パクパク日記17年3月4週

              皇帝ナポレオン・ボナパルトを輩出したコルシカ島に行く

 

  ナポレオン・ボナパルト  ピアナ・カランケ

 

3月 20日(月・春分の日祝日)晴れ

朝 家食  ゴマだれ春雨サラダ、「やくみや」のポテサラ、ふすまパン、オニオンスープ、ヨー

グルト

昼 新宿小田急デパート「双葉」鰻丼「双葉」4800円、きも吸い168

 

   風邪引きさんには一番高い鰻丼じゃ!

 

新宿西口に集中して用事があった。先ずは小田急デパートのA店。この日行くことを約束していた。

次はB店。どちらの店でも買い物をしたが、荷物になるので配送を依頼。ここで午後1時になった

のでランチ。未だに毎晩激しい咳でよく眠れない。寝不足だから、ヘンテコな時間にウツラウツラ

してしまう。精をつける必要があるな、うん。鰻だ。しかも一番高い3枚付けの「双葉」鰻丼にし

よっかな。ご飯が少ないのでペロリと食べる。この写真を札幌に住む姪キリコに送ると彼女は怒る。

「あっ!また鰻食べてる!ずるいよ〜!」って。精をつける必要があるんだよん。ひひ。ランチ後

はデパ地下で夕食用のお弁当をゲット、新宿駅某所、ユニクロ・・あぁ疲れた。どこかで休もうか。

午後のお茶 西新宿「但馬屋珈琲店」ハワイコナ エクストラファンシー

 

   コーヒー飲んでハワイ気分? そりゃないわ

 

夜 家食 「桝本」の弥生弁当、茄子の味噌汁

 

 

午前11時に家を出て帰宅したのは午後4時半だった。若い人なら何てことの無い行動なのだが、ど

こに行くにも杖を付いて歩くのはエラク疲れる。しかも荷物を持っての移動だからね、余計疲れるん

だわ。夕食は先ほどデパ地下で買って来た「桝本」の弥生弁当。ここの弁当はおかずが多い。無酒日

           _____________

 

3月 21日(火)雨   寒いのに東京は今日開花宣言

朝 家食 スンドウブチゲ、「やくみや」のポテサラ、ふすまパンヨーグルト

昼 家食 「鰻家」の鰻ご飯、JAL蕎麦デスカイ(小)

 

   2日続けて鰻になってもうた

 

韓国大統領を罷免された朴槿恵が早くも今日検察庁の聴取を受けるため出頭した。日本に比べると、

ビックリする程のスピードだ。国民の8割は彼女の逮捕を望んでいるらしいが、熱烈な支持者もい

ると聞く。韓国ってドラマの筋書も視聴者の意見に左右されることがあると聞いたし、司法も国民

の声におもねっているような気がしてならない。日本ではそんなこと無いよなぁ。韓国は「努力し

ても報われない国」というのは本当なのだろうか。そんな中での聴取の結果はどうなるんでしょう

ね。ずっと麗らかな日が続いていたが、一転今日は冷たい雨が朝から降っている。こんな天気なの

に、気象庁は東京に全国各地でいの一番に開花宣言をしてしまった。平年より2日早いんだってさ。

こんなに寒くちゃ花見の気分ゼロだ。明日出発だから旅支度をせっせとね。どんな気候なのかなぁ。

遅い夜 舟町「おちあい」お任せ(大根そぼろ、玉こんとイカ、揚げ銀杏、和風しゅうまい、鶏唐

揚げ、芋なべ、雑炊)、ビール(小)、麦焼酎 @4500

 

  

 この雑炊がしみじみ旨い

 

西より合格できずの知らせが。う〜ん、そうだったかぁ。ずっと祈っていたんだけどなぁ。U里ちゃ

ん浪人生活へ。あれ、女子でも浪人でいいんだっけなぁ。これでF原家は5年連続「受験の家」とな

る。気を取り直して来年頑張ろうね!合格しようねー!甥の晃から法要の知らせがあり、結局箱根は

キャンセルした。箱根に3泊の予定だったが、1泊目は神戸で開かれるお祝いの会に招待されて諦め、

2泊目が法要に。1泊になってしまったので箱根は次の機会にしよう。旅支度とパクパク日記作成。

ガンバッタので7時半には終わったよ。それじゃあ「おちあい」に夕ご飯を食べに行こうっかなぁ。

         _____________

 

