ワルシャワで第19回ショパンピアノコンクール最終日とガラコンサート


10月 20日(月)ポーランド・クラクフもワルシャワも晴れ
1ズォルティ(Zl)=44円
朝 ポーランドクラクフ・グランドホテル「KAWIARNIA」朝食ヴュッフェ






クラクフからワルシャワまで列車のファーストクラスで移動。約2時間半の乗車



見渡す限り平原のポーランド ワルシャワの街
昼 ワルシャワ「LA LUCE」イタリア前菜:焼き立てフォカッチャ・大きなオリーブ・トマトソース・チコリと鴨肉とゴルゴンゾー
ラチースと、兎肉料理ニョッキとマッシュルーム添え、デザート;メレンゲと生クリーム、コーヒー









ワルシャワには超高層ビルが増えて来た コンテストが行われるフィルハーモニー



ホテル・ブリストル・ワルシャワにチェックインする 私の部屋は715号室






午後6時半フィルハーモニーワルシャワに到着。コンクール本選最終日の今夜3人の演奏者 桑原詩織さんも!



ファーストカテゴリーの入場料は50000Zl(日本円で約22万円!)






カナダ:ケヴィン・チェン(20歳) ジョージア:ディビット・フリクリ(24歳) 日本:桑原詩織(30歳)



1番を弾いた繊細な演奏ケヴィン・チェン 2番を弾いた個性的なディビット・フリクリ 1番を弾いた力強い桑原詩織



熱い戦いが終わった。コンテストの最終結果は今夜遅く決まる(らしい)
遅い夜 ワルシャワ「ホテル・ブリストル・ワルシャワ」客室にて ルームサービス:2種サンドイッチ、トマトとチーズ・アボカドサラダ



5時に起きて、最後の命がけシャワー(笑)を浴び、荷作りをし、朝食は未だ開いていないレストランにちゃ
っかり入りこんで食べた。先週木曜日の夜、羽田空港を発ってポーランドの古都クラクフに来た。3泊した
のにいろいろあってロクに観光もしないまま今日ワルシャワに移動する。一昨日から、以前よく参加してい
た旅行社W社のグループが同じホテルに泊まっていて、朝食時に会うのも2度目だ。彼らは今日アウシュビッ
ツ強制収容所を見学し、明日ワルシャワに移動するそうだ。ガラコンサートだけ聴くんだって。チェックアウトしてクラクフ
の駅で驚いたことが。駐車場に着いて何ヵ所かある透明のエレベータで下に降りたら、いきなり乗車する
列車が発車するプラットホームに着いた。なるほど、こうゆう仕組みって面白いね。問題は到着したのが早
過ぎたことだ。立ったままでは疲れるし、寒い!ホームからエスカレータで下階に行くと温かく、店があり、少
し歩いたところにはトイレもある。有料である。クレジットカードを料金入れにポンとかざすとそれでOKだった
。列車が入って来た。ファーストクラスの座席が予約されていた。通路の左右に1席と2席の座席が並ぶ。な
かなか快適である。ワルシャワまで約2時間半で2つ目の停車駅がワルシャワだ。ハンバーガーや大きなクロワッサンなど
の軽食と飲み物の無料サービスがあって注文するか聞かれた。到着したらランチだから食べんよ。コーヒーを貰
った。車窓からの景色はどこまでも真っ平。畑や果物の樹木、野原などの風景が長閑だ。ウトウトしたと
ころでワルシャワに到着。駅からそう遠くないお洒落なイタリアンレストランでランチ。ポーランドらしい素朴な料理が好
きだったが、十数年経ってすっかり垢抜けてしまったようだ。今日は夜にメインイベントを控えているので、
そのままホテルへ。今日から3泊するのは「ホテル・ブリストル・ワルシャワ」。今朝までいたクラクフのグランドホテルと同
じく歴史のある高級ホテルだが、こちらは改装されていて設備もよろしい。バスタブがフツーの造りで安堵し
た人は私以外にも数人。荷物を整理し、少し休憩したところで5時にバスで会場に向かう。第19回シ
ョパンピアノコンクールが行われているのはフィルハーモニーホール。会場の前に大会最後の演奏者となる今夜出場する3
人の写真が掲載されている。カナダのケヴィン・チェン(20歳)、ジョージアのデイィヴィット・フリクリ(24歳)、そして
日本の桑原詩織(30歳になったばかり)。チケットを添乗員のI原さんから貰う。ふふふ、私はツァー申し込
みが1番だったから最初に席を選べるのじゃ。9列目1番。ここならピアニストの手許がよく見えるだろ
う。1枚5万ズォルティ22万円のチケットだ。11人選ばれた本選では、今回から加えられたショパンの幻想ポロネ
ーズOp,61とショパンのピアノ協奏曲1番か2番のどちらかの2曲を弾く。7時開演。将棋の藤井聡太似の
カナダのケヴィン・チェンは1番を弾いた。何て優しい美しい音なのだろう!緊張のためか大汗をかいて手を
休められる時は白いハンカチが大活躍。ハンカチ王子と名付けた。2番ジョージアのデイィヴィット・フリクリは2番を選
択し、ガッシリした体格で精巧な演奏を聴かせてくれた。最終奏者は我が日本の桑原詩織。大会期間中
に上限年齢30歳にチャッカリなって1番を弾く。やり投げ北口榛花似だけあって、それは力強いショパンを
堂々と弾いた。これで予選に応募した642人+84名の全出場者の最後の演奏が終わった。これから審
査会となるが、結果が出るのはたぶん夜中なので私達はホテルに帰る。部屋にはルームサービスのサンドイッチとサラ
ダが。もうすぐ12時ということもあり3分1程食べた。長い一日。でも充実した一日だった。無酒日
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10月 21日(火)ワシャワは晴れ
1ズォルティ(Zl)=44円
高市早苗政権発足(日本では初の女性政権)
朝 ワルシャワ「ホテル・ブリストル・ワルシャワ」朝食ヴュッフェ




