パクパク日記12年3月4週 

        旅はプエルトリコ、アンティグア&バーブーダ、バルバドス、ジャマイカと続く

    バルバドスの風車 ボブ・マーリー                       

3月 19日(月) ドミニカ共和国・サントドミンゴは晴れ

朝 ドミニカ共和国・サントドミンゴ 「メルキュール」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

      

            サントドミンゴの新市街は急発展中!               大陸発見500年に建立コロンブス記念灯台         野球練習中の少年

カリブ海の旅は5日目を迎えた。キューバの次に訪れたドミニカ共和国の首都サントドミンゴにいる。こ

れから午前ドミニカ共和国の観光、そして午後には早くも飛行機で3番目の訪問国プエルトリコを訪れ

る予定だ。昨日の午後はサントドミンゴの旧市街を訪れた。シットリ落ち着いた町並みであった。まずは

革命記念公園へ。長くスペインの植民地だったが、次は隣国ハイチに占領されて国はメチャメチャにな

ってね。22年後の1844年勇敢な3人が立ち上がって独立!パチパチパチ。だが、スペインに再併合、

アメリカの保護領下、更には1930年から30年間もトルヒーヨの独裁政権と踏んだり蹴ったりの年月だ

ったのだ。涙。でも今はね、政治も安定して、新市街の発展ぶりには目を見張るものがあった。コロンブ

スの発見されてしまって今年で520年。コロンブス記念灯台の前で少年達が野球の練習をしていた。

昼 サントドミンゴ空港にて 弁当、持参のふすまパン

   さらば!ドミニカ共和国

え?もう次の国に行くの?空港内で慌しい弁当ランチを済ませて14時過ぎのおんぼろアメリカン航空

3番目の訪問国プエルトリコに向かう。昨日のクバーナ航空もそうだったが、チェックインがスムーズ、

フライトもほぼ定刻通り、おまけにスーツケースもちゃんと出て来て皆で「ほぅ!」と感心したのだった。

  

中南米・カリブ海諸国への入口にあるプエルトリコ     アメリカ大陸最大のサンクリストバル要塞は重要な役割を担った

もう夕刻であるし、皆疲れているのでホテルに直接行って・・・なんていうわれわれ客の意向は、高ピー

なバスのドライバーにバッサリ無視されて、夕闇迫る中サンクリストバル要塞の見学をしたのだった。ア

メリカ大陸最大の要塞とあって、急なスロープの秘密の通路とか石段とか移動が結構タイヘン。実は数

日前から左足外反母趾の先にオデキもどきが出来て、歩行にも苦労しているんだよ〜。それはともかく

ヨーロッパから船で来ると中南米やカリブ海諸国の入口に位置するのがプエルトリコ。そのプエルトリコ

は、ご他聞にもれずコロンブスの2回目の航海で発見してスペイン人が最初に入植したから、イギリス

やオランダ、フランスなどが欲しがったことは想像に難くない。スペインは要塞造りに懸命になる筈だ。

夜 プエルトリコ・サンファン 「Raices」 アペタイザー、クリームスープ、サラダ、ポークチョップ、チ

    ーズフラン、持参のふすまパン、ビール 4j、白ワイン 7j、赤ワイン 7j

  

  

ホテルに行く前に夕食を摂ることになった。それも5時半過ぎだよ。何でも予約を取るのがタイヘンな人

気店だからこんな時間の夕食になるのだそーだ。確かに行ってみると、早くも広い店は満席。店のスタ

ッフは男女ともに民俗衣装のユニフォームを着ているし、古い生活を感じさせるインテリアである。ビー

ルは軽過ぎてツマラナイ。メイン料理はチキンと魚とポークの中からのチョイスだった。私だけが選んだ

ポークチョップは巨大な大きさで、目の前にドーンと置かれると大迫力。旨い!私でも食べ切れないの

で(ホントだよ!)半分は皆様に食べて貰った。午後7時過ぎ宿泊先のシェラトンにチェックイン。げっ!