3月 22日(水)東京は晴れ    1ユーロ€=約120円

第1食 家食 ツナと卵のトーストサンド、ヨーグルト、コーヒー

第2食 ANA羽田=ミュンヘンビジネスクラス機内食(和食)

 

  

        今年のアカデミー賞で最大の話題となった「ラ・ラ・ランド」を観た

 

第3食 ANA羽田=ミュンヘンビジネスクラス機内食(味噌ラーメン、ガーデンサラダ)

 

  

      こうの史代原作のアニメ「この世界の片隅に」。のんが主役のすずの声を担当した

    

出発日の今朝は早目に起床。昨日作っておいたパクパク日記3月1週をUP。それにしても海外も羽

田発だとホントに助かる。ANAのダイヤモンド会員の特典にアップグレードポイントがある。それ

が結構残っていて3月末で消滅してしまうよ、と連絡が来たのでミュンヘンまで特典を利用してファ

ーストクラスで行くことにしていた。ところが。空港に行ってみると「お客様、生憎ミュンヘン便に

はファーストクラスの設定がございません。お帰りのパリ便にもありません」って。それならそうと

初めから言ってくれよ!空席があって○○の条件が揃えば・・なんて言われていたからその気になっ

たのに!ぷんぷん。ま、いいわ。映画プログラムを開くと観たい映画がずら〜っと。アメリカのアカ

デミー賞で史上最大の14部門ノミネートされた「ラ・ラ・ランド」。ミュージカル好きには堪らない

映画と言われていたのですんごく期待していた。う〜む、期待が過ぎたかなぁ。それにしても主演女

優賞を勝ち取ったエマ・ストーンの演技とライアン・ゴズリングのピアノにはたまげたよ。2本目は

「君の名は。」の大ヒットの陰でひっそり上演を始めた「この世界の片隅に」は戦時中の暗い時代背

景や地味な登場人物の話なのだが主人公のすずさんにすっかり心を揉んで貰えるような映画だった。

のんの声がほのぼのいがったなぁ。未だ観たい映画もあるがもう酔っ払って眠くなってしまったよ。

第4食 マルセイユ・プルマンマルセイユプロヴァンス 客室にて おにぎり、ウィスキー

 

   夜中におにぎりとウィスキー

 

午後5時ミュンヘン空港着。車椅子をお願いしてエレベーターを待っている時、飛行機から下りて

来たある人と目があった。れれれ〜札幌のヤスコちゃんだぁ!あなたどこ行くのよ。え?フィレン

ツェに1ヶ月?あぁ、いつもの滞在ね。それにしても1年に1回しか会わない人にミュンヘン空港

で会ってしまうなんてね、びっくりだ。フルトハンザのセネタ―ラウンジで過ごしてから7時半発

のマルセイユ行きに乗る。ミュンヘンまでのフライトでは酔っ払って2時間程ウツラウツラしたが、

その後起き出して「マツコの知らない世界」の柴犬の巻などを観ていた。よって日本時間なら午前

4時のマルセイユ便は眠くて仕方がない。おやつも飲み物もイランよ。ヒタスラ目を閉じていた。

午後9時過ぎマルセイユに到着。ホテルは空港からほど近い距離にあったが、客室を変更すること

になったりで、おにぎりとウィスキーにありついたのは真夜中だった。パクリ、グビッ。お疲れ様!

           ________________

 

3月 23日(木)フランス・マルセーユもコルシカ島も晴れ

朝 マルセイユプルマンマルセイユプロヴァンス 朝食ヴュッフェ

 

  

          マルセイユは生憎の曇り空  丘の上に聳えるのはノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂

運河の終点に建設されたロンシャン宮    屋根はあるが丸型で吹き抜けゴンドラの観覧車

 19世紀まで貿易の中心地だったマルセイユ港は、今旧港と呼ばれヨットの停泊し魚市場が開かれる

昼  マルセイユ「LeEeiller」シーフード盛り合わせ、ブイヤベース、洋梨のシャーベット、

  コーヒー

 

  

         マルセイユ半日観光をした後は、旧港から1本入ったビストロでランチ

   楽しみにしていたマルセイユのブイヤベースだったが・・・雨まで降って来て・・😢

     ナゼか東横INNが       マルセイユ空港室内に飛行機!      エアコルシカでコルシカ島へ

アジャクシオ・ボナパルト・ナポレオン空港     ソイィテルゴルフアジャクシオタラサシー&スパホテルに5連泊

 

