一緒した岐阜在住の女性だ。この前はアラスカクルー

ズでしたね。今夜のメイン料理はオーストリアの名物料理の一つビーフのターフェルシュピッツだ。

スープで柔らかく煮込んであり、これに林檎ジャム+ホースラディッシュをつけて食べるととても旨

い。ドイツ系は肉やソーセージにジャム付けること多いのだ。ビールを飲みながらお喋りしていると、

隣の方が「これあなたの名刺?」。ギョエ!2度目の南極で会った方だ。雨が急に降り出しタクシー!

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2月 24日(水)晴れ

朝 ブリストルホテル「コルソ」朝食ヴュッフェ

 

       大好きなエゴン・シーレに会いに「レオポルト美術館」に一人で行く。特に自画像が好き!

    美術館から見える美術史博物館  クリムトの時代、日本の浮世絵は多大な影響を残した

 

今日は夜のオペラ座での公演まではフリータイムである。添乗員のK村プランではナッシュマルクト

広場と美術史博物館見学だった。私は一人レオポルト美術館に行くことにした。昨日までの異常とも

思える暖かさはどこかに飛んで行き、ウィーンらしい寒さが戻って来た。風が冷たくて、薄手のコー

トではビンビンに冷たさ伝わって来る。いつの頃からかエゴン・シーレファンになってしまった私は

独りで彼と対面したいのだよ。この美術館は、ほぼシーレの作品。たくさんあるから安心して観てい

られる。28歳の生涯だったシーレだが、作品は存外多い。彼の顔が好きだから、従って自画像に一番

関心がある。クリムトの作品は美しいけど、クリムト自身は全く美しくないしね。アハハ。堪能した。

午前のお茶 レオポルト美術館のカフェ 紅茶 4€

昼 ウィーン「日本橋」(自由食) 天ぷら蕎麦セット(天ぷら盛り合わせ、蕎麦、小皿、漬物、お

稲荷さん)18.9€、煎茶45

 

 蕎麦は盛りとかけがある

 

寒い、寒いと歩きながらカールス・プラッツに戻る。途中で知らなかった日本食レストランも見つけ

たが、お馴染みの「日本橋」に行くことにした。この前来た時にはきつねうどん(蕎麦も)があった

のに、無くなったしまったなぁ。代わりにお稲荷さんが2個ついた天ぷら蕎麦セットを注文。フツー。

夜−1 ブリストルホテル 客室にて (自由食)ミニ中華そば、お稲荷さん

 

  

  手前がオペラ座、向こうが宿泊しているブリストルホテル   公演前に軽く腹ごしらえ     オペラ座の天井

  

      派手なオペラ座の緞帳    昨日見学したオペラ座でオペラ見学   終わってビールをグビッと

 

午後7時からオペラ座でモーツアルトの「コシファントッテ」を観劇。大昔、ロンドンのコベントガ

ーデンでロイヤルオペラの「コシファントッテ」観たっけなぁ。美しい姉妹を恋人に持つ2人の士官

が友人の「女は必ず心変わりする」という主張を覆すために変装し、姉妹の相手を替えて誘惑したら

成功しちゃった、なんていうどーでも良い筋書。変装した位で気づかないで誘惑にのっちまう姉妹も

どーよ、って感じで。私がオペラ歌手だったら女中のデスピーナをやりたい。2分でホテルに到着!

夜―2 ブリストルホテル 客室にて ビール、ウィスキー

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2月 25日(木)曇り

朝 ブリストルホテル「コルソ」朝食ヴュッフェ

 

 

               老舗名門ホテルであるブリストルホテルは歴史上著名な人々が宿泊した

 メニューインもあのバーンシュテインも宿泊した           歩行者天国のケルントナー通り

12世紀創建の聖シュテファン大聖堂  イースターまでこの幕がかかる          フリードリヒ3世の墓

  モーツアルトはこの小さな礼拝堂で結婚式を挙げた。出席者は5名!  モーツアルトが亡くなった夜ここに放置された

 モーツアルトハウス。アーチの上の2階に一家は住んでいた           最も本人に近いと言われる肖像画

父ヴァイオリン、姉は歌、モーツアルトはピアノ    この場所にあった建物の2階で1791年モーツアルトは亡くなった

 