冷蔵庫無いじゃん。ふすまパンあるのに困るなぁ。ぷんぷん。K谷さんからケータイに電話があった。

え?何ですって?スーダンに蚊はいるか?酒飲めるか?ワタシ、今プエルトリコにいるんですけど・・・。

                    _______________

3月 20日(火) プエルトリコ・サンファンは晴れ  暑くて死にそう〜

朝 プエルトリコ・サンファン シェラトン・オールド・サンファン 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

昨夜は暗くて気が付かなかったが、このホテルは大型クルーズ船乗り場のすぐ前にある。早朝から乗

船客がドッと観光に降りて来るし1階には大きなカジノもあってなかなか落ち着かない環境ではあるな。

午前のお茶 「バカルディ」の工場にて ダイエットコーク

 

 バカルディ・ラム工場を見学 2杯キューバ・リブレなどラムドリンクを飲むことが出来る       イッペーの花が満開

9時半チェックアウトして観光出発。昨日の高ピーなドライバーは交替していてホッとした。午前中はラ

ムの「バカルディ」の工場見学。「バカルディ」は1862年キューバのサンチャゴ・デ・クーバの小さな工

場でラム生産を開始して発展して来たが、1959年のキューバ革命が起こったため、ラム生産には欠か

せないイースト菌を持って国外へ。以来メキシコやアメリカ、プエルトリコなどでラム生産を続けている。

因みにキューバは、「ハバナ・クラブ」の名前でラムを生産することなる。入場券にはラムドリンク2配分

のチケットも付いていたが、昼間は飲まんからダイエットコークね。工場見学と言っても、ビデオや資料

を見るだけで生産現場は全く見ることは出来ないから物足りない。イッペーの花が青空に映え美しい。

 プエルトリコ・サンファン 「The Parrot Club」 バナナのチップ、サラダ、チキンとモフォンゴ、持

参のふすまパン、フラン、アイスティ

  

 甘くないのはバナナのチップだけ

工場見学を終えてバスはレストランに向け発車。その時だ、最後尾席に乗っていた私の頭の上から大

量の水が降って来た。まさに「滝行」である。冷房装置から水が零れたらしい。ビショビショである。これ

だからアメ車はイヤだよ!ランチは甘い(!)チキンだったが、つけ合わせはプエルトリコ郷土料理のと

モフォンゴ。緑のバナナプラタノを潰して揚げて味付けたものというが、味は・・・・。チキンも甘かったが

サラダのドレッシングも甘く、デザートのフランは飛び上がる程甘かった。雰囲気は良い店なんだけど。

  16世紀から建設が始まったエル・モロ要塞は何度も攻撃を受けたが陥落しなかった!1983年世界遺産に

午後の観光は先ずエル・モロ要塞見学から。1539年から建設が始まり、50年かけて完成するが、そ

の後何百年の間増築、改築が続けられた。イギリスは怖い、オランダも手強い、フランスもイヤダ、その

上海賊には困ったものだ・・・と修復をしていたのだろうね。1898年アメリカにスペインは敗れたが、そ

の時は陸地から攻められたもので、それまで海から何度も攻撃されたが一度も陥落したことはなかっ

た偉いエル・モロ要塞なのだ。その甲斐あってか1983年世界遺産に登録された。眺めが素晴らしい!