昨夜遅くにチェックインしたマルセイユのホテルを1泊で慌ただしくチェックアウトしたのは午前

9時だった。コルシカ島へのフライトは夕方だから、それまでカンタンマルセイユ観光をする。実

はマルセイユはそれほど観光するところは無い。だから、毎回同じようなところに行くことになる。

3回目となる私なぞ、「もういいわ」って感じになってしまう。よって丘の上にあり、階段がキツイ

ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂見学はパスしてバスの中で読書なんてことになる

のである。途中、あの島がイフ島で「モンテ・クリスト伯」の舞台になったところですよ」。ロン

シャン宮、旧港と回ればほぼ観光終了。ランチまでの時間は魚市場を冷やかしたりしてね。1年半

前マルセイユに来た時は人気レストランの「FONfon」で本場のブイヤベースを食べる機会が

あった。そうか、本場のブイヤベースって「ブイヤベース憲章」なんてのがある程調理法が細かく

決められているんだぁ、と驚いたものだ。その時知った俄か知識で「・・だから鯛とかオマール海

老、ムール貝は入れちゃイケナイんですって」なんて皆さんに得意ゲにお話したところにブイヤベ

ース登場。あれ・・ムール貝どっさりだ・・。魚の味がちょっとねぇ・・スープぬるいのよね・・。

そんなことでほんのちょっと食べただけで終了。残念だ。夕方の飛行機でコルシカ島に向かった。

 ソイィテルゴルフアジャクシオタラサシー&スパホテル「LE CAROUBIER」アミュ

ーズ:フルーツトマト山葵風クリーム、(以下チョイスメニュー)サーモンのタルタル、牛肉の

角切りステーキ、コルシカ風テラミス、カモミールティ、ビール7€、コルシカ白ワイン10€、

コルシカ赤ワイン11

 

 

コルシカ島には4つの飛行場があるそうだ。その中でメインとなる空港は、コルス地方公共団体の首

府であるアジャクシオにあるアジャクシオ・ナポレオン・ボナパルト。そう、あのナポレオン・ボナ

パルトはコルシカ島アジャクシオの出身なのだ。迎えに小型バスに乗ると、いきなりのエンスト!う

〜む、先が思いやられるなぁ。修理には時間がかかりそうということで代わりの車が来てくれた。今

夜から5連泊するのは、アジャクシオ郊外にあるソイィテルゴルフアジャクシオタラサシー&スパホ

テル。2つある5ッ星ホテルの一つだ。今夜はホテルのレストランで夕食。ホテルにはレストランが

1つしかない。全員が1つの丸テーブルに着席。今回のツァーの参加者は5人、それに添乗員のHさ

んの総勢6名。Hさんとは3年前チェコの旅でご一緒だった。フード全般に詳しいグルマンだ。参加

者は仙台のA部夫妻、同じく仙台在住男性のО沼さん、沼津のN井さんと私の3人は一人参加だ。5

人中3人が仙台。仙台派閥作らないでね、なんて。6人全員が酒飲みであることがわかり、一堂何と

なく安堵する。チョイスメニューで選んだ前菜・メイン、デセールの料理はまずまずだった。眠い!

           _____________

 

3月 24日(金)コルシカ島は晴れ

朝 ソイィテルゴルフアジャクシオタラサシー&スパホテル「LE CAROUBIER」朝食ヴュ

ッフェ

 

  

   正面が宿泊している棟    ア    ジャクシオ湾を見渡せる        プールの水温は24度!

  840分出発して10時、カルジェーズという小さな村に到着。カトリックの教会に入ってみる

       1時間15分走ったところでまたしてもエンスト!2時間も待ってようやく代わりのバスが

    コルシカ島は平地は少なく、山岳地帯が殆どを占める。最高峰は2710bで2500b超の山も多くある

世界自然遺産のピアナ・カランケ。夏になると人と車で溢れる超人気観光地らしい  マキという多種多様な灌木の花が咲く

   右が男、左が女、間に♡が見える   真ん中の頂上に杖をついた枢機卿 わかりますか?