クロワッサンが大き過ぎて残した



宿泊したブリストルホテル 日曜礼拝でショパンが演奏したヴィジトキ教会 ショパンの心臓が安置されている聖十字架教会



ショパンの生家があるワルシャワの郊外ジェラゾヴァ・ヴォラに行く



園内には数ヵ所にショパン作曲のオルゴールが ここが生家 父親が教会に届けた出席届に誤り?



父はフランス人、母はポーランドの貴族出身 ショパンの肖像画



ショパンの心臓をパリから運んだ姉 妹 父親と母親






昼 ジェラゾヴァ・ヴォラ「SONATA」ポタージュスープ、チキンソティ野菜添え、2色アイスクリーム、コーヒー






ポーランドらしい素朴なランチが大好評だった



フレデリック・ショパン博物館に行った



ショパンの自筆の楽譜 美しくわかりやすい
夜 ワルシャワ「ホテル・ブリストル・ワルシャワ」レストラン個室にて (鰻のスモーク野菜添え、牛肉のテンダーロイン ロースとポ
テト添え、パン、チョコレートムースと苺 苺ソース、カモミールティ)、シャンパン、ビール、白ワイン3杯、赤ワイン(旅行会社
のゴチ)







ホテルの個室で夕食会
カーテンを開けると晴天だ。クラクフのホテルに比べて、安心してシャワーを浴びられるのが嬉しい。朝食ヴュッフェの
品揃えはさすがという感じだ。卵料理は注文するスタイルだが、並んだもので十分なので注文せず。パン
はクロワッサン1つにしたのだが、大き過ぎて食べ切れなかった。今日の午前中はショパンの生家があるジェラソ
゙ヴァ・ヴォラに行く予定だが、その前にホテルから歩いて10分程のところにある聖十字架教会へ。パリでに
て39歳の若さで亡くなったショパンの心臓を姉ルトヴィカが瓶に入れて故郷のポーランドまで持ち帰り、この
教会の柱に埋め込んだのだ。20歳でワルシャワを出てからショパンは故国に一度も帰ることが出来なかった。
バスでジェラゾヴァ・ヴォラに向かう。ワルシャワからは60`の距離だ。15年前にもここには来たことがあるの
だが、付属施設などが整い立派になっていて驚く。フランス人の父親とポーランド貴族の母親の長男として
1810年に生まれたフレデリック・フランソワ・ショパン。姉と妹がいる。この家で生まれたが、過ごしたのは僅か
数ヶ月。父が教師の職を得て家族はワルシャワに移転。6歳でピアノの指導を受けてからはメキメキと頭角を現
わして、後に「ピアノの詩人」と謳われるショパンとなって行く。晴天にも恵まれ、赤ん坊とはいえ、ショ
パンがこんな美しい自然の中で育ったと思うとちょっと嬉しい。生家の近くのレストランでランチ。ポタージュス
ープと野菜を添えたチキンソティでいかにもポーランドらしい素朴な食事が美味しくてね。皆さんもここが一
番!とお喜びだ。ワルシャワに戻って「ショパン博物館」へ。現在フレデリック・ショパン研究所が施設の運営を行
っていて、手書きの楽譜や手紙などが展示され、ショパン作品を聴けるオーディオルームなどがある。オスト
ログスキ邸という豪邸を利用しているためか階段や段差が多く足に問題がある人にはシンドイ。今日最後
の観光として旧市街に行く予定だったが、渋滞などで時間が押したため希望者だけが参加した。私?
行かない。だって明日も行く機会があるし。夕食はホテルの個室で。疲れた人が多く14人中6人が欠
席だった。旅行会社が準備したワインも8人では残ってしまうので私には飲み放題となって嬉しい限り
だった。ポーランドに来てアルコールを愉しむのは今夜で2回目だし。料理も美味しいねぇ。疲れが取れた。
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10月 22日(水)ワシャワは曇りのち晴れ
1ズォルティ(Zl)=44円
朝 ワルシャワ「ホテル・ブリストル・ワルシャワ」朝食ヴュッフェ