 西半球で2番目に古いサン・ホセ教会      総督の子孫が暮らしたカサ・ブランカ       総督の住まいラ・フォルタレサ

モロ要塞見学後は暑い中を徒歩で観光する。あ〜ぁである。サン・ホセ教会は西半球で2番目に古い

そうだが修復中で入れず。サン・ファン大聖堂には初代総督のポンセ・デ・レオンの墓がある。カサ・ブ

ランカに行く途中で猫を3匹発見。私はこっちの方がいい!とにかく暑い。暑くて死にそう。プエルトリコ

は長らくスペインの植民地だった(70年間はイギリス領)が、114年前からアメリカの自治領となった。

夜−1 プエルトリコ・サンファン 「METROPOL」 ビーフステーキとコングリ、持参のふすまパン、フ

ラン、ビール 4j

   さらば!プエルトリコ

クソ暑い中での徒歩観光が終わった時は心底からホッとした。高い金を使って遊んでいるのに、何でこ

んなツライ目に会うのじゃ。なんてね。アハハ。渋滞を予想していたらスイスイ走って5時前に空港近く

のレストランに到着してしまった。結果チョー早めの夕食となる。期待していなかったがここのビーフス

テーキが実に旨かった。他の皆さんにも大好評。夕食が早まったので、空港での待ち時間も約3時間

となった。午後925分発のおんぼろアメリカン航空でアンティグア&バーブーダへ。1時間で到着。

夜―2 アンティグア&バーブーダ 「ジョリービーチ」 ビール 2杯、赤ワイン

空港から2台の4WDタクシーに分乗してホテルに到着したのは午後11時半。それからチェクインに

手間取り、1番遠い客室に辿り付いたのは午後1215分。オールインクルーシブというが、バーの営

業時間は12時半まで。部屋から歩いて10分もかかる。走った!ハァハァハァl。もう片付けが始まった

バーに1223分着!既にグループの3人の方が飲んでいた。ビ、ビール下さい。赤ワインもね!!

                ________________

3月 21日(水) アンティグア&バーブーダも晴れ 暑いです

朝 アンティグア&バーブーダ 「ジョリービーチ」 朝食ヴュッフェ、持参のふすまパン

  

海辺に近いらしく蚊がいた。フマキラーの「押すだけべープ」を3回(部屋の大きさでは2回でいいんだ

けど念のため)シュッと押して昨夜寝たのは午前2時だった。それでも6時に起きると、部屋から海が見

えた!昨夜は真っ暗で見えなかったが、こんな景色だったんだ。7時に朝食レストランに行くと、巨大ビ

ーチリゾートホテルらしく、大勢のバカンスを楽しむ人々で溢れていた。海も浜辺も咲く花も美しかねぇ。

  

        セント・ジョンズ・アングリカン・カテドラル     現役のネルソンズ・ドッグヤード        シャリー・ハイツからの眺め

タイヘンな思いをして辿りついたホテルではあるが、9時にはチェックアウト。ホテル滞在時間8時間?

早速観光に出かける。アンティグア&バーブーダは小アンティル諸島に属し、アンティグア島とバーブ

ーダ島の2つの島からなる小さな国だ。面積は日本の種子島ほどで人口はわずか9万人のイギリス領

である。首都はセント・ジョンズ。そのセント・ジョンズハーバーに行く。20年前港を拡張したことから今

では大型クルーズ船も寄港し、大勢の観光客を運んで来る。港近くの郵便局に行く。外の暑さがウソの

ように冷房されて涼しい。予定稿で書いておいた絵葉書にアンティグア&バーブーダの切手を貼って投

函。セント・ジョンズ・アングリカン・カテドラルは町のシンボルだったが、去年の地震で屋根が落ちてし

まったと言う。今にも崩れ落ちそうなのに教会の塔にあるヤケに正確な時計が10時の鐘を鳴らしたか

らビックリして飛び上った。ジェームズ砦では今も大砲がカリブ海を見下ろしているが、かつてはスペイ

ン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリスがこの島を取り合って20を超える砦があった。ネルソン

ズ・ドッグヤードにはかの有名なネルソン提督がかつて住んだこともあったと言うが、1ヶ月後に迫った

ヨットレースに備えて、豪華なヨットがたくさん停泊していた。シャリー・ハイツからの眺めはサイコー!

 アンティグア&バーブーダ 「DENNIS」 ソルトフィッシュとドゥカナ、持参のふすまパン、ケーキ、

コーヒー

    アンティグア&バーブーダの国旗

ランチは小高い丘のレストラン「DENNIS」。塩漬けした鱈のソルトフィッシュの付け合わせはこの地方

の郷土料理ドゥカナ。小麦粉、ポテト、ココナッツを混ぜバナナの葉で茹でたものだが、味はドウかな。

レストランにはためくアンティグア&バーブーダの国旗が可愛いと評判。昨夜遅く着いたばかりなのに

もうこの国とお別れですかぁ?早いというか早過ぎるというか。3時に空港着。スムーズにチェックイン。 

 アンティグア&バーブーダ空港の食堂にて ツナのパスタ、ピッツァ1切れ(航空会社持ち)

