月曜日博多から戻り、木曜日から4度目のポーランドへ
クラクフ中央広場 
グランドホテル前
10月 13日(月・スポーツの日祝日)
ハマスがイスラエルの生存全捕虜13人を解放
大阪万博本日閉幕
朝 ホテルオークラ福岡「オールディダイニング カメリア」和朝食ヴュッフェ4000円







胡麻鯖やラーメンなどご当地もの中心に
昼 ANA福岡=羽田 プレミアムクラス機内食



夜 明石町「ダイニング」B定食(酢豚、餅米団子、モヤシと黄ニラの和え物、湯葉と茸のスープ、ご飯、漬
物、パパイア、ジャスミンティゼリーとアイスクリーム)2090円、麦焼酎











これが我が家に!
先週金曜日から劇団☆新感線の芝居を観るため大阪に2泊、昨夜は博多座で芝居を観るために福
岡に1泊した。今日は東京に帰るだけだ。ホテルオークラ福岡ではルームサービスは別として朝食場所は、オール
ディダイニング「カメリア」と日本食「山里」があったが、今は「カメリア」だけ。天ぷらコーナーも休業してい
るし、和食ファンとしては寂しい思いをしている。カメリアのヴュッフェで「山里」の料理を出しているか
らイイっしょ、ってことなのかもしれないが、違いますよ、絶対!そんなことで、ヴュッフェでは「山
里」の料理とご当地ものを中心にお皿に取った。そう言えば、半年間続いた大阪万博が今日閉幕
するそうだ。1度も行かなかったし、行くことを検討もしなかった。K岩は高知のお母さんを連
れて1回、香港とアメリカに住む夫と娘を連れて1回、計2回行っていた。1回目の大阪万博は1970
年開催だったから55年前になるが、あの時は私も2度行った。岡本太郎の「太陽の塔」とかアポ
ロ号が月から持ち帰った石とか世界の料理が食べられる(長く並んでお金を払えば)ことなどが
人気だった。開幕前はゼッタイ失敗するぞ!とコテンパンに言われた今回の大阪万博だったが、時が経
過するに従って人気が出て来て終わってみれば「愛・地球博」を超える入場者数2900万人弱と
か。吉村知事は「黒字280億円出たぞ!」と豪語しているけど、それは運営費だけの問題。2700
億円の公費投入やインフラ整備なんか含めると費用総額は7600億円だそうだから・・。ま、それはと
もかく現実の自分の歩行力を考えると、万博会場のような超広いところには行けんな。でも1985
年のつくば博も2005年の愛・地球博も、大昔アメリカ・フロリダのエプコットセンター(ちょっと違うか)にも
行ったから、博覧会的なものはもう十分だよなぁ、と思うのである。関係者の皆さんお疲れ様!
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10月 14日(火)くもり
リーグチャンピオンシリーズ第1戦ドジャース対ブルワーズ戦2対1で勝利! 大谷翔平選手無安打😿
サッカー日本代表ブラジルに3対2の歴史的勝利!
朝 明石町「ダイニング」A定食(塩鮭の焼もの、里芋と鶏そぼろ煮、モヤシと青菜の辛子和え、ご飯、
味噌汁、飲むヨーグルト、オレンジ)880円、納豆275円、「封印」わさび漬け、コーヒー220円







今日の朝食旨い!
昼 明石町「ダイニング」A定食(おかめうどん、擬製豆腐と野菜の煮物、アスパラのお浸し、アイスティ)
1320円







ヒカルが運んでくれた洋服の山!
夜 明石町「ダイニング」A定食(鶏肉丹波焼き、帆立と野菜の煮物、蟹と胡瓜の酢の物、ピーマンとジャ
コのおかか炒め、ご飯、お吸い物、シャインマスカット)2090円、麦焼酎ボトル3300円