宿泊しているホテルの隣は大統領府 地図付きベンチにもショパンの音楽が流れる



ワルシャワを描き続けた画家の作品 ショパンの最初の先生の住まい ショパンも通ったカフェ



ワジェンキ公園内にあるショパン像 像の前は大工事中だった



広いワジェンキ公園には人慣れしたリスや孔雀などがいて市民の憩いの場所



ワジェンキ宮殿(水上宮殿)ワジェンキとは浴場の意で離宮に浴場がたくさんあった

スターリンの贈り物として1952年から4年かけて建設された文化科学宮殿
昼 ワルシャワ「LITERATKA」ポテトパン、ポーク料理ニョッキ添え、チェリーとアイスクリーム、、ミルクティ






広場を見下ろすジグムント3世の碑



旧市街の入口旧王宮広場 シンプルに建て替えられた洗礼者ヨハネ大聖堂



洗礼者ヨハネ大聖堂はワルシャワ最古の教会 戴冠式や憲法宣言式もここで行われた



9割が戦争で破壊されたが、見事に復元された建造物に囲まれた旧市街広場
早い夜 (自由食)ホテル客室にて 赤いきつね、ナッツ、バナナ

5時の軽食!旨い!



ショパン国際ピアノコンクール入賞者11人によるガラコンサートに行く。入場料は45000ZL(約20万円)