    パスタは半分、ピッツァ1切れ

未だ空港にいる。午後5時半にバルバドスに向けて飛ぶ予定だったのだが機材が故障したとかで待た

されているのだ。4時間近く待った。う〜む、退屈。ここまで「カリブ海にしては順調過ぎるじゃないか。

何だか気持ち悪い位だなぁ」と思っていたが、やっぱりね。午後7時、カリビアン航空が空港のレストラ

ンで軽食をサービスすると言う。トーゼンだ。但し35イースタン・カリビアン・ドル(約12j)ね。え?ビー

ルとかアルコールはダメ?何でよ!ツナパスタを半分と添乗員I間さんのピッツァを1切貰った。結局3

時間遅れで飛行機は飛び、午後9時半5番目の訪問国バルバドスに到着した。10時半ホテル到着。                  

__________________

3月 22日(木) バルバドスも晴れ

朝 バルバドス・ブリッジタウン 「ドーバービーチ」 スペシャルプレート、持参のふすまパン

  

先週土曜日から昨日までの5日で5ヶ国を移動した。たった5日間で5ヶ国!世の中には外国に一度

も行かずに生涯を終える人もいるのに、5日間で5ヶ国も行く人もいるんだなぁ。昨夜遅くホテルの部屋

で添乗員I間さんから貰ったおにぎりをウィスキーを飲みながら食べたら、とても美味しかった。6時半

に起きてシャワーを浴びる。シャンプーの途中で水になってしまった。ここでは久々に連泊なのでドッサ

リ洗濯をする。私には珍しいことだ。珍しいと言えばこのホテルの朝食も珍しくセットメニューであった。

       

           古い歴史のセント・ジェームズ教会      サトウキビ産業が盛んだった             この海は大西洋だ四

怖い顔のガイド・ローズさんがホテルロビーに現われたから皆キンチョーする。身長は190a超えてい

るな。顔が恐ろしく小さい。まさに昔の基準の「八頭身」である。但し美人では決して無い。午前中はこ

のローズさんの案内でバルバドスの観光をする。小アンティル諸島の1番東側ということは、カリブ海で

1番東に位置する。ここも種子島ほどの小さな島だが、水が豊富で農作物の生産力が高いことから25

万人と人口密度が高い。イギリス人が1625年に入植してから1966年独立するまで一度も他国の手

に渡ったことが無いことからイギリスの影響が強く「リトル・イングランド」と呼ばれている。島の西側は

穏かなカリブ海で、高級なホテルや邸宅が並ぶ。モーガン・ルイスの風車(トップの写真)はかつて500

を超えるサトウキビプランテーションで使われた風車の一つだ。東海岸は大西洋に面して波が荒いな。

昼 バルバドス・ブリッジタウン「サンバリ」 フライングフィッシュを含むランチヴュッフェ、持参のふすま

パン、ビール 4j

  

ランチはサトウキビで富を築いた英国人の邸宅に併設されたレストラン「サンバリ」で。フライングフィッ

シュ(飛び魚)フライを含むヴュッフェだった。参加者10名の中でベジタリアンのK井さんは「カリブ海で

1番美味しいアイスクリーム!」と絶賛し2個食べられたがI田夫人は6個食べられた。食べ過ぎ。バ

ルバドスはグレープフルーツの原産国で、かつてはロンドンからあのコンコルドが飛んで来たらしいよ。

夜 バルバドス・ブリッジタウン「Pisces」 豆のスープ、スパイシーウェストインディアンシュリンプカレ

ー、持参のふすまパン、ビール、白ワイン、赤ワイン @76j

  

午後2時過ぎホテルに到着し、午後はフリータイムとなった。ブリッジタウンの中心街に遊びに行かれ

るグループもあったが、私は例によって部屋でゆっくり。朝干した洗濯物がすっかり乾いていたので、本

2度目となる洗濯をしたり、本を読んだり、ウツラウツラしたり。ハードスケジュールが続いたから良

い休息になった。夕食は自由食。午後6時希望者8名はタクシー分乗して予約して貰った「Pisces」に

行く。高級な店らしい。ロブスターを注文した人が多かったが、私は豆のスープとスパイシーウェストイ

ンディアンシュリンプカレーを注文。スパイシーってちっとも辛くないじゃん!でも気分転換に良かった。

                __________________

3月 23日(金) ジャマイカ・キングストンは曇り 夕刻激しいスコール!