史上初❤日本がブラジルを破る!!!
お世話になった方が昨年亡くなった。ご葬儀には参列出来なかったが、1周忌が過ぎた今日偲ぶ会
が開かれた。お名前をナオタカさんと仰ったが、子供の頃風邪を引いた後登校すると担任の先生に「も
う風邪ナオッタカ?」と揶揄されたそうだ。2代目の社長を務めた方の偲ぶ会だから、集まった皆さんは
私より先輩の方が多い。30年ぶりなんてザラで中には40年ぶりにお会いするなんて先輩もおられた。
それだけの年数お互い年を取って風貌も変わっているのだが、誰だかわからないということはほと
んど無い。大人が老人に変わっても何とかわかる。それが小学校、中学校、高校時代の同級生だと
子供がいきなり老人になるので、あんた誰だっけ、ってことになるのだね。ナオタカさん、生前はいろ
いろお世話になりました。素直な後輩で無くてスンマセン。早めに帰宅して先刻ヒカルが運んでくれた衣類
の整理に取り掛かる。ビニール製布団用バッグに詰め詰めに入れた洋服が3袋。それに洋服用ハンガー80
本、ズボン用ハンガー20本も。バックのチャックを開けると、ワァッと洋服が飛び出して広がる。先日70gゴミ
袋に洋服を入れた時は端から放り込んだが、布団用バッグには種類が何となく纏めて入っている。
何でだ!ヒカルはそんな気の利いた真似は出来ない。きっと新婦のH美さんが仕分けをやってくれた
んだわ。すっかりお世話になってしまったなぁ。ありがとうございます!今夜ブラジル代表と親善試
合の日本代表チーム。後半3点取ってまさかの逆転勝ち!超強豪ブラジルに勝利するのは史上初の快挙!
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10月 15日(水)曇り 夕刻から霧雨
リーグチャンピオンシリーズ第2戦ドジャース対ブルワーズ戦5対1で2連勝 山本由伸投手9回1失点完投!
朝 明石町「ダイニング」A定食(和風ロールキャベツ、冷奴、蓮根サラダ、、ご飯、味噌汁、飲むヨーグルト、パ
イナップル)880円、納豆275円、「封印」わさび漬け、コーヒー220円









昼 明石町「ダイニング」アラカルトメニューから 五目稲庭うどん1430円、洋梨のシャーベット330円







3部制義経千本桜の最後は2部を観る
夜 明石町「ダイニング」錦秋の宴:前菜:焼き茄子・生ウニ・秋刀魚生姜煮・合鴨松風・丸十含ませ、
鱚みりん干し・揚げ銀餡・蓮根せんべい、萩しんじょと松茸の吸い物、お造り:鮪・カマス焼き
霜・甘海老、牛ヒレ肉のポワレ香草デミソース、蟹と茸の炊き込みご飯、柿のミルクプリン)2090円、
麦焼酎









週一回の清掃をドタキャンして、午前中は明日出発するポーランドの旅の荷作りをした。普段なら海外で
も1,2時間で済むのに、今回は8月まで使っていたサーモンピンクのスーツケースから新しい銀色のスーツケースに
切り替えるので2つのスーツケースを開いて作業をしたので存外時間がかかった。しかも昨日半分やった
ところで力尽きた四谷三丁目の本宅から持ち帰った服の山からも選んだりするから、部屋を行った
り来たり。1番手間取ったのは、行き先のポーランドが既に極寒と聞いて何を持って行くのか大いに悩
んで。厚手の服を一応着てみたりするから汗ビッショリになって、昼過ぎようやく目途がついた。さて、
では歌舞伎座行くか。今月の歌舞伎座は義経千本桜を1部、2部、3部にわけて上演しているので観
る方もタイヘン。既に3部と1部は観たが、一番の眼目の2部が今日なのだ。旅の支度が出来なければ
行かないことにしていたから、13列の7番に座った時はホッとして眠くなった。1部と3部は源九郎
狐役の市川團子(Aプロの場合)が主役だが、2部は「木の実・小金吾討死・鮨屋」ではいがみの権
太役の仁左衛門が主役だ。超忙しい中でもどうしても観たかった。というのも先月はやはり通し狂
言の「菅原伝授手習鑑」の舞台上で仁左衛門丈が倒れ、翌日は幸四郎が代役を務めたことがあった
のでとても心配していたのだ。舞台に登場した松嶋屋を観てホントに安堵した。弥助実は三位中将維
盛に萬壽、若葉の内侍に門之助、権太女房小せんに孝太郎、娘お里に米吉、弥左衛門女房は梅花、
梶原平三景時に芝翫、鮨屋弥左衛門に歌六。体力的にも負担が大きい役者を81歳の仁左衛門丈が
いつまで続けられるか、贔屓としては心配でならないが、同じ時代に生きて生の舞台を観られるこ
とを幸せに思っている。そんなことを考えていたら、数日後大きな賞を受賞されることになった!
帰宅すると、錦秋の宴とかでタイヘンなご馳走が待っていた。前菜の焼き茄子、秋刀魚生姜煮が旨い!
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10月 16日(木)霧雨
自民党と維新が急接近!連立か
朝 明石町「ダイニング」A定食(ほうれん草と薄揚げの卵とじ、南瓜の煮物、なめこ卸し、焼き海苔、
ご飯、味噌汁、飲むヨーグルト、キウイ)880円、納豆275円、「封印」わさび漬け、コーヒー220円