4位桑原詩織はスケルツォ嬰ハ短調Op39



4位・コンチェルト・ポロネーズ最優秀賞ティエンヤオ・リューは舟歌嬰ヘ長調Op60 2位ケヴィン・チェンは前奏曲集Op28⁻7〜12



堂々1位のエリック・カー(アメリカ・29歳)はピアノ協奏曲ヘ短調Op21 いわゆる2番
朝目が覚めて、真っ先にスマホでコンクールの結果を調べる。優勝はエリック・カー(アメリカ)、2位はハンカチ王子こと
ケヴィン・チェン(カナダ)、桑原詩織ちゃんは4位だった。一昨日の3人の出場者中2人が2位と4位だ
った。ジョージアも良かったのにな。今日は午前中観光、午後はフリータイム、夜はガラコンサートと楽しみな一
日だ。明日は帰国日なのでポーランド最終日となる。昨日に続いてガイドは日本語が上手なマルさんだ。
長い名前で覚えられないのでマルさんで良いって。先ずはホテルの隣にある大統領官邸。数分歩いた場
所にはショパンも訪れたカフェや最初の先生が住んだ建物がある。そしてその手前にあるちょっとした
広場は、弱冠20歳のショパンが1830年11月2日にウィーン(その後はパリ)を目指して旅立った馬車
の発着場だったところだ。バスで市内にあるワジェンジ公園に向かう。ここも以前来たことがあるが、
有名なショパン像がある。撮影する時は工夫して撮ったのだが、実はこの像の真ん前は工事用の巨大
な穴が開けられていた。5年に1度しか開かれないショパンコンクールの開催時期に、この国を訪れる人は
必ず見学したい公園の工事をナゼ今やるのか!昨日の聖十字架教会の正面にも映画のセットが大規模
に組まれていたこともポーランドの不思議だ。それはともかく、広大な敷地に余計な手を入れない自
然が美しいワジェンジ公園で、人慣れしたリスが人間の手から餌を食べたり、孔雀がいたり、市民の憩
いの場所であることがわかる。トイレを借りる目的で駅近くの科学文化宮殿に行く。高さ237bの超
高層建築物で、スターリンによってソ連からポーランド人民への贈り物として建設された。ソビエト連邦支配
の象徴として嫌悪するポーランド人も多いらしい。旧市街のレストランでランチを摂った後、旧市街広場で解
散。ワルシャワに来るのは4回目だが、初めてここに来た時、戦争で全滅に近い被害を受けながら、設
計図や写真、絵画などを参考に広場を囲む建物を見事に復元した姿に大きな感銘を受けた。今は
少しくすんではいるが、依然美しい場所だ。歩き過ぎたので腰が痛い。H口夫人と2人でホテルまで
タクシーで帰った。部屋で出がけにカンタンな夕食を済ませ、ガラコンサートの会場国立フィルハーモニーへ。今夜は6
位までの入賞者全員とバラードやマズルカなどの最優秀賞受賞者含め11人が出演する。まずはバラード
最優秀賞、マズルカ最優秀賞、6位、5位2名が弾き、6人目に桑原詩織さんが真っ赤なドレスでスケル
ツォ嬰ハ短調Op.39を弾いた。同じく4位のティエンヤオ・リュウ(中国)は何と16歳で、会期中は「妖精」
と呼ばれていたが、彼女も真っ赤なドレス。彼女は4位の他にコンチェルト最優秀賞とポロネーズ最優秀賞
とトリプル受賞の凄さだ。3位も中国の女性でワン・ズートン、2位はハンカチ王子のケヴィン・チェン(カナダ)は前
奏曲集よりOp,28⁻7〜12を弾いた。そして最後は1位のエリック・カー(アメリカ)はワルシャワ交響楽団をバッ
クにピアノ協奏曲2番を弾き上げた。手足の長い彼の繰り出すショパンは哲学的で奥の深さを感じさせ、
えも言われぬ感動を与えるのだ。会場から外に出ると大雨だった。夢の世界が終わった。無酒日
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10月 23日(木)ワシャワは曇りのち晴れ
1ズォルティ(Zl)=44円
朝 ワルシャワ「ホテル・ブリストル・ワルシャワ」朝食ヴュッフェ









ショパン空港に向かう
昼⁻@ ワルシャワショパン空港ビジネスラウンジ

とんでもアシスタントに出会った
昼⁻A ドイツ・フランクフルトセネタラウンジ

飛行機の遅れで待ち時間が減った
遅い夜 ANAフランクフルト=羽田ビジネスクラス機内食









帰りのフライトの楽しみは「ホットスポット」4話から10話までを通しで観る
今日は帰国日だ。グループの皆さんは13時発のフィンランド航空を利用してヘルシンキ経由で帰られる。私はま
たひとりで14時20分発のルフトハンザ機でフランクフルトに行き、4時間半待ってANAで羽田に向かう。一緒に
空港まで来て皆さんとお別れした。お世話になりましたー!ひとり残った私、空港は広いので車椅
子サービスをお願いしたのだが、結果タイヘンな思いをすることに。超不愛想な若い女性アシスタントに「スターアライ
アンスのビジネスラウンジに行ってね」とお願いし一旦はポーランド航空(スターアライアンス加盟)のラウンジの近くにエレ
ベータで昇ったのに、ナゼかすぐ下りて出発ゲートに行く。「ゲートじゃなくビジネスラウンジよ」と再度言えば、
ブスッっと空港の外れにあるワンワールドのラウンジへ。「私はルフトハンザだからこのワンワールドのラウンジには入れな
い。さっきエスカレータで上ったポーランド航空のラウンジはスターアライアンスだから戻って」と言うと、「ここ以外ラウ
ンジは無い!」なんてヒステリックに叫んで。それでも「戻って!」と強く言うと、車椅子を押しながら走
り出した。混んでいる空港内で何度も人や柱にぶつかりそうになりながら猛スピードで。で、出発ゲー
トまで来ると突然車椅子から手を放して、走ってどこかに帰って行った。放置された車椅子は幸いぶ
つからずに止まったが、ベンチに腰かけている人達はナニゴトが起こったかとビックリしていた。あぁ仕方な
いなぁ、と車椅子を降り、ポーランド航空のラウンジを探してそそくさとスープとデザートと飲み物で遅いランチ
を済ませてゲートに戻る。するとどうだ。ディレイの文字が表示され、結局飛行機が飛んだのは午後4時
近かった。ゲートまで迎えに来た別のアシスタントに、「機内には自分で行きます。でも、私の言うことを聞
いてよ」とスマホの翻訳アプリを利用して、先程のことのテンマツをカンタンに伝えたのだが、理解して貰えたか
なぁ。ルフトハンザの1時間半遅れがあったので、フランクフルトでの待ち時間は3時間弱に減ることになった。
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10月 24日(金)東京は雨
朝 無し
昼 ANAフランクフルト=羽田ビジネスクラス機内食



