パクパク日記14年4月1週

            ウィーンフィルのコンサートを楽しんで帰国したら、膝がまた・・・

     ベルヴェデーレ ウィーンフィル

3月 31日(月) オーストリア・ウィーンは晴れ

朝 ウィーン・インターコンチネンタルホテル 朝食ヴュッフェ

  

先週水曜日、名画と音楽求めてオランダのアムステルダム、そして土曜日にはここオーストリアのウィ

ーンに来ている。ホテルは市民公園見下ろすインターコンチネンタルホテル。朝食ヴュッフェ会場には、

味噌汁、ご飯、漬け物、納豆があってチョー嬉しい!ウィーンで納豆ご飯と味噌汁なんていいじゃん。

午前のお茶 ウィーン・ヴェルデベーレ「カフェ」 黒すぐりジュース 3.8ユーロ

   エゴン・シーレ「死と乙女」             エゴン・シーレ「ヘルベルト・ライナー」           エゴン・シーレ「家族」

     オーストリアの英雄プリンツ・オイゲン公の夏の離宮ヴェルデベーレはオーストリアン・ギャラリーとなっている

オランダとオーストリアの美術館巡りをして来たが、それも今日午前中のヴェルデベーレ上宮にあるオ

ーストリアン・ギャラリーで最後となる。市電に乗ってヴェルデベーレへ。上宮と下宮間の斜面には見事

なバロック庭園が広がっている。ヴェルデベーレとは「良い景色」という意味だよ。この宮殿敷地内には

作曲家ブルックナーが晩年過した家がある。この美術館で最も人気があるのはクリムト。何たって人気

ナンバー1の「接吻」を始めてとして「ソニア・クリップスの肖像」、「フリッツァ・リトラーの肖像」、「水蛇」

があるしね。でも私が惹かれるのは断然シーレだ。今回展示が無かったが、「ヘルベルト・ライナー」や

「エドゥアルト・コスマク」や夫人を描いた「エディット・シーレの肖像」がある。前回来た時無かった「死と

乙女」があった。これから生まれて来る子供も描いた「家族」の前では不覚にも涙が零れてしまったよ。

昼 ウィーン 「FRAUENHUBER」 ポテトスープ、ターフェルシュビッツ(牛すね肉の煮込み)、アップ

ルシュトゥールーテル、アルマンドゥーダ

  

  

 ここにモーツアルトが亡くなった家があった         ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンが演奏した老舗レストラン

帰りも市電に乗って中心部に出る。小澤征爾さんも活躍した国立オペラ劇場からシュテファン寺院に抜

ける目抜き通りケルントナー通りをぶらぶら歩く。右手に入った場所には、モーツアルトが亡くなった家

が建っていた場所がある。今は大きな店となっていて碑があるばかり。そして、今日ランチを摂るレスト

ランは、マリア・テレジアの料理人が開いた店で、かつてはハイドンやモーツアルト、そしてベートーヴェ

ンが演奏しに来たという「FRAUENHUBER」であった。そのわりには、料理の味はたいしたことが無

いのであった。近くにあった 「天満屋」がこの冬突然閉店してしまってと聞いてガックリ。何度も行った

日本食レストランだったのにな。午後はフリータイム。何軒か懐かしい店覗いてよく歩きエラク疲れた。

夜 ウィーン・インターコンチネンタルホテル 人参のスープ、鱸のフィレ

  

  

      ここが憧れの楽友協会               ズービン・メータ指揮ウィーンフィル演奏会

旅の最後の夜はウィーンフィルのコンサートがある。5時半ホテルのレストランで軽い夕食。鱈のフィレ

がエラク塩辛くて半分以上残した。コンサートがある楽友協会までは歩いて10分程。数年前も一度入

ったことがあるが、クラッシックファンなら憧れの劇場だ。ほら、毎年元旦にNHKで中継されるニューイ

ヤーコンサートが開催される会場だよ。今晩の演目は、ブラムス「悲劇的:序曲ニ短調、シエーンベ

ルク「室内交響曲第一番、サン=サーンス「交響曲第三番ハ短調」。指揮者はウィーンフィルの名誉団

員でインド出身のズービン・メータ、演奏はもちろんウィーンフィルである。音響の素晴らしさから「黄金

のホール」とも呼ばれる楽友協会ホールだが、最後に演奏されたオルガン付きサン=サーンス交響曲

を聴いていると、全身が音に包まれて共鳴するようで何とも気持が良い。素晴らしいコンサートだった。

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4月 1日(火) ウィーンもパリも晴れ

朝 ウィーン・インターコンチネンタルホテル 朝食ヴュッフェ

遅い昼 エールフランス航空 パリ=成田ビジネスクラス機内食

  