 

昼 ポルト「EОTE PLACE」海老のフリット マヨネーズ添え、鱈の蒸し物野菜と共に、フ

ルーツサラダ、

 

  

 

6時起床。シャワーを浴びてから朝食レストランに行く。昨夜と同じところだけど。いろいろ並んで

いるように見えて、あまり料理数は多く無い。ここで5回朝ご飯食べるわけね。朝食の後はプールや

海の写真を撮影していたが、どうもお腹の調子が悪いらしくゴロゴロする。トイレに通いながら観光

に行く準備。あと15分したらロビーに行こうと思っていた矢先Hさんから電話。今日はお休みされま

すか?皆さん既にバスに乗られていますが・・。ゲェッ!今日は8時半出発なのだった。9時だと勘

違いしていたよ。この島は山だらけらしいから、暫く海岸線を走って山道に入るとずっと急な山道が

続くのだ。1時間20分程走るとカルジェーズという小さな村。カソリックとギリシャ正教の2つの教

会があるのだが、一人の司教さんが兼任していてあっちに行ったりこっちに行ったりするのだそうだ。

長閑な村やねぇ、なんて再びバスに乗り込むとまたもやエンスト!ったくもう。修理より、代わりの

車をアジャクシオから呼ぼうということになり、近くのカフェでダラダラと待つことに。コルシカ島

に着いて約16時間だがエンストは2回目だよ。12時過ぎ代わりの車で世界自然遺産であるピアナ・

カランケへ。峻厳な岩が立ち並ぶ素晴らしい景観だ。どこでもそうだが、あの岩は○○みたいでしょ、

というものがたくさんあった。そしてコルシカを語る時外せない(らしい)マキ。地中海の天候が育

む多種多様な灌木の総称であり、コルシカ島ではハーブやハチミツ、ワインなどのリカー、料理など

に毎日マキとお付き合いすることになる。遅くなったランチは港町のポルトで。あまり食欲が無いぞ。

 

  港からアジャクシオ湾を一回りするクルーズに出発。海から雪を被った高い山も見える

「7つの沈没船」という名の奇石      白い建物が宿泊しているホテル    陽気なお兄ちゃんが案内してくれた

 

夜 コルシカ島「L‘Alta Vista蜂蜜入り山羊のチーズ包み揚げとサラダ、シャルレ牛の

ステーキとポテト、焼きパイナップルのカルメルソース、栗のコルシカビール、コルシカ白ワ

イン、コルシカ赤ワインボトル50

 

 

ポルトからまた山道を通ってアジャクシオ港へ。これから湾を一周するクルーズがあるのだが、町に

は公衆トイレのような施設は殆ど無い。カフェでトイレを借りることに。当初、今日は「スカンドラ

自然保護区クルーズ」の予定だった。フランスで初めて世界自然遺産に登録された「ピアナのカラン

ケ・ジロータ湾・スカンドラ自然保護区を含むポルト湾」を一日かけて観光することになっていた。

しかしお天気は良いのに北の方の海が荒れているということから陸路からの見学とアジャクシオ湾の

ショートクルーズに変更になったのだ。小さなボートに乗る時、膝を曲げられないから皆さんに手伝

って貰って大騒ぎだった。スンマセン。動き出したボートがスピードを上げると強い風が冷たいの何

のって。持っているもの全部動員して寒さ対策するが顔がね。後からマスクをすれば良かったと悔や

む。この島で一番大きい町アジャクシオも海からみると傾斜地にへばりつくように街並みが広がって

いる。熱海にそっくりだ。「7つの沈没船」という奇石は長年波が作り上げたと聞いた。ホテル用波

止場に降りる時も、やっぱり大騒ぎして。スンマセン。夕食は大型バスに乗って10分程のレストラン

で。なかなか雰囲気も良いし、メインのシャルレ牛というブランド牛のステーキがムチャ旨い。この

旅で一番の食事。今朝の集合時間遅刻のお詫びに、赤ワインを皆さんに振る舞うことに。スンマセン。

           _____________

 

3月 25日(土) コルシカ島は曇りのち雨 のち晴れ  

朝 ソイィテルゴルフアジャクシオタラサシー&スパホテル「LE CAROUBIER」朝食ヴュ

ッフェ

 

  

           皆さんは遠出されたが、何だか怪しい雲行きである・・・

 

昼 客室にて 天ぷら蕎麦、バナナ、紅茶

 天ぷら蕎麦で一人ランチ

 