朝 バルバドス・ブリッジタウン 「ドーバービーチ」 スペシャルプレート

 

今日は出発が早いから早起きするつもりだったが、350分にメールが来たのでそんな時間に起きて

しまった。冷蔵庫が無いホテルがいくつかあったせいか、ふすまパンはカビてしまったので捨てた。昨

日の朝のったりのったり超ゆるいサービスだった朝食レストランが今日はキビキビ。やれば出来るね。

昼 ジャマイカ・キングストン 「グロリア」 スパイシーな煮魚とカサバ、持参のふすまパン、水

  

     魚と野菜の盛り切りランチ    イギリス王室公認海賊本拠地ポート・ロイヤル      1907年の地震で傾いた

720分空港到着。925分カリビアン航空は定刻通り飛び立った。さらば!バルバドスよ。2時間

50分のフライトで最後の訪問国ジャマイカの首都キングストンに到着。時差が1時間あるから現地時

1120分だ。スーツケースも全部無事出て来た。パチパチパチ。これで飛行機によるカリブ海の移

動は終了したわけだ。ほっ。日本人ガイドのT田さんの案内でレストランに行く。2階に上がってみると

テーブルと椅子以外何も無く、ただ風が通りぬけるだけの場所だった。暫し待たされて出て来たのは煮

魚とバミ。煮魚は黒胡椒が効いていて旨い。グレープフルーツジュースの「Ting」なんてのもあった。午

後はポート・ロイヤルを見学。何せイギリス王室公認の海賊の本拠地だったんだからねぇ、ここ。スペイ

ンが新大陸の富を独占していたから、ライバルのイギリスやフランスは私掠船を派遣し、「船舶略奪許

可書」を与えていたんだから何をかイワンやである。黒髭ディーチとかヘンリー・モーガンとかフランソ

ワ・ロロノアとか女海賊アン・ポニイとか有名な海賊が活躍(?)したワケさ。しかし、ポート・ロイヤルは

17世紀終わりの大地震後の津波に飲み込まれ、5000人が流されて町も崩壊したということであった。

夜 ジャマイカ・キングストン 「フォーシーズンズ」 フィッシュスープ、甘辛フィッシュと焼き豚、持参の

ふすまパン、ビール 5j、白ワイン5j、赤ワイン 6j

  

    スコールで道路は川となった

ホテルに行く前にスーパーに行く予定だったが、突然の激しいスコールに中止。このスコールで道路は

たちまち川となり、ハイエースは車から船に変わったようだ。季節によってはスコールが続くようなのに

こんな排水設備がプアじゃあ困るだろうにね。1時間降りに降ってホテルに到着する頃ようやく止んだ。

キングストンの「フォーシーズンズ」は、私の好きなフォーシーズンズとは全く違った。アハハって位に。

それでも夕食はまぁまぁだったし、ジャマイカビール「レッドストライプ」は旨いから、いいことにするか。

                ________________

3月 24日(土) ジャマイカ・キングストンもオーチョリオスも晴れ

 ジャマイカ・キングストン 「フォーシーズンズ」 フルーツと目玉焼き、コーヒー

    え?これだけ?私はトースト食べないのに・・・

午前中のお茶 ジャマイカ・ブルーマウンティン 「UCCコーヒー」 ブルーマウンティンコーヒー

   

     ブルーマンティン山脈からの眺め           コーヒーについての講義を受ける                  白いコーヒーの花

今日は朝から良い天気だ。5時に起きて、ほんのチョッピリの朝食だったから8時半チェックアウトする

頃には空腹気味である。秋田県ほどの大きさのジャマイカであるが、標高差が大きく、最高峰2256b

の山もあるブルーマンティン山脈が島の中央部に横たわっている。いつも霧に覆われているブルーマ

ンティンはジャマイカの水源であり、世界最高品質のコーヒーを育む場所でもある。その中腹にあるク

レイトンハウスはジャマイカ総督別邸だったが、今から30年前売り出されたものをUCCが買い取って

コーヒー農園の管理事務所として使っている。ジャマイカいろは坂を1時間上って行くうちに車酔いして

しまい気持ちが悪くなった。酔い止め薬飲む。コーヒーについての講義を聞いてからこの農園で採れた

ブルーマンティンコーヒーをご馳走になる。イギリス領だったジャマイカ人は紅茶を好むが、コーヒーを

飲む時は何と練乳をたっぷり入れて飲むのだ。ゲェ!試した人に感想を聞くと「コーヒー牛乳みたい」。

  