5時前起床。帰国日である。例によって納豆ご飯と味噌汁の朝食を食べてから空港へ。ウィーンからエ

アフランスでパリに飛ぶ。午後140分エアフランス276便で成田に向け出発。機内で映画「清須会

議」と「ATARU」を観た。面白かったかって聞かれると・・・・。実は飛行機の中で観る映画ってエンジン

音が煩くてよく聞こえないのである。耳が遠くなったからかもしれないけどね。だから評価は控えます。

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4月 2日(水) 東京は晴れ  チリでM8、2の地震!

朝 エールフランス航空 パリ=成田ビジネスクラス機内食

  

昼 四谷三丁目 「日高屋」 レバニラ炒め 490円、小ラーメン 200円

   小ラーメンです!

8時半成田着。飛行機が着陸する時、成田空港の桜が満開で思わず「ひょえ〜!」。出かける日に

東京の桜が咲いたと言っていてから帰国する頃にはきっと散ってしまったのではと諦めていたのだ。こ

れなら東京でもお花見できるかも。タクシーで帰宅して、旅の衣類を洗濯機に放り込んでランチに出か

ける。何となく「日高屋」に入る。普段ならレバーなど決して食べないキライな食材なのに、レバニラ炒

めを注文。帰りの飛行機の中で読んだ東海林さだお氏の「いかめしの丸かじり」に「わが愛するレバー

よ」の影響である。東海林氏は「ご飯と合わせてこそレバニラ炒めはその真価を発揮する」と言っている

が、私は小ラーメンにしたかんね。それ位は私の勝手にさせて貰うかんね。ニラが歯に挟まって困る。

夜 舟町 「舟町一期」 お通し:大根のうま煮、彩り野菜とジャコのパリパリサラダ 720円、フィレッシ

ュトマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ 750円、銀タラ西京焼き 880円、海老真丈サンド揚げ 

730円、稲庭温うどん 730円、生ビール 2杯、「知心剣」ボトル @1280

  

  

帰国日であるが、パクパク日記3月2週をアップした。もちろんほぼ旅に行く前に作っておいたもの。九

州でご馳走三昧した週だ。夜は「舟町一期」に行く。彩り野菜とジャコのパリパリサラダは相変らず美味

しい。海老真丈サンド揚げを食べながら、これ九州で何と呼ぶ料理か知っていますか?とご主人に聞

いてみた。ご主人の山口さん、暫く考えて「確か、ハトシじゃなかったですか」って。さすが!じゃどういう

字を書くかは?なんて博多のお店で教えて貰ったばかりのことを喋っちゃった。「蝦多士」ハトシです。

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4月 3日(木) 一日中雨

朝 無し

昼 家食 メンチカツふすまバーガー、「タニタ食堂」の味噌汁、バナナ

昨日のチリ地震で心配された津波だが、幸いなことに大きなものは来ていないようだ。余震による津波

が来なければ良いが。その代わりというワケではないが、昨夜からポツポツ降り始めた雨が今日にな

って本格的な雨になった。え〜〜っ!今日お花見に行こうと思ったのにぃ。新宿御苑か、四谷駅キンペ

ンか昔住んでいた早稲田の神田川沿いか。こんなことならお天気が良かった昨日行けば良かった・・。

夜 舟町 「仙水」 先付け:菜花と鯛の子、茹で立て天豆 1000円、鰆の付け焼き 1500円、野菜煮

 1200円、昆布大根 600円、鰯のつみれ小鍋 1800円、稲庭温うどん、生ビール 2杯、麦焼酎

ボトル @1万7820円

  

  

  

夕食は「仙水」に行った。同じカウンターにいたお客の一人が、口元からずらしてはいるが、ずっとマス

クをしたままなのが気になった。マスクしたまま食べたり飲んだりするか!外せよ!ってか。アハハハ。

まぁそれはともかく、海外から帰って来ると、やっぱり和食が嬉しい。出汁で炊いた筍や昆布味の大根

を齧ったりしていると、「あぁ、日本は旨い」としみじみ思う。稲庭うどんの汁を飲み干して「日本だなぁ」。

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4月 4日(金) 曇りのち晴れ 風強し

朝 家食 牛肉コロッケふすまバーガー、「タニタ食堂」の味噌汁

昼 新宿 「つばめグリル」 メンチカツランチ(ファルシートマト、ライス付き) 910円×1.08=983円、

持参のふすまパン

  