昼 明石町「ダイニング」B定食(オニオンスープ、ドライカレー カレーソース添え、ミモザサラダ、バナナジャム入りヨーグルト、
アイスティ)1320円、









遅い夜―1 羽田空港第2ターミナル・スィートラウンジ



今回も別便のANAに乗るので往復ともひとりで行くのだよ
超遅い夜―2 ANA羽田=フランクフルトビジネスクラス機内食@

深夜なのでこんなもので
このところ比較的キチンとパクパク日記を更新出来ていたのだが、長い旅が入ったり、スケジュールが立て込
んだり(いつものことやんけ)すると遅れ、遅れになってもうて。しかも今日出かけると9日間は
留守にする。何とか家を出る前にもう1週は更新せねばと、ギリギリまで頑張った。お陰で何とか10
月1週を更新出来た。そんな日のランチのメインメニューはドライカレーだった。ドライカレーに別添えでカレーソースが付い
ている!嬉しい!かつて京都の「原了郭」が縄手通りにカレーの店を出した時、このカレーソース付きドライカ
レーがメニューにあって、ヒレカツカレーやとり天カレーと共にとても気に入っていた。京都駅八条口にもカレー店を進
出すると縄手通り店はクローズ。それは良いのだが、八条口店ではカレーメニューが麺類メニューにジワジワ浸食さ
れて、とうとうカレーうどん以外カレー類メニューは消えてしまった😿意地でも別の麺類など食べるか!と私
は「原了郭」に行けば、カレーうどん(辛口)を食べている。午後6時半タクシーで羽田空港第2ターミナル国
際線カウンターへ。前泊が多い成田空港発に比べて何とラクチンだろう。それにしても第2ターミナルからの離発
着は凄いスピードで増加していて、ビジネスクラスのチェックインカウンターも長蛇の列、ラウンジも大賑わいである。
今夜はチケットがあったのでスィートラウンジに行ってみたのだが、羽田第3国際ターミナルと違って極めてシンプル。
居心地も特別感は全然なくてね。もうすぐダイヤモンドクラス復活できるのに、あぁ〜あって感じだ。午
後9時40分発フランクフルト行きのANA機に搭乗。ツァーのグループは、同じような時刻に第3ターミナルからフィン
ランド航空ヘルシンキ経由で向かわれるから、いつものように往復ともに私ひとりなのであーる。無酒日
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10月 17日(金)ポーランド・クラクフは曇り
リーグチャンピオンシリーズ第3戦ドジャース対ブルワーズ戦
1ズォルティ(Zl)=44円
第1食 ANA羽田=フランクフルトビジネスクラス機内食A



今頃であるが「ホットスポット」に嵌る。3話/10話観た。残りは復路に
第2食 ドイツ・フランクフルト空港ビジネスラウンジ
フランクフルトの空港に着いたのは午前5時過ぎ
第3食 ルフトハンザ航空フランクフルト=クラクフビジネスクラス機内食
空腹のあまりつい半分食べてしまった
第4食 ポーランド・クラクフ「POD ROZA」羊のチーズの前菜、鴨肉のロースト、チョコを載せたバスクチーズケーキとアイ
スクリーム、コーヒー