今日と明日はT大の二次試験。D介君ぐわんばってくれたまえよ!と、ウィーンからエールを送る。

一昨日がベートーヴェン・ディだったら、今日はモーツアルト・ディ。しかし、またもや公共交通

機関で行くマルクス墓地に行くのはパスした。モーツアルトがどこに埋葬されたか不明で、一般的

に「ここだと思うよ、きっと」ということで造られたお墓だしね。ウィーン一の目抜き通りである

ケルントナー通りをぶらぶら歩いて11時聖シュテファン大聖堂。程なくしてマルクス墓地から帰ら

れた皆さんに合流。12世紀創建されたものの二度も火災に遭い、現在の大聖堂はハプスブルグ家に

よって再建された。祭壇右側にはハプスブルグ家繁栄の祖フリードリヒ3世の墓、やはり右側の小

さな礼拝堂はモーツアルトがコンスタンツェと結婚した場所。父親が反対する結婚だったので同席

したのは僅か5名だった。大聖堂の裏にある「モーツアルトハウス」に行く。ウィーンでも何度か

転居したモーツアルトだったが、現存する唯一のこの家にいた時代が経済的にも精神的にも最も恵

まれた時代だった。ここで「フィガロの結婚」や「ドン・ジョバンニ」などが作曲された。彼がわ

ずか36歳にも満たない年齢で死去した家があった場所を通ってランチを摂るレストランに向かう。

昼 ウィーン「FRAUENHUBER CAFEHAUS」ミックスサラダ、ヴィーナーシュニッ

ツェル ポテト添え、ザッハートルテ、ビール大55€、コーヒー5€

 

 

   ウィーンの街並み          栄華を誇ったハプスブルグ家が住んだ王宮

        アルベルティーナ美術館も充実しているよ           ヴィヴァルディはウィーンで亡くなった

 

マリア・テレジアに仕えた料理長が退職してから開いたという「FRAUENHUBER CAFE

HAUS」は、ウィーン最古のカフェであるせいか、ツァーでは度々使われる。よって私は何度も来

ているのだ。ここでベートーヴェンなどが演奏する場でもあったそうだ。この店で食べた料理の記憶

は「フツー」ばかりだたが、今日のヴィーナーシュニッツェルとザッハートルテはわりと旨かった。

夜 ブリストルホテル「コルソ」サーモンのマリネ、チキンのメイン料理大麦のリゾット添え、チ

ーズのデザート、ビール、白ワイン、赤ワイン(ご馳走になった)

 

 

ランチを終えたところで解散。私はまたもや一人で(ほら、協調性ない人間だから・笑)ウィーンの

街をぶらぶら。ザッハーと人気を二分する「デメル」の店内をウロウロしていたら、グループのH山

さんとK内さんにバッタリ。どちらのザッハートルテにするか比較されている由。お二人の比較では

「デメル」の方が値段が安いそうだ。この店は王宮のすぐ近くということもあり、あのエリザーベト

王妃が毎日のようにケーキを注文された話は有名だ。その後ホテルザッハーの前を通りかかったら、

ウィーンで客死したヴィヴァルディの記念プレートが貼ってあった。今日も1万歩歩いて疲れたぞ。

夕食は明日コンサートということもあり、ホテルでサヨナラ夕食会。アルコール旅行会社がサービス

してくれた。この旅では関西から参加されたK林母娘と親しくさせて貰って楽しかった。料理は期待

していたわりに肩すかしを食らった感じで残念。夜のトラムでリンク一周すると有志は出かけられた。

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2月 26日(金)晴れ

朝 ブリストルホテル「コルソ」朝食ヴュッフェ

 

  

                 白いドアが印象的なブリストルホテルの廊下  階段まで品がある

   セセッションからも程近く、シラーに像の向こうがウィーン造形美術アカデミー    2階に絵画館がある

  マリア・テレジア肖像画        レンブラントはこの1点       ムリーリョは優しいね

                 小品だが、ルーベンスの作品がかなりある

ヒエロニムス・ボッシュの「最後の審判」やニコラス・マエスなど名画がいっぱい

            そう長くは無かったが、エゴン・シーレはここの学生だったのだなぁ

 

今日も夜のコンサートまで自由行動日。K村添乗員プランは、カールス教会とベルヴェデーレ宮殿上

宮見学だった。カールス教会は、13カ月前モーツアルトの命日となる夜中にコンサートに行った

し、ベルヴェデーレも何度も行っているので、例によって単独行動。中退してしまったが、エゴン・

シーレが通ったウィーン造形美術アカデミーの中にある絵画館に行った。美術学校として現役だから

入口付近で賑やかに談笑している学生達の中を「ちょっとごめんなさいよ」なんて言いながら(嘘)

中に入り、2階に上がると絵画館入口がある。入場料5€で、更に5€支払い貰ったシールをわかりや

すい場所に貼付すればフラッシュ無しの撮影が許可される。5年前に長い修復工事を終えて、中は実

にすっきり。作品が適当な数だから、それほど疲れもしないし。一番奥にボッシュの「最後の審判」。

昼 ウィーン「雲海」(自由食)雲海特選松花堂(きんぴらごぼう、刺身盛り合わせ:赤身・海老・鮭

・イカ・白身、揚げ出汁豆腐、天ぷら、南蛮漬け、銀鱈西京漬け、味噌汁、ご飯、漬物、フルーツ

クリーム餡みつ)30€、ミネラルウオーター4,5 €

 