   博物館前に立つボブの像            「レゲエの神様」ボブ・マーリーが住んだ家が博物館になっている  

山から下りて楽しみにしていたボブ・マーリーミュージアムに行く。言わずと知れた「レゲエの神様」であ

る。1945年生まれで生きていれば今年67歳になるが、脳腫瘍でわずか36年の生涯を閉じた。14

のアルバムと300曲以上を残し、ゴールドディスク、プラチナディスク多数。特に「レジェンド」のアルバ

ムは全世界で3千万枚売れているんですってさ。世界中にガールフレンドもいて、36歳で亡くなったの

に子供の数は12人!夫人のリタが産んだ子供は4人である。7人の息子は全員がミュージシャンにな

った。一家が暮らした家はボブが亡くなって5年後にリタが引っ越す時ミュージアムとして公開された。

昼 ジャマイカ・キングストン 「ZIGGY‘S」 フライドチキンとコングリ、水

     大衆的な店でランチ

遅いランチは地元民で賑わう大衆食堂「ZIGGY‘S」。ほとんどファーストフード店って感じ。チキンと魚

と山羊カレーのチョイスだったのでチキンにする。グチャグチャに茹でたマカロニとコングリ添えだった。

 オーチョリオス 「ハイビスカスロッジ」 オックスティルトマッシュポテト、パンプキンスープ、ハニー

チキン、魚フィレ、チーズケーキ、ビール 3j、白ワイン 3j、赤ワイン 4j×2杯

  

  

島の南海岸にあるキングストンから、山を越えて北海岸側のオーチョリオスに移動。ここもしょぼいホテ

ルでガッカリだが、夕食は5品もあったから許すか。ワインの盛りも良かったので赤ワインは2杯飲む。

                   ________________

3月 25日(日) オーチョリオスもモンテゴベイも晴れ 夕刻一時スコール

朝 オーチョリオス 「ハイビスカスロッジ」 フルーツ、ほうれん草オムレツ、コーヒー

  

寝ているうちに足が攣って345分目が覚める。ツムラの68が残り少ないので不安である。5時半に

起きてシャワーを浴びる。ホテルはしょぼいがお湯がちゃんと出てホッとした。朝から陽射しがジリジリ

と痛い程キョーレツだわ。朝食は卵料理をチョイスする。スパニッシュオムレツなのにポテト抜きなの?

   

                   ショーパークガーデンは1920年からホテル敷地だった。ベテラン男性の案内で

本日の最初の見学はショーパークガーデン。以前はプランテーションとして利用していた場所に1920

年ホテルが出来た。今はホテルは無いが、その庭園が公開されている。真ん中に滝が落ち、その周り

にトロピカルな木々や花が咲き乱れている。小さなハミングバードの巣には赤ちゃんがいましたよん!

         「ヤーマン!ヤーマン!」と叫んで、いざダンズリバーの滝のぼりへ。トーゼンびしょ濡れである

次はジャマイカで1番人気というダンズリバーの滝のぼりだ。私は左足の傷が治らないので滝のぼりは

断念したが、参加したのは10人のうち半分の5人だけだった。200メートルの滝と川を20人位のグル

ープが手を繋いでリーダーに連れられて上って行く。やたらとリーダーは気合を入れるから、参加者は

「ヤーマン!ヤーマン!」とコブシを突き上げ興奮している。カメラを向けながら滝の脇で見ていても結

構面白い。そのうち我々グループの5人が参加した組もやって来た。記念撮影時間が長かったそうだ。

 オーチョリオス 「Scotchies」 ジャークチキン、炭焼きスモークポーク、フェスティバル、水

  

ランチは「Scotchies」で「これぞジャマイカ料理!」という感じのジャークチキンとジャークポーク。ジャ

ークって炭火焼き。旨い!野菜スープも旨かったし、フェスティバルという名のドーナツのようなパンも

好評。私は香港で食べる油条みたいにも思えた。この店日本にも出店してくれれば月1回は通うかも。

  