日本のランチ時間に併せてカレーを食べる
夜 明石町「ダイニング」B定食(海老チリソース、牛バラ肉と胡瓜の黒酢和え、中華サラダ、五目野菜スープ、
ご飯、漬物、赤肉メロン、杏仁豆腐)2090円、麦焼酎










やっぱりここの食事は旨い!
機内では少し寝て、ひたすら「ホットスポット」を愉しんだ。往路に1話から3話まで観たので、帰りは
4話から完結する10話まで。よくもこんなキテレツな脚本をバカリズム氏は書いたものだよ。才能とセンスが
ある人はいいね。富士山がど真ん中に見える山梨のとあるビジネスホテルに勤務するフロント担当シングルマザー
の遠藤清美(市川実日子)と中学の同級生で泌尿器科の看護師日比野美波(平岩紙)、そして2年後
輩の中村葉月(鈴木杏)の3人が実に面白い。特に平岩紙が独特な味わいで。これに清美と同じホテ
ルのフロント係の高橋孝介(角田晃広)が宇宙人と地球人のハーフという絶妙な役どころをクサイ演技ながら熱
演している。どうするんだろ、この話の顛末はと思っていたところ、どんどこどんどこ不思議な人
が登場して・・お陰でヨーロッパからのロングフライトは笑っているうちに到着してしまったのである。羽田
空港には予定より早く到着した。タクシーにもすんなり乗れて、これだと早く帰宅出来るなと喜んでい
たら「お客さん、高速ムチャ混みで動かないんすよ。相当時間かかりますけどいいっすか。仕方ないっ
すよね」と言われ、はぁ〜仕方ないっすね。それでもいつもと同じ午後7時半にはダイニングで好き
な中華定食(メインは海老のチリソースだった)を食べながら、麦焼酎をグビグビと飲んでいたのでメデタシ。
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10月 25日(土)雨
MLBワールドシリーズ第1戦 ドジャース対ブルージェイズ11対4で大敗汗
大谷翔平選手1HRを含む4打数1安打1四球2打点、先発投手スネル
朝 明石町「ダイニング」A定食(出汁巻卵、鱧入りかまぼこ、野菜の煮物、青梗菜おかか、ご飯、味
噌汁、飲むヨーグルト、パイナップル)880円、納豆275円、「封印」わさび漬け、コーヒー220円





















フリーマン選手は両親がカナダ人でWBCではカナダ代表だった



MBSのWSがトロントで始まった。トロントで2戦、ロスアンゼルスで3戦、必要があれば更にトロントで2戦行う
昼 明石町「ダイニング」B定食(ジャージャー麺、翡翠ほたて餃子、モヤシと茸の和え物、ワカメと豆腐のスープ、
黒豆黄な粉のアイス(小))1320円






WS第1戦は大敗😿
夜 明石町「ダイニング」A定食(鰻の蒲焼き、南瓜と海老そぼろあん、和風サラダ、香の物、ご飯、お
吸い物、シャインマスカット)2090円、(Y村さんから頂いた枝豆)。麦焼酎ボトル3300円