週1回行っていた代々木の整体も、今は月1行くのがやっとだ。前半の汗出しもどんどんハイテク化さ

れて滝のような汗が出る。施術を終えてから新宿西口までテクテク歩いてルミネへ。6階、7階にはいく

つもの飲食店があるが、行列が無くて好きな店と言えば・・・「つばめグリル」だね。大好きメニューのメ

ンチカツがあった!旅に行っている間に消費税が8%になっていたが、外税表示の店は面倒ですよ。

遅い夜 銀座 「流石 琳」(3人で) 先付け:カレー風味ポテサラ最中、おつまみ小皿コース(山葵海

苔、湯葉、鮭ハラス燻製、生薩摩揚げ、筍揚げ出汁など) 1800円、店主が日本一と思うトマト 

650円、蕎麦サラダ 1000円、白魚とセリの卵とじ 950円、出汁巻卵 1000円、軍鶏炒りどり 

1400円、花山葵醤油漬け 400円、蕎麦味噌、天ぷらうどん(温) 2400円、生ビール 2杯、

麦焼酎2合 @9500円

  

  

  

       私が食べた天ぷらうどん               A先生が食べた鍋焼きうどん              マキ子が食べた二色蕎麦

歌舞伎座の夜の部。歌舞伎座が新開場して1年が多経ったことになる。夜の部は「一條大蔵譚」、「女

伊達」、「梅雨小袖昔八丈 髪結新三」の3本。一條大蔵卿には吉右衛門、常盤御前に魁春、吉岡鬼次

郎に梅玉、お京に芝雀。吉右衛門の一條大蔵卿は前半の作り阿呆ぶりがクドクなくあっさりしていて良

いし、後半のキリリぶりが際立っている。女伊達は時蔵、最後の髪結新三は幸四郎、弥太五郎源七は

歌六、家主長兵衛に弥十郎、家主女房萬次郎、下剃勝奴に錦之助、お熊に児太郎。以前は学芸会並

だった児太郎が、父親の病気もあってかようやく見られるようになって良かったよ。それはともかく、休

憩時間に突然右膝に鋭い痛みが走って歩けなくなった時には大いに慌てた。最前列の席には両脇の

椅子を支えにようやく帰ったほどだ。芝居がはねてから、一緒に行ったマキ子にゆっくり歩いて貰って

「流石 琳」に何とか辿り着いた。9時半だった。既にA先生が来ていてビールを飲んでいた。この店は

十割手打ち蕎麦で有名な「流石」の姉妹店で、蕎麦だけでなくうどんもあるちょっとカジュアルな店だ。

酒のつまみもたくさんあって深夜までやっているので芝居帰りには便利。先付けで出て来たのは最中。

いきなりお菓子?そろそろと噛んでみると、カレー風味のポテトサラダだった。手打ち十割蕎麦を使った

蕎麦サラダが旨いね。食事は三人三様。A先生は鍋焼きうどん。太いうどんだった。マキ子は蕎麦汁と

胡麻汁の二色蕎麦。もの凄く細い蕎麦だった。私は桜海老かき揚げが2枚ついた天ぷらうどん。旨い。

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4月 5日(土) 晴れ

朝 無し

昼 新橋 「大戸屋」 炭火焼きバジルチキンサラダ定食(五穀米(小>845円(スタンプサービスで

     無料、じゃこおろし 154円

  

昨夜歌舞伎座で痛くなった右膝は今朝になってもツライ状態。杖が欲しいところだが、家のどこにある

かわからないので、近所の医院までゆっくりゆっくり歩いて行く。先日血液検査をして貰った結果を聞き

に行った。目的の血糖値始め生活習慣病に関する数値はほぼOKだったが、血圧が160超え、下も9

0超えでかなりヤバイ。塩分摂り過ぎに注意かぁ。この膝では新橋まで地下鉄で行くのは無理。タクシ

ーのお世話になる。美容院に行く前の腹ごしらえは「末げん」。とl頃が、店は休みだった・・・。土曜日

は営業日じゃないの!プンプン。仕方なく「大戸屋」に。六本木店にせっせと通った時期に溜めたスタン

プが15個ある。これで定食無料だよん。美容院の帰り、プラズマに行きたかったが、予約が取れず。

夜 荒木町 「おく谷」 お通し:人参とササミのタラコ和え、「おく谷」きまぐれサラダ 850円、茹で立て

天豆と枝豆 650円、カレー大根 500円、きびなご一夜干し 650円、コンビーフキャベツ炒め 

700円、ぬか漬け(サービス)、塩辛炒飯(小)、生ビール、麦焼酎 @6160円

  