本日の観光は、島の南部にあるサルテーヌの町を見学した後、コルシカ最南端の白亜の断崖に連なる

城塞の街ボニファシオを海上から遊覧船に乗って見学する予定である。添乗員のHさんから「この日

は相当歩きますので夢子さんにはキツイと思いますが、どうしますか」と心配頂いていた。ボニファ

シオの断崖は見たいけどそれでは諦めるか。そんなことで今朝は7時に起きてシャワーを浴び、朝食

8時過ぎから一人でのんびりと。空と海を眺めるとどうも雲行きは怪しいなぁ。朝食後、地下にあ

るタラソの設備を見学に行く。そう言えば、1年半前にフランス・ブルターニュ地方のキブロンに行

ったのだが、その時2泊したソフィテルにも大掛かりなタラソ施設があって終日タラソで過ごすお年

寄りをたくさん見かけた。さて、ここはどうかな。タラソプールなど何だか狭くて入ってみようとい

う気持ちにならない。タラソで運動しようという気持ちはめげてしまった。タラソ大好き大S子さん

ならやったかも、だけど。そんなことで、部屋に帰ってじっくり新聞(電子新聞)を読んだり、昨日

読了した恩田陸の「蜜蜂と遠雷」を最初からパラパラ読み直してみたり・・。読み応えあったなぁ、

この作品は。2段組みで503ページだもの。そうそう気になる大相撲。横綱として初場所となる稀

勢の里は全勝していたが、昨日日馬富士に敗れて1敗、しかも土俵から落ちた時上腕部を強打して負

傷してしまった。本人が大声で痛がるような怪我というから誰しも休場すると思っていたのに、何と

14日目の今日新横綱は出て来たのだよ。いいところなく鶴竜にアッサリ負けて2敗となる。明日の相

手はお同じく2敗の大関照ノ富士だ。稀勢の里が優勝するためには、明日千秋楽で照ノ富士に本割と

優勝決定戦で2回勝たねばならない。う〜ん、怪我の身でそれは難しそうだ。照ノ富士は今日の琴奨

菊戦で立ち合い後すぐ変化して買った。大関から陥落した琴奨菊は今日勝てば二桁勝利となって大関

復活が叶ったのだが、その夢は潰えた。場内からは照ノ富士に対して「モンゴルに帰れ!」なんてヤ

ジが飛んだのだとか。私は照ノ富士も好きだから、そりゃないわって思うよ。すぐ横綱と思われた彼

も怪我でこの1年間は泣かず飛ばずだったのだから。あらら、私コルシカ島に来ているのに、大相撲

をこんなに語っていいのか。ヘンじゃないか。もったいないっていうかね。昼は天ぷら蕎麦とバナナ。

夜 コルシカ島ラディソンBuTaМuna鱸のタルタル、仔牛のポワレ蜂蜜ソース、フルーツ

ハーブ風味のマカロン、栗のコルシカビール、コルシカ白ワイン、コルシカ赤ワイン(アルコー

ル3点はレストランのサービスとなった)

 

 

昼過ぎから激しい雨となった。海は荒れて波が高い。ボニファシオを海上から遊覧船に乗って見学す

るという予定はこんな天候では難しいわなぁ。帰って来られた皆さんに伺うと、やっぱり遊覧船は悪

天候で運航中止となり、近くの丘の上から斜めに眺めるというのも登りがきつかったわりに霧でよく

見えなかったのだそうだ。ボニファシオ見学がコルシカ島旅行の一番の目的だったというN井さんは

相当ガッカリされていた。夕方になるとカラリと晴れたのは皮肉だった。夕食は今夜もまたバスで10

分程のラディソンBuホテルの中のレストランへ。だだっぴろい部屋で天井が高く客の数も少ないか

ら寒々とした印象のレストランだった。話題は大相撲。アハハ。もちろん皆さんに私が丁寧にご説明

させて頂きましたです。メインの肉が硬くて噛み切れない。スタッフが料理はOKかと聞きに来る。

添乗員のHさんが代表で「NO GOOD!TOO HARD!」。飲み物すべてサービスになった!

           _____________

 

3月 26日(日)コルシカ島は晴れ ポカポカ陽気!    今日から欧州は夏時間!