ショパンの20歳の時、活躍の場を求めて旅立ち、11ヵ月かけてパリに辿り着いた
10日ぶりの日本は雨だった。でもいいや、今日は一日出かけないし、MLBのワールドシリーズは今日始ま
るし。ずっと降っていても構わないよ。朝ご飯では久々の納豆。ネギ納豆と辛いわさび漬けをたっ
ぷりご飯に乗っけて食べる。旨い!ワールドシリーズ2025は、1戦2戦はカナダのトロントで行われ、3戦、4
戦、5戦はロスアンゼルス、必要があればまたトロントで6戦、7戦を戦い、4勝したチームが優勝する。1.2.6.
7戦を本拠地で開催出来る「ホームフィールド・アドバンテージ」はレギュラーシーズンの勝率が高い球団に与えられ
る。ブルージェイズは勝率580、対してドジャースは574。しかしドジャースとすれば、1敗までなら地元ロスア
ンゼルスで優勝を決められるので、それを狙っているだろうな。ドジャースが優勝ならばチーム初の2連覇
、ブルージェイズが優勝ならば1992年、93年と連覇して以来32年ぶりの優勝となる。開幕のセレモニーは
赤と白のコスチュームの大勢の人が国旗となって大会を盛り上げた。カナダの国歌は殆ど聴いたことが無
かったが、球場に詰めかけた人が大声で国歌を歌っている様子が映し出されて、何とも美しい光景
だった。今日のドジャースの先発はスネル。最初顔を見た時から「蛇似だ」と思ったが、今も益々そう思
っている。スネル、由伸君が好きらしいことでも有名になったね。ドジャースが先行したが4回で追いつ
かれて2対2に。そしてスネルが6回で掴まって合計5失点したところで替わったシーハンもバンダも3点
ずつ失い、合計11点取られてしまった。意地で大谷選手がホームランを打って一矢を報いたが、ゲームは
そこまで。大敗した悔しさを明日に繋げろ!だね。写真の整理やパソコンへの取り込み、荷物の整理と
洗濯など帰国翌日は忙しい。夕食後、少し前に放映された「クラッシックTV」を観ると、ショパンをやってい
た。20歳の11月に故郷を発ってウィーンに辿り着いたものの、その頃ウィーンは空前のワルツブームでヨハン・シュト
ラウスの天下だった。ショパンの出番はなく、彼は更にパリを目指して長旅を続け、到着したのは翌年の9
月末だったのだよ。ずっと馬車で。ヨーロッパからのフライトが14時間で長い!なんて文句言ってられない。
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10月 26日(日)雨
MLBワールドシリーズ第2戦 ドジャース対ブルージェイズ5対1で勝利 1勝1敗
大谷翔平選手4打数1安打 先発投手山本由伸 4安打1失点で9回完投!勝ち投手
朝 明石町「ダイニング」A定食(きび粥→ご飯、鰈のつけ焼き、茄子の煮物、香の物、飲むヨーグルト、
バナナ)880円、味噌汁308円、納豆275円、「封印」わさび漬け、コーヒー220円







今日も雨だ
昼 明石町「ダイニング」B定食(トマトスープ、ランチプレート:ハンバーグ茸ソース・鱈のムニエル・烏賊ノペペロンチーノ
風、サラダ、パン、ミルクティ)1320円



いろんな料理のランチプレートが楽しい
夜 明石町「ダイニング」A定食(鶏肉のくわ焼き、白身魚しんじょの煮物、ほうれん草のお浸し、
長芋の醤油漬け、赤飯、味噌汁、柿)2090円、麦焼酎