  

  

桜は一昨日の雨と昨日の強風でほぼ散ってしまった。いいもん、来週行く海外で桜は楽しむもん!とは

思ったものの、こんな膝で行けるのか!確か旅の4日目だったか数時間歩くとあったぞ!う〜む、不安

だ。もう出発数日前だからキャンセルチャージは多額になるしなぁ。何とかあちこちで治して貰って行け

るといいな。夜は久し振りに「おく谷」に行く。きまぐれサラダが旨いなぁ。きびなごは刺身で食べるのが

普通だけど、一夜干しにして食べるのもオツである。毎回迷って毎回食べてしまう塩辛炒飯が最高!

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4月 6日(日) 晴れ 午後一時雨  風強し

朝 家食 サラダ、ふすまパン+はふう肉カレーペースト、ヨーグルト

昼 恵比寿アトレ 「マトリョーシカ」 シェフのスペシャルランチ(ハト麦入りサラダ、ボルシチ、煮込みハ

ンバーグ、雑穀米ピラフ、ドリンク) 1220円、持参のふすまパン

  

午前中クール便で薬とふすまパンがどっさり届く。ここ暫く海外に行く時、以前のように日数分真空パッ

クして持って行っていない。乾燥剤を入れて真空にしても1週間以上になるとカビてしまって捨てること

になる。パンも焼いたり冷ましたり真空パックしたりの手間ももったいない。ってことで、1食分づつラッ

ピングして数日分だけ持って行くことにしている。従ってふすまパンの消費が減ることになって、今日は

久々の購入である。ランチは恵比寿で。ロシアという国はキライだが、料理は好きだよ。まぁこの店はロ

シア風の料理だけどね。S戸さん、膝が痛いんだけど何とかして貰えないかしら。お願いしまーーす!

夜 荒木町 「宮わき」 お通し:つる菜煮びたし、天豆塩茹で 600円、ホワイトアスパラ焼き 1000

円、焼きポテトサラダ 650円、琵琶湖の大きなもろこ焼き 1070円、春のひろうす 1000円、

小柱とみぞれ餡煮麺、生ビール 2杯、「兼八」ロック 3杯 @9870

  

  

  