 

ウィーンらしいお菓子のお土産などをテキトーに買い物し、グランドホテルの7階にある「雲海」に

行く。数年前このホテルに泊まったことがあるが、その時は「雲海」と反対側にあるフレンチで食事

したっけ。ランチセットは、22€から45€まで数種類あり、アラカルトもある。中には、山口県川

棚温泉名物瓦蕎麦定食なんてのがあってね。私は雲海特選松花堂(30€)を注文した。盛りだくさんの

内容だったが味噌汁はまずまずの味なのにご飯が不味いのは残念だ。地下の高級スーパーでも買い物。

夜−1 ブリストルホテル 客室にて(自由食)きつねうどん、巻寿司(小)399

 

  

           カンタンな夕食を摂ってから、楽友協会にいそいそと向かう

        ニューイヤーコンサートで有名な「ウィーン楽友協会黄金のホール」だよん

午後7時半から「ウィーン楽友協会黄金のホール」でウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団のコ

ンサートが始まった。2015年秋シーズンから、日本が誇る佐渡裕氏が音楽監督に就任したことで話題

になった。同管弦楽団は、伝統的なレパートリーに加えて現代を代表する作曲家に新曲委託して演奏

したり、ジャズなどの幅広いジャンルの音楽にも挑戦したりのユニークな活動を行っている。今日の

演目はシベリウスの「トゥネラの白鳥」、サーリアホの「サークル・マップ」、そしてベルリオーズの

「幻想交響曲」だった。「サークル・マップ」は2012年初演されたハラホロヒレ〜って感じの難解曲。

高校時代、音楽の先生にベルリオーズの「幻想交響曲」が好きです、と言って目を白黒された。肝心

の佐渡さんであるが、お疲れなのか顔色が悪かったし、痩せられたような。カラダに気をつけてね!

夜―2 ブリストルホテル 客室にて ビール、ウィスキー

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2月 27日(土)晴れ

朝 ウィーン・ブリストルホテル「コルソ」朝食ヴュッフェ

 

  

 

同じグループに佐渡さんのご親類の方がいらして、演奏後楽屋にご一緒しまっしょうと誘われた。皆

さんその気になっていたが、行ってみると楽屋の前には長蛇の列。希望する人は誰でも行ってしまう

んですって。長く待ってもいいという人だけ残って、私らはさっさとホテルに帰った。ビール飲みた

くてね。朝食の時、そのことで謝られたが、そんな必要ありませんから。さぁ、今日は帰国日だよん。

 

「ボッカチオ」で知られるスッペの墓      ベートーヴェンンの墓        その隣のシューベルトの墓

ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の墓    その友人だったブラームスの墓     ヨハン・シュトラウスの墓

 

    中央墓地の真ん中に位置する聖カール・ボロメウス霊園教会         映画「第三の男」で登場する並木道

 

5泊したブリストルホテルをチェックアウトして、中央墓地に向かう。朝一番に到着すると、兵庫県

から修学旅行に来た高校生グループと一緒になり、見学者はオール日本人になった。この中央墓地は

中ほどに著名な音楽家の墓があることでも知られる。かつて浅草オペラで盛んに歌われた「恋はや

〜さし〜野辺の花よ〜」は「ボッカチオ」のアリエッタ。その作曲家スッペの墓、ベートーヴェンの

墓、彼に憧れていたシューベルトが隣に眠る。ドイツ・ハンブルグの生まれだが、30歳になる前から

ウィーンに定住し、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世と親交を深めたブラームスは、その共の隣に

眠っている。ウィーンで活躍しウィーンに没した偉大な音楽家の墓参りを済ませた後は空港に向かう。

昼 ウィーン空港ビジネスラウンジ

 

 ランチはスープだけ

 

夜 オーストリア航空 ウィーン=成田ビジネスクラス機内食

 

 

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2月 28日(日)東京は晴れ

朝 オーストリア航空 ウィーン=成田ビジネスクラス機内食

 

  

 

午後1時過ぎのオーストリア航空で帰国。帰りの機内食もなかなかであった。映画「スティーブ・

ジョブズ」を観始めたのだが、コンピュータ用語の台詞の嵐で、かなりワインで酔っ払っている頭

では付いていけず途中で諦めた。それでも1,2時間ウトウトしただけで成田空港に着いてしまう。

昼 四谷三丁目「東京風月堂」野菜ミックスジュース648 円、野菜ごろごろチキンカレーセット

1188

 