朝 ソイィテルゴルフアジャクシオタラサシー&スパホテル「LE CAROUBIER」朝食ヴュ

ッフェ+味噌汁

 

              昨日とはうって変わって素晴らしい晴天になった

          アジャクシオ市内にあるナポレオンの銅像         一人で本を読んでいた「ナポレオンの岩」

  朝市にはこんな売り物が         ナポレオン兄弟勢揃いの銅像          妹の進言で大聖堂に

   1769815日ナポレオンの母は大聖堂内部で産気づいた         ナポレオンはここで洗礼を受けた

  産気づいた母が運ばれた小路       その先にあるナポレオンの生家    今は博物館になっている

           ナポレオンの父はフランス貴族と同等の権利を持ち裕福な家だった

ナポレオン3世夫妻の写真         皇帝ナポレオン1世肖像画       デスマスク(享年51歳)

    生家から近い広場にも銅像が立つ           ウニ売りのお兄さんがウニを開けて見せてくれた

    

昼 アジャクシオ「エスプリドソド」魚のサラダ、チキンのマレンゴ風、コルシカ風パンコッタ、コ

ーヒー

  

 

昨夜寝る前に時計を1時間進めた。腕時計、手動で設定するガラケーもね。ヨーロッパは3月最終日

曜日からサマータイムになる。6時半に起きたが、1時間睡眠時間が少なくなったということだ。昨

日の激しい雨が信じられない程今日は素晴らしい晴天。昨日のボニファシオつくづく残念だったよね。

今日はコルス地方公共団体の首府であるアジャクシオ市の観光。というよりアジャクシオが輩出した

ナポレオンの足跡を追う。先ずは銅像。長い階段の下、左には生まれた年「1769」、右には亡く

なった年「1821」、そして階段の上にナポレオンの銅像が立っている。左側に回ってみると大き

な岩があり「ナポレオンの岩」と呼ばれている。ここで彼は一人本を読むことが多かったとか。この

階段を利用して女性トレーナーが夫らしい男性の特訓に励んでいた。近くの広場にもボナパルト兄弟

の銅像が立っている。兄と3人の弟だ。ナポレオンの最初の妻ジョセフィーヌの連れ子と結婚した弟

の息子がナポレオン3世となった。広場の隣にある大聖堂は外観は古いままだが、内部はナポレオン

の妹が命じてバロック様式に改修されている。聖母マリア被昇天祭の815日ミサに出ていた母の

マリアはミサ中に産気づき、徒歩数分の自宅まで運ばれて4番目の子供を産んだ。それがナポレオン

だ。その自宅は今博物館になっている。父のカルロは巧いこと動いてフランス貴族と同様の扱いを受

けたから大きな家だ。ただ、資料等が少ないらしく、誰が使った部屋なのか家具がホンモノかは不明。

30分のフリータイムの後、レストランへ。メインはナポレオンの大好物だったチキンのマレンゴ風。

 

    山の中の小さな教会で伝統郷土音楽である「ポリフォニー」の貸し切りコンサート!   歌詞だけ見て歌う

 

夜 コルシカ島Le МuquisL’Arbousier」アミューズ:コルシカ風ミネストローネ、以下

チョイスメニュー:ウニ入りスクランブルエッグ、仔羊のローストローズマリー風味ポテト添え、

ビスケット付きチョコレートムース、プチフール)、コルシカビール9€、コルシカ白ワイン9€、

コルシカ赤ワイン17€

 

 

 