クラクフ空港からグランドホテルへ ランチ場所のレストランでツァーの皆さんと合流









著名人が泊まって来たクラクフで5ッ星ホテルに最初になった高級ホテルだが・・・
第5食 クラクフ・グランドホテル「KAWIARNIA」ライ麦とソーセージと茹で卵のスープ、チーズを詰めたピエロギ、アップ
ルパイ、紅茶)、ビール、白ワイン






ピエロギはポーランドを代表するダンプリング
今月(2ヶ月間同じだったような)の映画のラインナップはイマイチだ。観たい映画が無い。唯一あった作
品は映画館で既に観た(超珍しく)ものだった。しかし、私は見つけたのだよ。ビデオの連続ドラ
マに観たかった番組のタイトルを見つけた。「ホットスポット」だ。この番組が放映されていた頃、A先生夫
婦がしきりに「ホットスポット」がどうした、と言っていたし、番組が終わってからはロケ現場の聖地巡
り(って言うの?)をしていた程だ。そんなに面白いのかい。しかし見損なったのだから仕方無
いと諦めていたのだが、ヒマなフライトタイムに見れるというのだから嬉しいじゃないか。全10話。往路
3話、復路7話だな。ムチャ面白かった。深夜の飛行機で一人ヒッヒッヒと笑っているって愉快だ。バカリ
ズムってホントに面白いセンスを持っている。少し寝て、少し食べているうちに早朝のフランクフルトに到着し
た。太陽が未だ上がらず外は真っ暗。機内から出るとエラク寒い。さっきまで半袖だった乗客もいつ
の間にか厚手の上着だ。空港は広いので車椅子をお願いしているが、ラウンジで3時間程過ごし、
ポーランドのクラクフ行きのルフトハンザ機に。驚くことにこの小さな飛行機に車椅子の乗客が5人も乗り込
んだのだ。なのにビジネスクラスは3人のみ。3人とも日本人だった。1時間半でクラクフ空港着。日本語
を話すパウエル氏が迎えてくれた。彼は1年間交換留学生で東京学芸大に通ったことがあり、その時
小平市に住んでいた由。私の家族も昔小平だったよ、なんて話をして笑い合った。ホテルには荷物を
預けてチェックインの手続きをし、昼食のレストランへ。添乗員のI橋さんが登場。彼とは夏の北海道ツァー以
来だ。午前中の観光を終えた皆さんが入って来られ「お久しぶり」とご夫妻から声を掛けられた。
昨年1月の音楽の旅でウィーンとザルツブルグをご一緒したK森山夫妻だった。彼らを含めて参加者は
14名、午前中はチャルトリスキ美術館を見学されたそうだ。午後は織物会館と聖マリア教会を見学するとい
うので午後もパスしてホテルに帰った。クラクフは2回目だが、前回は17年前。その時はノボテルホテルに宿
泊したからグランドホテル宿泊は嬉しい。何と言ってもクラクフで最初に5ッ星ホテルになった老舗名門だか
ら。しかし、滞在してみるとバスルームやクローゼットなどいろんなところで使いづらく、ここに3泊す
るのかぁと早くも溜息・・。夕食はホテルのレストランでメインは国の名物ピエロギ。ホテルの問題はホテルスタッフの
愛想の無さにもあった。話かけてもニコリともしない。どうしちゃったんだ、私の好きなポーランド!
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10月 18日(土)クラクフは曇ったり降ったり
片岡仁左衛門丈文化勲章受章!
リーグチャンピオンシリーズ第4戦ドジャース対ブルワーズ戦5対1で4連勝!ナショナルリーグ優勝!
大谷翔平先発投手6回10奪三振1失点打者として3ホームラン!!!異次元の活躍❤
朝 クラクフ・グランドホテル「KAWIARNIA」朝食ヴュッフェ