夜荒木町の「宮わき」に行ってみると、嬉しいニュースが待っていた。いつも美しい筆文字でお品書きを

書いて店を手伝っている可愛らしい奥様が懐妊された。まぁおめでとうございます!その奥さんに「転

ばないように、ムリしないように、風邪引かないように・・・・・」と帰りしな執拗に注意している女性客がい

たと思ったら、宮脇さんのお母さんだった。姑ならシツコク言ってもとーぜんだ。アハハハ。新潟出身の

嫁さんの身体を気遣って八王子から店にこられた由。久々に焼きポテトサラダがあった。いつもあるわ

けではないけど、ご主人オリジナルのこの一品大好き!春の山菜がたくさん入ったひろうすも旨いね。

                _________________

【今週の振り返り】

先週から訪れたオランダとオーストリアで計7つの美術館を巡った。オランダのアムステルダムでは国

立美術館、ゴッホ美術館、南西部にあるクローラー・ミュラー美術館では、オランダ・フランドル地方が

生んだルーベンスやレンブランド、フェルメール、そしてゴッホの作品を、ウィーンでは美術史美術館、

アルベルティーナ美術館、レオポルト美術館、最後にヴェルベデーレ上宮のオーストリアン・ギャラリ

ーでブリューゲル、カラバッジョ、ベラスケス、アンチンポルト、ミケランジェロ、ラファエロ、デューラー、

モネ、モジリアニ、シャガール、カンデンスキー、ピカソ、そしてオーストリアが生んだクリムトやエゴン・

シーレの作品をたーくさん観るゼータク極まりない一週間であった。更にゼータクを言えば、オランダの

ハーグにあるマウリッツハイス美術館でレンブランドの「テュルプ博士の解剖学講義」やフェルメールの

「デルフトの眺望」、そしてあの「真珠の耳飾りの少女(あるいは「青いターバンの少女」)を観たかった

なぁ、なんて思っちゃったりなんかしてね。あっ、そうそう、マウリッツハイス美術館は今年半ばまで改修

工事中でした。

日本に名画がやって来る場合、たったの数点、あるいは1点だけを観るために、1時間も2時間も並ぶ

ことになる。やっと館内に入り、いざ名画を観ようとすると、その名画さんは遥か遠い場所にガラスケー

スに入れられたりしていてね。その上、「立ちどまらずに前に進んで下さい!」なんて追い立てられちゃ

あ、名画を鑑賞するなんてこととはほど遠いわなぁ。作品の写真撮っていいか、なんて係員に聞いたら

殴られそうな雰囲気である。決して「YES」なんて答えは返って来ない。ところが、である。海外の美術

館は全然違う。絵との距離が恐ろしく近い。絵画を架けた壁から僅か30センチ位の足元に紐を張り巡

らすだけ。ガラスでカバーしていないケースが圧倒的に多い。そして多くの美術館はフラッシュを焚かな

ければ撮影を許可している。今回行った美術館で撮影不可はゴッホ美術館とオーストリアン・ギャラリ

ー、そしてアルベルティーナ美術館の一部特別展だけで、あとはOKだった。アメリカ・ワシントンDC

あるナショナルギャラリーなどは、フラッシュさえもOKというから、日本のガチガチ頭の美術館関係者

に「教えてやっちくれい」と言いたい。ナショナルギャラリーは、それだけ自由に絵画を閲覧させても、こ

れまで作品が損傷されるようなことは全く無かったと言っているそうだ。

 

名画を観続ける日々であったが、私が心を一番奪われたのはエゴン・シーレの作品だった。1890年

ウィーンの中産階級の家庭に生まれたエゴン・シーレ。勉強嫌いだが、幼い頃から美術の才能に恵ま

れた少年は、ウィーン工芸学校に進み、更に16歳でウィーン美術アカデミーに進学した。興味深いの

は、アドルフ・ヒットラーがエゴン・シーレが合格した翌年の1907年と1908年ウィーン美術アカデミー

を受験したが、成績不十分で落第していることだ。もし、ヒットラーがウィーン美術アカデミーに合格して

画家の道を進んでいたら、世界を不幸に巻き込んだ独裁者は誕生しなかったのか。いやいや、彼は美

術好きではあったが、独創性に乏しい保守的な作風であったらしい。よしんば合格していても、画家とし

て生活して行くことは無理だったのだろう。ヒットラーは、自分を不合格にしたウィーン美術アカデミーや

そこで学ぶ人間を羨望があるが故に憎み続け、ひとたび独裁者になるとクリムトやエゴン・シーレなど

の作品を退廃芸術として徹底的に弾圧したそうだ。

話をエゴン・シーレに戻そう。そんなウィーン美術アカデミーに合格したシーレであったが、彼はアカデミ

ーに幻滅し続けて授業に何の価値も見出さなかった。授業には出ずに、ウィーン工芸学校の先輩であ

るクリムトに弟子入りした。クリムトは才能に恵まれたシーレを可愛がり、いろんな面で援助を惜しまな

かった。シーレは生まれた年に亡くなったゴッホに強い影響を受けた。人体構造を研究し、死や性をテ

ーマに多くの作品を描いた。数年同棲していたモデルのヴァリ・ノイツェルとは別れて、エーディトと結婚

したのは24歳の時だ。結婚3日後、第一次世界大戦に招集されたが、軍は芸術家を尊重し、前線勤

務は免れた。1918年のウィーン分離派展に一挙に50点の新作を公開。一躍注目を浴びて作品価格

は上昇し、買い取りの依頼が次々と舞い込むようになった。成功した画家として歩み始めたかにみえた

エゴン・シーレ。そこに魔の手が忍び寄る。妻のエーディトがウィーンを襲ったスペイン風邪で10月28

日亡くなると、その3日後エゴン・シーレも同じ病で死去した。同じ年の2月クリムトが亡くなり、妻のエー

ディトは彼の子供を宿していた。

「永遠の子供」とも呼ばれるエゴン・シーレ。28歳で亡くなってしまった天才画家。もし長生きしていたら

彼の作風はどう変化したのだろう。どんな作品を残したのだろう。観たら決して忘れられないエゴン・シ

ーレの世界。しばらく、その余韻に浸っていたい。

 アタイ、クリムトの猫なんだニャ

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