今日の午後素晴らしい経験をした。アジャクシオの街と郊外にあるホテルの中間位の場所から山道を

登っていくと、ひょっこり小さな教会が現われた。ここでコルシカ島伝統郷土音楽である「ポリフォ

ニー」の貸し切りプライベートコンサートがあるのだ。プロヴァンス大学で日本語を学び、上智大学

にも1年留学したという女性が解説をしてくれた。男性4人のアカペラの歌唱が始まった。う〜〜ん、

好き!この歌声。例えればグレゴリア聖歌かな。バリトンが中心でバスと2人のテノール。中には不

協和音も入るが味付けのようで心地よい。楽譜が無いのにもビックリだ。約1時間の素晴らしいコン

サートだった。今夜の夕食はもう1軒の5ッ星ホテルのレストランで。ソフィテルに比べるとこじん

まりしているが重厚な感じだ。ここで83€のコースメニューを頂く。チョイスした仔羊とデセールが

とても美味しかったが、魚を食べたN江さんが途中気分が悪いと退席された。稀勢の里が照ノ富士に

2回勝ち、奇跡の連続優勝を果たした。「君が代」歌いながら男泣きしたんだって。私も涙が出て来た。

          _____________

【今週の振り返り】

地中海。フランスの南東、イタリアの西に大きな島が2つある。上(北)がコルシカ島、下(南)が

サルディーニア島。この2つの島はどこの国に属しているのか。フランス?イタリア?答えは、北の

コルシカ島がフランスで南のサルディーニア島がイタリアである。しかし、コルシカ島をかつて領有

していたのは現イタリアのピサとジェノバであった。ジェノバの支配が過酷だったので、コルシカで

は度々反乱が起きたが都度ジェノバに鎮圧された。しかし、1729年に始まったコルシカ独立戦争は大

がかりで組織的だったからジェノバの手に負えなくなった。そんな闘いが約40年続いたからジェノ

バはコルシカをフランスに譲る。コルシカ人はジェノバに代わってフランスと闘うことになったが、

コテンパンにやっつけられた。1769年コルシカ島は完全にフランス領となり、長い独立戦争が終わる。

その3ヶ月後にコルシカ島アジャクシオで生まれたナポレオン・ボナパルトがフランスの皇帝になる

のだから歴史は面白い。ナポレオン・ボナパルトは生まれた時からフランス人だったのだ。そしてフ

ランス本土に留学して陸軍士官学校に学び、軍人になって数年後にフランス革命が勃発した。時代も

ナポレオンに味方していたとしか思えない人生だった。

 

まぁ、こんな調子でコルシカ島とナポレオンを語っていると、数十ページになってしまいそうなので

カタイ話はこれくらいにして、と。「我輩の辞書に不可能という文字はない」ナポレオンには名言が多

いが、一番有名な言葉はこれだろう。他に名言集から気に入ったものをピックUPしてみた。

      決して落胆しないこと。それが将軍としての第一の素質である。

      最も大きな危険は、勝利の瞬間である。

      過ぎたことで心を煩わせるな。

      私はつねに、二年先のことを考えて生きている。

      じっくり考えろ。しかし、行動する時が来たなら、考えるのをやめて、進め。  

      リーダーとは「希望を配る人」のことだ。

      生きたいと思わねばならない。そして、死ぬことを知らねばならない。

      女とパリは留守にしてはだめだ

 

女とパリと留守の関係は不明だが、やっぱり良いこと言っているよなぁ。一時は、イギリスとロシ

ア、オスマントルコを除くヨーロッパの大半を勢力下に置く程の力を持った軍人であり、政治家で

あったナポレオンならではの言葉だ。フランス第一帝政の皇帝にも即位したナポレオンであったが、

2番目の夫人となったハプスブルグ家の王女マリー・ルイーズには気をつかいっぱなし。大事に大

事にして息子にも恵まれたのに、やがて彼女の心はナポレオンから離れて行ってしまうのだね。と

すると、皇帝の地位を追われてエルバ島に流されている時、マリー・ルイーズが他の男に惹かれて

行ったことを語っているのだろうか。だから「女とパリは留守にしてはだめだ」なのかなぁ。

 

ナポレオンは食べるのが異常に速かったそうだ。コース料理なら僅か8分。客を招いての宴会料理

でも15分で食べ終わった。とにかく料理は手づかみだし、こぼし放題だったらしいから。困るの

は招待されたお客達。宴の主役が食べ終えているのに、いつまでも食べているワケにも行かず、か

と言ってナポレオンと同じスピードで食べるわけにも行かないし。客もそうだが、料理人もサーブ

する人間もナポレオンの食べるスピードに合わせて料理を用意しなくてはならなかったからタイヘ

ンだったよね。そのくせ、お風呂が大好き。1度入ると2時間湯船に浸かっていることもあり、一

日2、3回入ることもあったそうだ。よって御使いする者は24時間湯を沸かして、ナポレオンの入

浴に備えたらしい。ナポレオンと言えば、ダヴィッドが描いた「アルプス越えのナポレオン」に描か

れた白馬に跨った姿を思い起こすのではないだろうか。愛馬に跨るナポレオンは乗馬の名手だったと

思っている人も多かろう。しかし、実際のところはそれ程馬に乗るのが上手だったわけではなかった

らしい。部下が優れた馬を徹底的に調教した。乗り手からどんな仕打ちをされても驚かないように馬

を仕立て上げたことが「乗馬の名手ナポレオン」を作りあげたらしいよ。

いろんな顔を持つナポレオンを生んだコルシカ島(フランス語でコルス島)に今滞在している。

 

             コルシカにゃい!

 

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