昼 クラクフ「BIALA ROZA」豆のスープ、鱸のソティ野菜添え、ムースとアイスクリーム



ランチ場所までは4人タクシーで往復
夜 (自由食)グランドホテル客室にて ロカボ鶏白湯ラーメン、チョコレート



今夜は自由食。レストランに行くのも面倒なので非常食で済ませる
ポーランドの夜中午前1時過ぎからアメリカでは大事な試合が行われる。ドジャースとブルワーズがリーグチャンピオン
をかけて戦っているシリーズの第4戦が始まる。強豪ブルワーズに対して、ここまでドジャースが3連勝。
今日勝てば・・それなのに私はポーランドにいる。午前3時に起き出してスマホで試合経過をチェック。オッ!
勝っている。大谷ホームラン1本打ってる、よしよし、この続きは起きてからね、とまたベッドに戻った。
6時に起きてチェックすると・・5対1でドジャースが4連勝し、6回で10奪三振を取った大谷が勝ち投手、
しかもしかもホームランを3本も打っていた!!!この試合は「大谷の試合」として人々に記憶される
ことになる。素晴らしい!ナショナルリーグのチャンピオンは今年もドジャースだ。朝から興奮してしまった。そ
れにしてもこのホテルのバスルームとバスタブが実にヘンチクリンでいつ転ぶか心配で緊張しっぱなし。浴室から
出て来た時は「無事で良かった」と胸を撫でおろす程なのである。今日は午前中クラクフから15`ほど
離れたヴィエリチカ岩塩抗に行く。17年前にも行ったが、66bから325bまで地下深くに様々な部屋が
あり、礼拝堂に提げられた豪華なシャンデリアや祭壇などがすべて塩で造られていて驚いたものだ。中世
ポーランドを支えた巨大な岩塩抗で、今は観光の名所でもある。行くつもりだったのだが、800段の階
段を上り下りするには私の歩行力では厳しいのではないかと指摘され、暫し考えて取り止めること
に。第4戦の振り返りと読書で午前中過ごし、不参加だった皆さんとタクシーで昼のレストランに行った。午
後はそのレストランから数百b歩いて坂をだらだらと上って行くヴァヴェル城を見学することになっている
のだが、ここも広い城のため階段の多さと歩く距離の長さで見学を躊躇する空気が。結局タクシー組は
帰りもホテルまでタクシーで帰ることになった。ナンてこったい。ヴァヴェル城は歴代ポーランド王の居城で大聖
堂と旧王宮、そしてドラゴン伝説が残る竜の洞窟が見学場所らしい。ポーランド王の居城?そう、クラクフ
は11世紀中頃から550年間ポーランド王国の首都として栄えた古都なのだ。日本の京都かな。無酒日
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10月 19日(日)クラクフは曇ったり降ったり
朝 クラクフ・グランドホテル「KAWIARNIA」朝食ヴュッフェ








クラクフ旧市街の中心は中央広場 特徴のある建物は織物会館



聖マリア教会の日曜ミサに行く



織物会館の1階はお土産屋が並ぶ 旧市庁舎の塔
グランドホテルは中央広場からすぐ
昼(自由食)クラクフ「PASTA BAR」(自由食)スパゲッティアラボロネーゼ48ZL、カプチーノ15ZL、水7ZL



アウシュヴィッツ博物館に行かなかった8人でランチに行く
夜 クラクフ「Artesse Restaurant」貴族の盛大なご馳走(前菜盛り合わせ)、2種のパン、焦がした茄
子のパイ包み、キノコのラグーとトリュフと卵黄、サンジェルマンポタージュに入ったチョウザメのスモーク、牛肉のロッシーニ
風、イザベラ王女のオランジェリー、ミニャルディーズ、カモミールティ)、ノンアルコールシャンパン