     ボブ・マーリーが生まれ育ったナインマイルズ。有名なシングルベッド、ガンジャを吸った石、ボブのお墓を見学

山を上って細い悪路をクネクネ走ることしばし。1時間もそうして揺られていただろうか、ようやくナイン

マイルズに到着。ボブ・マーリーの生まれ育った町である。建物の前にいる男達が「ガンジャ(マリファ

ナ)買わないかと勧めて来てもNO!と言ってください」と言われビビル。この国ではマリファナを吸うこと

は禁止されてはいない(売るのはダメ)そうだ。ボブは51歳のイギリス人の父と17歳のジャマイカ人の

母の間に生まれた。13歳までこの地に暮らし、その後首都のキングストンに移った。祖父母のお墓、「I

this love」を作った部屋には例のシングルベッドがあり、インスピレ-ションをもらうためにガンジャを

吸った石があり、母とボブ本人のお墓があった。お墓がある建物には靴を脱がねばならないのだった。

夜 モンテゴベイ 「ウェクスフォードホテル」 パンプキンスープ、ステーキ・チキン・ベジタブルプレ

      ート、マーブルケーキ、ビール 3j、白 6j、赤ワイン 6j

   

コロンブスが上陸したディスカバリーベイ           あのボルトが通ったウィリアムネバハイスクール

北京オリンピックで大活躍したウサイン・ボルト、覚えておられますよね。100m200m、4×100mリレ

ーで3つの金メダルを獲得したボルト。彼はジャマイカ出身で、ヤム芋を食べて育ったそうだ。今夜の宿

があるモンテゴベイに向かう途中でガイドのT田さんが教えてくれた。「この左側にある建物はボルトの

出身高校です。彼の実家はここから車で40分かかる山の上の村で、水不足に悩む場所です」ってさ。

予定より1時間半遅れてモンテゴベイのホテルに645分に到着した。2泊するのにここもしょぼいホ

テルだなぁ。チェッ!8時前ようやく夕食。料理はたいしたこと無いが、ビールが旨いので2本飲んだ。

モンテゴベイはこの旅の最後の訪問地。それにしても部屋のトイレの水止まらないのは困ったものだ。

                      _______________

【今週の振り返り】

カリブ海にはたくさんの島があるが、大雑把に言えば、キューバ、ジャマイカ、ドミニカ共和国、プエルト

リコを大アンティル諸島、アンティグア&バーブーダ、バルバドス、ドミニカ、サバなどの小アンティル諸

島、そしてバハマ諸島などの西インド諸島に分類される。私が今回旅したカリブ海6ヶ国は、大アンティ

ル諸島の4ヶ国と小アンティル諸島の2ヶ国である。

これらの国を大急ぎではあるが回ってみて共通点をいくつも見つけた。

コロンブスに発見された。スペイン人が入植(バルバドスだけは違うけど)した。サトウキビのプランテー

ションが作られた。持ち込まれた疫病や過酷労働で先住民は死に絶えた。労働力不足を補うためにア

フリカ大陸から黒人が奴隷として大量に連れて来られた。他国や海賊の攻撃に怯えて巨大な要塞を築

いた。宗教はキリスト教が主である。奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人が住人の9割を超える。

現在の主な産業は観光である。大型クルーズ船が多くの乗客を運んで来て外貨を落としていく。ビーチ

リゾートが盛ん。真っ青な海と空、ギラツク太陽。だから暑い!以上が私が見つけた共通点。

しかし、トーゼン違う顔もある。スペイン語圏のキューバ、ドミニカ共和国、プエルトリコ(アメリカの自治

領ではあるが、スペイン語が主に通用する)は野球が国技のようなもの。少年達は大リーグでの成功と

巨額な収入を夢見て練習に精を出す。いずれもアメリカから野球が伝わり、アッという間に盛んになっ

た。一方、アンティグア&バーブーダやバルバドス、ジャマイカといったイギリス領だった国では野球は

流行らない。野球というスポーツがあることすら知らないらしい。その代わり、サッカーやクリケットやポ

ロなどをやっているらしい。アンティグア&バーブーダとバルバドスではどうなのかよくわからないが、

他の国々では音楽が盛ん。サルサ、ソン、メレンゲ、レゲエ、ルンバ、マンボ、チャチャチャ・・・。たくさん

のカリビアン・ミュージックが軽快なリズムを刻んでいる。

アフリカとヨーロッパの混血児がカリブ海の国々だと何かの本に書いてあった。カンタンだけど、来週分

もあるから今週はこのヘンで。           

             カンタンだけでなくオソマツな振り返りだニャア

           バックナンバーのトップへ       夢子倶楽部のトップに戻る

          * カリブ海の旅の始まりは 3月3週 をご覧ください。