今日も雨だったが、そんなことはどうでもいい。今日のワールドシリーズ第2戦の試合が素晴らしかった
から。ドジャースはナ・リーグに所属しているから日本の野球ファン(ドジャースファン、いや大谷ファンかな)は滅多
にア・リーグ所属のブルージェイズの試合を観る機会が少ない。人気者ゲレーロ・ジュニアがいても昨年は地区最下
位だったし、軽く行けるんじゃね、なんて思っていた人も多かったのではないか。ところが、昨日
の第1戦で、打者はボカスカ14打も打つわ、投手はドジャース打線を黙らせるわでムチャ強いではないか。
選手の大半が20代で若くて溌剌としている、なんて現状を見て「ちょっとヤバイ」と思った筈。しか
し、今日の先発はドジャースの切り札・山本由伸。彼ならなんとかしてくれる筈だ。そしてその通りに
なったのだよ。3回に1失点あったものの被安打4で9回完投した!ワールドシリースで完投なんて、なん
て素晴らしいのだろう!味方もスミスやマックス・マンシーがHRを放つなど5点を挙げて山本を支援した。これ
で1勝1敗。明日は移動日で両チームはロスアンゼルスへ。3連戦の間でこのシリーズは決着がつくのかつかな
いのか。大谷翔平選手がエンゼルスに在籍していた6年間はレギュラーシーズンが終わる9月末でファンもオフに入
ったが、ドジャースに移籍してくれたお陰とドジャースのガンバリで、昨年から長いポストシーズンを楽しめて
いる。有難いことだ。ガンバレ!ドジャース!ガンバレ!ブルージェイズ!夕食はお赤飯大盛りでお祝いした。
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【今週の振り返り】
あまた音楽コンクールはあるが、私にとって1番インパクトの高いコンクールは、というとショパンピアノ国際コンクールで
ある。1927年から始まり、チャイコフスキー国際コンクールとエリザベート王妃国際音楽コンクールと共に世界三大コンクール
の一つである。他のふたつのコンクールと違って、ショパンピアノ国際コンクールは対象がピアノだけであり、演奏
する曲目もショパンの作品からのみ選ばねばならないことが大きな特徴だ。5年に1回、ポーランドの首
都ワルシャワで行われ、世界から多くの応募者がいることでも知られる。第19 回となる今回は、642人
の応募者と、選考の手間を省くため著名なコンクール入賞者84名がコンクールに参加した。書類選考で認め
られた162名は国内予選を経て、10月初めから始まるワルシャワでの第1次選考に出場出来るのは84名。
そこで40名が第2次選考に進む。更に半分落とされて3次選考に進めるのは20名だ。20名の中に
は日本人は3名いたのだが、既に日本でとても人気のあり、最も期待されていた牛田智大さんは本
選には進めず涙を飲んだ。実は、私が1番期待していたのは亀井聖矢さんだったのだが、あろうこ
とか国内予選の段階で落ちてしまった😿 他の国際コンクールで何度か優勝している彼でもダメだったの
はナゼか。ショパン向きでは無かったのだろうか。彼は落ちたショックから立ち直って、翌月エリザベート王妃
国際音楽コンクールに出場して、サンサーンスを弾いて5位入賞した。同時に、彼はコンクール卒業を宣言している。
本選には進藤実優さんと桑原詩織さんを含む11名が出場した。
ファイナルに進む11名の名前を見て驚いたことがある。とにかく中国人と中国系だらけなのである。出
身国がアメリカやカナダやマレーシアであっても、名前を見れば中国系。数えてみたら11名のうち7名が中国
人あるいは中国系であった。1次予選でも日本人や韓国などアジア人が多いのは以前からの傾向だっ
たが、ここまで中国にショパコン(略してこう言うのだそうだ)が支配されたようで不気味な気持ちも隠
せない。良い機会だからと過去のコンクールのことを調べたみたら、世界の歴史に触れたような感じでも
あった。
第1回目は1927年開催だが、この時の第1位はソ連のレフ・オボーリン。1位から4位までソ連と主催国のポ
ーランド人で、ファイナリスト12名のうち、ベルギーとオランダが1名ずついるだけで残りはすべてソ連とポーランド
で占められていた。因みに審査委員も全員ポーランド人だった。1932年の第2回は15位まで選出され
ていて、ハンガリーが3名、ベルギーが1名いる以外はやはりソ連とポーランドばかり。審査委員はヨーロッパか
ら何人か加わった。主催国のポーランドが多いのは頷けるし、ソ連も音楽は盛んであったのだろうが、
この頃のポーランドは実質ソ連に支配されていたから、そんな背景も浮かんで来る。1937年の第3回で
は13位までのうち、イギリスとハンガリー(2名)とドイツ、フランス(2名)から入賞者を出していることと、
日本から初めて原智恵子さんがファイナリストとして残った。彼女は聴衆賞を受賞している。1949年第4回
では1位と2位を女性出場者が獲得したが、ポーランドとソ連の二か国にまた逆戻りした。1955年の第
5回で、ようやく私も知っている名前が出て来た。第2位になったのは、ソ連のウラジーミル・アシュケナージだ。
彼は日本でも活躍したピアニスト(のちに指揮もした)だが、翌年にはエリザベート王妃コンクール、1962年には