  

 

夜 家食 おでん、鰯のつみれ入り卵きしめん

 

 こういう粗食も好きだよん

 

成田空港には午前8時過ぎに到着。旅の間お世話になりました〜、お先に〜。タクシーは空いて

いる高速をぶんぶん走り、9時半には我が家で洗濯機を回し始めた。荷物をちゃちゃっと片づけ

ると睡眠不足以外フツーの生活に戻ってしまうのだよ、私は。ランチは買い物がてら「東京風月

堂」で復活した野菜ごろごろチキンカレーね。辛いわけでもそれほど美味しいわけでもないが、

とりあえずカレーだから。時々なる働き者ユメコになってパクパク日記作成に励む。帰国日なの

に2月2週をアップした。途中まで作ってあったから。夕食は日曜だからカンタン家食。無酒日

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【今週の振り返り】

エゴン・シーレは、グスタフ・クリムトも学んだ「ウィーン工芸学校」を出てから、よりアカデミ

ックな純粋芸術を追求する「ウィーン造形美術アカデミー」に進学した。シーレが入学した1906

年の翌年とその翌年に、あのアドルフ・ヒトラーが同じ「ウィーン造形美術アカデミー絵画科」を

受験して不合格となっている。歴史に「もしも」はナンセンスだとしても、「もし、ヒトラーがウ

ィーン造形美術アカデミーに合格していたら」と考えてみるくらいしたくなる。彼自身の人生は

大きく変わったのだろうか。画家や芸術家としての道を歩み、軍隊には入らなかったかもしれな

いではないか。彼自身の人生が変われば、世界全体が不幸な史実とは全く違う道を辿ったかもし

れない・・とかね。しかし、エゴン・シーレのように現役で合格したのにも関わらずアカデミー

の保守的でがんじがらめの古い体質に失望し、授業には出席しないで「ウィーン工芸学校」の先

輩クリムトに弟子入りしてしまったりする人もいるからなぁ。でも、それはエゴン・シーレなの

であって、ヒトラーが合格出来たら嬉々としてアカデミーに通ったのではないか。

 

しかしだ、美術学校を受験するまでのヒトラーは、それまで通っていた学校の試験を落としまくっ

て落第したり、遂には退学になったりしているから、美術学校で学んだからといって画家として成

功するとは限らないけどね。ヒットラーの不合格理由は、実技と共に課されていた頭部デッサン画

の不提出など審査用の作品に不足があるとい記録が残っているそうだ。人物デッサンが苦手だった

ってことだわね。それでも2年続けて不合格だったヒットラーは、学長に時期談判する。詰め寄ら

れた学長は「画家は諦めて、建築家を目指してはどうか」。当時も、建築家になるのは極めて難しい

ことであった。やっぱり、歴史は変えられなかったんだなぁ。

 

ドイツ民族主義や大ドイツ主義に傾倒したヒトラーだったが、そもそも彼が生まれたのは、オース

トリア・ハンガリー帝国のドイツ国境近くのブラウナウ・アム・インであったし、アーリア人血統

を主流と主張し、ユダヤ人を迫害し続けたヒットラーであったが、彼自身の父方の祖父はユダヤ人

ではないかと伝えられている。ヒットラーは43歳の時ドイツ国籍を取得して晴れて(かどうか)

ドイツ国民となった。因みに、ヒトラー生誕地のブラウナウ・アム・インの市長は1989年生家前

に戦争とファシズムに反対する石碑を建て、同市は「ヒトラー生誕の地」として観光地化されるこ

とを頑なに拒み続けているそうだ。

 

ロシア的な国名はイヤだとグルジアは2015年ジョージアに呼称を変更したが、旧ソビエト連邦の

最高指導者だったスターリンは、このジョージアのゴリ出身なのだ。私の大好きなバレリーナ、

ニーナ・アナニアシヴィリと同じ国生まれ。今回ニーナの話は別として。自分が一般のロシア人よ

り格下と認識されていたグルジア人であることに、スターリンは強い劣等感を持ち続けた。そのコ

ンプレックスや幼い頃実父から暴力を受けたことが異常なまでの権力欲と冷酷な性格に繋がって行

ったと考えられている。ほぼ同じ時代、夥しい人々を不幸のどん底に陥れたドイツと旧ソ連の独裁

者2人は、本人達が誇れない故郷を持ち、それを隠し続ける人生を送った。スターリンは、宿敵で

あったヒットラーを高く評価し、親近感を持っていたというから驚くではないか。画家くずれのヒ

トラーと神学生くずれのスターリンが20世紀の世界をとんでも無い時代をもたらした。2人とも

何と恐ろしい人物であったことよのう。

 

              オイラも怖がられているんニャ

 

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