H15PALACEホテルにある「Artesse Restaurant」で夕食 何度も説明があり長――いコース












今日もクラクフは朝からどんよりと曇っている。一昨日、昨日もこんな曇り空で時折霧雨のような雨が
降るのも毎日のことだ。今日は終日フリータイムで、希望者はアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所見学に行かれ
る。6人が参加され、私は前回見学したから7人の人と共に残った。収容所があるオシフィエンチムは、クラク
フから西に54`である。K森山さん達が聖マリア教会の日曜ミサに参加するというので、私も中央広場に
ぶらぶら歩いて行った。クラクフの中心となるのは旧市街、その中心にあるのが総面積4万uの中央広
場だ。広場の真ん中には長さが100bもある14世紀の建物・織物会館、左には2本の塔が印象的な
聖マリア教会、右には旧市庁舎の塔が聳えている。聖マリア教会に腰かけると午前10時からミサが始まった。
座っていればいいのなら良いのだが、ナンだカンだと起立せねばならないのが私の脚にはキツイ。それが何
度も何度も・・信者でも無いのにそんなことに不満なら帰れよ、だよね。はい、失礼しました。そ
れから広場を一周してアチコチ歩く。ランチはヒマ組を地元ガイド氏が案内してくれるというので集合場所に
行ってみたら、皆パスタがイイと希望を言い、ホテルの3軒隣の「PASTA BAR」に案内された。ナーンダ。ボロ
ネーゼスパゲティはフツーだった。ガイド氏の食事は私がご馳走したのだが、御馳走さまでした、とかありが
とう、なんて一言も言わない。ポーランドの人はお礼なんて言わないのかな。一昨日空港に迎えてくれ
た彼も、ガイドの彼も地元の名門大学ヤギェウォ大学の日本語学科出身だそうだ。クラクフ夕食は、H15PALACE
ホテルにある「Artesse Restaurant」で。何でもこのレストランのシェフは、スペインでミュシュラン2つ星を貰った人
だが、クラクフのここでは無星ということだった。かなり品数が多いコースなのだが、皿ごとそれぞれに長
い説明があり、その上次が出てくるまでのインタバルが長い。7時に始まった食事は11時を過ぎても終
わらない。明日朝はワルシャワ移動の日で荷作りもあるし、バゲジダウンも8時だ。それでも美味しければ
文句も出まいが、それが微妙なところで。懲り過ぎて旨いのかそうでないのかよくわからんのだよ。
ホテルに帰って着替えて寝る準備をしたら明日になっていた。今日はワルシャワだ!ショパンコンクールだ!無酒日
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ジェイムズ・アルバート・ミッチェナーというアメリカの作家がいる。第二次世界大戦に南太平洋で従軍した体験に基
づいて書いた最初の作品は「南太平洋物語」であり、いくつかの賞を辞受賞したばかりでなく、この
著作をもとにミュージカル「南太平洋」が生まれることになった。長いことミュージカル好きだったが、初めて
観たミュージカルがこの「南太平洋」だった。脚本・作詞はオスカー・ハマースタイン2世、作曲はリチャード・ロジャースで
トニー賞・ピューリツァー賞を受賞した。南太平洋のニューヘブリティーズ諸島のある島が舞台で。大ヒットした「魅惑の
宵」始め、「バリハイ」や「ハッピー・トーク」など素晴らしい曲が多かった。「魅惑の宵」も魅力的な曲では
あったが、「バリハイ」は子供心にもグサリと刺さり、映画を観た後は大きな風呂敷を肩掛けにして、そ
の気になって歌っていた。
♪ Bali Ha‘i may call you、
Any night any day、
In your heart you‘II heart call you、
“Come away、come away・・・ ♪
ブラディ・メリー役のジャニタ・ホールが島に来たばかりの新任中尉に、島というか山を指差しながら怪しく神
秘的に歌い上げるのが「バリハイ」なのだ。ロケはハワイのカウアイ島で撮影されたらしく、彼女がバリハイ島と
言っているのは実はカウアイ島のマナカ山のことなのだ。それにしても、この映画の背景は日本軍と戦う
ため駐留しているアメリカ海兵隊と看護婦、地元民などの話だから、日本の子供がこの映画の挿入歌