チャイコフスキー国際音楽コンクールで第1位に選ばれている。そして初めて中国のフー・ツォンが3位に、日本から出
場した田中希代子さんが第10位となった。それ以外はやっぱりポーランドとソ連。しかし、この後のショ
パコン入賞者は大物がゾロゾロと続くのだ。
1960年第6回の第1位は大好きなマウリツィオ・ポリーニだ。若い頃から異才ぶりを発揮し、ショパコンでは18歳
の彼が審査員全員一致で優勝!審査委員長を務めたルービンシュタインが「いまここにいる審査員の中で、彼
より巧く弾けるものが果たしているだろうか」と賛辞を述べた話は有名だ。昨年82歳で亡くなって
しまったが、私もサントリーホールでポリーニの演奏を聴いた。ベルリンフィルの指揮者で大好き(顔が)だったクラウデ
ィオ・アバドと親友だったポリーニは「ミスター・パーフェクト」と呼ばれた。1965年第7回の優勝者はアルゼンチンのマルタ・
アルゲリッチ。彼女も大好きなピアニストで、ヴァイオリンのギドン・クレーメルとの共演は何度か生で聴きに行った。日本
とも関わりの多い素晴らしい音楽家である。この大会で4位になったのは中村紘子さんで、以後ショパコ
ンの審査員も長く務めた。アルゼンチン以外にもブラジル出身者も2位となり、6位までにソ連はひとりもいな
い。1970年第8回の優勝者はアメリカのギャリック・オールソンで、2位になったのは日本の内田光子さんだった。今
年1月末にウィーンの楽友協会で内田光子さんの弾き振りでモーツアルトを聴いたが、1歳違いの内田光子さんの
姿が眩しかった。親しくさせて貰ったテレビマンユニオンの初代社長萩元晴彦さんは「ボクが死んだらね、内田
光子さんにモーツアルトのPコンチェルト23番を弾いて貰う約束したんだ」と仰っていた。1回飛ばして1980年第
10回の第1位は初のアジアからベトナムのダン・タイ・ソンだった。5位は日本の海老彰子さんで、お2人とも今回
審査員を務めている。余談だが、3位になった中国のワン・ズートンは彼の生徒である。1985年第11回優勝
者は19歳ソ連のスタヌスラフ・ブーニン。NHKの特集番組で取り上げられたこともあり、日本で一大ブーニンブームが起
きたことを覚えておりでだろうか。彼はそんなことで度々日本を訪れ、日本人と結婚し、家も日本にあ
る。この時4位になったのは日本の小山実稚恵さん、次の第12回では第3位に日本の横山幸雄さんが選
ばれ、彼の19歳はそれまでの日本人出場者の最年少記録だった。5位は高橋多佳子さんだった。第13回
でも宮谷里理香さんが5位となった。
2000年の第14回で第1位になったのは中国の超ハンサムなユンディ・リで、2010年にワルシャワで彼の演奏を聴いた。
そう言えば、その時ダン・タイ・ソンの演奏も聴いたんだった。4位も中国、6位に日本の佐藤美香さんが入り、
6名中3名がアジアとなり、ポーランドからは1人も選ばれていない。2005年の第15回にはポーランドが優勝者
を出したものの、3位は韓国の2人、4位は日本の山本貴志さん、関本昌平さん、6位が中国と2位、5位
該当者がいなかったため、入賞者6名中アジア勢が5名選ばれてことになる。2010年第16回は長らく静か
だったロシア勢が1位から3位まで入り、アジアはゼロだった。2015年第17回では、初めて韓国からチョ・ソンジン
が第1位となった。カナダとアメリカから2名ずつが入賞したが、名前からみるに3名は中国系だった。その中
の4位に入ったアメリカのエリック・ルーこそ、今回第19回で優勝した17歳のエリック・ルーであった。日本人はゼロだっ
たが、その次の2021年第18回で日本の反田恭平さんが内田光子さん以来の2位に、4位には小林愛美さ
んが選ばれた。おふたりは子供の頃から同じピアノ教室に通っていた幼馴染だったと聞くが、こうしショパコン
で一緒に受賞し、その上結婚してしまったのだから、何とも愉快だ。今回のショパコンにもおふたり揃って会
場にいらしていた。
ショパコンの歴史を長々とお読み頂き、お疲れ様でした。
長い間、いつかはショパンコンクールをこの目で、この耳で味わいたいと思っていたが、今回願いが叶った。2010
年はショパン生誕200年を祝す「ショパン年」であったが、その時ワルシャワでは、お祝いの特別コンサートが8日間開か
れ、そのうちの3日のコンサートを聴いた。ショパンの誕生日が2月22日説と3月1日説があるのでどちらも含
む8日間コンサートを実施したのだ。最も感動したのは、エフゲニー・キーシンの協奏曲2番だった。彼は若くして国際
的な名声を得ていたため、コンクールに出場する必要がなかったと考えられているが、15歳でショパコンと同年に
開催されたチャイコフスキーコンクールでオープニングセレモニーでの演奏機会を与えられたそうだ。しかし、コンクール無しでトップクラ
スのピアニストになるのはなかなかに難しく、多くのピアニストはコンクールの上位入賞をキッカケに本格的なピアニストとして
の演奏活動に歩み出す。それだけに、コンクールの門は極めて狭く、そしてとてつもない魅力があるのだろう。
ショパンの協奏曲を延々と演奏したオケの皆さんお疲れ様!ニャン
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