に夢中になるってのも何だかみっとないことであったなぁと今更思うのである。70年近く経って
多少言い訳じみたことを言えば、それが初めて観たミュージカルということが大きく影響したのであっ
て、映画自身は2つの恋を扱った大味なものだったように思う。この「南太平洋」が制作されて
数年後には、あの「ウェストサイド物語」が封切られて、ミュージカルは格段にレベルの高い作品が生まれて行
くのだが。
「南太平洋物語」はジェイムズ・アルバート・ミッチェナーの処女作であったが、映画になった他の作品で言え
ば「サヨナラ」や「ハワイ」などがあり、小説の他に日本からタイ、インドまでの文化を観察しながら旅した
旅行記「アジアの声」やハンガリー動乱に関して纏めた「アンダウの橋」などノンフィクションの著作も多い。そし
て1983年には「ポーランド」を発表し、日本では1989年に文藝春秋社から工藤幸雄訳で出版された。
私の次兄は新聞社の出版局に勤務していたが、ある時、ナゼか私に分厚い本を渡して「アメリカのミッチェ
ナーの小説だからそのつもりで読むように」と注意のようなコメントがあった。年齢的に仕事のピークの
忙しさは卒業していたが、それでも兼任が多くて結構多忙であったのだが、その分厚い本を夢中で
読んだ。地理的に強国に囲まれたポーランド。歴史的なことを追っていくと長大な物語になってしま
うので極めて乱暴なまとめ方をすれば、隣国の複数の強国に翻弄されて1793年の第二ポーランド分割、
1795年の第3次ポーランド分割が行われポーランドは地図から消滅してしまう。123年間ポーランドは無かっ
たのだが、1918年第一次世界大戦後共和制のポーランド国家が再生した。ホッとしたのも束の間、1939
年にはドイツ軍とソ連の2ヵ国に分割されまたもや消滅😿ポーランド亡命政府はパリ、ロンドンなどに拠点
をおいて闘争を展開した。ドイツ降伏によってポーランドは復活したが、待っていたのはソ連支配によ
る厳しい抑圧された時代だった。現在のようなポーランドになったのは、1989年9月に誕生した「第
三共和国」と呼ばれる国家で、初めての大統領は造船所の労働組合「連帯」の委員長出身のレフ・ワレ
サ氏であった・・。
読み終えた時はすっかりポーランド贔屓の人間になっていて、すぐにでも「ポーランド」に行くぞ!とい
う気合満々だった。ゴールデンウィークを利用して、ボロボロのポーランド航空のエコノミー席に乗ってワルシャワに行っ
た。この時はハンガリーとチェコスロヴァキア(当時はそうだった)の3ヵ国を回ったので、滞在期間が短かっ
たポーランドの記憶は実はほぼ残っていない。おおいに反省して2008年の6月にはポーランド国内を反
時計回りでグルっと回ってポーランドをジックリ味わった。その時は1番北に位置するグダンスクにも行っ
たが、ホテルの近くにはグダンスク造船所があった。大統領にもなったレフ・ワルサ氏が率いた独立自主管理
労働組合「連帯」が結成された発祥の地である。共産圏で最初に自由選挙を実施したのはポーランド
であり、初代ワルサ大統領はノーベル平和賞を受賞した。
「それでも地球は回っている」の言葉で有名なニコラウス・コペルニクスもポーランドの人だ。古代から地球中
心の天動説が蔓延る中、初めて太陽を中心とする宇宙体系、地動説を唱え、近代天文学の道を最
初に切り開いた人だす。ポーランドのトルンに生まれ、古都クラクフの大学で神学を学んだ人だ。それにキュー
リー夫人を忘れてはならない。ワルシャワの旧市街にキューリー夫人の博物館があるが、ワルシャワ出身で結婚前の
名前は、マリア・サロメア・スクウォエドフスカである。貧しく厳しい環境にめげずに勉学を続け、フランスに移って縁
あったピエール・キューリーと結婚。夫婦揃って研究に励む。彼女は夫と共同で物理学賞と個人で化学賞の
2つの部門でノーベル賞を受賞したが、彼らの娘夫婦を加えると家族で通算5度のノーベル賞を受賞する
なんてアンビリーバブル!な家族であった。彼女はすぐれた言葉も多く残した。「第一の原則:人や出来
事に屈しないこと」「チャンスというものは準備をした者だけに微笑んでくれるのです」よーく胸に刻
みますです、はい。
そしてショパン!来週はワルシャワに移動して、ショパン国際ピアノコンクールだよ!
若い頃「ニョックターン」練習したニャァ
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